ジャムといえば“瓶”。その常識を覆したアヲハタの新商品が、大ヒットしている。
背景には、30~40代の現役世代で起きていた“ジャム離れ”と、忙しい朝に潜む意外な不便さがあった。老舗メーカーがたどり着いた突破口とは何だったのか。商品の開発責任者に、ライターの黒島暁生さんが聞いた――。(前編/全2回)
■「瓶入り」が当たり前だった
ジャムの国内トップシェアを誇るアヲハタ。「アヲハタ55(ゴーゴー)」「アヲハタ まるごと果実」などのヒット商品に続き、2022年秋には「アヲハタ Spoon Free」を発売して話題を呼んだ。売り上げは非公表だが、会社によると、発売後から2025年までの3年間で約3倍(出荷額ベース)まで伸びているという。同商品は一般社団法人 日本子育て支援協会が主宰する第5回「日本子育て支援大賞2024」にも輝いた。ヒット商品はどのように生まれたのか。同社マーケティング本部マーケティング室ジャム・スプレッドチームのチームリーダーを務める松本翔吾さんに話を聞いた。
誰しも一度は目にしたことのある、瓶ジャム。甘さを控え、それでいて果実そのものの美味しさや風味がダイレクトに伝わる。スーパーマーケットなどの量販店に並ぶ“アヲハタブランド”は、すっぽりと収まる瓶の手触りも馴染み深い。
「ジャムといえば瓶」と連想する人も少なくないだろう。
それだけに、2022年秋に発売された「アヲハタ Spoon Free」は衝撃的だった。容器はプラスチックボトル。当然、質感もこれまでの瓶ジャムとはまるで異なる。プラスチックボトルに入れられたジャムが、チューブから出てくる。しかも、それらの操作は片手で可能だ。商品開発にあたって中核を担った松本翔吾さんは、商品誕生のきっかけをこう話す。
■現役世代の“ジャム離れ”が起きている
「弊社は以前から、100名規模のモニターさんにアンケートを行っています。年代は幅広く、質問は商品全体に関することです。
また以前より、ジャムの消費量が減少している、いわゆる“ジャム離れ”が著しいという課題を認識していました。なかでも30~40代の現役世代の瓶ジャムの消費がなかなか伸びないことは把握していました。瓶ジャムを購入していただくお客様は、シニア世代に偏っているという実情があったんです。
若い世代にもっとジャムを購入してもらうためにはどうすればよいかを考え始めました」
総務省の「家計調査 家計収支編 二人以上の世帯」によれば、国内のジャムの消費量は減少傾向が続いている。2024年の世帯の購入数量は1075gだったが、比較可能な2000年は1328gだった。つまり、20年あまりで2割減っている。これは、単純計算で年間約1%ずつコンスタントに消費が減っている状態であり、ジャム市場がじわりじわりと縮小しているといえる。
では具体的に、瓶ジャムの何が購入の際にハードルとなっているのか。松本さんたちは、モニターの声を丁寧に拾い上げることにした。
■「スプーン1本」減れば、朝の負担が軽くなる
「30~40代のお客様のなかには、子育てをしていて、なおかつ仕事をしている人たちが多くいらっしゃいます。そして、ジャムが消費される場面は、圧倒的に朝ごはんが多いことがわかります。したがって、子育てをしているご家庭の朝食にとって、瓶ジャムの何を改良すべきかを検討することにしました。
お客様の声を聞いていくと、まず『使用したスプーンを洗わないといけない』という、実生活に即したものがありました。『たかがスプーン1本』と思われがちなのですが、慌ただしい朝の光景を具体的に想像してみれば、洗い物が減ることがどれほどお客様の負担を軽くするだろうと私たちは考えました。
また、お子様がいらっしゃるご家庭では、『子どもがジャムのついたスプーンを舐めて、それを瓶に戻してしまう』という声もありました。
やはりこれも朝の慌ただしさのなかで、ふとした隙にありえる1コマです。唾液などが混入してしまうと、カビなどの原因となり、衛生面に不安を感じるのは当然のことだと考えました。
そして、『瓶だと捨てづらい』という声もありました。自治体によっては回収日が少ないところもあり、瓶のジャムを手に取りづらい理由になっているようでした」
■“父親としての朝の経験”もベースにあった
これまで紹介したように、伝統であった瓶ジャムとは“異なる選択肢”を掲げて突き進む原動力には、モニターの切実な声があった。だが同時に、開発担当者の松本さん自身の生活者としての視座があったことは疑いようがない。
「個人的な話で恐縮ですが、私も働きながら子どもを育てる父親の立場です。子どもはジャムを塗ったパンが大好きで、とにかく時間のない朝はジャムパンが家族の食卓に頻繁に出ます。もちろん、スプーンを洗う作業は重労働と呼ぶほどではない、“ほんの少しの不便”です。けれども、瓶から出さないジャムを開発すれば、毎日を忙しく働くファミリーを応援する商品になるのではないかと思いました。また、プラスチックであれば、子どもが落として割れないのも利点ですね」
決して極端な言葉を用いず、一言ずつ慎重に伝えてくる松本さんの口調には、誠実さが感じられる。その彼が、柔和で思慮に富んだその瞳に確信を宿してこう言う。「新商品『アヲハタ Spoon Free』は売れると思いました。
絶対に実現させたかった」。
■キャッチコピーは「さよならスプーン」
1932年に創業したアヲハタは、いわば国内ジャムの草分け的存在。第2次世界大戦以前から瓶ジャムを販売するなど、根強い支持を得てきた老舗企業だ。商品ラインナップのひとつとはいえ、瓶ジャムの自己否定とも受け取られかねない新商品の開発は、困難だったのではないか。
「最初のほうは、『瓶に入れなくて売れるのか』という懐疑的な声はありました。これまで支持していただいた路線を変更するのですから、当然だと思います。一方で、モニター調査の声を提示して、主に若い世代の生活で生じる細かい負担を軽減したいという意見は社内でも同調的な声が多かったと思います。実際に企画の決裁がおりてからは、瓶かどうかという器の話ではなく、ジャムそのもののクオリティをどうレベルアップさせるかという建設的な議論に移行できたように記憶しています」
新商品「アヲハタ Spoon Free」のボトルには商品名のほか、中に入っている果物がみずみずしく描かれている。さらに、ボトル上部に書かれたキャッチコピーに目を奪われる。“さよならスプーン”。新商品の利便性を端的に言い得た切れ味に、思わず舌を巻く。この言葉の裏側を松本さんが明かす。

■当然、社内はざわついた
「実は依頼していたコピーライターさんの発案なんです。思い切ったキャッチコピーだなと感じましたが、実は社内が『ざわざわ』としました。弊社の社員は、その多くが無類のジャム好きで、古今東西あらゆるジャムを食べてきた者もいます。昔からジャムと言えば瓶ですし、スプーンで掬って食べるイメージがあるわけですから、革新的なキャッチコピーに戸惑いにも似た声が上がったのは、当然と言えば当然です。
“スプーンがいらない”ということは、ある意味で瓶ジャムが不便だと言っているのと同じになってはしまわないか。我々自身への自己否定になってしまわないかという懸念があったのです。ただ、個人的には『このくらい表現したほうがいい』とは思いました。若年層を中心に不便さを感じているお客様がいるのは事実ですし、結果的にも、良かったと思います」
念のため書き添えると、同社のコピーは“さよならスプーン”であり“さよなら瓶”ではない。そればかりか、「アヲハタ Spoon Free」は瓶ジャムとの共存していくことを期待されて生まれたと松本さんは話す。
■高齢者層にも訴求できる可能性
「新商品は、弊社の3本目の柱になりえるものだと私は考えています。人気商品である『アヲハタ55(ゴーゴー)』は果物のコクを重視した商品で、ロングセラーです。つづく『アヲハタ まるごと果実』はその名の通り、果物を食べているかのようなゴロゴロした食感が売りです。
新商品は、それらに比べれば歯ごたえが控えめですが、素材のうまみをきちんと味わえるように設計されており、果肉もきちんと残した商品になります。
たとえば平日朝の忙しい時間には新商品を召し上がっていただき、休日などの比較的時間のとれるときには『アヲハタ55』『まるごと果実』を楽しんでいただくという方法もご提案できるかもしれません」
また前述のとおり、新商品は主にファミリー層に向けて開発された経緯があるが、松本さんは「高齢者の方がご利用いただくメリットもあるかもしれません」と話す。
「瓶ジャムの場合、あまりに硬く閉めすぎてしまうと、次に開けるのに苦労することがあります。特にご高齢の方で筋力が弱まってしまった方の場合、瓶の蓋を開けることがたいへん難しいケースがあると伺っております。そうした場合には、むしろ『アヲハタ Spoon Free』のように片手で出すことのできるジャムのほうが便利なのではないでしょうか」
■妻からのひと言「朝の洗い物がないのがいい」
着想から商品開発の実現にかかった時間は「およそ2年間」。チームリーダーとして牽引した松本さんは開発過程を家族にさえ話すことはできない。
「毎日、早く完成させたいと思っていました。初めて家族に食べてもらったときの感想は、狙い通りで嬉しかったですね。『これでジャムなんだ、美味しい』と。それから妻は、『朝の洗い物がないのがいい』と言っていました」
そう話すと、この一瞬だけは、気鋭の商品開発者ではなく父親の顔になって松本さんは笑った。

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黒島 暁生(くろしま・あき)

ライター、エッセイスト

可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。

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(ライター、エッセイスト 黒島 暁生)
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