日本では、移民の話になると、とかく「治安が悪化するのではないか」「社会保障の負担が増えるのではないか」などと不安の声ばかり上がりがちだ。しかし、国立社会保障・人口問題研究所国際関係部部長の是川夕さんは「じつは近年、移民は急増している。
それでも日本は他の先進国と違って移民を受け入れる余地がまだまだあり、それが国際競争力の向上にもつながっていく」という――。
※本稿は、是川夕『ニッポンの移民――増え続ける外国人とどう向き合うか』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
■2070年には「10人に1人」が外国人に
2023年4月、国立社会保障・人口問題研究所(社人研)から「日本の将来推計人口令和5年推計」が公表された。同推計では、2070年には、日本の総人口が約8700万人になるとともに、そのうち約939万人、割合にして10.8%が外国人によって占められることが示された。
2024年末時点の外国人人口が377万人(3.0%)であることを考えると、これは人口で見て2.5倍、割合で見て4倍弱の大幅な増加となる。
この推計は将来を正確に見通しているのであろうか。その実現可能性は十分にある。それどころか、より速いペースで1割を超える可能性さえある。例えば、外国人人口の急激な増加を経験した1990年代以降、日本はリーマンショック(2008年)や東日本大震災(2011年)、新型コロナウィルス禍(2020~21年)の時期を除けば、毎年数万~10万人程度、外国人が増加してきた。
■外国人増加は年20万人を超えるペース
また、外国人の増加は2010年代以降加速し、年間20万人を超えるペースで増加するに至り、2022年、2023年、2024年の年間の外国人人口の変化(純増分)はそれぞれ+31万4578人、+33万5779人、+35万7985人といずれも25万人を大きく超えている。
25万人を毎年受け入れた場合の総人口へのインパクトは「日本の将来推計人口」において今後、取りうる出生値の上限(1.64)になった場合にほぼ等しい。これは過去30年以上にわたり、日本の出生率が一度も1.64以上となったことがないのと実に対照的である。

他方で、2022年以降、急速に進んだ円安などに象徴されるように、日本経済のアジア諸国に対する優位性がすでに失われており、「日本はもう外国人労働者がこぞって目指すような国ではない」といった意見も非常に根強くある。
確かに30年前と比べると、日本とアジア諸国との経済格差は著しく縮まっている。例えば、1990年には日本の2.2%に過ぎなかった中国の一人当たりGDPは2023年には約33%程度にまで上昇しているし、2010年代以降、技能実習生としての来日が著しく増加しているベトナムの一人当たりGDPも、2000年には日本のわずか3.9%であったものが、2023年には10.2%にまで上昇している。
■経済格差の大きさと海外移住の関係
しかし、このように経済格差は縮小しているにもかかわらず、海外から主に就労のために来日し、定住している人たちの数は堅調に増えている。これは、多くの人々の直観――二国間の経済格差が大きいほど国際移住が増えるのではないか――に反する結果である。
こうした現象が起こっている理由は何なのか。本書では「国際人口移動」に関する歴史、データ、理論を用いて、この疑問に答えていく。あとで詳しく見ていくが、国際移住に関する最新の理論では、経済格差の縮小はある程度までは、むしろ国際移住への意欲を強めるとされる。
とすれば、今後も主に就労のために来日する外国人の数は増えていく見通しとなる。つまり、年間25万人やそれを超える外国人の入国超過のペースは今後も続く可能性が高い。このように、日本の将来人口の姿は主に「出生率」と「死亡率」によって決定されていたこれまでのあり方から大きく変化していく可能性が高いのである。
■日本はまだ移民を受け入れられるのか
こういった変化は、日本社会にどういった影響をもたらすだろうか。
それを検証するには、国際比較が有効である。
図表1は先進国における外国人人口の割合を示したものである。メキシコや日本のように総人口の1~3%程度といった国から、ルクセンブルクの50%超まで先進国における外国人割合には大きな幅があり、その平均は14.7%である。ドイツ、フランス、英国、米国など日本と比較されることの多い国は10~18%付近に集中している。
日本は現在3.0%である。仮に今後、将来人口推計が想定するように、毎年16.4万人の外国人の入国超過を経験し、外国人の割合が10.8%となった場合でも、先進国の平均値(14.7%)と比較すると、まだ3%ポイント強ほど低い水準にとどまる。また、仮に年間の入国超過数が25万人となった場合には15・1%と先進国の平均値(14.7%)とほぼ等しくなる。
■外国人が秩序を乱すというナラティブ
現在、米国や西欧諸国において、移民人口の増加が社会を分断する大きな政治的なイシューとなっている。こうした動きを捉え、「欧米の轍(てつ)を踏むな」といった警鐘を鳴らす政治家や有識者も多い。
そうした人々にとって、日本における外国人人口が今後50年間のうちに、先進国の平均的な水準に近づいていくことは、危機的なことに見えるに違いない。
実際、昨今、外国人を日本人と異質なものと見なし、その増加は日本社会の秩序や治安を乱すとする報道が多い。例えば、埼玉県川口市に集住するクルド人による地域の治安の悪化、「経営・管理」の在留資格によって日本に滞在するものの、実際には何の経済活動も行わず、日本に溶け込む気もなく、もっぱら日本の義務教育や国民健康保険、高額療養費制度を濫用するリッチな中国人、出稼ぎのために来日する留学生、地域のごみ出しルールを守らず、騒音問題を引き起こす外国人といったナラティブ(話題)である。

■排外主義的な態度が日本の活力を削ぐ
しかし、こういったナラティブは、外国人が日本にどのような動機やメカニズムによって来るのかということを踏まえるならば、およそ荒唐無稽なことばかりである。仮にあったとしてもごく例外的な事例ばかりであり、実際、一部のメディアは同じ事件を何度も繰り返し報道することで、あたかもこういった事件、事故が日常的に起きているかのような印象を与えている。
さらにこのようなナラティブに促されて外国人の受け入れをいたずらに抑制したり、排外主義的な態度をとったりすることは、国際的に見て日本が置かれた有利な条件を見失い、日本社会の活力を大いに削ぐことになるだろう。
欧米諸国も今後はより一層、本格的な少子高齢化を経験する。特に新型コロナ禍が落ち着きを見せ始めた2022年以降、欧米諸国において移民労働者への需要が強まっている背景には、今後のさらなる少子高齢化の中で、労働力の需給が逼迫(ひっぱく)することへの危機感の高まりがある。これは、この間、欧米諸国で急激に進んだインフレやそれに対する中央銀行の金利引き上げといった政策の直接的な原因ともなっている。
■日本だけの「隠された人口ボーナス」
しかし皮肉なことに、欧米諸国はこれ以上移民を受け入れることが政治的に難しい状況にある。欧州では、ドイツ、フランス、スウェーデン、オーストリアなどにおいて、移民排斥を公約に掲げる政党が躍進している。英国は国境管理の破綻を主な理由として、2016年の国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を可決し、その後、離脱した。
また、2025年には、米国で移民排斥など米国第一主義を掲げる第二次トランプ政権が成立した。生産年齢人口がじりじりと減っていく中であっても、これらの国が今後、積極的な移民受け入れに舵を切ることは極めて困難と言ってよい。つまり、欧米諸国は今後、訪れる本格的な少子高齢化を人口構造への直接的なてこ入れではなく、生産性の上昇などの構造改革のみで乗り切る必要があるのである。

では日本はどうか。日本はこれまで移民の受け入れを大々的に行ってこなかったこともあり、実は、シンプルに見て、総人口割合で約10%超の受け入れ余力がある。これは今後、本格化する少子高齢化に直面する先進国の中で、日本だけに与えられた政策オプション――「隠された人口ボーナス」であると言ってよい。
■外国人急増に対する不安の背景
一方、近年、予想外に外国人人口が急増していることに対して不安に思う人も増えている。こういった不安の背景には、これまで日本において「移民政策が不在」であったという認識がある。
これは、「いわゆる移民政策をとることは考えていない」(特定技能制度の創設にかかわる2018年の臨時国会における安倍総理〔当時〕の答弁)といった発言に代表される政府の公式見解にとどまらず、それを批判する側にも共通してみられる点である。
例えば、日本における外国人研究(移民研究)の草分けであった梶田孝道(かじたたかみち)は、1990年代以降の日本の外国人受け入れ政策を「サイドドア/バックドアによる受け入れ」と呼んだ。これは、政府が「単純労働者を受け入れない」という建前にもかかわらず、実際には単純労働者への強い需要があり、それに対応して、「技能実習生」や「留学生」「日系ブラジル人」(サイドドア)、「非正規滞在者」(バックドア)など、本来は労働者ではないカテゴリーを通じた受け入れを行ってきたというものである。
また、こういった受け入れのあり方は永住者を基本とした欧米諸国における移民受け入れとは異なるイレギュラーなものであり、移民政策と呼べるものではないと指摘した。
■根強く残る「移民政策の不在」論
この梶田の学説の強い影響の下、イレギュラーな受け入れの結果として「定住する外国人に対する統合政策が欠如している」という批判も頻繁に行われてきた。例えば髙谷幸(たかやさち)(2019)は、日本の非正規滞在者を対象とした研究で、日本における外国人政策の基本的姿勢は「あらゆる移住ルートを通じた定住化の阻止」であるとする。
こういった批判は日本の政策的な不備を指摘し、その改善を訴えることを目的としている。
その一方で、興味深いことにその対極にある、外国人の受け入れ自体に対して否定的な論者の間にも「移民政策が不在である」といった認識が見られる。
例えば、産経新聞は2023年7月頃以降の日本の外国人受け入れ政策に関する連載の中で、単なる「外国人嫌い(ゼノフォビア)」とは区別される、なし崩しの受け入れによる弊害を指摘し、「欧米の轍を踏むな」とのメッセージの下、移民、外国人の受け入れに否定的な論説を展開している。この前提には日本において「なし崩し」ではない、「計画された移民政策」が不在であるという認識がある。
このように、「移民政策の不在」を問題視し、そこから自らの理想とする状態――外国人受け入れ/排斥――を訴えるという構図自体は、政治的立場にかかわらず、共通しているのである。
■「移民政策不在論」の功罪
こうした「移民政策不在論」の功罪は大きい。その論者にとってのメリット(功)は、現状に対する批判的な視点を提供できることである。これは立場を問わず、自らの理想とする状況に対して、手段面での欠如、不備を指摘するという意味において、建設的なものといえるだろう。
一方、デメリット(罪)は、これまでの日本における外国人に関する政策を「不在」ないしは「その場しのぎのつぎはぎだらけのもの」と一蹴することで、それを体系的に理解する視点が失われ、客観的かつ反省的に次の政策を考えることができなくなってしまうことである。その結果、次にやることも思い付きでいいということになってしまう。実際に「ある」ものを「ない」と名付けることにより、その内容をブラックボックス化することで、批判のための鋭い一撃が、むしろ権力の恣意的な濫用を生むことさえある。
また、諸外国の移民政策の経験を活かすためのプラットフォーム自体を失わせてしまう。「移民政策が不在である」と批判する場合、当然のことながら、政府が実態としてやっていることは移民政策ではないということになり、他国の例を建設的に参照する視点は失われがちである。

その結果、「移民政策の不在論」が、かえって移民の政策の不在を助長するという皮肉な結果を生むことになるだろう。私たちが今すべきことは日本がこれまでやってきたことを体系的に明らかにした上で、その内在的論理の軌跡をしっかりと辿ることである。その上に反省や今後の改善のための方向性が初めて見えてくる。

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是川 夕(これかわ・ゆう)

国立社会保障・人口問題研究所 国際関係部 部長

1978年青森県生まれ。東京大学文学部卒業。カリフォルニア大学アーバイン校修士課程修了。東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(社会学)。内閣府勤務を経て現職。OECD移民政策会合メンバー。OECD移民政策専門家会合(SOPEMI)メンバー。著作に『移民受け入れと社会的統合のリアリティ――現代日本における移民の階層的地位と社会学的課題』( 勁草書房)、『人口問題と移民――日本の人口・階層構造はどう変わるのか』(明石書店、編著)、『国際労働移動ネットワークの中の日本――誰が日本を目指すのか』(日本評論社、編著)、『Recruiting Immigrant Workers: Japan 2024』(OECDとの共著)他多数。

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(国立社会保障・人口問題研究所 国際関係部 部長 是川 夕)
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