新年をよい一年にするためには、どうしたらいいのか。神道学者の三橋健さんは「神社の風習には様々な意味が込められている。
『おみくじ』の引き直しや『お札』の長期保管などは、神様に失礼にあたる場合があるので気をつけてほしい」という――。(第3回)
※本稿は、三橋健『神様に願い事を叶えてもらう!厄除け・厄祓い大事典』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■言葉には「魂」が宿っている
日本人は昔から「言葉にも『魂』が宿っている」と考えてきました。「魂」は「心」と置き換えることもできます。それと同じように、日本人は「世の中にあるすべてのものに『魂』が宿っている」とも考えてきました。
日本の国歌『君が代』に「さざれ石」という石が出てきます。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで
この歌に登場する「さざれ石」とは、もともと「小さい石」や「細かい石」のことをさしていました。小さな石が集まっている隙間に炭酸カルシウムなどが入り込むことによって固まり、岩のように大きな塊(かたまり)となるのです。
歌詞には、長い年月をかけて、小さな石が集まってできた岩に苔(こけ)が生じるように、国民の一人ひとりが結束することによって国が末長く栄え、また、平和でありますように、という願いが込められています。
その象徴として、さざれ石が用いられているというわけです。
■「いってらっしゃい」には祈りが込められている
一方、三重県伊勢市には「二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)」があります。この神社を有名にしているのは沖合約700メートルに鎮座する「夫婦岩(めおといわ)」です。
大小二つの岩が仲睦まじく並ぶ姿から、夫婦円満、良縁成就を願う人びとが多く訪れます。
このように、日本人は石や岩をはじめ、山、海、さらには抽象的で目に見えない年にも魂が宿ると考えてきましたので、当然ながら、人間の口から発せられる「言葉」にも魂が宿ると考えられてきました。これを「言霊(ことだま)」といいます。
言葉には「祈り」があると私は思います。
たとえば、「孫を持つおばあちゃんの言葉」の意味を考えてみましょう。孫が朝、学校へ行くときに「気をつけていってらっしゃいね」と言葉掛(が)けをするとき、その言葉には「交通事故などに遭(あ)いませんように」というおばあちゃんの「祈り」「願い」が込められています。
「祈り」は「期待」「希望」さらには「本誓(ほんぜい)」「本懐(ほんかい)」などと言い換えることもできると思いますが、仏教でいえば「本願(ほんがん)」になります。
神様は、昼も夜も、一日中、みなさんを守ってくださっています。古い祝詞(のりと)にも「夜(よ)の守(まもり)昼(ひ)の守り」と見えています。これらの言葉のなかには神様の人間に対するこのうえない慈悲の心が見られます。
■“口は災いのもと”になる
ところで、言葉に含まれる魂は、いったん口から出ると「発動」いたします。発動とは「動き出すこと」「活動をはじめること」ですが、その後、どんどん変化していってしまうのです。

政治家が講演会やパーティーの席で、来客に向けたサービスのつもりでうっかり失言してしまうことがあります。たとえウケ狙いで発したつもりの言葉であっても、いったん発動してしまうと、自分の手には負えなくなってしまうのです。
それは、先に述べたように、発動した言葉が変化していっているからです。「言葉は慎むべきだ」という戒めはよく聞かれることですが、それは、言葉に魂がある、つまり、言霊があるからにほかなりません。
したがって、神主さんが神前であげる「祝詞」は、絶対に間違えてとなえてはいけないのです。祝詞は、祭祀(さいし)のときに神様の前でとなえる言葉です。古くは、神様の御言(みこと)として、祭りの場に参集した人びとに向かって宣(の)り聞かせることもあり、それを神のお言葉として厳守していくことが、神の道の実践にほかなりません。
神前でとなえた言葉ですから、そこには嘘偽りがまったく見られません。みなさんが普段、口にする言葉も、嘘偽りが見られないように心がけるべきであり、「言葉は発動して変化する」ということをつねに心がけておくべきです。それが、災いを寄せつけない、つまり、厄祓いをこまめに行っていることにも通ずることになります。
■「お守り」「お札」は、一年経つと“汚れる”
神社に行くと、「お守」や「お札」を受けて持ち帰ります。
お守りは肌身はなさず持ち、そしてお札は家の神棚へおまつりします。
これが、神様のご利益(りやく)を得るための作法です。
神社では、お守りやお札ができあがると、神前にお供えし、祝詞をあげ、お祓いをして“神様のしるし”として授与してくださいます。ですから、私たちがお守りやお札を受けることは、その神様の「分霊(ぶんれい)」を身につけることになるのです。
お守りやお札は、私たちが犯した罪や、ふりかかってくる災いの身代わりとなられます。また、罪や穢れや災いをすっかり吸いとってくれます。俗な言い方をすれば、お守りやお札は、冷蔵庫の悪臭を吸いとる脱臭剤のような働きをしてくれるのです。
しかし、その脱臭剤も、一年以上入れておくと、ほとんど効力がなくなってきます。それと同じように、お守りやお札も、一年もたつと、私たちの罪や穢れや災いのために、すっかり汚れてしまうのです。
だから、いつも、新しいお守りやお札を受けるように心がけなければなりません。
そして、古いお守りやお札は、神社の「古札納所(こさつおさめしょ)」に感謝を込めてお返しします。私たちの罪や穢れや災いを、身代わりとなって吸いとってくださった古いお守りやお札は、やがて「お焚(た)き上げ」されます。これを「焼納祭(しょうのうさい)」と呼ぶところもあります。

■おみくじは「神様からのメッセージ」
お守りやお札が私たちの身代わりをしてくれるからといって、平気で悪行を重ねてもよいというわけではありません。お守りやお札には神霊がこもっているのですから、とくに悪い行いをしたと思った人は、深い反省とともに、新しいお守りを受けるべきでしょう。くれぐれも、自分の罪を背負ってくださった神様に、おわびを重ね、神様をこれ以上、苦しめるようなことがあってはなりません。
お守りやお札のほか、神社でみなさんの興味をひくのは「おみくじ」ではないでしょうか。一年の最初の「節目」として、初詣で神社へお参りに行ったときにかならずおみくじを引くという人も少なくないでしょう。
おみくじは、漢字では「神籤」と書いて「みくじ」「しんせん」と読みます。いわば「神様からのメッセージ」です。
おみくじのもとになったのは「卜占(ぼくせん)」です。卜占は、古代では、鹿卜(ろくぼく)(卜骨(ぼっこつ))・盟神探湯(くがたち)、そして亀卜(きぼく)などが行われていました。古式を重んじる神社では、いまでも古い卜占の形式によって、その年の祭りの構成員などを決めることがあります。
■「吉」がでるまで何度も引いてはいけない
卜占の方法にはいろいろありますが、御幣(ごへい)の先に候補者の名前を記した札を仮止めしておき、御幣を左右に振ることで札を落とし、最後まで残った人を「神に選ばれた者」とする方法があります。
この卜占は「振籤(ふりくじ)」「吊籤(つりくじ)」などと呼ばれ、その後のおみくじのもとになったと考えられています。

さて、おみくじを引いて「凶(きょう)」が出てしまったからといって、「吉(きち)」が出るまで二度、三度と引いてはなりません。
『易経(えききょう)』にも「再筮(さいぜい)すれば穢(けが)れる」とあります。はじめに引いたおみくじの結果が悪かったといって、その後、ひき続いて神様に尋ねてみても、神様はもう何も答えは出ない、ということです。
易では、大吉こそ嫌う向きもあります。大吉が出てしまっては、その後は陰りが出るばかり、という意味です。
逆にいえば、凶が出たならば、あとはよいことが待っている、と考えることもできます。おみくじで凶を引いたときは、境内に立つご神木などに結んでから帰る人がいますが、おみくじは神様からの御言(メッセージ)ですから、たとえ凶であっても、大切に家に持ち帰り、折に触れてそれを眺め、自分への戒めにするのがよいでしょう。

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三橋 健(みつはし・たけし)

神道学者、神道学博士

1939年石川県生まれ。國學院大學大学院文学研究科神道専攻博士課程を修了。永年、國學院大學神道文化学部及び同大学院教授をつとめてきたが、2010年に定年退職。現在は、國學院大學客員教授、日本の神道文化研究会の代表として活躍。著書に『図説 神道の聖地を訪ねる!日本の神々と神社』、共監修に『日本人なら知っておきたい!神様と仏様事典』(いずれも青春出版社)などがある。


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(神道学者、神道学博士 三橋 健)
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