■八雲は“知事の娘の好意”に気づいていた
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。ヘブン(トミー・バストウ)に対する、県知事の娘・リヨ(北香那)の求愛は約3週間にもわたって描かれることに。
放送第53回では、ヘブンの最初の妻・マーサ(ミーシャ・ブルックス)との回想も描かれ、異人種間結婚を禁じる州法を破ってでも結婚したが、妻を社会の偏見から守ることはできず別れた悲しい過去が語られた。そして「夫婦になってほしい」と語るリヨに対して「私は、1カ所にとどまれない人間なのです」と拒絶するのであった……。
史実では、リヨのモデルとなった籠手田淑子が八雲に結婚を求めたとは記されていない。ただ、八雲自身も淑子の好意には気づいており、後々もそれを気遣っていたようだ。それは、県知事の籠手田安定が新潟県に転任した後に、八雲が送った手紙の中で淑子のことを尋ねたことからも明らかだ。
ただ、それに対する籠手田の返事は、淑子は嫁にいったというものであった。(参考記事:だから「県知事の娘」は小泉八雲と結婚できなかった…ばけばけ“佐野史郎のモデル”が直面した法律の壁)
では、なぜ八雲は県知事の娘からの好意に応えなかったのだろうか。ここでは資料をもとに、その実情を考えていきたい。
実のところ、八雲はモテないわけではない。史実の最初の妻であるマティ・フォリーと出会ったオハイオ州のシンシナティでは新聞記者として頭角を現している。後に移住したニューオーリンズでも、ますますその名声を高めている。文芸評論も書くかと思えば現場に出向いて事件報道も得意とジャンルは幅広い。
■八雲の息子「父は実際以上に醜夫だと定め込んでいた」
特に八雲が得意としたのは、ブードゥー教やクレオール文化など、一般市民は興味を持つが、あまり近づきたがらないジャンルへの取材だった。社会の周縁、闇の領域に躊躇なく踏み込んでいく姿勢は、当時の新聞業界でも異彩を放っていた。
なにより、英語だけでなくフランス語も流暢に話せた。知性と好奇心、そして「異質なもの」への恐れのなさは、女性を引きつけるには十分な魅力だ。
しかし、当の本人は自分の魅力に全く気づいていなかった。長男の小泉一雄による『父小泉八雲』にはこう記されている。
私は、父ハーンは一生を通じて女性に対しては優しい男だったと思う。
だが、その「優しさ」の裏には、深いコンプレックスがあった。
彼は決してドンファンではなかった。第一自分を実際以上に醜夫だと定め込んでいた。彼はその身の不具を極端に醜悪なものとして恥ろうの余り、女性に対して非常に遠慮がちで、言い寄る可き場合をすら逸した男である。彼の恋はいつも夢の恋であった。幻を慕う恋であった。
■自分からは決して踏み込めない男
そして、八雲が来日以前に出会った女性、エリザベス・ビスランドやレオナ・バーレル夫人、ベーガンことアンネッタ・アントナ夫人との恋をいずれも一雄は「肉体を離れた精神的な恋で、文章上での恋であった」と記すのだ。
八雲は、女性から好意を寄せられたときほど、急に自分の身体の欠点を意識してしまう。そんな男だったのだ。
ここで一雄は、そんな父の恋愛観を示すエピソードとして、マルティニーク諸島滞在中に親しくなった女性の話を語っている。この女性は熱病にかかった八雲を助けた一家の娘でエラ・コートニーといい、一雄の筆によれば「黒人の血はあるが、フランス系のむしろ白人に近い美人である。アレテア・フオレイや小泉セツよりは確かに綺麗な女である」という。
では、県知事の娘・淑子はどうだったのか。彼女もまた、八雲に好意を寄せた女性の一人だった。しかも、過去の「夢の恋」や「兄弟のような関係」とは違い、社会的地位も教養もある、結婚相手として完璧な条件の女性だった。
しかし、淑子との関係は、エラ・コートニーのような「兄弟のような親しさ」にも、エリザベス・ビスランドのような「文章上の恋」にもならなかった。言い換えれば、八雲は淑子に対して、どんな形の関係性も築くことができなかった。あるいは、築こうとしなかったのだ。
■「県知事一家の婿」が受け入れられない理由
確かに淑子は八雲に対して好意を示していた。父親の安定も尊敬できる人物である。それでも、八雲は深い関係にならなかったし、思い出を持ち続けることもなかったのだ。
その理由は、淑子が上流階級の出身であったことにほかならない。
八雲の幼少期は、家庭崩壊と貧困に彩られていた。
県知事家の婿になるということは、どういうことか。
松江の社交界に顔を出し、地元の名士たちと酒を酌み交わし、県の行事には県知事の娘婿として出席する。八雲の一挙手一投足が、籠手田家の名誉に関わってくる。「あの外国人教師」ではなく、「県知事閣下の娘婿」として振る舞わなければならない。
エラ・コートニーは熱病の八雲を看病した恩人の娘だった。エリザベス・ビスランドは文学を通じて心を交わした知的な友人だった。彼女たちとの関係は、個人と個人の自由な交流だった。誰に気を遣うこともなく、好きなように話し、好きなように付き合えた。
しかし淑子との結婚は、そうはいかない。
なにより、家庭というものを知らない八雲にとって、「家」は安らぎではなく、むしろ恐怖の象徴だった。彼の知る家とは、ギリシャで出会った若い母を、頼る者もいないダブリンへ連れてきてた挙げ句に捨てた父のいる場所であった。その母を、異民族・異教徒として蔑み続けた親戚たちの冷たい視線だった。八雲に残された「家族」の記憶は、愛情ではなく、追放と分断だけだったのである。
■“追いやられた人々”への強い関心
県知事の娘の夫として、失礼のないように振る舞い、恥をかかせないように言動に気を配る。民話を集めて街を歩き回ったり、貧しい人々の家に入り込んで話を聞いたりする。そんな八雲の「癖」は、きっと眉をひそめられる。
アメリカの新聞記者時代に、八雲は白人や中産階級が近寄ることがなかった下層に追いやられた人々のところを訪れ取材をしている。それは好奇心やのぞき見などではない。
八雲の事蹟で顧みられることは少ないが、来日後も八雲は同様のことを続けている。田部隆次『小泉八雲』(北星堂書店 1950年)は、八雲が西田千太郎を連れて、当時の松江にあった社会の周縁……最下層に追いやられた人々の住まいを訪れたことに触れている。
あまり語られることのないエピソードだが、この訪問を八雲は1891年6月13日の英文誌『ジャパン・ウィークリー・メイル』で詳細に報告している。
ここで、八雲は訪問前、「醜さと不潔さ」を予想していたと率直に記している。ところが実際に目にしたのは、まったく異なる光景だった。
「きちんとした住居が立ち並び、美しい小さな庭があり、部屋の壁には絵がかかっていた」
八雲はそこにかつて自分が取材し、親しんだ人々と同じものを感じたのだろう。たっぷりとページを割いて、人々の生活を記録している。村には多くの木々があり、緑豊かで「極めて絵のように美しい」風景が広がっていた。公共浴場や洗濯場が整えられ、住人たちが清潔な衣服を大切にしていることもはっきりとわかった……。
■「歌と踊り」に心を動かされた
八雲が特に心を動かされたのは、「大黒舞」と呼ばれる伝統的な歌と踊りだった。少女たちが竹と紙で作った槌、つまり大黒様の槌を模したものを左手に、扇を右手に持って歌う。別の少女たちは木製の拍子木のような楽器を鳴らす。老婆が刻みの入った2本の棒をこすり合わせて音を出しながら、滑稽な踊りを踊る……。
歌われたのは「八百屋お七」の物語だった。何百年も前、恋人に再び会うために自宅に放火し、火刑に処された美しい娘の悲しい物語である。少女たちの澄んだソプラノの声が響き、続いて低い声の女性たちが加わり、美しいハーモニーを作り出す。
八雲は1時間以上この歌を聴き続けた。歌詞の意味は分からなかったが、「全く飽きることなく、むしろ終わってしまうのが残念だった」と記している。そして、こう結論づけている。
芸者から聞いたどんな歌も、この蔑まれた階層の人々の素朴なバラッド歌唱の魅力には及ばなかった。
社会の周縁に追いやられた人々の集落を訪れ、彼らの歌に心を動かし、「芸者の歌よりも美しい」と記す。そんな八雲の本質を、県知事家の一員として保ち続けることは不可能だった。
■八雲の心情を見事に表現した“朝ドラのセリフ”
「県知事閣下の娘婿が、あんな場所に出入りしている」
そういう囁きに、常にさらされ続けることになる。幼い頃から人生の辛酸を舐めた八雲にとって、淑子が若さゆえの情熱で恋心をぶつけてくることは、むしろ迷惑だったかもしれない。それどころか、八雲の本質を知らずに「英語の先生で、アメリカでは文豪らしい」程度に思っているのだから、苦痛ですらあったかもしれない。
それでも、相手を気遣ってしまうのが、八雲の生来の優しさだった。淑子の好意を傷つけないように、しかし明確に距離を置く。ドラマで用いられた「私は、1カ所にとどまれない人間なのです」という言葉は、創作だが八雲の心情を見事に表現している。表面的には放浪癖を語っているようで、実は「あなたの世界と私の世界は、根本的に違うのです」という、相手を気遣いつつの深い拒絶なのである。
八雲にとって、最も重要だったのは「精神的な共鳴」だった。息子・一雄が「肉体を離れた精神的な恋で、文章上での恋であった」と記したように、八雲は相手が自分の内面、自分の価値観を真に理解してくれることを何よりも求めていた。
しかし同時に、八雲は理想や情熱だけでは結婚生活が成り立たないことも、痛いほど知っていた。
■セツは“八雲の闇を受け止める力”があった
最初の妻との結婚は、まさに理想と情熱の産物だった。異人種間結婚を禁じる州法を破ってまで結ばれた二人。だが、周囲の偏見と圧力に耐えきれず、結局は別れることになった。八雲は妻を社会の偏見から守ることができなかった。その苦い経験が、八雲に一つの真実を刻み込んでいた。
愛や正義感だけでは、社会の壁を越えられない。二人が互いを思い合っていても、周囲の世界が二人を引き裂くことがある。そして何より、相手を不幸にしてしまう可能性がある。
淑子との結婚は、まさにその轍を踏むことになるだろう。県知事の娘という地位、松江社会が彼女に期待する役割、そして八雲自身の生き方……これらはどう考えても噛み合わない。若い情熱で結ばれたとしても、やがて二人とも苦しむことになる。
八雲はそれを、誰よりも深く理解していた。
そんな八雲の前に現れたセツは、淑子にはない決定的な資質があった。それは、八雲の闇をまるごと受け止める力だった。士族ながら没落し、この世の上層と下層との現実を知る彼女は、怪談への執着、民話への傾倒、社会の影に惹かれるという八雲の性質を丸ごと受け入れることができた。
八雲が社会の周縁を訪ね歩き、そこで見つけた物語を語っても、セツは驚かず、責めず、ただ静かに耳を傾けた。何より、セツとの関係には「社会的な役割」が介在しなかった。
セツは、八雲の闇を恐れなかった。いや、むしろその闇の奥に灯る微かな光を見つけ出せる、稀有な女性だった。いわば、セツは八雲を照らす「闇を抱えた地上の太陽」となったのである。
淑子は未来を照らす光だった。セツは八雲の過去を抱きしめる闇だった。そして八雲が選んだのは、後者だった。
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昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
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(ルポライター 昼間 たかし)

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