※本稿は、Rita『自由で、明るく笑って過ごす スペイン流 贅沢な暮らし』(大和出版)の一部を再編集したものです。
■スペインの街でよく目にする光景
スペインで暮らしていて、よく目にする光景は、感情をさらけ出す人々の姿です。
泣きながら友人に気持ちを吐き出す人。
あるいは、子どもと一緒に歌を口ずさみ、周囲を笑顔にする親子。
そして、ストリートパフォーマンスでバイオリンが奏でられると、その場で足踏みして、踊り出す人もたくさんいます。
日本では「人前で感情をあらわにするのは恥ずかしいこと」と思われがちですが、スペインではそれが日常の一部として、自然に存在しています。
最初の頃の私は、そんな光景に圧倒されて、「こんなに感情をさらけ出して大丈夫? 恥ずかしくないの?」と、胸の奥で何度もつぶやいていました。
ところが、不思議なことに周囲の人たちは誰ひとり気にする様子がありません。
怒りに震える人の隣で本を読み続ける人もいれば、泣きながら話す人の前でイヤホンを耳にして音楽に没頭する若者もいる。
バイオリンの音色に合わせて踊り出した人を見て、「素敵ね」と微笑みながら小銭を投げ入れる通行人もたくさんいます。
みんながそれぞれの世界を持ちながら、同じ空間を自然に共有しているのです。
その光景は、まるで「人間は感情のある生き物。だから表に出すのは当然でしょ?」
と、街全体から言われているようです。
特によく見かけるのは、地下鉄やエレベーターの中で突然始まる電話の会話です。
「ママ、今何してるの?」「今日、仕事で嫌なことがあってさ……」と、まるで自宅のリビングでくつろいでいるかのような自然さで話し出す人々。
最初の頃の私は耳をそばだててしまい、「こんな個人的な話を、人前でするなんて」と戸惑いました。
■「感情をさらけ出す」ことは弱さではない
そしてある日、一緒にいたスペイン人の友人に聞いてみたのです。
「こういう話って、聞かれて恥ずかしくないの?」。
すると不思議そうな顔をして、笑いながらこう答えました。
「だって、秘密じゃないでしょ? みんなにも起こることなんだから。隠す必要なんてないじゃない」。
その言葉を聞いた瞬間、まっすぐ突き抜けた気持ちになりました。
私は長い間、「弱いところを見せたら恥ずかしい」「人前では完璧でいなければならない」と思い込み、自分の感情を押し殺してきたところがあります。
泣きたいときも笑いたいときも、なるべく人に気づかれないようにして過ごす。
それが「礼儀」であり、「大人」であり、「強さ」だと信じていました。
でも、スペインでは違いました。
ここでは誰もが感情を隠さずに生きていて、それがむしろ人間らしい魅力になっている。
感情を出すことが、弱さではなく、自然体として受け入れられている。
私は思いがけない気づきに驚きながらも、不思議な安堵が広がっていきました。
■友人の前でさめざめと泣いてしまうことも…
そして気づけば、私自身も変わっていました。
スペインで暮らすうちに、喜怒哀楽をはっきりと表現するようになったのです。
嬉しいことがあれば大きな声で喜び、友人に会えば自然にハグができるようになり、時にはカフェでコーヒーを飲みながら、さめざめと泣いてしまうこともありました。
このとき、隣に座っていたおばちゃんが、何も聞かずにそっと手拭きをいっぱいくれたのです。
その優しさにまた涙があふれて、「いいの、いいの、泣きなさい」と微笑んでくれ、さらに涙が止まらなくなったことがありました。
最初は「こんな自分、恥ずかしい」と思ったものです。
でも、周りのスペイン人たちは「それでいいのよ、あなたらしくていい」と言ってくれる。
そのあたたかさの中で、私はようやく気づきました。
日本では「感情をコントロールできる人こそ大人」という価値観が根強くあります。
それはもちろん素晴らしい文化でもありますが、ときに私たちを苦しめることもあります。
泣きたいのに泣けない、怒りたいのに怒れない。
感情を抑えることが“立派さ”の証になる一方で、心はどんどん窮屈になっていくような気持ち。
スペインの人々に出会ってから、その対比を痛烈に感じるようになりました。
感情を出せるのは弱さではなく、人として自然に息づいている証だと感じます。
バイオリンの音色に心を奪われたなら、誰かの目を気にせず、その美しさに身をまかせていいのです。
それこそが、人生の豊かさなのだと、スペインの街角で教えられました。
■「思いやり」は即座に行動になる
スペインでたびたび、重いスーツケースを階段で運ぶことがありましたが、驚くべきことに、今まで100%、「俺が持つよ!」と必ず周囲の男性が声をかけてくれたのです。中には走り寄ってきてくれた人もいました。
たまたま通りかかった男性、友達との待ち合わせで立っていた男性、新聞を読んでいたおじさん、一緒に電車に乗車していた男性。
彼らの職業も年齢もバラバラでしたが、共通していたのは躊躇のない行動力でした。
重そうなものを持っている人を見れば、考えるより先に体が動く。
それがスペイン人の自然な反応です。
■誰かの困りごとはみんなで解決すればいい
またある日、荷物の受け取りで郵便局に行ったときのことです。
受付の番号札の種類がわからず、翻訳アプリと格闘している私を見て、ひとりの女性が近づいてきました。
「あら、不在票持ってきたのね? だったらこのボタンよ。ほら、押してみて」
そして番号札が出てくると、
「あと5人ね。この辺りで待ってるといいわ。私、前にあっちで待ってたら番号呼ばれても聞こえなくて困ったのよ」
と、まるで娘に話しかけるような優しさで教えてくれたのです。
見ず知らずの人に、これほどまでに親身になってくれる、そのあたたかさに胸が熱くなりました。
もっとも印象深い出来事は、小銭しか使えないバスでのことでした。
うっかりカードしか持っていないことに気づき、どうしようと困っていると、先に乗車していた女性が振り返り、「小銭ないの? じゃあ、これ使って!」
と、彼女は迷うことなく自分のお金を私に手渡してくれました。
私が返そうとすると、
「返さなくていいから。気にしないで!」
とにっこり微笑んでくれ、一瞬、信じられない気持ちになりました。
ただそこにいた、知らない人に、なぜそこまでしてくれるのか……。
これらの出来事は、スペインでは決して珍しいことではありません。
「誰かの困りごとは、みんなで解決すればいいじゃない」という共通の意識が根づいているのです。
困っている人がいれば、できる範囲で手を貸すことが、当たり前の光景。
助けるほうも助けられるほうも、お互いに気負いがありません。
大げさな感謝の言葉も、遠慮の駆け引きもありません。
「ありがとう」「どういたしまして」という簡潔なやりとりのあと、それぞれが自分の道を歩んでいきます。
■自分と他人の境界線がやわらかい国
その行動そのものが、彼らの優しさの表れだと思います。
「誰かとつながりたい」「困っている人を放っておけない」という気持ちを、素直に行動で体現しています。
もちろん、親切心にも人それぞれの濃淡はあります。
しかし、この国に根づいている「助け合い」の文化は、確実に多くの人の行動に影響を与えていると思います。
日本では「人に迷惑をかけてはいけない」「自分のことは自分で解決すべき」という意識が強いものです。
一方、スペインではその境界線がもう少し曖昧で、お互いに支え合うことが自然に受け入れられています。
この「自分と他人の境界線がやわらかい」感覚は、異国で暮らす私にとって新鮮でもあり、同時に大きな安心感をもたらしてくれました。
それは言語を超えた真のコミュニケーションなのかもしれません。
困っている人を見かけたら、理由を考える前に声をかける。
その自然な行動力こそが、真の思いやりだと思います。
こうした体験を重ねるうち、私の心にも小さな変化が生まれました。
重い扉を開けてあげる、大きな荷物を一緒に持つ、固い瓶の蓋を開けてあげる、ティッシュをそっと差し出す……。
ほんの小さなことでも、心の中で「手伝ってあげたいな……。でも、きっと大丈夫よね」と躊躇していた気持ちを手放し、迷わず「お手伝いしましょうか?」と声をかけるようになりました。
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Rita
旅暮らしエッセイスト
日本で結婚・子育て・離婚を経て、あるとき「これからの人生、まだ何か新しいことに挑戦できるかも」と、突然スペイン留学を決意。英語もスペイン語もできない状態からのスタートで、3年間の留学生活を送る。現在はスペインを拠点のひとつにして、各国を旅しながら、SNSや連載を通して、旅で見つけた暮らしや文化を伝えている。
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(旅暮らしエッセイスト Rita)

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