※本稿は、勅使川原真衣『「働く」を問い直す 誰も取り残さない組織開発』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■どう考えても心労が絶えないポジション
権限や裁量を限定的にしか持たず、上司と部下、すなわち経営層と現場とに挟まれているのが「中間管理職」――。
経営者からは「数字を達成せよ」と詰め寄られ、部下からは「この人員では無理です」と反発される。どう考えても心労が絶えないポジションです。
若手社員が急に会社を辞めると中間管理職が責められるので、プレッシャーをかけないようにするあまり、若手を厳しく育てることができない。
その結果、本来は部下に頼むはずの仕事もプレーヤーとして自分がやることになり、ますます疲弊するという悪循環……。
そのため、経験を積んで年次を重ねた社員でも、「管理職にはなりたくない」と考える人がとても多いのだとか。
■まずは「生き残る」ことを目標にする
最近は、「中間管理職なんて“無理ゲー”」とまでいわれるようになりました。“無理ゲー”とは、難易度が高すぎてクリアするのが不可能であるゲームのこと。
無理もありません。
例えば、経営層からは前年よりも「ストレッチ」した数値目標を設定されるのに、人員は増えなかったりします。人手不足で、前年に息も絶え絶え達成した水準を、さらに超える数字が求められるのです。それに対し部下は「この会社のやり方はおかしくないですか? 人員を補充してください」と突き上げてくる。
双方から言われるままに課題を設定していたら、確かに“無理ゲー”でしょう。初めから利害が相反していますよね。
あっちを立たせて、こっちも立たせ……とやる前に、中間管理職自身が「生き残る」ことを一つの目標にしてみてはいかがでしょうか。人に言われたことをそのままやろうとしたら、心労でつぶれてしまいます。まずは「自分が倒れない範囲で仕事をする」と発想を切り替え、そのうえでできることを最大限やればいいのです。
「全方位的に満足させるのが、中間管理職に求められるリーダーシップだ!」などと言う人もいますが、本当でしょうか。組織の構造的な問題を個人に押し付けているだけとしか思えません。
そもそも利害が相反している要求を上下から押しつけられて、それに対応できないからといって、「自分にもっと課題設定力があれば……」とか、「論理的思考力があれば……」なんて落ち込む必要はないのです。
■組織の「問いを変える」という醍醐味
古い能力主義が残っている組織で、言われるがままに“無理ゲー”に手を出すと悲惨なことになります。人員が足りない分、自分がひたすら働いて目標を達成しようとして、中間管理職が倒れてしまっては元も子もありません。そのような事態になって周囲が初めて問題に気づくようなことは避けたいところです。
それでは、「自分が倒れない範囲で仕事をする」として、中間管理職にはいったい何ができるのでしょうか?
私は、組織全体の課題の「設定」を見直すことこそ、中間管理職にできることではないかと思います。さまざまな立場の人からくる訴えをそのまま「組織の課題」と銘打つのではなく、交通整理をし、環境や関係性のこまごまとした調整を行うのです。
人員が不足しているとの訴えがあるのならば、「人がいればもっと○○なのに」と考える○○の部分やその背景について、部下と掘り下げてみる。数値目標が高すぎるのであれば、「現リソースで達成できる現実的な範囲はこのくらいで、それ以上を目指すとなると、こういうリスクがあります」などと経営層と交渉する。これこそ「問いを変える」という取り組みであり、中間管理職の醍醐味の一つではないでしょうか。
上から下から、あるいは横から寄せられる多種多様な意見に対して一つひとつ良し悪しをジャッジするのではなく、論点を整理したり、現場で声の大きくない人にヒアリングしたりすることも、中間管理職の大切な役割です。
■自分をケアしているとメンバーもケアできる
自身をケアしながらこうした役割をこなしていると、メンバーをもケアすることにつながります。つまり、自分の生き残りを図りながら、組織全体のサバイブにもつながる点がミソです。
生き残ることを優先したほうがいいのは、中間管理職だけでなく、権限のない若手社員や人事担当者も同様です。
一元的な能力主義にどっぷりつかった組織は、個人に際限のない努力を求めてきます。言われるがままやっていたら、つぶれてしまうかもしれない。だから、まずは自分が倒れない範囲で働く。もしそれで、「淡々と仕事して、まるで『静かな退職』だ」などと言われても、いいじゃないですか。
ちなみに「静かな退職」とは、職務要件を淡々とこなす様子を指します。欧米では主流の「ジョブ型雇用」の社会では当たり前で、なんなら全員が「静かな退職」です。
個人が生き残ることを優先しつつも、組織の中で抜け落ちている機能があれば、できる範囲で担ってみる。「これってどうも違和感あるのですが、こう変えることって不可能ですかね?」と素朴な疑問をぶつけたり、「この人とこの人がギクシャクしていて、自分の見える範囲では、○○さん側がうまく現場にはまっていないと思われるのですが」などと問題提起してもいいでしょう。
できる範囲でもやってみると、組織全体のケアにつながり、その結果、組織が成熟していくこともあるのです。
■部下を腫れ物のように扱ってしまう
若手社員が組織の問題点に気づいても、「指摘しても何も変わらないのでは?」とためらったり、「むしろ報復されるのでは……」と恐れたりする状態になっているのは、とても残念なことです。
安心してものが言える、風通しの良い組織にするためには、「心理的安全性」が欠かせません。
一方で最近は、心理的安全性を曲解することで、部下に対して業務上必要なネガティブなフィードバックができなくなっているのではないかと感じることもあります。
できていないことを指摘したり間違いを叱責したりすると若手が辞めてしまうのではないかと恐れて、腫れ物にでも触るように扱ってしまうのです。
「相手を否定しちゃいけないんですよね? 何も言えやしないですよ。地雷を踏んで『ハラスメント』だなんて言われたらたまらないですし」などと言うマネジャーもいます。
「否定はいけない」、「いつもご機嫌で仲良く」といった単純化された解釈が、本来必要なコミュニケーションを阻害してしまうのです。
■ネガティブなフィードバックに必要なもの
一元的な能力主義におけるフィードバックでは、部下のダメなところを断定的に指摘するだけで終わってしまうことがありました。職場でなくても、私たちは幼いころから、「あなたって○○だよね」と有形無形の断定的な評価を下されてきています。人となりを決めつけられ、勝手に周りと比較され、序列まで付けられて、さんざん傷ついてきたわけです。
ですから、職場でネガティブなフィードバックをするならば、「存在の承認」がまず必要になると私は考えています。存在の承認が前提にあれば、相手も受け止められるはずです。
例えば、1on1などで話をするときに、「いつもありがとう。この部署にいてくれて、本当に助かってばかりだよ」から始めてはどうでしょう。
そのうえで、「ただ、この前のあの件だけは、ちょっと先方が戸惑っているように見えたりもしたんだけど、自分としてはどう思う?」という感じで切り出せば、断定的には聞こえません。「こう見えるけどどうか?」と決めつけずに問いかける。すると、双方向的な対話になりやすいんですよね。このような言い方ならば、心理的安全性を阻害していないと思われます。
もちろん、相手によって言い方は変えたほうがいいでしょう。こうした対話をするには、日ごろから相手の観察が欠かせないわけです。
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勅使川原 真衣(てしがわら・まい)
組織開発者
東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイグループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。
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(組織開発者 勅使川原 真衣)

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