■歯を2本折り、顔を7針も縫うケガ
2024年6月、新聞業界に激震が走った。
新聞を印刷する輪転機を製造していた三菱重工機械システムが、今後の注文と見積もりの受付停止を発表したのである。新聞を刷る機械そのものが消える……。新聞の販売部数の減少が主な要因だ。
一方で今、現場で深刻さを増しているのが、新聞配達員の人手不足と高齢化である。現在、新聞配達の主力メンバーは、外国人留学生やシニアだ。
しかし、新聞配達はシニアにはリスクの高い仕事である。配達中の新聞配達員が車などと接触する死亡事故は、たびたび報道されている。ここ数カ月以内に起こった事故だけを見ても、被害者はほとんど65歳以上。暗い夜道をバイクで移動するため、視力や判断力の衰えが影響していると考えられる。
「新聞配達中にバイクで崖から落ちて、歯を2本折り、顔を7針も縫うケガをしました。この日はちょっと多めに130軒の配達を任されていた。
長崎県在住のNさん(61歳)は、6年ほど前から新聞配達をしている。白髪交じりの髪に眼鏡、ノーブランドのウィンドブレーカーに身を包む、素朴な雰囲気の中高年男性だ。山登りが趣味というNさんは、どこか土の匂いがする。
■朝2時起きで働き、月収は約9万円
Nさんは筆者が取材を申し込んだ一週間前に、新聞配達中に事故に遭ったという。顔には唇から鼻にかけて痛々しい傷痕。インタビューの日程を変えようかと申し出たが、「配達を休んでいるから暇です」と言って応じてくれた。
「配達用バイクは崖の途中に引っかかって廃車です。新聞は血まみれになって周囲に散乱していた。朦朧(もうろう)としながらスマホを取り出し、新聞販売店に電話したら、15分くらいで救急車が来てくれた。その後のことはよく覚えていないが、入院はしないで済みました」
とはいえ事故直後は地面に血だまりができ、顔は腫れ上がるほどの大怪我。しかし、手足は打撲で済んだため、Nさんは週明けから配達を再開するという。
Nさんの休業中、新聞は他の配達員が朝8時くらいまでかかって配達している。
「私の勤める新聞販売店の配達員は、ほぼ全員が60~70代。60代前半の自分は若いほうです」
平日は朝2時起き、3時~5時半までの2時間半、自宅から半径5キロ範囲を配達する。70代が任される部数は30部ほどというが、「主力」のNさんの配布数はおよそ100部だ。
時給は長崎県の準夜勤の最低賃金で1100円ほど。1日3000円、月収はおよそ9万円。
■副業を掛け合わせ、約20万円の月収に
「僕が配達するエリアは、住宅地だけでなく高低差の激しい山間部も多く、車では行きづらい。天候が悪いと前が見えなかったり、嵐で木が倒れていたり、橋が落ちていたり。大雨の時は途中で雨宿りしなければならないことも。街灯がLED照明になってからは、眩しくて前が見えづらく、飛び出してきたタヌキをバイクでひいてしまったこともある」
新聞配達員は夜に活動する野生動物に命を脅かされる危険もある。2025年7月には、北海道福島町で50代の新聞配達員の男性が、配達中にヒグマに襲われて死亡する被害が起こった。Nさんも一晩に1回はアライグマやイノシシなど、野生動物に出会う。
Nさんが配達中に事故を起こしたのは、今回が2度目だという。
「1回目は新聞配達を始めた頃にバイクで転倒し、ろっ骨を折りました。でもその時は病院に行くのがイヤで、誰にも言わずに一人で治した。周りに心配されるのが苦手で、妻にも知られたくない。だからケガだけはしないように気を付けていたのですが」
Nさんは新聞配達のほかに、駐車場の賃料収入が月10万円ほど、ネットのクラウドソーシングで見つけたパソコンのデータ入力の内職で月に数万円の副収入もあり、合計で月20万円ちょっとになる。しかし、いずれも安定した収入ではない。
妻と90代の父と三人暮らし。三人の子どもたちは家を出た。年金はまだ受給していない。
■家業を襲った地方のスーパー大型店化
Nさんは10年前まで、弟と二人で青果の卸会社を経営していた。青果市場から仕入れた野菜や果実を地元のスーパーや青果店に卸す仕事だ。
「青果卸」は2000年以降、小売業やライフスタイルの変化の影響を大きく受けた業態だ。青果卸は倒産や統廃合で数を減らし、特に中小の多くが商売を畳んでいる。Nさんの会社もその一つだった。
「今、日本全国で幹線道路沿いに同じようなチェーン店が並んでいますよね。衣料品の『しまむら』が全国にあるように、2000年代に大型店が地方に次々と進出した。大型店は卸を通さずにメーカーや生産者から直接、商品を仕入れます。青果にも同じことが起こった」
イオンやマックスバリュなど大型スーパーは、青果市場や生産者から直接青果を仕入れるため、Nさんのような卸は入る隙を失った。さらにNさんの顧客である小さな商店、地元のスーパー、農協の店舗などは、大型店に押される形でバタバタと潰れていった。
「それまではだいたい年8000万~1億円の売り上げがあった。ところが商売を畳む頃には年2500万円まで落ち込みました。卸の利益は約1割なので、儲けはたった年200万円、弟に給料を払えなくなりやめました」
業界再編の波。
■貯金の1000万円は3年でなくなった
「かつての年収は1200万円、サラリーマンをバカにしていました。昔は『流し』といって、『スイカが安い』という情報があると、大量に仕入れてすぐほかの市場に流しに行く副業もやっていた。一晩20万円くらいのボロ儲けができる。これだけで月300万円くらいの利益がありました」
「流し」は卸業者だけが独占できる特権だったという。ところがインターネットの普及で情報は卸業者以外にも知れ渡るようになり、これらの「利権」も失われた。
Nさんに残されたのは、100台が駐車できる駐車場の賃料収入だけとなった。それでも2000万円の貯金があったNさんは、商売を畳んだ後も「何とかなる」としばらくは働かずに暮らしていたという。
ところが、貯えが減るのは早い。
「ちょうど子どもの進学でお金がかかりました。さらに娘が2回も交通事故を起こし、車を買ってやったりして、3年で貯金の半分1000万円がなくなってしまった。そのせいで僕は尿酸値が上がり痛風に。
精神的に追い詰められたNさんは、商売を畳んで3年目に仕事を探した。それが新聞配達だったのだ。
■新聞配達員は50代半ばで“待望の新人”
「新聞配達員は新しい人が入っても70代ばかり。自分は当時、50代半ばだったので『待望の新人』として迎えられました」
しかし経営者だったNさんにとって、新聞配達は生易しくなかった。
「チラシの折り込みや、雨の日に新聞をビニールに包む作業など慣れないことばかり。ミスがあると自分よりも若い店主からやり直しを命じられ、プライドも傷ついた。雨の日の配達も憂鬱だし、何度辞めようと思ったか」
山登りのトレーニングのつもりで新聞配達を続けてきたというNさん。彼を慰めたのは、配達の道のりを照らす星空だった。11月はしし座流星群、12月はふたご座流星群、バイクを路肩に停め、しばし天球を滑る流れ星を見上げる。
「火球が花火のように絶え間なく降り注いでくる。こんな風景は夜中に働いていないと見られない。感動しますよ。最近はネットで宇宙ステーションが見える時間をチェックしています。国際宇宙ステーションは大きくて、飛行機のように点滅することなく、光を放ちながら移動する。出会えるとラッキーと思います」
■購読者の目当ては「お悔やみ」欄
高齢化と人口減少で、Nさんの不労所得である駐車場の賃料収入は徐々に減っている。かつては満車だった100台駐車できるスペースは、今3割しか埋まっていない。
10年前は月15万円の賃料が入ったが、今は月10万円まで減った。
「あと数年したら、今の半分以下になっているかもしれません」
年金は70歳から受給する予定。65歳からの受給額は7万円だが、70歳まで待てば月10万円になる。Nさんはそれまでは新聞配達を続けたいという。
しかし、新聞の購読者は60代後半以上の高齢者ばかり。配布数も急速に減少している。
「高齢者が新聞を取っている理由は、ニュースを見るためではないんですよ。みんな『お悔やみ』欄を見ているんです。田舎ですから、香典をもらっている人には返さなければという義理があるので」
かつて新聞は地域のコミュニティーを支える役割も果たしていた。「子どもが生まれた」「人を探しています」。市井の日常まで伝えていたのは新聞だったのだ。だが今は喜びも悲しみも、結婚も離婚も、自慢話や怨嗟(えんさ)や呪詛(じゅそ)まで、SNSやネットメディアで流れてくる。
それでもNさんは、今朝も新聞を届ける。夜明け前の空に光の放物線を描く、「きぼう」という名の国際宇宙ステーションに見守られながら。
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若月 澪子(わかつき・れいこ)
ジャーナリスト
1975年生まれ。ジャーナリスト。大学卒業後、NHK高知放送局・NHK首都圏放送センターで有期雇用のキャスター、ディレクターとしてローカル放送の番組制作に携わる。結婚退職後に自殺予防団体の電話相談ボランティアを経験。育児のかたわらウェブライターとして借金苦や終活に関する取材・執筆を行う。生涯非正規労働者。ギグワーカーとしていろんな仕事を体験中。著書に『副業おじさん』(朝日新聞出版)。
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(ジャーナリスト 若月 澪子)

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