インドネシアのジャカルタ~バンドン間の高速鉄道「Whoosh(ウーシュ)」が深刻な資金難に陥っている。運賃収入が伸びず、中国から借り入れた建設費の利払いも満足にできない状態だ。
インドネシア政府は「国家予算は使わない」という立場を維持してきたが、政府系ファンドを通じた債務の再編交渉という、事実上の「公的救済」に乗り出さざるを得なくなった。導入を進めた中国は、甘い需要予測に基づいた投資計画のツケを払わされている。
東南アジアで初の高速鉄道として鳴り物入りで開業してから2年。何が起きているのか。
走れば走るほど赤字が膨らむ惨状は、過去にもプレジデントオンラインで詳報した(「日本の新幹線」を売らずに済んでよかった…「走るほど大赤字」インドネシア新幹線を勝ち取った習近平の大誤算)。債務超過の「時限爆弾」とも言われるウーシュだが、収益改善の見通しは全く立っておらず、インドネシア側は建設費の大半を借り入れた中国に利払いすらできない。
高速鉄道の総事業費は当初計画の約60億ドルから約72億2000万ドルまで膨らみ、その約75%が中国国家開発銀行(CDB)からの長期ローンで賄われている。融資の内訳は大きく二つに分かれる。一つは当初計画分に対する年利2%の借款、もう一つは超過コスト分の約12億ドルを賄うための年利3.4%の追加借款だ。
(参考 The University of Melbourne「The Whoosh debt debacle: what the need for speed will cost Indonesia」)
これらを合わせた借入残高に対し、年間に支払われる利息は約1億2000万ドル、およそ190億円に達する。しかも据置期間の終わる27年からは、元本の返済が重くのしかかってくる。
(参考 VOI「Megaprojects That Ended In Deadlock?」)
■平均乗車率は5割前後で、空席目立つ
肝心の運賃収入はどうなっているのか。
ウーシュは現時点でジャカルタ~バンドン間を1日合計56本運行している。1編成は8両で、座席は合計601席に上るという。単純計算で1日に用意される座席数は3万3656席となる。
一方で実際の利用者数はどうか。開業後のデータでは、平日の乗客数はおおむね1日あたり1万6000~1万8000人、週末でも2万人強にとどまるという。連休や大型のイベント時には2万5000人前後まで増える日もあるが、それでも座席供給の7割程度に過ぎない。
(参考 KCIC「Whoosh Berhasil Layani 6,06 Juta Penumpang Sepanjang 2024」)
一年を通じた平均乗車率に換算し直すとざっくり5割前後になる。週末のピーク時など混雑時を切り取れば「満員」の印象を持つ瞬間があるものの、空席をかなり残したまま走っている便が多いということになる。
ジャカルタ~バンドン間の片道運賃は約25万ルピア(約2300円)で、年間の運賃収入はおおよそ1兆5000億ルピア程度(約140億円)とみられる。これは日々の運行経費や保守費用を差し引く前の数字であり、利益はさらに少ない。これでは2兆ルピアの利払いすらおぼつかない。
(参考 Katadata「Danantara dan Pemerintah akan Berbagi Peran Tangani Utang Kereta Cepat Whoosh」)
■中国の想定なら「乗車率200%以上」が必要
ウーシュを運営するインドネシアと中国の合弁企業PT Kereta Cepat Indonesia-China(KCIC)は、24年通年では4.2兆ルピア(約400億円)の損失を計上した。このうちインドネシア側の中核となる国営のインドネシア国鉄(KAI)が2.23兆ルピア(約200億円)を負担した。
25年前半には利用客増加もあって損失幅は若干改善したものの、それでもKCICは同上半期に1.6兆ルピア(約160億円)の赤字を出した。筆頭出資者であるKAIがその過半を負担する事態となっている。
(参考 detikFinance「Jalan Keluar dari Kemelut Kereta Cepat」)
乗車率が5割という事態に対して「すでにビジネスモデルとして崩壊している」(日本政府関係者)という指摘が出るのも当然だろう。ただ、中国側の当初予測は1日あたり5万~7万6000人前後と想定されており、中間値をとって6万人/日とすれば、現在の平均利用者(2万人前後)の3倍に近い数字だ。
現在の1日あたりの供給座席3万7000強の前提のままで6万人を運ぼうとすれば、必要な乗車率は160%を超える。7万6000人なら200%以上となり、「二人がけの席に四人詰め込む」ようなもので物理的に不可能だ。実際には列車本数を増やしたり、編成を2本連結して16両にするなどの手段で席数を増やせるが、それには追加の車両投資と運行コストの増加が伴う。
言い換えれば、元の予測が描いていた数字は、運転本数と編成容量を大幅に「盛った」シナリオであった。現在のような運行規模とは前提条件が異なっていたということになる。つまり、現在の形で運行を続けていては、中国側の当初の予測を満たすことは不可能だ。
■「日本案なら利払いは20分の1で済んだはず」
数字を素直に並べると、利息はおろか、元本返済まで視野に入れれば今後の見通しはまったく立たない。
「日本案なら利払いは今の20分の1で済んだはずだ」。ウーシュの建設費を巡って、インドネシアの政府関係者からこんな声が漏れる。現在のような巨額の利払いを抱える状況は、超低金利の日本案では生まれなかった構図だ。それでもインドネシア政府は「国家予算を使わない中国案」を選んだ。その背景には政治上の思惑が背景にうごめいていた。
日本の提案は、数字だけ見れば極めて有利だった。事業費は約62億ドルを想定し、その75%を日本の円借款で賄う。金利は年0.1%、返済期間40年、うち10年据え置きというかなりインドネシア側に譲歩した条件だ。残り25%はインドネシア政府の国家予算から拠出し、インドネシア政府の債務保証が付く。典型的な政府間協力(G to G)方式だった。
(参考「JICA “Feasibility Study for Jakarta-Bandung High Speed Railway Project”」)
単純計算で47億ドル前後を0.1%で借りた場合、年間利払いはせいぜい数百万ドルにとどまり、現在のウーシュが抱える約1億2000万ドルの利払い負担とは桁がまったく違う。
■中国の金利は、日本案と比べてはるかに高い
対する中国案は資金スキームの設計が異なり、コストの見積もり自体は55億~60億ドルと日本案よりやや低い金額に抑えていた。
資金の75%を中国国家開発銀行(CDB)からのローンで処理する点は同じだが、金利は当初計画分が年2%、超過予算分が3.4%と、日本案に比べればはるかに高い。その代わり、インドネシア政府には「債務保証も国家予算からの拠出も求めない」とした。
(参考 Journal of Indonesian Social Sciences and Humanities「China’s Economic Diplomacy Towards Indonesia’s Development」)
融資の借り手はインドネシアと中国の国営企業で構成する合弁会社で、政府から見れば形式上、借金から距離を置ける企業対企業方式(B to B)である。ここでインドネシア政府が評価したのは「借金は企業が負う。国家財政には直接関わらない」という仕組みであった。
(参考 ISEAS「Why is the High-Speed Rail Project so Important to Indonesia」)
インドネシア政府は日中の激しい受注競争の末、「コストが安く、政府保証のない」中国案を選んだ。当時のジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)前大統領が財政規律に配慮したことや、19年に大統領選挙を控えていたことが影響している。「選挙までに完成させて、わかりやすい実績にするために急いだからだ」(先の政府関係者)との指摘も上がる。
こうして選ばれた「国家予算を使わない中国案」は、短期的には政治的な勝利をもたらした。ジャカルタ~バンドン間の高速鉄道は中国資金とインドネシアの国営企業の出資で16年に起工し、中国が進める「一帯一路」構想の象徴としてアピールされた。
しかし、蓋を開ければ赤字が膨らみ、巨額の利払いに迫られるようになったことはすでに書いた通りだ。
■返済期限を延ばして、金利を下げる
インドネシア政府は「国家予算をウーシュ救済に使わない」との立場をとっている。そこで登場したのが、今年始動した政府系ファンドのダナンタラだ。
このファンドは、国営銀行や国営石油など主要な国営企業の株式を束ねる。表向きは国家予算の負担を避けつつ、実際には国営企業からの配当を原資に債務負担を吸収する構図を描く。つまり、本来は国の資産のはずの配当を「流用」する形で、形式上は国家予算を通さないように見せかけている。
(参考 Katadata「Danantara dan Pemerintah akan Berbagi Peran Tangani Utang Kereta Cepat Whoosh」)
ダナンタラと政府はすでに中国側とウーシュの債務再編について交渉している。
主な論点は、①返済期間を40年から最大60年へ延長すること、②当初計画分のドル建て2%と超過分の人民元建ての3.4%に分かれた金利を引き下げること、③ドル建ての一部を人民元建てに切り替え為替リスクを調整すること、の三つだ。
名目上の元本は減らさず、返済期限を延ばし金利を下げる。これは、帳簿上の元本は削減されないが、現在の価値で見れば中国側が一定の負担をのむ「ソフトな値引き」に近い。
(参考 Framing NewsTV「Restrukturisasi Utang Whoosh 60 Tahun Dinilai Tak Selesaikan Masalah, Celios: Proyek Tidak Direncanakan Secara Prudent」)
■事実上の「踏み倒し」に近い
中国にとっては一帯一路の旗艦案件を債務不履行(デフォルト)させない代わりに、利息収入の一部を放棄する妥協である。インドネシアにとっては毎年のキャッシュフロー負担を和らげる措置となる。
要するに、個人の借金で例えると「自己破産して借金を踏み倒さないようにするから利息も下げて返済期限も伸ばして欲しい」と頼み込むようなものだ。
ただ、実際には元本が返済される可能性は極めて乏しく、事実上の「踏み倒し」に近い。別のインドネシア政府関係者は「中国側も習近平のメンツを守るためにこの条件をのまざるを得ない」と話す。ダナンタラのロサン・ロサニ最高経営責任者(CEO)は今月2日、債務再編交渉で訪中すると発表しており、交渉の行方が注目される。
この交渉チームにはプルバヤ財務相も同行する方向で調整を進めているという。別のインドネシア政府関係者は「今回のスキームならデフォルトを起こして中国の習近平のメンツを潰さなくても良くなる」と話す。
(参考 Reuters「Indonesia has entered talks with China on high-speed train debt, minister says」)
■「日本の新幹線」は“既定路線”のはずだった
ウーシュをめぐっては、「中国は日本の事業化調査(FS)の成果を盗んだのではないか」という見方が日イ双方の関係者の間でくすぶり続けている。
違法な「盗用」やスパイ行為と断定できる証拠はない。だが公開資料と関係者証言をつなぎ合わせると、日本が長年かけて築いたFSの土台の上に、中国案が短期間で組み上げられた構図が浮かび上がる。
そもそも日本は、構想と調査で先行していた。2008年ごろから日本政府と国際協力機構(JICA)が、ジャワ島ジャカルタ~スラバヤ間の高速鉄道構想を本格的に検討。その第1期区間候補としてジャカルタ~バンドンを位置付けた。
12年には経済産業省の支援の下でプレ・フィージビリティスタディ(Pre F/S)が行われ、既存高速道路沿いなど複数ルートが比較された。
13~14年にかけてはJICAが本格的なFSを実施。これはルート・地質・税制・需要ポテンシャルまで含めた包括的な調査であった。ジャカルタ~バンドンにとどまらず、ジャワ島東部の国内第二の都市スラバヤまでの延伸構想を含んでいた。
4~15年前半にかけてインドネシア側に正式提出され、日本案は一時「既定路線」に近い扱いを受けていた。
(参考「Feasibility Study for Jakarta-Bandung High-Speed Railway Project (As a part of Jakarta – Surabaya) Phase I」)
■日本が土台をつくった案件に、中国が“乗った”か
構図が変わるのは15年の中国参入だ。中国は15年夏ごろに調査を開始し、わずか数カ月の期間でFSを完了した。
15年9月に公表されたインドネシア内閣官房の発表は、「日本が高速鉄道プロジェクトの第1段階FSを完了した後、中国政府がこの事業への関心を表明した」と明記。日本側の計画は政府間の円借款スキームであり、インドネシア政府が予算を手当てすることを条件としていたと説明した。
それに対し中国は、政府保証や国家予算投入を求めないビジネス・スキームを提示したという。「より安く、国家予算を使わない案」として中国案を評価したとしている。
同月末、インドネシア政府は正式に「高速鉄道は中国案を採用する」と発表した。その後、中国とインドネシアの国営企業が15年10月に正式に契約を締結。運輸省が16年1月にルート許可を出し、起工式が行われた。
こうして時系列を振り返ると、「日本が構想し、FSで土台をつくった案件に、最終段階で中国案が“乗った”」という疑いが濃いことがわかる。
ただ、仮にインドネシアが日本案を中国に提供していたとしても、法的に違法とまでは言い難い。JICAの調査はインドネシア政府の要請にもとづく協力事業で、競合国に「参考材料」として参照させること自体を咎める手立てはないからだ。実際に、日本政府やJICAも、「盗用」や「スパイ行為」として公式に抗議していない。
しかし、インフラ輸出時の情報の保全などについて大きな教訓となったことは事実だ。
■「日本の新幹線」でも泥沼の争いになった可能性
この高速鉄道をめぐって、たびたび持ち出されるのが「もし日本案が採用されていたら」という仮定だ。日本側の需要予測は開業時4万4000人/日、2050年には14万8000人/日と想定されていた。
残念ながら、現実の実績の2倍強を当てこんだ時点で中国案と大差ない。日中双方とも自動車利用者が大量に高速鉄道に乗り換えることを前提としていたことは共通しており、同じ「病」を抱えていたと言わざるを得ない。
コストの面でも日中は始発と終点の駅の位置を除きルートは大部分が共通する。そのため、ジャカルタとバンドンの都市中心部に駅を設置し直通で結ぶ日本案は、郊外の開発前提で駅位置を決めた中国案よりも土地収容コストがかかる。
全体的な工期も長引いた可能性が高い。事情に詳しいJICA関係者は「開業は早くて今年だった可能性もあり、超過コストをめぐりインドネシア側と泥沼の争いを繰り広げていただろう」と話す。
もし日本案が採用されても、乗客数や採算性の根本的な問題は日本案でも変わらない。「黒字の新幹線」にはなりえなかったことは間違いなさそうだ。
■今後の“インフラ輸出”の教訓に
こうした重い課題を抱えながらも、インドネシア政府はなお「ジャカルタ~スラバヤ延伸」の夢を手放していない。延伸距離は約700キロに及ぶとみられるが、現行の区間だけでも「利払いが運賃収入を上回り、40年たっても採算が見えにくい」という状況だ。高速鉄道をスラバヤまで伸ばすのは、財政的にも政治的にもハードルが極めて高い。
インドネシア政府の一部には「今からでも延伸部分は日本に頼めないか」とする声が上がっている。これに対し、ある国際協力機構(JICA)関係者は「日本人にとって新幹線は技術の結晶として宗教的な重みがある存在。先行していた日本案を一度断った以上、世論が許さない」と難色を示す。
日中の思惑が交差する中で生まれたウーシュは、前政権からの重い課題として現政権に受け継がれた。どういう方法で解決するにせよ、インドネシアが支払う代償は大きい。国家予算を投入しないという玉虫色の方法を選んだツケは、もはや避けられない。
そしてウーシュは、日本にとっても単なる受注競争の勝敗にとどまらない教訓をもたらした。ホスト国が国際協力によるFS成果をどう扱い、どこまで他のパートナーに共有しうるのか。どこからが正当な協力で、どこからが不公正なフリーライドなのか。また、新興国へのインフラ輸出とは誰のものなのか。
インドネシアの高速鉄道は、インフラ外交のルールづくりとリスク管理のあり方、インフラを輸出する側、受け入れる側の姿勢など、多くの重い問いを投げかけている。
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赤井 俊文(あかい・としふみ)
「ジャカルタ日報」編集長・共同創業者
業界紙、時事通信社記者を経て独立。フリージャーナリストとしてネットメディア、週刊誌に寄稿実績を積んだ後、インドネシアを起点にASEANのニュースを日本の読者に伝える。
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(「ジャカルタ日報」編集長・共同創業者 赤井 俊文)

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