なぜ人はネット上で他人を叩いてしまうのか。中央大学教授の岡嶋裕史さんは「Xなど自由に意見が言えるプラットフォームは、努力して何かを成し遂げるよりも最も簡単に社会に爪痕を残せる場所となった。
それゆえにウソの情報であっても多くの人の注目を集めるために罵倒や誹謗中傷を繰り返してしまう」という――。
※本稿は、岡嶋裕史『子どものSNS禁止より、大人のX規制が必要な理由』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■平等に意見を言えるプラットフォームの“ウラの顔”
SNS利用規制は、その対象をSNSではなく、Xなどの拡散系サービスに置き換えるなら消極的賛成です。ただし主たる対象を子どもに絞る必要はなく、むしろ大人を保護しなければなりません。
Xは直接民主制に最も近づいたツールだったのかもしれません。クラスター係数*と平均経路長*がともに小さいサービス、すなわち個人が個人として世界と対峙(たいじ)できるツールです。

※クラスター係数:ネットワークにおいて自分の友だちの友だちも友だちである確率を示し、クラスター係数の値が大きいと友だち同士のコミュニティが密接だと言える。

※平均経路長:自分から特定の人にたどり着くのに必要な友だちの数。
ページビューとクリックはある意見を支持する意思表示です。選挙で一票を投じて政党を応援するよりも、株を買ってその企業を支えるよりも、ずっと即時的に直接的に自分の意見を表明できます。自分の意見が常に投票にさらされていると言ってもいいでしょう。
でも、みんなが平等に意見を言い合えるプラットフォームは、みんなが分け隔てなく罵詈雑言をぶつけ合える荒野でもありました。


七つの海ほど振れ幅のある意見を調整して建設的な落としどころを見つけるのは、政治的、金銭的動機のある職業政治家でも難しいですが、「みんな平等」の状態にある大衆がそれを行うのはほぼ不可能です。
では、これらの社会の動きに、人々はどう順応したでしょうか。答えはすでに明示されています。人をぶっ叩きました。
■なぜ自殺に追い込むまで叩き続けるのか
のほほんと暮らしているだけで、役割や居場所が与えられることはなくなりました。だからといって、何事かを成そうと一念発起しても茨(いばら)の道ですし、成したと思った瞬間に多様な切り口で叩かれます。
そんな状況下で非常に費用対効果の高い行為があります。Xで称賛してもらうことです。Xであれば、一言つぶやくだけで万バズ、億バズが得られるかもしれません。
たとえば、「徹夜を繰り返し、爪に火をともして作った同人誌を100部売る労力と世界へのインパクト」と比べると、脅威のコスパです。人生を切り拓いたり、ものづくりに身命を賭したりするより、ずっと簡単に始めることができます。
自分のやったことで社会に爪痕を残したい、居場所を確保したいという思いは、誰でも持っている強い欲求でした。
今やその欲求は、SNSや拡散系サービスの評価で得られます。これらでバズるために必要なのは、よい成果物や著作物ではありませんでした。
「いいね」獲得のために投下される成果物は捏造でいいのです。よいもの、本物を作るのは時間が惜しいし、高度なモノ、理解に時間のかかるコトは大衆から「いいね」を引き出す役には立ちません。
これを繰り返すと、社会や自分をよくすることが行動の目的にはならず、刹那的な狂騒こそが最適化された行動になります。「意味を考えると波に乗り遅れる。人を自殺に追い込むまで思考停止する」といった行動が常態化します。
■システムの中で踊らされている人々
成果物を出力できない人は、たとえば消費社会が進行して以降は、何かを買うことで承認欲求を満たすこともできました。これは過去のいくつかのムーブメントからも明らかです。しかし、SNSや拡散系サービスでの評価は、それよりずっと簡便で、人の怠惰さに寄り添った方法です。圧倒的な人気を集めるのもうなずけます。
自分が社会に対して何かをなし得ると思えない無力感は、複雑な社会システムがはらむ構造的な問題です。
そしてこのシステムは複雑なだけでなく、むしろ自律的に人間をそそのかします。爪痕を残せない人は、プラットフォームでの評価に生きる意味を(短絡的に)見出し、そのシステムの中でよりよく振る舞おうとします。システムに踊らされている状態と言っていいでしょう。
恐ろしいのは、このシステムに設計者がいることです。
システムが予め悪意を持って作られていたわけではありません。しかし、この構造が明らかになって以降、資本と技術を持つものは、人間の生活を囲い込み、制御し、競わせるシステムを手にすることが可能になりました。
もちろん政治や大資本は、こうしたシステムを作ることを1000年、2000年も前から繰り返してきました。猟官制にも、宗教戒律にも、その意味を汲み取ることができます。でも、こんなに効率のいいモルモットの回し車は歴史上存在したことがありません。
■パクツイでも多くの注目を集められる
投稿量の140文字制限もとてもいい数値です。長い文を書かない/読まない、よいエクスキューズになります。国語で140文字の記述問題が出たら、それなりに「げっ」と思いますが、これで世界にコミットできるのであれば安いものでしょう。

選挙で票を投じるよりも、アート作品やなろう小説*や週末アプリ開発で社会に打って出るよりも、ずっとずっと簡単です。何ならポストさえせずに、誰かに「いいね」をするだけでもいいです。X上の推しが天下を取れば、「いいね」をクリックしただけの「私」も社会に承認された気分になれます。

※なろう小説:投稿サイト「小説家になろう」発の作品群。一時期、ライトノベルやアニメのトレンドに大きな影響力を有した
140文字を考える/打鍵するのが面倒なら、いっそ誰かのコピペでも十分です。パクツイ*で万バズを獲得する人もたくさんいます。

※パクツイ:他人の投稿を盗用して、自分の発言として投稿すること。手間をかけずにアテンションを稼ぎ、注目を集める手法
後でコピペがばれて炎上するかもしれませんが、多くの場合やったもの勝ちで、何なら炎上を利用してさらに知名度を上げることもできます。1億の人が見てくれた、1万の「いいね」がついた、は手軽に始められ、成功すれば一部上場企業入社よりも大きなインパクトを人生にもたらすアクティビティです。
■人の心を刺激する投稿が流れてくる理由
このアクティビティに弱点があるとすれば、なかなかバズらないことと、バズって承認され、自分の居場所を勝ち得たと陶酔できる時間の短さです。
どうやったらバズらせられるのか、確実なレシピはありません。でも、バズりやすいコンテンツは経験則でわかっています。

感情をゆさぶるものがいいです。猫のショート動画? それも悪くないですが、人に負の感情をもたらすものは、それをさらに上回る人気があります。
誰かが不正に得をしている、誰かが違反行為をしているのにのうのうと生きている、誰かが偉そうなことをどや顔で発言して悦に入っている、といったコンテンツなら、大きな反響を得ることができるでしょう。
それがわかっているので、ページビューが広告収入、ひいては存在価値に直結するプラットフォーマーは、人の心をささくれ立たせるような投稿をタイムラインで推してきます。発信者になる場合、罵声を浴びる覚悟さえしてしまえば、アテンションはいくらでも作れます。
「アテンションエコノミー」とは、情報過多の状況において、人に注意を向けてもらうことの稀少性を表現した言葉です。注意を向けてもらうことで、それを換金できるわけです。
■承認欲求を満たせてもそれは一瞬だけ
でも、この言葉はさらに拡張できると思います。お金にならなくても、人はアテンションを欲しがっています。注目を浴びることで、極めて俗な言い方をすれば承認欲求を満たすことができ、その延長線上に居場所を確保できた安心感が発生するからです。
しかし、まさにその情報過多ゆえに、獲得に成功したアテンションも一瞬で忘れ去られていきます。「いいね」は行為であって状態ではないので、安心できる時間が短いのが短所です(もちろん、プラットフォーマーによって設計された短所です。
効きが短いからこそ、そのプラットフォームに依存させることができ、顧客の回帰を期待できます)。
より多くのアテンションを、定期的に、高費用対効果で獲得し続けるのに一番向いているのは、罵倒と誹謗中傷です。正義はあまり有効ではないです。多様化によって正義の数が増え、稀少価値がなくなり、現状はバナナの叩き売りのようになっています。
加えて、「特に正義に拘(こだわ)りはないのだけれども、ツールとしての正義棒が洗練されたので利用する人」が増えたので、正義自体が強い胡散臭(うさんくさ)さをはらむ言葉になりました。
したがって、正義を利用してバズらせるには、上手に罵倒を絡める必要があります。それをリポストしようと試みる人が一瞬躊躇したとき、正義だからいいんだと背中を押す機能が重要です。

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岡嶋 裕史(おかじま・ゆうし)

中央大学教授

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学経済学部准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、中央大学政策文化総合研究所所長。『プログラミング教育はいらない』『大学教授、発達障害の子を育てる』『メタバースとは何か』『Web3とは何か』『ChatGPTの全貌』『ハンディ版 70歳から愉しむスマホとLINE』(以上、光文社新書)など著書多数。

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(中央大学教授 岡嶋 裕史)
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