妻が働くことに無理解な夫は今も多い。ネスレ ヘルスサイエンス カンパニーで人事部長を務める岡野美佳さんが、「僕の収入だけでも成り立つから」という“夫の壁“を抱えながら2児を育て、管理職としてのキャリアを築くまでに経験した数々の葛藤に迫る――。

■やる気が空回りした「取引先出禁」事件
医療・介護施設向けの栄養補助食品や一般向けの健康製品などを手がけるネスレ ヘルスサイエンス。世界140カ国以上で1万2000人以上が働くグローバル企業で、国内ではネスレ日本のヘルスケア特化部門として事業を展開している。
岡野美佳さんは、2025年にその人事・広報統括部の部長に就任した。現在は社内エンゲージメントの向上や働きやすい環境づくりを担う立場だが、実はこうした業務に就くのは初めて。入社から約20年間、営業部門一筋で歩んできたため、今回の異動は「寝耳に水でびっくりした」という。
「でも同時に、また新しいチャレンジができるんだとやりがいを感じました。ただ、今みたいに仕事に前向きになれたのは30代に入ってから。20代のころは本当にダメダメだったんですよ」
今はリーダーらしい落ち着いた雰囲気をまとっている岡野さんだが、以前はやる気が空回りして失敗ばかりしていたという。25歳で結婚した後は仕事と家事育児の両立も苦心。夫の「働かせてあげている」という感覚を変えるまでにも長い時間がかかった。
キャリアの出発点は医療施設への営業。当初は交通事故を起こしたり、外回り中にパソコンの盗難にあったりとトラブル続きだった。
熱意が高じて得意先に通い詰めたあげく、立ち入り制限がある場所に入り込んで出禁になってしまったこともある。
それでも当時は、まだ新人だからと周囲が温かく見守ってくれた。担当エリアの顧客にも優しい人が多く、自分では成長できている気になっていたという。
■5年目の自信喪失
しかし、入社5年目に担当エリアが変わると、それが見当違いだったことに気づかされる。顧客が変わったとたん、まったくうまくいかなくなったのだ。身につけたと思っていた営業スキルは、以前の顧客にしか通用しない、再現性のないものだった。
「まさに“バカの壁”ですよね(笑)。4年も営業をやってきたのに何も身についていないと思い知らされて、一気に自信をなくしてしまいました」
そんな姿を見て視野を広げてあげたいと思ったのか、当時の上司が支店の現場担当から本社の営業企画部門へと配置転換してくれた。ここでは全国の営業活動を俯瞰でき、おかげで営業マンとしての自分を客観的に見つめ直せたという。
「私はただ、がんばりの押しつけをやっていただけ。そりゃ通用しないわと思いました」
そんな気づきを得たのが28歳のとき。だが、まもなく第1子の妊娠がわかった。

■13年前、時短勤務制度がない環境で復帰
岡野さんは、産休・育休を見据えた人員配置によって再び現場担当に異動になる。そして約10カ月の休暇を経て、同じ業務に復帰することになった。
とはいえ、営業への自信はまだ取り戻せておらず、初めての育児も不安だらけ。復帰に当たっては上司に時短勤務ができないかと相談したそうだが、同社の営業は基本的に直行直帰の「事業場外みなし労働制」。現在は営業職でも時短勤務が可能だが、当時は裁量の範囲で調整するしか選択肢がなかった。
上司に「悪いけど自分でうまくやってほしい」と言われたときは、絶望的な気持ちになったという。両立にも仕事にも自信が持てないままの、ダメもとでの再出発だった。
■「妻に働かせてあげている優しい俺」感を出してくる
こうした状況の中、岡野さんはさらに高い壁にぶつかる。それは、夫の“悪意なき無理解”。そもそも夫には、結婚当初から「僕の収入でも成り立つから君は働かなくてもいい」と言われてきた。フルタイム共働きでの育児が始まると、この考え方からくる言動が両立へのハードルとなって立ちはだかった。
仕事を続けたければ続けてもいい、家事育児が大変なときは僕も手伝うよ──。
本人は優しさのつもりでも、働きたい女性にとっては「そうじゃない感」しかない言葉。対等に働き、対等に分担したいという望みはかなわず、ケンカになることもたびたびだったという。
当時の夫の同僚には妻が専業主婦という人が多かったため、その影響もあったのかもしれない。岡野さんは「だからか、私は普通に働きたいだけなのに、ちょいちょい“妻に働かせてあげている優しい俺”感を出してくるんですよ」と苦笑する。
■制限があったから営業スタイルを変えた
「家事育児も、僕のほうが稼いでいるのに半分やるのは納得できないと。確かに当時は夫の年収のほうが上だったので、何も言い返せませんでした」
ところが、こうした無理解と裁量労働の環境が思わぬ効果を生む。家事育児の時間を捻出するため「どうしたら最短で成果を出せるか」を真剣に考えるようになり、結果的に仕事の効率が上がったのだ。営業スタイルも、ひたすら得意先に通う“がんばりの押しつけ”から優先順位のメリハリをつけた成果重視に変えたことで業績は大きく伸び、ボーナスが夫を超えた。
34歳で第2子を出産すると、夫にも変化が起きた。岡野さんが産後のワンオペを見越して、ドゥーラ(産後ケアの専門家)や家事代行ヘルパーを手配してから退院したところ、夫は専門の人が来るから自分は何もしなくていいのだと勘違い。出産などなかったかのようにマイペースに過ごす夫を前に、岡野さんは産後のメンタル不調もあってついに泣き出してしまった。
これでやっとつらい気持ちが伝わったのか、夫の家事育児へのスタンスが徐々に変わり始めた。
「手伝うよ」の範囲がやや広がった程度ではあったが、おかげで両立は少しだけ楽になったという。
■2児を育てながらMBA取得の深い理由
第2子の出産から2年後、岡野さんはMBA(経営学修士)をとるためグロービス経営大学院に入学する。この先もう本社に呼び戻されることはないだろう、だったらここで管理職を目指そう──。そう考えた末の決断だった。
管理職になるのにMBAは必須ではない。にもかかわらず取得を目指したのは、転勤できないという事情があったからだ。当時、営業管理職には全国転勤が当然とされていた。
「家族のことを思うと転勤はできない。それでも管理職候補に入るには、他の候補者にはない付加価値が必要だと思いました。その私なりの答えが『学び』だったんです」
グロービスには、まだ子どもがいない時期にも挑戦を考えたことがあった。そのときは会社の学費補助制度に応募したが通らず、自分は会社が投資してもいいと思える人材ではないのだと痛感。そこで今回は、補助制度への応募はおろか社内の誰にも言わないまま入学した。

「育児中で毎日早めに仕事を切り上げているのに、そのうえ学校に通うなんて言ったら仕事仲間として信頼してもらえないだろうと思ったんです。学校に通うくらいならもっとやることがあると言われるかもしれない。それに、入学すれば必ず成長できるという自信もなかった」
■夫の反応は…
夫には、入学を決めてから「あなたの仕事の邪魔にならないようにするから」と協力を頼んだ。授業がある日だけは10時には家に帰るようにしてほしい、それまではシッターさんを手配しておくし、学費とシッター代は全部自分が出すからと。迷惑をかけまいと考え抜いた末の提案だったが、夫の返事は胸をえぐるものだった。
「いいけどさ、支店の管理職にMBAはToo Muchじゃない?」
これを岡野さんは「そりゃそうだね、でも行くから」とサラッと受け流した。最低限の協力が得られれば大成功で、応援してほしいなんて高望みはしない。それほど、家族には理解されないだろうと思っていたのだ。
「実は、実母にはいまだにMBAをとったことを言っていないんです。母は昭和のいいお母さん像そのままの人で、私が働いているだけで『子どもがかわいそうじゃない?』って言うぐらい。孫を心配しての、100%善意からの言葉なんですけど、だからこそキャリアのために学校に行くなんて言えなくて。そのとき返ってくる母からの言葉に、自分が折れてしまうのがわかっていたので言いませんでした」
■「悪意なき夫」に返した一言
さまざまな葛藤を胸に秘めたままの入学だったが、学びそのものは楽しく、3年後に晴れてMBAを取得。
この間、仕事のほうでは再び本社の営業企画部門に異動して研修のリーダーとなり、海外出張も増え始めていた。ここで、またしても夫から胸をえぐる言葉をかけられる。
「キャリアのために家族が犠牲になっているんじゃないか」。このとき岡野さんはすぐには言い返さず、しばらく沈黙したという。家庭を壊すような大ゲンカを避けるための、自分なりのコミュニケーション術だった。
「そこで私が怒ると、売り言葉に買い言葉で大ゲンカになっちゃう。だからそのときも、しばらく黙ってから冷静に『わかるけどさ、でもやりたいんだよね』って言いました」
■年収は第1子出産後の2.3倍に
グロービスを卒業した翌年、岡野さんは営業企画部門の管理職に昇進。学んだことを生かしてマネジメントしたい、チームを率いて成果を出したいという思いから、上長にはずっと「管理職になりたい」と言い続けてきた。その希望がかなったのだ。
それまで昇進スピードの面では同期や中途採用者に後れをとっていたが、入社16年目にしてついに彼らと同等のポジションに。ここから快進撃が始まった。
トップダウン型の管理職ばかりの中、岡野さんは部下の成長や成功を支援する「サーバントリーダー」というマネジメントスタイルでチームを先導。コロナ禍によって従来の営業手法が変化を迫られる中、スイス本社も含めてグローバルでデジタル営業変革を成し遂げ、高い評価を受けた。
「社内では異質なマネジメントスタイルだったので、最初は皆けげんそうでした。でもそのうちに、君のチームは全員楽しそうに働いてるよね、チャレンジマインドがすごいよねって言われるようになって。すごくうれしかったですね」
その後ポジションはとんとん拍子に上がり、やがて年収は第1子出産後の2.3倍に。それに連れて、夫の「働かせてあげている」という感覚も段々と変わっていった。岡野さんの権限が広がっていくのを目の当たりにして、妻が対等の存在であることに納得し始めたのだ。
今では、夫は手伝いを超えるレベルで家事育児をこなしてくれているという。過去の自分の姿勢について、「よくなかったね」と言ったこともあった。
「少しずつでも着実に学んで、反省したら変えてくれるのが彼のいいところ。やっと“手伝う”じゃダメだとわかってくれたみたいです」
キャリアを尊重し合えるようになった今、岡野さんは夫との関係を「お互いに変化するパートナー」と表現する。笑いながらそう言えるのも、無理解の壁を乗り越えて対等に助け合えるようになったからこそだろう。
■自分が経験した葛藤を感じなくてもいい会社にしたい
今後は人事・広報統括部の長として、社員がより前向きにチャレンジできる環境を整えるとともに、多様な人材が管理職に挑戦する選択肢を当たり前にしたいと意気込む。一例として、2025年のネスレ ヘルスサイエンス内の部長ポジションの女性比率を約15%から、2026年には約40%になる配置を行った。持続的に成長する組織づくりのための研修制度にも今まで以上に力を入れていくという。
「女性の中には、夫に私と同じことを言われる人はまだいるんですよね。『ただ普通に働きたいだけなのに』というモヤモヤした気持ちを、誰も感じなくて済むようにしていきたいなと思っています」
葛藤を力に変え、逆風を受け流して、ようやく夫と同じ「普通に働く」を手にした岡野さん。あきらめずに前進した先に広がる景色を、これからも見せ続けてくれるに違いない。

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辻村 洋子(つじむら・ようこ)

フリーランスライター

岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。

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(フリーランスライター 辻村 洋子)
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