iPS細胞の作製成功を発表し、2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さん。その受賞にはライバルに負けない研究スピードが不可欠だった。
行き詰まりそうな状況を打破したのは、工学部出身の院生による「ふつうの生物学研究者では考えられないようなアイデア」だった――。
※本稿は、山中 伸弥『夢中が未来をつくる』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
■ES細胞の“しおり”を探す
一つひとつの細胞にはすべての設計図が描かれているのに、心臓になる細胞は心臓にしかならず、髪の毛になる細胞は髪の毛にしかならないのは、なぜなのでしょうか。
それは、細胞を「遺伝子の情報が書かれている本」にたとえるなら、その本に“しおり”がはさみこまれていて、そのページしか開けなくなっているからです。
髪の毛になる細胞は「髪の毛になる」という情報が書かれたページしか開けなくなっているし、心臓になる細胞は「心臓になる」ページしか開けません。
“しおり”がはさまれたページが違うので、それぞれが違う細胞になっていくわけです。
この“しおり”の役割をしているのは、細胞のなかの「転写因子」という物質です。
体のなかで起こっているこのようなしくみは、まだまだわかっていないことも多いのですが、とても不思議ですよね。
こうしたことがだんだんとわかってきて、私は一つの仮説を立てました。
ES細胞も体の皮膚からとった細胞も“しおり”がどこにはさまっているかの違いしかないとしたら、ES細胞の“しおり”を見つけることさえできれば、皮膚の細胞からもES細胞と同じような「万能細胞」ができるのではないかと思ったのです。
■数万の遺伝子から24まで絞り込んだが…
私は研究室に入ってくれた学生や技術員たちと、その“しおり”を探す研究を始めました。
まずはマウスからつくったES細胞の“しおり”、すなわち体の細胞を初期化して万能細胞にするために作用する遺伝子を探しはじめます。

ここではコンピュータを使った予測が役立ち、数万もあった遺伝子のなかから可能性のある100ほどの遺伝子を選び出すことができました。さらにそこから、ES細胞に重要な働きをする遺伝子を24までしぼりこむことに成功します。大学院生の徳澤さんと技術職員の一阪さんが、これらの因子に初期化する力があるかどうかを評価する、とてもよいシステムをつくってくれ、これが成功のカギとなりました。
ここまで研究が進んだときに、一つの壁に突き当たりました。
これまでの実験はマウスのES細胞を使って進めてきたのですが、人体の治療につなげるにはヒトのES細胞で実験を進める必要があるのでは、と思うようになったのです。
■ピンチはチャンス、引っ越しで研究が進んだ
そんなときに「うちに来て研究をしないか」というお話をいただいたのが、京都大学再生医科学研究所でした。そこは当時、日本で唯一、ヒトのES細胞をつくることに成功した研究所でした。ここなら、ヒトのES細胞を使った研究が思う存分できます。
私は研究中の24個の遺伝子を携さえて、京都大学に移ることを決めました。
京都大学の研究所は、それまでいた大学からも近く、一時間ほどあれば行けます。ただ、研究室の引っ越しは、たくさんの器具やマウスなどの動物もすべてもっていかなければなりません。最大の困難はマウスの引っ越しだったのですが、一阪さんが黙々とこなしてくれました。

こうして引っ越しを機に研究の戦略を変え、担当してもらう人なども替えることができました。いろいろと苦労はしましたが、いい研究をする準備がととのって、すべてが順調に進んでいったのです。
よく、ピンチはチャンスと言います。何か大変なことが起こったり、難しいことが続いて、なぜこんなことをしなければいけないのかと落ちこんだりすることもあると思います。じつはそういうときこそが、大きなチャンスなのです。
■立ちはだかる壁を破った研究員の一言
私たちの研究室は、京都という新しい場所で引き続き、万能細胞についての研究をすることになりました。
24個にしぼりこんだ遺伝子のうち、体細胞を初期化できる遺伝子はどれなのか。まずは一つずつ、皮膚の細胞に送りこんでみましたが、どれも初期化はできませんでした。
どうしたものかと頭を悩ませていたとき、研究員の高橋和利くんが驚くべきことを口にしました。
「24個の遺伝子、すべて入れてみましょう」
高橋くんは、私が奈良の大学で研究室をもったときに、大学院生として入ってくれた3人のうちの1人です。
しかも工学部出身なので、入学当初は分子生物学を学んでいませんでした。だからこそ、ふつうの生物学研究者では考えられないようなアイデアを出すことができたのかもしれません。

■やってみたら初期化に近い反応が起きた
ふつうは、1個、2個、3個と入れる遺伝子が多くなればなるほど、初期化する可能性は少なくなっていくと考えるものです。
ところが、高橋くんの言うとおり、24個の遺伝子を全部入れてみたところ、なんと初期化に近い反応が現れたのです。
やってみる前から「これはうまくいかない」と決めつけ、あきらめてしまい、挑戦することすらしない人も多いものです。それに対して高橋くんは、頭で考えるより先に、とにかくやってみるのです。仮にその挑戦に失敗したとしても、そこから大切な何かを学ぶこともあるし、まったく別のアプローチが見えてくることだってあります。
これで24個の遺伝子のうち、どれかに初期化させる因子があることがわかりました。
ただ、1つだけとはかぎりません。2つの組み合わせでその反応が起きているのかもしれませんし、3つ以上の組み合わせによるものかもしれません。
考えられる組み合わせは、これもまたたいへんな数にのぼり、すべてを試すとなると、どれだけ時間がかかるかわかりません。
しかも、この研究は非常に競争の激しい分野です。ほかの研究グループに先を越(こ)されるのではないか、と悩みました。
■柔軟な発想に再び救われた
頭を抱えていると、高橋くんはこのように言ったのです。

「先生、1つずつ抜いていったらいいのではないですか?」
細胞を初期化させる遺伝子が1つでも欠けていれば、初期化するはずがありません。24個から1つずつ抜いていって、初期化が起こらないものがあれば、その抜いた遺伝子が初期化に重要な役割を果たしている、というわけです。あまりにシンプルな発想だったので、かえって思いつきませんでした。
それを聞いたとき、高橋くんは本当に頭がいい、と感心しました。
高橋くんは大学での専攻が生物学ではなかったので、いっしょに入った2人に比べると、生物の成績はけっしてよくはありませんでした。
私の研究室に入れるのは3人と決まっていて、成績順に3人が決まります。するとほとんどの学生は、その3人に入る可能性が低いとわかったら、さっさと希望を変えてほかの研究室に行ってしまうのです。
しかし、高橋くんは私の研究室に入れる可能性が1パーセントでもあるのなら私の研究室を第一希望にします、と言って変えませんでした。
私はその思いに打たれ、なんとか彼に入ってもらいたいと願っていました。それが通じたのでしょうか、幸いにも3番目にすべりこんでくれたのでした。

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山中 伸弥(やまなか・しんや)

京都大学iPS細胞研究所名誉所長

1962年大阪生まれ。1987年に神戸大学医学部を卒業後、臨床研修医を経て、1993年に大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了。
米国グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学教授、京都大学再生医科学研究所教授などを歴任。2010年より京都大学iPS細胞研究所所長、2022年より同名誉所長。2007年より米国グラッドストーン研究所上席研究員を、2020年より公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団理事長を兼務。2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの皮膚細胞から人工多能性幹(iPS)細胞の作製成功を発表し、これらの功績により2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞。

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(京都大学iPS細胞研究所名誉所長 山中 伸弥)
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