日本の新聞は発行部数も売上高も減少が進んでいる。だが、ニューヨークタイムズ(NYT)は、2011年にサブスク開始後も1000万人超の購読者数を維持し、営業利益率、純利益ともに好調だ。
いったいどんな取り組みをしているのか。出版ジャーナリストの飯田一史『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書)より、一部を紹介する――。
※本稿は、飯田一史『この時代に本を売るにはどうすればいいのか』(星海社新書)の一部を再編集したものです。
■新聞社のコンテンツにゲームがあるワケ
NYTは各種サービス、コンテンツを切り出して単体のユーザーを獲得しつつ、「NYTをAll Accessで契約すればこんなにいろんなものがついてきますよ」とアップセル(上位グレードのプレミアムプランへの切り替え)を誘導している。
たとえば以下のようなサービスを提供している。
1.NYT Real Estate(不動産アプリ)
不動産ニュース、物件検索、最新の市場情報やコラムなどを提供。iOS向けに専用アプリもある。
2.NYT Games(クロスワード・パズル・ワードゲーム)
クロスワード(The Crossword)、ミニクロスワード(The Mini)、Wordleなど多数のパズルゲームをアプリ・Webで提供している。ゲームの単体サブスクリプションは月額約6ドル、年額約40ドル。
なかでも一時期、世界的に注目されたのがWordleの買収だ。プレイヤーには5文字の単語を推測するチャンスが1日6回与えられる。このパズルは一時期アメリカの成人の14%が毎日ログインしている(!)と推定された。

課金すると全ゲーム・パズル・アーカイブ(クロスワードは1993年以降、ミニクロスワードは2014年以降)、Wordleアーカイブなどが利用できる。
■サービスはニュースだけじゃない
3.NYT Cooking(レシピ・料理サービス)
2万件以上のレシピ、動画、買い物リスト、ニュースレターなどを提供し、月間約800万人のユニークユーザー、60万人以上のニュースレター購読者(平日版の開封率は50%)、Instagramフォロワー数456万というオバケコンテンツに育ったのがCookingだ。ネット上でよく話題になる「バイラルレシピ」として人気を博している。
現在は無料ではほとんどの機能が使えず、月額約4.99ドル、年額約39.99ドルで全レシピ・機能が利用可能になる。
4.Wirecutter(製品レビュー)
家電・ガジェット等の製品レビュー。無料閲覧部分もあるがこちらも単体での料金は月額5ドル、年間40ドル。一部の記事や機能はAll Access購読者向けの特典がある。
5.The Athletic(スポーツニュース)
スポーツ専門のニュース・分析・コラム。これも単体でのサブスクリプションプランがある。
6.NYT Audio(ポッドキャスト・音声記事)
The Dailyなどのポッドキャスト、記事の音声版。単体契約ではなくAll Accessサブスクリプションでアーカイブなど全機能が利用できる。
そしてAll Accessサブスクリプションは初回6か月が4ドル、その後25ドルでNYTの全デジタルサービス(ニュース、Cooking、Games、The Athletic、Wirecutter、Audioなど)を利用できるようになる。

たとえば家族のなかで誰かがゲーム、誰かが料理、誰かがスポーツニュースを見たい状態であれば「All Accessにするか」となり、(惰性であっても)契約し続ける状態が作り上げられる。
■「退屈」な人を判定して美術館の広告を出す
たとえばThe Athleticには高級ブランドから金融サービスまで、幅広い企業から関心が寄せられ、大型契約やスポンサーシップを獲得。スポーツにおけるプレミアムスペース(価値が高い、特別な場所)の開拓に取り組んでいる。
あるいはWordleではプレイ画面上でさまざまなタイプの広告フォーマットのテストを行っている。人口統計や関心別の160以上のセグメント(顧客グループ)のポートフォリオ(組み合わせ)を構築することで、広告主にとって高いパフォーマンスを発揮する。ユーザーの閲覧行動履歴から、広告主はエンターテインメント、書籍、ソフトウェア、高級時計などに関心のある読者にリーチできるという。
また、自社で直接集めた顧客データ(ファーストパーティデータ)を使って、記事の内容とトピックに基づき、42の異なる感情と10の動機を網羅する広告やマーケティングのターゲットを絞るしくみも作り上げた。つまりNYTの記事やコンテンツが喚起した感情に合わせた広告を表示することで、広告主は記事の読者、コンテンツの視聴者に対して、より深い感情的または動機づけのレベルでリーチできるようにした。
たとえば「退屈」という感情でタグ付けされた記事に対して、退屈感をなくす解決策を提示するようなものとして、ある美術館のキャンペーン広告を表示した。これは非常に効果的なクリックスルー率(広告が表示された回数のうち、実際にクリックされた割合)となった(Joy Robins“How The New York Times’s subscriber-first mindset unlocks opportunities for advertisers”Marketing Strategies, 2024.3)。
■日本のメディアができること
予算やサービスの開発人材のリソースによっては「こんなのマネできない」「うちとは関係ない話だ」と思ったかもしれない。だが小企業でも参考にできることは少なからずあるはずだ。
たとえば以下のようにまとめられる。
・データ駆動型の経営への転換
継続的なコミュニケーションをしていくために会員登録や無料ニュースレター登録をうながす。そして読者データ(購買データ)を蓄積し、行動分析やパーソナライズを推進する。
・サブスクリプションファネルの構築と最適化
自社のサイト上で提供するコンテンツの無料閲覧の制限や段階的なペイウォールを導入。ムリなく有料会員へ誘導する。また、ニュースレター、ポッドキャストなど多様な接点を用意し、中長期的に関係を維持する。
・バンドル戦略(抱き合わせ販売)とアップセル(上位プラン、追加サービス)
自社の強みやブランド資産を活かし、複数のコンテンツやサービスを組み合わせたバンドル商品を開発する。単体サービスのユーザーに対して、上位プランや追加サービスへのアップセルを積極的にしかける。
■「やる」以外の選択肢はない
・コンテンツの多様化とブランド価値の強化
テキストだけでなく、動画や音声、ユーザーとの双方向のコンテンツを積極的に展開する。質を守りつつ、時代に合わせ、ビジュアルも使ったストーリーテリング手法を追求する。人々は「情報」だけでなく発信者「個人」のキャラクター、感情を込みで求めている。「人」軸で惹きつけることを意識する。

・ファーストパーティデータ(自社が自社サイトやアプリ、会員登録フォームなどを通じて「直接」集めた顧客の属性情報・行動履歴・購買履歴などの一次データ)を活用した広告・マーケティング
自社で取得したデータを基盤とした広告・マーケティングモデルをつくる。
・継続的な実験とイノベーション文化の醸成
小規模な実験(A/Bテストや新規フォーマットの導入)を日常的に行い、現場主導のイノベーションを促す。デジタル人材の育成・獲得と、組織変革を並行して進める。
すべてやるのはムリにしても、今ではAIなどを使えば個人レベルでも簡単にチャレンジできる部分が多少なりともある。新聞や多くの雑誌はデジタルへの本格シフト待ったなしだ。また、書籍の出版社でも、紙の本を知ってもらい書店で売っていく(本屋に人を送客する)ためにも「ソーシャルメディアで日々発信してます」で終わりにせず、ファネルを意識し、デジタルを活用した取り組みが必要だ。
NYTでさえ、本格的に動き始めてから今のかたちに至るまでに十数年かかっている。すぐに結果は出ない。失敗はつきものだ。実現させるには組織体制に根本的にメスを入れる必要もあり、各所で反発が起こることも避けられない。しかし、やるしかない。

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飯田 一史(いいだ・いちし)

出版ジャーナリスト・ライター

1982年青森県むつ市生まれ。
中央大学法学部法律学科卒。グロービス経営大学院経営研究科経営専攻修了(MBA)。出版社にてカルチャー誌やライトノベルの編集者を経て、独立。マーケティング的視点と批評的観点から出版産業、読書調査、子どもの本、マンガ、ウェブ小説、ウェブトゥーン等について取材、執筆している。著作に『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社)『いま、子どもの本が売れる理由』『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)『作文ぎらいのための文章教室』『ウェブ小説30年史』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社)など。

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(出版ジャーナリスト・ライター 飯田 一史)
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