台湾を巡る高市早苗首相の国会答弁を機に、日中関係に緊張感が増している。大和総研主席研究員の斎藤尚登さんは「2012年の尖閣問題の際は、中国では日本車や日本製品を破壊する反日運動が起きたが、今回は起きていない。
できない背景には中国人の寂しい懐事情がある」という――。
■中国経済が苦しむ「内巻」
「内巻(ネイジュアン)」という中国のネットスラングがある。もともとは英語のInvolution(内巻(うちま)き)の訳語だったが、現在では、破滅的な(価格)競争によって産業全体が疲弊し、参加者全員が負け組に転落することを表す。
中国経済はいま、この「内巻(破滅的競争)」の是正が喫緊の課題だ。
中国に進出している日本企業は、日本の長年のデフレで生き残った経験から、中国のデフレ下でも製品・サービスの差別化に成功しているところがある一方で、中国企業は大規模な価格競争に巻き込まれ、補助金などで食いつなぐのがやっとの状態となっている。
■販売台数は好調なのに赤字な中国EV業界
「内巻」の代表例がEV(電気自動車)などNEV(新エネルギー車)だ。
2024年夏場以降、中国政府は自動車買い替えの補助金を2倍にするなど、消費刺激策を講じた。
具体的には、省エネ性能など一定の基準を満たすガソリン車への買い替えに1台当たり1万5000元(1元=22円で計算すると約33万円。従来の補助金は7000元)の、NEVへの買い替えには同様に2万元(約44万円。従来は1万元)の補助金を財政から購入者に支払う。これが奏功し、2025年1月~10月の自動車販売台数は前年同期比12.4%増(以下、変化率は前年比、前年同期比、前年同月比)と好調だった。
一方で、同期間の自動車販売金額は0.2%減と対照的な動きとなった。
この差こそが、熾烈な価格競争によるものだ。中国国家統計局によると、自動車業界の売上高利益率は2017年~18年の7%~8%から大きく低下し、2024年は4.3%、2025年1月~10月は4.4%と低空飛行が続き、赤字となる企業も少なくない。
■中国の「ゾンビ企業」が不良債権化している
「内巻」は中国経済が抱える、①人口減少と少子高齢化の急速な進展、②住宅需要の減退など総需要の減少、③過剰投資と投資効率の低下、④過剰債務問題、などの構造問題の縮図といえる。その特徴は、(1)投資過剰・供給過剰、(2)製品・サービスの同質化、(3)需要不足の中での熾烈な価格競争、(4)企業の利益率低下、利益減少、赤字化、(5)雇用・所得環境の悪化、(6)銀行の(潜在的)不良債権の増加――などだ。
さらに、この問題は自動車に限られる局所的なものではない。太陽光パネル、家電、半導体、電池、医薬、不動産、建材、EC(電子商取引)、フードデリバリー、レストランなど広範囲な産業でこの問題が指摘されている。
特に、国家重点産業には、各地方政府あるいはその意を受けた企業(国有・民営を問わず)がこぞって投資を行い、過剰な生産体制が構築される。製品の差別化は困難で、価格競争に頼らざるを得ない。
しかも、優勝劣敗によって、企業や設備が淘汰されていけばよいが、そうはならない。地方政府あるいは地方銀行にとって、こうした企業は保護すべき対象だからだ。各種税優遇、補助金や貸出のロールオーバーなどによって、「ゾンビ企業」が生き永らえ、潜在的な不良債権が増えていく構図である。
■日本企業が中国のデフレで活況
ただし、フードデリバリーやレストランなどは国家重点産業ではない。
デフレ下で供給過剰による熾烈な価格競争がさまざまな産業で生じていると理解すべきであろう。
筆者がよく聞かれるのは、こうした状況下で、中国にある日本レストランの一部が活況を呈しているのはなぜか、という質問である。おそらく、日本の長期化したデフレを経験した企業は、中国でも少なくともコスト削減と製品・サービスの差別化の両立に成功しているのであろう。
今般の日中関係の悪化によって、悪影響が出ることが懸念されたが、今のところこうした事態は回避されている。背景については、本稿の後半で改めて取り上げる。
■日本企業にも影響を与えかねない「内巻」
2025年10月下旬に開催された中国共産党第20期中央委員会第4回全体会議(四中全会)では、2026年から始まる第15次5カ年計画の基本方針を採択した。筆者が喫緊の課題と考える「内巻」の是正について、どのような方針が打ち出されたのであろうか? 残念ながら「総合的に内巻式競争を正す」との一文があるのみであった。中国共産党にとって、「内巻」の是正はそう重要ではないのだろうか?
「内巻」とその背景にある供給過剰問題は日本企業にとって対岸の火事ではない。中国に進出した日系企業は熾烈な価格競争に巻き込まれているところも少なくない。国内の需要不足から中国が輸出ドライブをかければ、あるいは中国企業が域外で現地生産を強化すれば、当該国・地域でも競争が激化する。「内巻」の輸出、あるいは海外移転だ。
中国製品との差別化をどう図るのか、厳しい戦いが続くことになろう。
また、「内巻」は中国経済の下押し要因となり、日本からの輸出にも悪影響を及ぼすことなろう。
■2012年には起きた「日本製品抗議行動」が起きないワケ
2つめのテーマは日中関係悪化における中国の措置をどう読み解くかである。
中国は、2025年11月7日の高市早苗首相による「台湾有事」に関する国会答弁に猛反発している。中国外交部(外務省)は11月14日、自国民に対し日本への渡航を当面控えるように注意喚起し、16日には教育部が日本への留学計画を慎重に検討するように求める通知を発出した。
19日には日本の水産物に対する事実上の輸入禁止措置が発表された。日中間のさまざまなイベントや交流事業も中国側からの要請により中止もしくは延期が相次いでいる。さらに、12月6日には、中国軍機による自衛隊機へのレーダー照射事案が発生した。
2010年9月の尖閣諸島沖における中国漁船衝突事件と、2012年9月の尖閣諸島国有化の際にも、中国は猛反発した。漁船衝突事件の際には、中国は日本に対するレアアースの事実上の禁輸措置を取り、尖閣諸島国有化後は戦後最悪といわれるほどに日中関係が悪化した。
中国国内で日本製品の不買運動が発生し、日本に関連する施設が強奪・焼き討ちの対象となるなど、抗議行動が激化したのだ。尖閣諸島国有化の翌月である2012年10月には中国国内の日本ブランド車の販売が6割減となった。
■上海にオープンしたスシローは14時間待ち
しかし、今回は中国国内で日本製品・サービスに対するボイコットや日本に対する大衆動員的な抗議行動は、行われていない(今後、発生する可能性は否定できないが)。

日本の外務省アジア大洋州局長が中国を訪問し、その際の不遜な態度が物議を醸した中国外交部のアジア局長は、局長級会談の直後に在中国の日系企業を訪問し、「中国で安心して事業活動をしてほしい」旨を伝えたと報道されている。これには、日本(外国)企業の撤退加速などによって、中国経済が一段と悪化するのを防ぎたいとの思惑があるのではないだろうか。
12月6日に回転ずしのスシローが上海市に2店舗をオープンさせたが、最大14時間待ち(!)の大盛況であったとされる。中国の日系企業への悪影響は全く感じられない。
考えてみると、中国の人々が日本への渡航(旅行)を控えれば、中国国内の旅行需要が喚起されるかもしれないし、優秀な人材が日本に留学せず、国内に残れば、人材流出が防げるかもしれない。一方、中国国内で反日デモなどが発生すれば、それが反政府・反共産党デモに変質する懸念は否定できない。
■習近平「中国経済をこれ以上不安定化させられない」
中国による日本への措置には、「自国経済・社会のさらなる不安定化につながらない」という前提条件が付けられているように思える。この点で、今後気を付けなければならないのは、中国によるレアアースの禁輸措置である。当然、中国の輸出減少につながるが、金額はそれほど大きくはない。小さな代償で日本経済・企業に大きな打撃を与え得るからだ。
ともあれ、2012年9月の尖閣諸島国有化後のような日本製品のボイコットや反日デモが起きないことは、日中双方にとって当然よいことである。ただ、その背景にある中国経済・社会の不安定性や脆弱性という問題にも注視が必要であろう。

2012年の中国経済は実質7.9%成長と、ピークを過ぎたとはいえ、比較的高い成長を遂げていた。翻って、2025年7月~9月は実質4.8%成長に減速し、デフレ下で名目成長率は3.7%にとどまる。若年層(16歳~24歳)の失業率は、直近2025年10月は17.3%と高水準だ。しかもこの失業率の数値は2023年12月以降、従来よりも低く出るように統計の範囲が変更されている。
旧統計の発表が開始されたのは2018年1月であるが、当時の若年層の失業率は、現統計よりも数値が高めに出るにもかかわらず11.2%であった。習近平政権が中国国内で対日強硬策に踏み切らない(踏み切れない)のは、経済・社会的な余裕のなさの表れとするのは言いすぎであろうか?

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齋藤 尚登(さいとう・なおと)

大和総研主席研究員

1998年大和総研入社。2003年から2010年北京駐在。2015年より主任研究員・主席研究員を経て、2023年4月から2025年9月まで経済調査部長。主な研究分野は中国マクロ経済。2017年より財務省財務総合政策研究所中国研究会委員、2018年より金融庁中国金融研究会委員を務める。

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(大和総研主席研究員 齋藤 尚登)
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