iPS細胞の作製成功を発表し、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さん。その実績を手にするまでにさまざまな紆余曲折があったことは意外に知られていない。
現在も一研究者であり続ける山中さんは「本当にやりたいことは、いろいろな挑戦をする中で見つかる」という――。
※本稿は、山中 伸弥『夢中が未来をつくる』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■10以上の研究機関に手紙を書いた
研究者になろうと決めた私は、まず大学院に入ります。そこで4年間学んで学位を取ったあと、研究では世界の最先端であるアメリカに渡って、さらに深い研究をしたいと思いました。
しかし、たった4年間しか勉強をしていない私を受け入れてくれるところは、なかなか見つかりません。
このとき、すでに10以上の機関に、なんとか自分を受け入れてほしいと熱い思いをしたためた手紙を送っていました。手紙では、本当はできないことでも「こんなこともできます」などと少し大げさに書いてアピールもしましたが、どこからもよい返事をもらうことはありませんでした。
そのなかで、返事をくださった研究所が一つだけありました。それが、サンフランシスコにあるグラッドストーン研究所でした。
電話でお話ししたいというお返事をいただいたので、すぐに電話をかけると、応募していた研究所の先生ではなく、ほかの教授が出ました。
のちに、私のボスになるトーマス・イネラリティ先生でした。あとから聞いたところによると、彼は私が応募した手紙を読んで、興味をもってくださったとのことでした。

■恩師の教え「VW」とは
「あなたは、一生懸命に働きますか?」

「はい!」
このときの会話で私の印象に残っているのは、こんなやりとりです。
ともあれ、私は無事にその研究所に留学できることが決まりました。そのときは跳び上がるほどうれしかったのを覚えています。
3年半におよんだ、このサンフランシスコでの留学生活は、私にとってかけがえのない期間となりました。研究者として、そして人間として、私はそこでたくさんのことを学べたからです。
もちろん実験や研究について、さまざまな手法も学びましたが、いちばんよかったのは、よりよき人生を歩んでいくうえで大切な教えに出合えたことでした。当時研究所長だったロバート・マーレイ先生の「VW」の教えです。
マーレイ先生は当時、ドイツの車・フォルクスワーゲンに好んで乗っていました。フォルクスワーゲンは略してVWと言いますが、マーレイ先生のおっしゃったVWは、もちろん車のことではありません。
まず「ビジョン(VISION)」――これは自分が何をしたいか、どうなりたいかという「夢」や「目標」のことです。それも目の前の小さなことではなく、何年か後にどうなっていたいか、将来どうなりたいかという長期的な夢、目標のことです。
そして「ワークハード(WORK HARD)」――これは懸命に努力すること。
しっかりしたビジョンをもって、その実現に向けて一生懸命努力すれば、きっと成功するよ、というのがマーレイ先生の教えでした。
■勉強だけでなくスーパーマンになれ
「ワークハード」については、私は学生のころからいろんなことに手を出していたため、忙しい毎日を送ることには慣れていました。
中学から高校にかけて、私は理科や数学が好きだったので、勉強はしっかりやっていたほうだと思います。姉が家でもよく勉強していて成績もよかったので、そんな姉の姿を見ていた影響もあるでしょう。
とはいえ勉強ばかりしていたわけではありません。中学からはずっと柔道をやっていましたし、そのかたわら生徒会活動をしたり、高校に入学してからはフォークソングのバンドを組んでギターを弾きながら歌ったりもしていました。
中学のときの先生は、よく生徒たちに“スーパーマンになれ”という話をされました。勉強も大事だが、そればかりではいけない、興味をもったことは何でもやってみて、いろんなことができるスーパーマンになりなさい、とおっしゃっていたのです。
そんな先生の教えもあり、私も興味があることには何でも手を出していたので、毎日がとても忙しかった。そのため、どうしたら勉強も部活動もバンド活動もすべてがうまくできるかを、いつも考えていました。
■1日に3つ実験するにはどうしたらよいか
大学でも私は柔道部に入ったのですが、2年生のときに大きなケガをしてやめてしまいました。しかし予想外にケガから回復したため、3年生からはラグビーに挑戦します。
そうするとラグビーの厳しい練習をこなしながら、医学部での膨大な時間を要する勉強もしなければなりません。どうしたら短い時間で効率よくできるかを、つねに考えていました。
そんな習慣が身についていたのでしょう。研究者になろうと思い大学院に入ってからも、ほかの人が1日で1つしか実験をしないのであれば、1日に3つ実験ができるようにするにはどうしたらよいか、さまざまな工夫を試みていました。
大学院を出てアメリカの研究所に行こうと思ったとき、私はいくつもの機関に手紙を出しましたが、最終的に返事をくださったのは、グラッドストーン研究所を含む数か所だけでした。なぜ、このときグラッドストーン研究所が私を雇うことを決めたかというと、大学院生のわずか数年で4つも論文を出していたからだそうです。
効率よく複数のことをこなす習慣ができていたおかげで、私はグラッドストーン研究所に入ることができたのです。
■自分のビジョンって、何だろう
このように「W=ワークハード」とは、一生懸命に働くことをさします。とてもシンプルですし、懸命に働いたり勉強したりすることは、やろうと思えばだれにでもできることです。
でも、もう一つの「V=ビジョン」をもっているか、と問われると、すぐに「はい」と答えられる人は少ないのではないかと思います。
これは、「何のためにそれをしているか」という、問いです。毎日がんばって勉強したり働いたりしていても、「何のためにそれをしているのか?」と問われたら、きちんと答えられない人は多いのではないでしょうか。

マーレイ先生は「君のビジョンは何だい?」という質問を私にされました。「妻と小さい子どもを2人連れて、わざわざ日本からアメリカにまで来て学んでいるのはなぜか?」と聞いておられるわけです。
それに対して私は、「よい実験をして、よい論文を書いて、よいポスト(職業)につくためです」と答えました。
そのころの私は、本当にそう信じていたからです。医者になる道をあきらめてアメリカまで学びに来ていたので、必死でした。
でも、マーレイ先生は、「それはビジョンではない」とおっしゃいます。「それは、ビジョンを達成するための手段だ」と。よい実験をしてよい論文を書いて、よいポストにつくのはそもそも何のためなのか、と博士は私に尋ねられました。
■思い出した自らのビジョンとは
そのように聞かれて、私はようやく自分のビジョン、つまり何のために研究者になったのかに思いいたりました。
それは「生命の謎を解き明かし、いまは治すことのできない病気やケガを、将来治せるようになりたい」という願いです。
医学の世界に入るようにすすめてくれた父は、ちょっとしたケガがきっかけで病気になり、亡くなってしまいました。
そして医者になったものの、どんなに治療しても治らない患者さんにたくさん出会ってきました。
そうした患者さんも、また父も、一つでも効く薬があったら、きっと命は助かっていたでしょう。
医者になって感じた無力感、無念の思いがあったからこそ、私は研究者になろうと心に決めたのです。
「研究をして新しい薬や治療法を生み出し、できるだけ多くの患者さんを助けたい」
それこそが、私が研究者になった「ビジョン」だったと気づいたのです。思い出したと言ったほうがよいかもしれません。
それからは、どんなことがあっても、このビジョンを忘れまいと誓いました。

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山中 伸弥(やまなか・しんや)

京都大学iPS細胞研究所名誉所長

1962年大阪生まれ。1987年に神戸大学医学部を卒業後、臨床研修医を経て、1993年に大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了。米国グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学教授、京都大学再生医科学研究所教授などを歴任。2010年より京都大学iPS細胞研究所所長、2022年より同名誉所長。2007年より米国グラッドストーン研究所上席研究員を、2020年より公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団理事長を兼務。2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの皮膚細胞から人工多能性幹(iPS)細胞の作製成功を発表し、これらの功績により2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞。

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(京都大学iPS細胞研究所名誉所長 山中 伸弥)
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