厄年には不幸や災難が起きると言われている。本当なのか。
神道学者の三橋健さんは「一般的に『男性42歳=死に』『女性33歳=散々』と恐れられるが、語呂合わせに惑わされてはいけない。本来の厄年は、もっとよろこばしい意味が込められている」という――。(第2回)
※本稿は、三橋健『神様に願い事を叶えてもらう!厄除け・厄祓い大事典』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■厄年は「役目をもらう年」、大厄は「大役」
民俗学では「ヤク」について、「厄」とともに「役」の意味があると説明もされているようです。とくに四二歳の「大厄(たいやく)」は「大役(たいやく)」で、その「役」とは「神役(しんやく)」、つまり「神事に奉仕する役」のこと。そして、そのような役目がはじめて与えられる重要な年齢が「厄年」すなわち「役年」である、というのです。
また、このような神役を任されるような人は、共同体(部族・村落)や集団生活のなかでは責任も重く、よりいっそうの注意を払うべき年齢として、人びとに意識されるようになってきました。
そんな「ヤク」が、かつての「役」の意味を失い、不吉な意味としての「厄」だけが残ってしまったように思います。神様との交流が忘れ去られ、神様のために役立たなくなってしまった現代の日本人への、神様からの“しっぺ返し”と見られないでもありません。
男性の大厄の年齢である四二、すなわち「四二(しに)」が「死に」に通じ、女性の大厄の年齢の三三、すなわち「三三(さんざん)」が「散々」に通ずるなどという迷信的な説明だけにこだわっていると、文字通り、散々な目にあっても仕方がありません。
私も「本来、役目をもらう年」それが「役年」であり「厄年」であると考えています。それは人生における大きな節目であり、それを越えることによって飛躍できると思えるからです。

■厄年は華々しく、よろこばしいこと
このように考えてみますと、そのような厄を迎えた年だからこそ、私たちの災難や凶運も神様から祓っていただくことができるのです。
さらに付け加えますと、ヤク目(役目)をもらう年というのは、たとえば、年男(としおとこ)のように若水(わかみず)を汲んだり、年神様(としがみさま)に供物(くもつ)をあげたりするという大切な役目をもらうことにもなります。
言い換えれば、それだけ「人間的あるいは社会的に認められた人」という年齢を迎えたことになり、そのことを自覚しなければなりません。
したがって、本来、厄年は、とても華々しくよろこばしいことであって、コミュニティのなかで「トップスター」の座につく、あるいは「晴れの舞台にのぼる年」であるともいえます。
普段、控えめな性格の人であっても、このときばかりは花咲く時期というわけです。晴れ舞台の「晴れ」は、「晴れ着」や「晴れの日」という言葉があるように、普段とはちょっとちがった、非日常的な、どちらかといえば身も心も「異常」な状態(情態)のこと。ですから、他人から認められる重要なチャンスにもなるわけです。
■「お遍路」も厄祓いの一種
人生とは、ある意味で「巡礼(じゅんれい)の旅をつづけていることである」といえます。なぜ巡礼をするかといえば、その答えの一つは「滅罪(めつざい)の旅」だと思います。巡礼者のなかには、最後に野仏(ののほとけ)になった人もいたと聞きます。
また、巡礼者たちを「お遍路さん」といいます。そのお遍路さんの大半は罪を背負った人びとで、過去に不幸を背負った人も多いようです。

一方、巡礼地の人びとは、お遍路さんによく施しものをいたします。
そのようなことで、お遍路さんがおよそ1400キロにもなる全行程を旅するのは、地元の人びとが生きているうちに少しでもお遍路さんに施しものをするのと同じことで、このことは厄祓いと深い関係があると思います。
巡礼者は一人で歩いているようですが、笠(かさ)などに「同行二人(どうぎょうににん)」と書いてありますように、いつも弘法大師(こうぼうだいし)(空海)と一緒に歩いているという意味です。歩いているうちに、大師が罪を代わってくださいます。つまり、「大師(だいし)」は「代師(だいし)」なのです。
罪をあがなってくださるので、これも厄祓いの一種といえます。
■“物乞い”への施しも「厄祓い」にあたる
もっとも、現在では、自分自身を見つめるための一人旅のほか、健康増進のため、また、アウトドア感覚で旅する人も少なくないようです。このように、宗教的な目的を持たずにお遍路さんの旅をする人もいますが、誰しもが一度は訪れたい霊場(れいじょう)としての魅力があることは確かでしょう。
お遍路さんに地元民が施しものをする理由も、施しものに、自分の罪や穢(けが)れや災(わざわ)いを託しているように思えてきます。言い換えますと、「お遍路さんに、自分たちの犯した罪や穢れや災いを持って行ってもらう」ことになり、したがって、いわば一種の「祓い」にあたります。
戦前、私の子どもの頃には、三味線を弾きながら家々を歌い歩いている「門付芸人(かどつけげいにん)」がよくいました。
恋の懺悔の話などを語りながら、物乞いをして家々を歩いていました。
そして、人びとはこのような芸人たちに金銭や物品を施したものです。
このような施しをしたのも、やはり「祓い」、言い換えますと「厄祓い」の一種だったのです。
つまり、「門付芸人が、施しをした人たちの罪や穢れや災いを背負って、遠くへ持ち運んでくれる」という、庶民の隠れた厄祓いの信仰心にもとづくものであったわけです。
■貯金を盛大な酒宴にあてた「大厄」の友人
次に、私の友人の厄祓いのやり方を紹介しましょう。彼は四二歳までに蓄えたお金を大厄(たいやく)の祓いのために全部使ったのです。親戚や友人を招いて酒宴をもよおし、お土産まで出して大盤振る舞いをしました。
これなどは、厄をできるだけ多くの人びとに背負ってもらうことにより、「大厄を分散する」という方法で、これまた「祓い」の一種の潜在的意識によるものと思い、厄祓いの本質を示しているといえましょう。
幸福も不幸もみんなで分かち合うという生活の知恵なのです。なお、幸福の場合は「お福分け」といいます。「はらえ」を「解除(はら)え」とも書くように、あるいは「大祓」の神事に「解縄(ときなわ)」という祓いの行事を行いますように、これらは罪や穢れをできるだけ細かく解体してなくしてしまうという意味があります。
ところで、お遍路さんの八八か所の巡礼、これは一種のさすらいの旅でありますが、そのような巡礼をするのは、「来世(らいせ)」すなわち「あの世」での罪に対する裁きを、生きているうちに少しでも和らげておこうとする、これも無意識の「祓い」であるといえます。つまり、巡礼は、「滅罪のための旅」であるということになります。

■日本人の心に流れる「さすらい」の観念
「さすらい」という言葉を調べてみますと、古くから「流離」と書いていることが注目されます。
この文字は『日本書紀』にも出てくる古い言葉ですが、ここに「流」という字が用いられているところに、宗教的に深い意味が込められていることがわかります。
なぜならば、「流」という字は、流刑(るけい)、流罪(るざい)、流人(るにん)、流謫(るたく)などと使われるからです。
これらはいずれも、罪人、罪を犯したことの意味が含まれています。つまり、罪を犯した流れ者が、その罪を背負ってあてどもない旅に出かけることが、ほかならぬ「さすらい」の旅の持つ、もっとも根源的な姿なのです。
民間における、ナガシビナ、七夕ナガシ、ネブタナガシ(睡魔を襲うネブタという悪魔を流し去る祭り)なども同じことで、これらもナガシが使われていますが、そこでのナガシも「流し」に通じ、罪や穢れ、あるいは災いを流すことであって、ナガシという言葉が、罪や穢れや災いと深く関わっていることがわかります。
ギターやアコーディオンで酒場などを回り歩いている「流し」も、先に述べた「門付芸人」に通ずるところがあります。
このような「さすらい」の観念は、日本人の心の底に、ずっと流れてきたものなのです。

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三橋 健(みつはし・たけし)

神道学者、神道学博士

1939年石川県生まれ。國學院大學大学院文学研究科神道専攻博士課程を修了。永年、國學院大學神道文化学部及び同大学院教授をつとめてきたが、2010年に定年退職。現在は、國學院大學客員教授、日本の神道文化研究会の代表として活躍。
著書に『図説 神道の聖地を訪ねる!日本の神々と神社』、共監修に『日本人なら知っておきたい!神様と仏様事典』(いずれも青春出版社)などがある。

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(神道学者、神道学博士 三橋 健)
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