なぜアンガーマネジメントは重要なのか。脳科学者の澤口俊之さんは「怒りは身体と脳の老化を早めるだけでなく、心臓発作や脳卒中の発症リスクも高めるという研究結果がある。
つまり、怒りをコントロールできるかどうかは命に関わるということだ」という――。
※本稿は、澤口俊之『脳科学で知る! 世界一わかりやすい「怒り」の教科書』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の一部を再編集したものです。
■「怒りっぽい人」が失うものは大きい
「怒り感情」は生きていくうえでなくてはならないものです。でもその一方で、さまざまなリスクや弊害をもたらします。
考えてもみてください。怒りっぽい人のそばには誰も近づきたくないものです。また、怒りを爆発させたことで人間関係を損なったという経験がある人もいるのではないでしょうか。
それ以上に、身体に多大な悪影響を与えます。
怒り、特に持続する(慢性的な)怒りによってもたらされるのは、ストレスホルモンの絶え間ない洪水と、怒りの感情に伴う体内の代謝変化です。それによって引き起こされるのは、高血圧、頭痛、消化器系の問題、湿疹(しっしん)などの皮膚のトラブルなど。
加えて、肺機能。誰でも加齢に伴って肺機能が悪化して肺活量も減りますが、怒りや敵意のレベルが高い人ほど肺機能はより早く悪化しますし、肺活量の低下も早いことが以前からわかっています。

■「額のしわ」は死亡リスクを高める
こうした肺の老化加速には、免疫系の悪化による慢性的な炎症が関与しているようです。なので、怒りをうまく抑えることができない人は、肺に炎症性のダメージが起き、息ができなくなる可能性も高いです。喘息(ぜんそく)やうつ病、心臓病などの疾患がある場合はより深刻で、心臓発作や脳卒中につながるケースすらあります。
さらに、イギリスの医学系学術誌『ソラックス』に発表された調査結果では、常に怒りを感じている人はより早く老化する可能性が高いことを示しました。怒っている人は眉をひそめる傾向が強いんだそうですよ。そのため、怒りによる眉間のしわなどが原因で、顔が老けて見える傾向があります。
ちなみに、額の深いしわは侮(あなど)れなくて(誰も侮っていないでしょうけど)、心血管疾患による死亡リスクを高めることを欧州心臓病学会が示唆しています。
学会主導の研究は長期間に及ぶものがそれなりにあるんですが、この調査研究では社会人3200人を20年間にわたって調査し、額に深いしわが多数ある人は、しわがない人に比べて心血管疾患で死亡するリスクが10倍近く高いことを見つけました。この関連性は、年齢、血圧、コレステロール値などの既知のリスク要因を統計的に考慮しても変わりませんでした。
■「見た目年齢」と「脳年齢」は一致する
この種の研究では因果関係を特定するのは難しいのですが、どうやら動脈硬化が関係しているようです。額の細い血管は「血管プラーク」の蓄積に特に敏感なので、しわが血管老化の初期指標になるという説ですね。
慢性的な怒りがどのように身体の衰えの一因となるのか正確な経路はわかっていませんが、慢性的な怒りに伴う消耗がどのように身体的な衰えをもたらすかは想像に難くありません。
常に怒りを抱えがちな人は、ボロボロで年齢よりも老けて見えるだけでなく、時間の経過とともに体もボロボロになります。絶え間ない怒りからは、本当に良いことは何も生まれません。
念のため補足すると、見た目年齢が脳年齢を端的に示しますから、実年齢よりも老けて見えるのは、脳も老けていることになります。
40代の人でも、脳年齢が60代の人は顔もかなり老けていて、それこそしわだらけで、とうてい40代には見えません。ほうれい線も深いです。額のしわは(先述のように)血管老化の指標になり、血管老化は脳老化と直結しますから、しわの観点からだけでも「見た目年齢が脳年齢」というのは納得です。絶え間ない怒りは、体の“内側“を老化させつつ、脳も老化させるんです。
■脳が老化し、胃腸も弱る悪循環
長期間にわたる怒りすぎは(断続的な怒りであっても)脳を萎縮させるほどですから、慢性的な怒りが脳を老けさせるのは当然といえば当然ですが、こうした脳老化には、血管の老化以外にも、たとえば、胃腸系の問題も相当に関与します。
怒りによる脳老化で胃腸系が悪化し、胃腸の不快感、栄養素の吸収不良、食欲不振につながります。また、怒りに伴うアドレナリンの大量分泌は、胃腸の筋肉組織や神経を過剰に刺激し、その結果、運動機能亢進(こうしん)によるけいれんや下痢などの症状を引き起こします。
これはいわゆる「腸脳相関(腸脳軸)」として近年注目されていて、胃腸系の悪化が脳を悪化させ、脳老化を加速させるという逆の流れもあります。
絶え間ない怒りからは、やはり、良いことは何も生まれないと言うしかありません。

■ストレス社会で生きる現代人の健康リスク
怒りは老化(身体と脳)を促進させるだけでなく、さらに深刻な健康問題を引き起こします。これまでにも多少言及してきましたが、ここでは数々の研究結果をもとに、特に重篤な疾患との関係を解説していきましょう。
怒りは人生とともにあるので(進化的にも根強い感情なので)、怒りで命に関わるような深刻な病気になることは、本来ならないか、あっても稀なはずです。
ただ、怒りはストレス系と深く結びついていますし、「敵」はもちろんのこと、SNS使用によっても、時間に追われても、孤独になっても、期待が裏切られても、不当に扱われても、不平等を意識しても……、怒り感情が往々にして出てきます。そして、今述べたようなことが多い(というか、多すぎる)のが現代社会です。そのため、実際問題として、怒りは重篤な疾患をもたらすことがあります。
そうした疾患は、怒りのメカニズムからも推測できるように、心臓血管系が主です。脳では脳卒中です(特に、脳の動脈を血栓が塞(ふさ)いだり狭めたりすることで起こる虚血性脳卒中)。ちなみに、怒りという感情による疾患は医科学的にも興味深いので、さまざまな観点からの研究が多数なされてきました。なので、ここでは代表的な研究を簡単に紹介することにとどめることにします。
■怒りそのものが心臓に悪影響を及ぼす
まず、代表的な(研究者の間でも有名な)ものとして、ハーバード大学が行った研究を挙げます。
この研究では、1305人の平均年齢62歳男性を対象に、怒りのレベルと心臓病発症の関係性を調査しました。
参加者は心理テストで怒りのレベルを評価され、数年ごとに健康診断を受けるというものです。7年間追跡調査した結果、当初は健康だった参加者のうち110人が冠動脈疾患を発症し、特に怒りっぽい性格の人は、穏やかな人と比べて発症リスクが3倍に上ることが判明しました。
驚くべきことに、この結果は喫煙や高血圧といった他のリスク要因を除外しても同様でした。つまり、怒りそのものが心臓に深刻な影響を及ぼしていることが示唆されています(こうしたデータが得られるくらいなので、怒り感情による疾患はやっぱり研究的には興味深いものです)。
■2時間以内の脳卒中リスクが14倍に
さらに、ハーバード大学の別の研究では、激しい怒りが心臓発作を直接引き起こすことも実証されています。
心臓発作を起こした患者1623人にインタビューを行ったところ、発作の2時間前に強い怒りを感じた場合、発作のリスクが2倍以上に増加していたのです(「おいおい、怒り感情は昔から“6秒ルール”とされるくらいに短時間で落ち着くんじゃなかったのか? 2時間は長すぎだろう!」と、“6秒ルール”あるいは“扁桃体ハイジャック――扁桃体が6秒ほど激情に支配される現象”を知っている人はやっぱり不思議に思うでしょう)。
心臓発作と同様に、怒りは脳卒中のリスクも高めます。200人の脳卒中患者を対象にしたイスラエルの調査では、激しい怒りを経験したあと2時間以内に脳卒中を発症するリスクが14倍に増加することが明らかになりました。この結果からも、怒りが心血管系全般に重大な影響を与えることがわかります。
■命を奪う脳卒中の予防につながる?
今、脳卒中のことをサラッと述べましたが、脳卒中は世界的に見ても、死亡または身体障害の主な原因です。「脳卒中の予防は医師にとって最優先事項」という言説もあるほどです。しかし、多くの研究は、高血圧、肥満、喫煙といった中長期的な要因に焦点を当ててきたせいもあって、脳卒中がいつ発生するかを予測することは困難でした。
なので、今述べた研究は短期的な予測と予防に直結するので、かなり重要なんです。
そうしたせいもあって、国際的な研究プロジェクトである〈インターストロー(INTERSTROKE)〉が、32カ国13462例の脳卒中症例を分析し、短期的な要因を明らかにしようとしたことがありました。その結果、脳卒中生存者の11人に1人が脳卒中発症前1時間以内に怒りを主とした感情的動揺を経験し、その1時間で脳卒中リスクが約30%上昇することが示されました。
また、定期的な運動は長期的な脳卒中リスクを低減しますが、この研究で、脳卒中患者の20人に1人は脳卒中の直前に激しい運動をしていたこと、そして、そうした運動後1時間以内の脳内出血のリスクが約60%増加することもわかりました。
ただし、怒りと激しい運動は互いに独立要因で、これら2つを同時に経験してもリスクがより大きくなるわけではありませんでした。さらに、年齢、性別、喫煙、高血圧、ストレスレベルなども無関係でした。どうやら、怒り感情はそれ独自の経路・メカニズムで脳卒中を引き起こすようです。
■怒りっぽい若者の心臓病リスクを調べると…
これらの研究やレポートにより、怒りが心疾患や脳卒中を引き起こすことは明らかですが、なにも中高年になってから気をつければいい、というものでもないのです。
若い頃の怒りも成人後の健康に影響を及ぼします。
ジョンズ・ホプキンス大学の研究では、医学生1055人を対象に、若年期の怒りがその後の心臓病リスクにどのように関与するかを追跡調査しました。平均36年間の追跡の結果、最も怒りっぽい学生は55歳までに心臓発作を起こすリスクが6倍、心血管疾患を発症するリスクが3倍高いことが判明しました。この傾向は、家族歴や喫煙、飲酒、血圧などの他のリスク要因を考慮しても依然として顕著でした。

怒り感情は他人とのコミュニケーションを損なうどころか、命にも関わる、深刻な疾患リスク要因となりえます。怒りの感情をいかに適切にコントロールしていくかは、単なるメンタルヘルスの問題にとどまらず、心身の健康を維持し、充実した人生を送るための重要なスキルと言えます。

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澤口 俊之(さわぐち・としゆき)

脳科学者

1959年東京都生まれ。理学博士。脳科学者。北海道大学理学部生物学科卒業。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。米国イェール大学医学部神経生物学科研究員を経て、京大霊長類研究所助手、北大文学部心理システム科学講座助教授、同大学院医学研究科教授を歴任。2006年に人間性脳科学研究所を設立し所長を務める傍ら、現在は武蔵野学院大学、同大学院の教授も兼務。専門は神経科学、認知神経科学、社会心理学、進化生態学。幅広い年齢層の脳の育成を目指す新学問分野「脳育成学」を創設・発展させている。また、脳科学に基づく社会還元や発達障害改善(教育相談)にも携わる。フジテレビ「ホンマでっか!?TV」などTV番組にも多数出演。主な著書に『仕事力が劇的に上がる「脳の習慣」』(ぱる出版)、『老いは脳科学的に素晴らしい 年をとるほど実力は伸びる』(幻冬舎)、『発達障害の改善と予防: 家庭ですべきこと、してはいけないこと』(小学館)など。

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(脳科学者 澤口 俊之)
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