※本稿は、イザベル・C・ハウ(著)、高山 真由美(翻訳)『自ら学ぶ子どもの育て方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■銃乱射事件を起こした殺人犯の背景
アメリカの精神科医・スチュアート・ブラウンは50年以上にわたって人間の遊びを研究してきました。ブラウンがこのテーマに興味を持ちはじめたのは、ある惨事が原因でした――1966年にテキサス大学で起こった銃乱射事件です。
当時テキサス大学で精神科の若き助教授として働いていたブラウンは、「タワー委員会」と呼ばれる調査チームに加わりました。委員会の名前は、犯人のチャールズ・ホイットマンが銃を乱射した大学の本館「テキサスタワー」にちなんだものです。
ホイットマンは15人を殺害し、31人を負傷させました。これは当時としてはアメリカ史上最悪の大量殺人事件で、委員会はこの事件が発生した背景を調べ、解き明かすことを命じられたのです。25歳で既婚の学生だった、犯罪歴もないホイットマンが、ふだんは感じがよく頭脳明晰だった男性が、なぜこのような凶行に及んだのか?
■小児精神科医は「もっと遊んでいれば」と嘆いた
4カ月以上にわたって、多分野の専門家を擁する委員会がホイットマンの人生のすべての側面を徹底的に調査しました。過去の断片をつなぎ合わせるにつれ、ホイットマンの暴力的な行動の原因となった可能性のあるものが多数浮かびあがってきました。
それらを熟考するあいだ、名高い小児精神科医で委員会のメンバーでもあったロバート・スタブルフィールドはくり返し遊びの重要性を強調し、「この男がもっと遊んでさえいれば」と嘆きました。
最終的に委員会が満場一致で到達した結論は、ホイットマンが凶行に及んだ根本的な原因は権威主義的な父親からの虐待による慢性的な抑圧である、というものでした(ホイットマンには脳腫瘍もあり、これが扁桃体を圧迫していました。当時の委員会では脳腫瘍の重要性は取り沙汰されなかったのですが、当時から60年近く経過するあいだに脳生理学の理解が格段に進み、神経学の専門家たちが根本原因のもうひとつの可能性として脳腫瘍は当時考えられていたよりもはるかに重要であると認めたのでした)。
■危険な暴力行為に走る人は「遊びの経験」が少なかった
ブラウンは研究助成金を確保し、遊びの意味をさらに探りつづけました。殺人をおかして刑務所に入っていた複数の男性受刑者にインタビューをして、彼らのバックグラウンドを、犯罪歴のない対照群の人々と比較しました。同時に、研究者としての職務の一環として、重大な運転違反で有罪になったのちに自動車事故で死亡した人々の経歴をまとめました。
この調査によって、受刑者と違反運転者のあいだの驚くべき類似が見えてきました。どちらのグループも、それぞれの対照群と比べて、幼いころにそれほど遊んでいなかったのです。この発見により、危険行動や暴力行為をする傾向のある人々には、遊びの経験が著しく不足していることが明らかになりました。
ブラウンは次のように述べています。「わたしが研究対象とした殺人者たちのなかに、友達と取っ組み合いの喧嘩をしたことのある人はひとりもいませんでした。こうしたノーマルな範囲での喧嘩や、ときに対立しながらも友達関係を保つ能力というのは、動物にも人間にも欠かせない基本的な要素のひとつなのです」。
社会性を要する遊びについてのこの研究は、アタッチメントと向社会的行動の関連についての研究とよく似ています。幼少期に受けた扱いは、感情を抑える能力や認知能力に大きく影響します。子どもから友達付き合いや遊びを奪うのは、温かい人間関係や健全な脳の発達を阻害するのと同じことです。
もちろん、幼いころに遊び時間が大幅に足りなかった人がみんな大量殺人犯になるわけではありませんが、多くが人間関係を築いたり学習を進めたりするうえで困難に直面します。
■遊びを奪われた動物はつがいになれない
哺乳類のほかの種が取っ組み合いの遊びをする機会を取りあげられると、敵と味方を区別できなくなり、ストレスに対して過剰な反応を示し、通常より神経接続に複雑さの足りない小さな脳ができあがってしまいます。実際、遊びは脳の生存本能をつかさどる中枢に深く染みこむのです。
遊びは動物に欠かせない、持って生まれた本能によるもので、小型の哺乳動物の場合には大脳皮質を除去されても、無傷な個体と同じくらい活発に遊びつづけます。しかし成長すると、大脳皮質のない個体は社会スキルを身につけられず、つがいになることができません――愛することができないのです。
自分より大きな動物に遭遇して身の危険を感じると、どちらのグループも隠れますが、大脳皮質がないほうは脅威が去ったずっとあとまで隠れたままです。そうやって、すでにいもしない捕食者を避けようとして飢え死にしてしまうこともあるのです。
人間の脳もこうした小動物の脳と同じように、遊びが生存本能のエリアから生じます。大脳皮質は学習と情緒的な安定にとってきわめて重要な部位ですが、遊びはその大脳皮質における神経接続の形成に役立つのです。遊びを奪われて育った子どもはたいてい、人間関係を築いたり経験から学んだりするのが苦手です。
■遊び中心の幼稚園に通った園児のその後
遊びは社会行動の原動力となります。
ミシガン州イプシランティの「ハイスコープ教育研究財団」が実施した1997年の研究では、恵まれない環境で遊び中心の幼稚園に通った子どもたちのほうが、きちんと組み立てられた授業中心の幼稚園に通った子どもたちと比べて、のちの人生でよりうまく社会に適応できることが判明しました。
23歳になるころには、授業中心の幼稚園に通った子どもの3分の1以上が重罪で逮捕されていましたが、遊び中心の幼稚園に通った子どもの逮捕率は10パーセント未満でした。これに加え、成人してから停職処分を受けた人の割合を見ても、遊び中心の幼稚園で育った子どもでは7パーセント未満でしたが、授業中心の幼稚園で育った子どもでは25パーセント以上でした。
■幼少期の遊びは他のもので代替できない
幼い子どもの頭と体の発達において――最も幼い子どもでは、友情の発展においても――遊びが果たす役割はほかのものでは替えがききません。国連は、すべての子どもの基本的な権利として遊ぶことを挙げています。遊びはそれほどに重要なのです。遊びは子どもが認知的、身体的、情緒的、社会的能力を築くための土台となります。
「発達心理学者、神経科学者、教育の専門家のほぼ全員が、子どもの発達を促し、のちの人生でうまくやれるように準備をさせる最良の方法として、0歳から7歳までの子どもによく遊ぶことを勧めています」とサイエンティフィック・アメリカン誌でも報じられています。
■成績を上げる原動力の「遊び」が学校で削られている
長いあいだ、教育の焦点は直接の指示をこなすことと宿題をすることに合わせられてきました。それが成功への近道と思われていたのです。友情や遊びは暗黙のうちに気晴らしのようなものと捉えられ、場合によっては学業の邪魔になるとさえ見なされてきました。
子どもが自由に遊べる時間はおおいに縮小し、1981年から1997年のあいだに4分の3になりました。学校では、休み時間や遊びの時間が削られ、子どもたちが平日に学校で友達づくりに専念できる時間が限られてしまいました。
教育の専門家、ジョン・ハッティは、教育成果を左右する要因について、これまでで最大規模の総合的な研究をしました。2021年、ハッティは合計10万件を超える教育関係の研究を対象に、2100件のメタ分析をおこない、友達との遊びが学習に大きくポジティブな影響を与えることを示しました。
■学業の失敗や挫折にも対応できる子に育つ
親友がそばにいるとネガティブな感情が減り、ストレスホルモンのレベルが低下し、自尊心が高まるのです。何か大きなストレスになる出来事があったあとに、支えになってくれる友人たちと話すと、ストレスホルモンのレベルが迅速にふだんどおりに戻ります。友情による保護効果のおかげでレジリエンスが育ち、子どもたちは社会的な挫折や学業での失敗に対処できるようになるのです。
思春期の子どもに関する研究で、ペアで作業をすると、ひとりで作業するよりも主体的ですばやい学びにつながり、作業の実行力も上がることがわかっています。そして学習パートナーとのあいだで友人としての関係が深まるほど、学びの質も上がります。
そばに友達がいると、子どもは新しい物事に自分から進んで挑戦するようになり、頭を使って考える難題にもどんどん取り組みます。一方、ひとりで勉強していると意欲が低くなることもあります。
■いじめや暴力は学力にも影響する
ただ、これとは反する事実もあります。ハッティのメタ分析で、いじめられたり無視されたりした経験のある子どもは学校の成績や出席率が下がることがわかっています。
幼い子どものデータは少ないのですが、暴力にさらされた子どもに関する調査のひとつでは、2歳から5歳までの子どもの20パーセントに身体的な暴力を受けた経験があり、15パーセントが言葉でからかわれたことがあるという結果が出ています。
心理学者のロイ・バウマイスターは社会的な苦痛の複雑さを研究の対象とし、拒絶・排除されたときの情緒的な反応が、社会での自分の居場所を求める気持ちとどう絡みあっているかを探りました。バウマイスターの研究によって、社会的苦痛が精神的健康にどれほど深い影響を与えるかが明らかになり、社会との断絶による苦しみが体の痛みと同じくらい強い影響を及ぼすことが示されました。
■遊び時間の長さは学習能力に影響する
これは教育にも言えることです。社会的な拒絶や排除を経験した生徒には、知的思考力とセルフコントロールの能力に低下が見られます。社会的な苦痛は、集中力を阻害し、学習プロセスの妨げになるため、全体的な学業成績の低下につながるのです。
長年、遊びの重要性に関するエビデンスは増える一方です。研究者たちは、遊びが――とりわけ人との関わりを要する遊びが――脳の発達に深く有益な影響を与えることを示しつづけてきました。実際、子どもの遊び時間の長さが学習能力に多大な影響を及ぼしています。積もり積もったエビデンスが、もっと子どもの遊びの機会を増やすようにと、親や教師を促しています。
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イザベル・C・ハウ
スタンフォード学習促進センター責任者
2児の母。
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(スタンフォード学習促進センター責任者 イザベル・C・ハウ)

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