NHK朝ドラ「ばけばけ」のモデルである小泉八雲とセツは史実ではどんな関係だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「2人が結ばれたのは怪談好きゆえ、とは言い切れない」という――。

■朝ドラで描かれた「通りすがり」の真意
お金のために、松江中学の英語教師レフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)の女中になったはずの松野トキ(髙石あかり)だが、第10週「トオリ、スガリ。」(12月1日~5日放送)から、ヘブンに対して少しずつ心が動きはじめたように感じられる。
気管支カタルで寝込んでしまったヘブンが、「私が死んでも悲しまないで。私はただの通りすがりの異人です」と英語でいい、教え子の小谷春夫(下川恭平)が訳して伝えると、トキの表情は「通りすがり」という言葉に反応して、あきらかに曇った。ヘブンが日本を去ってしまうと食い扶持がなくなる――。理由はそれだけだろうか。
第11週「ガンバレ、オジョウサマ。」(12月8日~12日放送)でも同様だった。年始のあいさつに来た錦織友一(吉沢亮)を羽織袴姿で迎えたヘブンは、日本滞在記のラストピース、つまり、あと一つのテーマを見つけたい、と訴えた。「アトヒトツ」と繰り返し聞かされているトキは、「ヒトツ」が見つかったらヘブンは日本を去ってしまうのではないか、と不安になる。
トキは少しずつ、ヘブンに惹かれているように見える。ヘブンもまた、トキが男性と出かけると落ち着かないなど、まだ無意識のうちかもしれないが、トキが気になりはじめているように見える。
だが、ヘブンには自分があえて「通りすがり」であろうとしている理由があり、第11週で、それを自分の言葉で語った。その内容は、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が来日前にたどった軌跡とほぼ重なる。

■苦い経験だったハーンの初婚
ヘブンは島根県知事の江藤安宗(佐野史郎)の邸宅で行われた快気祝いの席で、江藤の娘のリヨ(北香那)にプロポーズされると、戸惑いながら、以下の自分史を語った。
ギリシャに生まれたヘブンは、幼くして両親と離れてアイルランドの叔母に育てられ、ロンドンなど各地を転々とした末に渡米。オハイオ州で新聞記者になり、黒人にルーツをもつマーサ(ハーンの相手の名はマティ・フォリー)という女性と結婚した。しかし、当時のオハイオ州法は白人と有色人種の結婚を禁じていたため、新聞社をクビになり、結局、マーサと別れた――。
そんな経歴を打ち明けながら、ヘブンは「人と深く関わることはやめたんです。どの国でも、どの町でも、ただの通りすがりの人間として生きていくことにしたのです」と語った。だからリヨのプロポーズも受けられない、という意思表示でもあった。
実際、結婚をめぐる過去の苦い経験は、その後のハーンの行動や意思決定に影響をおよぼしたと考えられる。ヘブンが文机の上に写真を置いている女性(シャーロット・ケイト・フォックスが演じるイライザ・ベルズランド)のモデルになり、ハーンに渡日を勧めたエリザベス・ビスランドと結婚しなかったのも、この経験ゆえに踏み切れなかった、という見方がある。
ギリシャのレフカダ島に生まれたハーンの母がアイルランドに適応できず、ハーンが4歳のときに故郷に帰り、それが母との永遠の別れになった、という体験もあったうえでの不幸な結婚だったから、なおさらダメージは大きかったと想像される。
だが、それなのにハーンは、どうして松野トキのモデルの小泉セツと結ばれたのだろうか。
■「2人が結ばれたのは怪談」とは言い切れない
「ばけばけ」では、第12週「カイダン、ネガイマス。」(12月15日~19日放送)以降、ヘブンが怪談のおもしろさに気づき、元来が怪談好きのトキが、それをヘブンに語って聞かせるなかで、2人の関係は深まっていく。

たしかに、ヘブンのモデルであるハーン(八雲)は多くの怪談を書き記し、世に知らしめた。その仕事は、セツが怪談を収集し、語り部を務めるという二人三脚であったことはよく知られている。
実際、セツは幼いころから、養母である稲垣トミ(「ばけばけ」で池脇千鶴が演じる松野フミのモデル)が語る出雲神話や民話、昔話などを数多く聞いて育った。トミは出雲大社の社家の上官である高浜家の養女だったから、神話や説話に通じていた。
幼いセツは大人を見つけては、民話や昔話を話してくれるようにせがんだと伝わる。このように「怪談好き」であったために、ハーンとの絆もいっそう深まったのだろう。そうかといって、2人が結ばれたのは怪談好きゆえ、とはいいきれない。
■ハーンが寝込んだときセツはまだいなかった
じつは、ハーンとセツが出会ってから事実上の夫婦になるまでの期間は、「ばけばけ」でヘルンとトキが結ばれるまでの期間より短かった。
ハーンの死後、セツの回想が筆録された『思ひ出の記』には「ヘルンはもともと丈夫の質でありまして、医師に診察して頂く事や薬を服用する事は、子供のように嫌がりました」と記されている。また、長谷川洋二『八雲の妻 小泉セツの生涯』(潮文庫)によれば、「私の知る限りでは、ヘルンは晩年に至るまで、全く病気を致しませんでした」という記述もあるという。
ところが、ハーンは明治24年(1891)の1月半ばから10日間ほど風邪で寝込んでいる。すると、セツはその時点では、まだハーンの世話をしていなかったことになる。
事実、ハーンが「ばけばけ」の錦織友一(演・吉沢亮)のモデルとなった西田千太郎に送った、住み込みの女中を求める手紙には、「冬も峠を越した」と書かれ、授業の様子も記されている。そこからその手紙は、風邪から復帰した1月終わり以降に書かれたものと推定される。
したがって、ハーンのひ孫の小泉凡氏も次のように書く。「1891年(明治24)年の恐らく2月上旬に、セツが住み込みで八雲のそばで働くことになります。23歳でした」(『セツと八雲』朝日新書)。
■ドラマとは異なる「スピード婚」だった
「ばけばけ」では、トキは明治23年(1890)の秋ごろから、ヘブンの女中として働きはじめ、12月にヘブンが寝込むと熱心に看病した。そうするなかで、たがいに少しずつ惹かれ合いながら正月を迎え、ヘブンに求婚したリヨは失恋し……という展開だが、モデルとなったハーンとセツは、「ばけばけ」で描かれたここまでの期間は、一緒にすごしていなかったのである。
その後、ハーンとセツは6月22日、松江城の内堀に面した松江市北堀町の、現在「小泉八雲旧居」として公開されている旧武家屋敷に引っ越した。それについて、セツの『思ひ出の記』には、「私と一緒になりましたので、ここでは不便が多いというので、二十四年の夏の初めに、北堀と申すところの士族屋敷に移りまして一家を持ちました」とある。
「私と一緒になり」「一家を持ち」ということは、セツはハーンのもとで働きはじめて4カ月足らずのこの時点で、2人の関係を事実上の夫婦と認識していたことになる。
ひとつには、「ばけばけ」で描かれているのと違って「住み込みの女中」だったので、関係は深まりやすかっただろう。だが、上に記したような過去の苦い経験もあり、ハーンは結婚には慎重だった。
だから、のちに熊本で親しくなった田村豊久の再婚について、次のように諌めている。
「私が君の立場だったら、彼女に度々会って話をし、見極めをつけないでは――つまり、これから自分が何をしようとしているのかを知らずに――若い女を妻に娶ることはしないだろう…… 思うに、君は相手が君にとって真実いとしいものとなるという確信なしでは、いかなる女とも再婚すべきではない」(前掲『八雲の妻』より)。
■セツを伴侶に選んだワケ
前述のような結婚についての苦い経験や、実母との別れがあっただけに、ハーンは結婚に慎重になった反面、心の底では「真実いとしいものとなる」伴侶を求めていたのかもしれない。
女性を娶る際には「これから自分が何をしようとしているのか」を知る必要がある、と主張するのだから、セツの怪談好きがハーンの志向と合致したことは、2人の関係が深まるうえで重要だったのだろう。だが、それは第一義的な理由ではなかったと思われる。
アメリカ時代の親友、エルウッド・ヘンドリックに宛てた手紙に、ハーンはこう書いている。「私の家庭生活は、この上なく幸福なものとなりまさに私がこの地を去りたいと思い始めた時に、私をこの土地にしっかりと縛りつけることになってしまいました」(前掲『八雲の妻』より)。加えて、日本女性のやさしさや優美さを讃えている。
江戸時代の武士の娘は、大事が生じた際、事態に怖気(おじけ)ることなく敢然と対処できるように厳しくしつけられた。同時に、一定のたしなみを徹底的に叩き込まれた。各人に強く染みつき、士族が没落したのちも消えるものではなかった。
■幼少期に出会っていた外国人
セツもまた、家が没落して学校を中退させられ、最初の結婚に失敗するという、ハーンにも通じる苦い経験を積んでいた。
それでも士族の娘ならではの芯の強さがあり、古き良き日本美を体現するたしなみも身につけていた。だからこそ、セツはハーンを、「去りたい」と思っていた日本に「しっかりと縛りつける」媒介となったのだろう。
では、セツには抵抗はなかったのか。そこはセツが『幼少の頃の思ひ出』に書いたエピソードを思い出す必要がある。松江にワレットというフランス人がきた日、セツは親類たちと見に行くと、ワレットがセツのところにやってきて、小さな虫眼鏡をプレゼントした。セツはその思い出についてこう記す。
「其人から小さい私は特に見出されて進物を受け、私が西洋人に対して深い厚意を持つ因縁に成ったのは不思議であったと今も思われる。/私が若しもワレットから小サイ虫眼鏡をもらってゐ無かったら後年ラフカヂオヘルンと夫婦に成る事も或ハむづかしかったかも知れぬ」
当時の日本人には一般に強かった外国人に対するアレルギーがセツには希薄だったから、2人の関係はいっそう深まりやすかったに違いない。

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香原 斗志(かはら・とし)

歴史評論家、音楽評論家

神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。
ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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