387日間に亘って首相を務めた石破茂氏(68)は、自身による政権運営をどう評価しているのか。石破氏は「トランプ大統領との関税交渉はうまくやれたと感じている。
だが、在任中は何度も彼の夢を見た」という。田中角栄氏の総理秘書官を務めた小長啓一氏との対談(司会はジャーナリストの春川正明氏)を紹介する――。(第1回)
※本稿は、RSK山陽放送特別番組「石破茂×小長啓一 未完の列島改造」(12月27日15時~16時放送、ラジオ12月23日、30日6時30分~7時放送)の内容を再編集したものです。
■石破前首相「私が関税交渉で貫いたこと」
――95歳になった今も現役の弁護士として活躍する小長さんは、石破政権をどう見ましたか。
【小長啓一氏(以下敬称略)】石破政権の1年はですね、国際的には色々な波乱万丈のことがあったんですけれども、そういう中で、ちゃんと国益を守りながらですね、一貫した政策を遂行されたという意味では非常に意義のある1年間だったんではないでしょうか。
【石破茂氏(以下敬称略)】大先輩からそう言っていただけるとありがたいことでね。やっぱり我々にとって田中角栄総理ってのは、もう一つの理想像だった。何でもアメリカの言う通りにはしませんよっていうのがありましたよね。日米繊維交渉もそうだったし、日中国交回復もそうだったし。
一番の懸案はトランプ大統領の「関税」でした。「貿易赤字を減らすんだ」と繊維交渉みたいな話なんですけれども。いやそれは違うでしょと。
関税ベースの貿易赤字を減らすというのは手段なので。
トランプ大統領、あなたが目標としているのは、アメリカにもう一度製造業を復活させて、アメリカの労働者たちにもう一回職を与えるんだと。それがトランプ大統領の目標でしょ、と。
日本はアメリカに対して最大の投資国で、最大の雇用を創出していて、その原資というのは日本からアメリカに自動車をはじめとして輸出して稼いでいって、その原資がなくなっちゃったら投資もできませんよと。
(トランプ大統領には)関税よりも投資ですっていうことをずっと貫いたんですよね。多くの国とアメリカは関税交渉やっているけど一番いい形で日本はできたと思いますね。
1年ですけど本当に皆さんに支えていただいて、自分としては、あれ以上のことはできなかったなっていう思いはございます。
■あの方は人間でなく、神
石破氏と小長氏の出会いは、今から40年以上前に遡る。東京・目白の田中角栄氏の私邸に父の石破二朗氏(元鳥取県知事、元参議院議員)に連れられて挨拶に来た石破茂青年のことを小長氏はよく覚えているという。
【小長】お父様が、「息子が今、三井銀行に勤めています」ということを田中さんにおっしゃって。田中さんが「すごい息子を持ってるね。サラリーマンっていうのは、ちょっともったいないんじゃないか。
今すぐもう政治家になるということで、衆議院やったらどうかね」という話をされたのを私よく覚えております。
【石破】角栄先生がいないと私は間違いなく政治家をやってない。
私が「サラリーマンとして職務を全うしたい」と言ったらまあ怒った、怒った。「君はそれでも石破二朗の倅(せがれ)なのかあ」と言ってね。
角栄先生が応接室でバーンと机を叩いてね「いいかよく聞け、日本で起こる全てのことはこの目白で決めるんだ」。本当にそう言われたからね。すごかったですね。いやもうだから、あの方は人間ではない。神ですから。角栄先生に言われたら、何か言うことを聞かされちゃうところがありませんでしたか。
■石破政策の中にある角栄色
田中角栄氏は総理大臣に就任する直前の1972(昭和47)年に『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)を出版した。高速鉄道や高速道路を整備し、過密と過疎を同時に解消し国土の均衡ある発展を目指すという日本のグラウンドデザインを描いた内容だ。
ゴーストライターは田中氏の通産大臣秘書官を務めた小長氏だった。
【小長】全国どこに住んでも一定以上の生活ができる格好にしようではないか、というのが日本列島改造論の基本的なコンセプトだったわけですね。結論的には東京がより過密になるという状況は変わってない。地方の過疎状況というのも変わってない。そういう意味では、改めて新日本列島改造論を考えなきゃいけないタイミングに本当に来ているんじゃないのかなっていう感じはしております。
――石破さんは2014年に初代の地方創生担当大臣に就任するなど、長年地方創生に力を入れてきました。今年1月の国会での施政方針演説でも「楽しい日本」を実現するための政策の核心として「地方創生2.0」と「令和の日本列島改造」を強力に進めることを打ち出しました。
【小長】田中さんの思いというのは、石破政権のいろんな政策の中に生きているんだなというのを私は実感をしております。
【石破】田中内閣ができた時に私は高校1年生で、地方が沸き立った。すごく地方はぱっと明るくなった。鳥取であっても、山形でも宮崎でもどこでもいいんですけど、中央政府と地方が一体だったような気がする。一緒に頑張ろうっていう、そういう意識があったような気がしますね。

■「日本列島改造論」はなぜ完成しないのか
――しかし、田中角栄元総理が提唱した日本列島改造は、50年経っても実現していません。それはなぜなのでしょうか。
【石破】あらゆるものを東京に集めた方が効率的だっていうね、そういう考え方がずっとあったんですよ。東京一極集中でオリンピック、万博みたいな。その限界が来たのが今であって。角栄先生や竹下先生はそれを予見してらっしゃったから、分散型国土を作るんだっておっしゃったんですね。(日本列島改造が実現していないのは)やっぱり東京一極集中が成功し過ぎたんじゃないですかね。
未完だけれども、列島改造から国土の均衡ある発展はずっと連綿と続いています。地方創生って何も東京の富を地方にバラまこうという話じゃない。国を本当に均衡ある発展にしようっていう角栄先生がおっしゃった、(私は)それをきちっと形にしたかった。
■トランプさんの夢を何回見たことか
――石破さんは総理になる前から、そして総理になってからも、ずっと地方創生に取り組んできました。地方創生が進んでいるという手応えは感じていますか?
【石破】それはね、地方の町村長さん、市長さんに、もう一回一緒にやろうっていう目の輝きがまた戻ってきたなっていう感じはしましたね。
なんかね、地方創生もずっと10年もやっていると何となく定型化してきて、東京のコンサルタントに(資料を)書いてもらってそれで補助金もらいましょうみたいな流れになってしまっていた。それじゃもう地方創生ならんわけですよ。そこの町のことって、そこの人しか分かりませんものね。
――民間企業のトップに取材すると、トップリーダーは、最後は誰にも相談できないから孤独だという話をよく聞きます。国のトップリーダーを務めた石破さんはどうでしたか?
【石破】相談はできませんね。もちろんいろんな意見は上がってくるんですよ。外交であれば外務大臣の意見があり、あるいは経産大臣の意見があり。大臣の意見はみんな一緒なはずがないんで、みんな違うんですよ。そうすると最後は自分で決めなきゃいかん。
でも誰にも相談できない。誰にも責任は転嫁できない。それはやっぱり寝られないですよね。
24時間365日とは言わないけど、寝てても夢に見る。うん。うん。それはトランプさんの夢を何回見たことか。そんなもんです。でも、それが嫌だったら総理大臣なんかやっちゃいかんですよ。
■政権の中での心残り
――総理としてやりたいことがたくさんあったのに、1年でこういう形で終わり、完全燃焼していないのでは?
【石破】いや、それは次の時代が判断することだけど。日々ね、私は大臣の時もそうだったんだけど今日1日どれだけ自分は人々のために国のために何ができたかなっていう反省を、役所から出る時にしていたんですよ。「今日何にもお国のためになんなかったな」ってしょんぼりして帰ることが多かったですけどね。
――1年間の石破政権を自ら振り返って、石破さんがやりたかったけど結局やれなかった政策はあったのでしょうか?
【石破】それはやっぱり未完に終わったっていうかね、今なお途上なのは地方創生でしょう。東京一極集中は止まらない。コロナの時にちょっと止まりかけたんだけど、コロナが収束したらまた一極集中が加速するようになりました。
東京一極集中は止まりません。少子高齢化も止まりません。このまま行ったら80年経ったら日本人半分になりますっていうことがあって。
やっぱり地方の持っている農林水産業であり、あるいは中小企業であり、女性の力であり、そういう地方が持っている潜在力を最大限に引き出していくっていう。これがまだなお途上ですよね。これが一番やりたくて、形にならなかったことだと思いますね。
もう一つはやっぱり最低賃金を引き上げることです。最低賃金の近くでギリギリ暮らしている人って、日本の労働者の十分の一がそうなわけで。角栄先生がおっしゃっていた「1億総中流」というのは崩れかけているわけです。
やっぱりもう一回、中流ってものを取り戻していかないと社会が不安定になると、それがなお途上ですね。

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石破 茂(いしば・しげる)

衆議院議員

1957(昭和32)年生まれ、鳥取県出身。慶應義塾大学法学部卒。1986年衆議院議員に全国最年少で初当選。防衛大臣、農林水産大臣、地方創生・国家戦略特別区域担当大臣などを歴任。著書に『国防』『国難』『日本列島創生論』『政策至上主義』など。

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小長 啓一(こなが・けいいち)

弁護士、元通商産業事務次官

岡山大卒後、通商産業省(現経産省)に入省、田中角栄氏の通産大臣・首相秘書官を務め、「日本列島改造論」の政策立案に関与し、通産事務次官を経てアラビア石油社長などを歴任、2007年に弁護士登録し島田法律事務所に所属、現在は産業人材研修センター理事長などを務める。

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春川 正明(はるかわ・まさあき)

ジャーナリスト・関西大学客員教授

関西大学野球部で外野手として関西学生野球6大学リーグ戦で活躍。大阪生まれ、1985年読売テレビ入社。報道局撮影編集部を経て、「ベルリンの壁崩壊」取材をきっかけに報道記者に。神戸支局長、司法キャップ、大阪府警キャップを歴任し「甲山事件」「西成暴動」など数々の事件、事故、裁判などを取材。阪神大震災発生時の泊りデスク。1997~2001年NNNロサンゼルス支局長。「ペルーの日本大使公邸人質事件」「スペースシャトル打ち上げ」「イチローのメジャーキャンプ」「コロンバイン高校銃乱射事件」「ガラパゴス諸島タンカー油漏れ事故」「ハワイ潜水艦とえひめ丸衝突事故」などを取材。帰国後はチーフプロデューサー、報道部長、執行役員待遇解説委員長を歴任。2007~19年「情報ライブ ミヤネ屋」でニュース解説としてレギュラー出演。米大統領選挙(4回)、米同時多発テロ、米朝首脳会談、東日本大震災など国内外で現場取材。読売巨人軍・編成本部次長兼国際部長を経て2022月からフリーで活動。ジャーナリストとしてテレビ・ラジオ出演、執筆、講演など幅広く活動。関西大学客員教授。現在の出演番組はRSK山陽放送テレビ「イブニングニュース」、東京MXテレビ「堀潤Live Junction」、RSK山陽放送ラジオ「春川正明の朝から真剣勝負」、「春川正明のニュース直球解説」など。「LINEジャーナリズム賞 24年5月~7月期」受賞。著書『「ミヤネ屋」の秘密 ~大阪発の報道番組が全国人気になった理由~』(講談社+α新書)趣味はメジャーリーグ観戦と宝塚歌劇鑑賞。

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(衆議院議員 石破 茂、弁護士、元通商産業事務次官 小長 啓一、ジャーナリスト・関西大学客員教授 春川 正明)
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