■高支持率の政権を待ち受ける“高転び”
永田町には、昔から「高転び」という言葉がある。
戦国時代、毛利家の家臣だった安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が、当時権勢の絶頂期にあった織田信長について「信長の全盛は3年から5年で終わる。
やがて公家になるかもしれないが、その後には高転びに転んでしまうだろう」と予言したことに由来すると言われている。
確かに、権力の階段を駆け上がった政治家が、思わぬことで足を掬われる。あるいは得意の絶頂のときに、突然、権力の座から転げ落ちるという事はしばしば起きる。
1997年、当時の橋本龍太郎首相は、初めての小選挙区選挙に勝利した余勢を駆って「橋本改革」に邁進しようとした矢先に、内閣改造人事でロッキード事件で有罪判決を受けた議員を起用したことで支持率が急落した。「龍さま」と呼ばれるほどの人気ぶりだった橋本氏もその後は支持率が低迷し、翌年の参院選で惨敗して退陣した。
また、2006年、小泉純一郎政権の後を継いで戦後最年少で首相に就任し、高い支持率を誇った安倍晋三首相(第1次)も、「お友達内閣」と揶揄された閣僚の不祥事などが続いて、翌年の参院選で思わぬ大敗を喫して退陣した。
いずれも永田町の「高転び」の例として筆者の記憶に残っている。驕りなのか、油断なのか、いずれにしても調子が良い時ほど、高転びに転ぶリスクが潜んでいるのが永田町なのだ。
ロケットスタートに成功して高支持率が続く高市早苗政権だが、「高転び」のリスクはないのだろうか。
■「自民党らしくない政治」への期待感
就任から1カ月半が過ぎても、高市内閣は70%前後の高い支持率を維持している。
公明党の政権離脱、日本維新の会とのアクロバティックな連立合意と、難産の末に誕生した政権だが、高市首相の大胆で分かりやすい発言と行動力によって、アメリカのトランプ大統領や中国の習近平国家主席との首脳会談を相次いでこなし、新しい外交スタイルを打ち出した。
憲政史上初の女性首相、分かりやすい発言、行動力、そうした「自民党らしくない政治姿勢」が期待感につながり高支持率に結びついたことは間違いない。

しかし、その持ち味の歯切れの良い分かりやすい発言が早くも波紋を広げている。
首相として臨んだ初めての予算委員会では、立憲民主党の岡田克也氏の質問に「(台湾有事が)戦艦を使って武力行使を伴うものであれば『存立危機事態』になり得る」と答弁した。台湾有事は日本有事つまり日本も自衛隊を出動させることがあり得るという意味だ。 
これに中国が激しく反応した。どのような状況にせよ中国の一部である台湾をめぐって日本が武力行使を示唆したというのが怒りの理由だ。その後中国は、経済はじめ人的、文化的交流までも制限して日本への圧力を強めている。
高市首相自身は「具体的なケースを挙げたのは反省点。今後は控える」と事実上修正したが、撤回は拒否した。
また党首討論では、「言いたくはなかったが、岡田氏が繰り返し聞くので予算委を止められないように誠実に答弁した」と岡田氏に責任転嫁するような言い方だが、いずれにしても不用意な発言だったことは認めている。しかし中国側は更に批判をエスカレートさせている。
■対中強硬論で沸き立つネット世論
ところが、大阪総領事の「汚い首を斬ってやる」という極めて不穏当な投稿や、訪中した外務省幹部に対し中国側の外交官がポケットに両手を突っ込んだ尊大な態度で応対したことなど、中国側の強圧的で傲慢な対応が日本の世論の反発を招く事態になった。
むしろネット上を中心に、「高市首相は当然のことを言っただけで悪いのは威圧的な中国の方だ」「同じ質問をくりかえして高市答弁を引き出した立憲民主党の岡田克也議員の責任だ」といった論調があふれている。

立憲の議員たちのもとには、「発言を引き出した岡田氏に責任がある」「中国の手先のような岡田質問は許せない」などの批判のメールが殺到している。なかには立憲支持者からの厳しい声も寄せられているという。
ある立憲の議員は「岡田氏は必要な質問をしただけで、失言したのは高市首相の責任だ」といくら説明しても全く聞く耳を持ってくれない。なかには『岡田議員は何度も中国に行っている。中国のスパイだから中国が喜ぶ質問をしたのだろう。ネット上ではみんなそう言っている』という支持者までいた」と頭を抱えていた。
SNSなどで真偽が定かでない情報が拡散することが問題になっているが、日中問題でも根拠が不明確で首をかしげたくなるような情報がネット空間を席巻している。
そういえば、高市応援団の大御所、櫻井よしこ氏も、民放テレビに出演した際、中国の主張がいかに的外れかという根拠について「ネットのみなさんがそう言っている」と発言していた。いまや学識経験者や専門家の発言より、「知らない人が呟いている」ネット上の言説の方が信頼される世の中なのだろうか。
■習近平の怒りが支持率を押し上げる皮肉
それはともかく、中国側の威圧的な態度はエスカレートする一方だ。6日には公海上で中国海軍空母にスクランブルをかけた自衛隊機が、中国軍機にレーダー照射を受ける事案まで発生した。中国側は威嚇の意図は否定しているが、緊張状態のなかでこうした事案が起きること自体、偶発的な衝突に発展しかねず危険極まりない。

なぜ中国はここまで態度を硬化させるのだろうか。ある政府関係者はこう指摘した。
「習近平は、高市首相が歴史認識や台湾問題では中国に厳しい姿勢だと警戒して、実は首脳会談にも消極的でしたが、日中関係を重視する指導部内の側近から言われてしぶしぶ首脳会談に応じたんです。ところが高市首相が、会談の直後にAPECの台湾代表との2ショット写真をSNSにアップしたことで神経を逆なでされ、そして『台湾有事は日本の有事』という発言が出た。実は同じことを安倍元首相や麻生太郎元首相も言っていたのですが、どちらも首相を辞めた後の発言です。しかし高市さんは現職首相の発言であり、これは中国としては絶対に認められない。習近平のメンツにも関わるので、周辺も強硬姿勢を取らざるを得なくなったんです」
しかしその尊大で強引な中国の姿勢が、むしろ日本人の素朴な反中意識を刺激し、それが高市支持を押し上げるという皮肉な状況になっている。 
■自民党内で続く親台派の系譜
自民党にとって日中関係は一筋縄ではいかない問題だ。
1972年、アメリカのニクソン大統領に先を越されるかたちで、日本も国交正常化に舵を切った。当時の田中角栄首相と大平正芳外相のコンビで外交交渉が進んだか、水面下での密かな折衝に一役買ったのが、当時の公明党の竹入義勝委員長だ。公明党は、それ以前から独自に中国とのパイプを築いていた。
この時、安倍派の源流でもある福田赳夫元首相率いる福田派は、親台湾の議員が多かったこともあって台湾を見捨てるべきではないと激しく抵抗した。
結局、田中・大平連合が押し切るかたちで日中国交正常化は実現したのである。
もともと田中派と福田派は、「角福戦争」と呼ばれた激しい権力闘争を繰り広げていた。日中関係も、親中派が多い田中派・大平派(宏池会)と親台湾派が多い福田派の対立という図式が出来上がり、その系譜は今に続いている。
親中派の系譜には宏池会の岸田文雄元首相や田中角栄元首相を師と仰ぐ石破茂前首相がいる。一方、親台派は、福田派の流れを汲む小泉純一郎元首相、安倍元首相、そして安倍氏の後継を自任する高市首相だ。高市首相は、就任前のことし4月には台湾を訪問し現地に建立された安倍氏の銅像に献花している。
中国が激しく反発するのは高市首相が、親台派、タカ派の系譜にある政治家だと認識しているからだ。
■安倍首相の冷徹なリアリズム
ただ政治は、タカだ、ハトだという対立など超えて大きく動く時もある。 
冒頭で高転びの例として取り上げた第一次政権の安倍元首相だが、公平を期すと、対中外交について、安倍氏はしたたかで大胆な決断を幾度かしている。
当時を知る外務省OBによると、小泉元首相の靖国神社参拝に反発して05年に中国国内で大規模な反日デモが起きるなど日中関係が危機的な状況になったとき、これを一気に打開したのが安倍氏だったという。
06年に小泉氏の後を受けて首相に就任した安倍氏は、直後に電撃的に訪中して、関係改善の糸口をつかんだ。そして「戦略的互恵関係」という大きな枠組みを提唱し、中国との関係を修復したのである。

この外務省OBは、「小泉政権末期から安倍さんは当時の外務事務次官の谷内正太郎さんらを通じて水面下で中国側と接触していた。その頃の安倍さんは親台保守派のリーダーだったから中国と手を握ることにはリスクもありましたが、国益を考えて決断した。それに保守派のスターだったから強硬派の反対を抑えることができたんです」と証言する。
タカ派で中国に対する強硬姿勢で知られる安倍氏だが、政治的には冷徹なリアリズムに立って大胆な決断をしたのだった。
■大きな構想を描ける名宰相
その後、12年に発足した第2次安倍政権では、前任の野田内閣の尖閣国有化に中国が猛反発し、またも反日デモが繰り返される危機的な状況で政権を引き継いだ。
そして13年には右派言論人らの強い圧力に抗しきれず安倍氏自身が靖国神社に参拝して、さらに中国を刺激したが、ここでも安倍氏は外務省や経産省に加えて経済界の支援も得て翌14年には北京で開かれたAPECの場で習近平国家主席との初会談にこぎつけ、関係修復の第一歩となった。
そしてこれをもとに、二階俊博氏ら自民党の親中派の大物議員、さらには公明党のパイプも通じて、中国との関係改善を進め4年後の18年には単独で北京を訪れて日中首脳会談を実現した。
注目すべきなのは、同時にアメリカや東南アジア諸国との関係強化で中国封じ込めを狙う「自由で開かれたアジア太平洋構想」を推し進めたことだ。中国に単に譲歩するのではなく、戦略的、長期的な視点で関係をつくっていくという大きな構想がそこにあった。
台湾で銅像が建てられるほどの政治家が、国益のため地域の平和と安定を優先する冷徹な判断をし、自らを支援する勢力を説得してでも中国と大胆な妥協をしたのである。
高市首相に問われているのは、反中の世論が高まっている時だからこそ、冷静に情勢を鎮静化させて、中国に対して、振り上げたこぶしをどう降ろさせるか、そのために何をすべきかを考えることだ。
■威勢だけでは「首相の器」にあらず
気になるのは自衛隊機がレーダー照射を受けた後もトランプ大統領が沈黙を守っていることだ。

高市首相が米空母の艦上で、ロックスター並みのパフォーマンスで日米同盟の絆を演出したのも、台湾はじめ東アジアの安定を脅かす中国への軍事的な牽制のためだったはずだ。高市首相の肩に手を回して最高の首相だと持ち上げたトランプ大統領だが、習近平主席との電話会談の後は、高市首相に中国とあまり揉めるなと「助言」したとされている。
単なる国会答弁に過ぎないことで日本と中国との関係が拗れている。こんなことで中国とのディールに影響が出てはまずい。トランプ氏にそんな気持ちがあることは想像に難くない。問題は、だとすると日本には後ろ盾が頼りにならない状態で中国と向き合わなければならないということだ。
対立が1カ月を超え、世論にも微妙な変化が現れ始めた。世論調査では高市首相の答弁に問題はないという声が依然として圧倒的に多いが、今後の経済などへの影響を懸念する声も出始めている。
政府内では問題の長期化を覚悟すべきだという声が出ているが、米中関係の行方も見通せない中で、どう事態を収拾していくのか、高市首相にとっては難しい判断が続くことは確かだ。
自民党のあるベテラン議員は、「高市は威勢はいいが、他人の言うことは聞かず、チームで支える体制もできていない。だから一時の思いつきや、その場しのぎの発言が目立つ。いち議員ならともかく、総理大臣がそれでは必ず足元をすくわれる。日中関係だけでなく、高市政権の最大の弱点はその言葉の軽さだ」と漏らしていた。
高市首相の「高転びのリスク」は、いまそこにあるのだ。

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城本 勝(しろもと・まさる)

ジャーナリスト、元NHK解説委員

1957年熊本県生まれ。一橋大学卒業後、1982年にNHK入局。福岡放送局を経て東京転勤後は、報道局政治部記者として自民党・経世会、民主党などを担当した。2004年から政治担当の解説委員となり、「日曜討論」などの番組に出演。2018年に退局し、日本国際放送代表取締役社長などを経て2022年6月からフリージャーナリスト。著書に『壁を壊した男 1993年の小沢一郎』(小学館)がある。

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(ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝)
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