千葉県南房総市に、東京ディズニーランドの2倍の広さを誇る巨大施設がある。会員権は2023年オープン時の価格で3600万円(現在は非公開)。
一体どんな所なのか。富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんが会員制の高級ドライビングコース「THE MAGARIGAWA CLUB」を取材した――。
■900馬力の車を買っても、日本では乗りこなせない
千葉県南房総市の山間部に、総工費約300億円という巨費を投じた、想像を遥かに超える施設が誕生していた。
会員制プライベートドライビングクラブ「THE MAGARIGAWA CLUB(ザ マガリガワ クラブ)」である。
2023年7月末のオープン以来、その存在は一部の富裕層の間で静かに語り継がれてきた。開発を手がけたのは、フェラーリやベントレーを取り扱う日本を代表する高級輸入車ディーラー、コーンズ・モータース。運営はMagarigawa Operationsだ。
会員権はオープン当初は3600万円だったが、現在は非公開となっている。「世界に類を見ないドライビングクラブ」――彼らが掲げるこのコンセプトには、一体どんな意味が込められているのか。実際に現地を訪れて体験してみた。
現代の高性能車は、もはや常識を超えた領域にある。最新のハイパーカーなら900馬力は当然。
数億円クラスのクラシックカーは、走る芸術品と呼ぶにふさわしい。
だが、たとえこうした1台を手に入れたところで、日本国内でその性能を存分に発揮できる場所は、ほぼ皆無だ。公道には速度制限がある。一般開放されたサーキットでは他の参加者に気を遣わねばならない。レースに出れば接触のリスクもある。億単位の愛車を、心の底から安心して走らせられる環境が日本には決定的に欠けていたのだ。
■サーキット場はハードルが高すぎる
法定速度を超えるスピードで走りたいドライバーが選ぶ場所といえば、富士スピードウェイ(静岡県)や鈴鹿サーキット(三重県)といった本格的なレーシングコースだろう。こうした施設を利用する方法は大きく分けて2つある。一つは所定の講習を経てライセンスを入手し、「スポーツ走行」という枠組みで自由に走る方法。もう一つは、イベント主催者が開催する走行会に参加費を払って参加するスタイルだ。ライセンス取得費用は、多くの場合5万円程度で収まる。
しかし、モータースポーツを観戦するのも走るのも大好きな私ですら、ハードルの高さを感じてしまう。
特に自動車に特別な情熱を持たない人々にとっては、むしろ試練の場と言えるかもしれない。
その理由は、騒音の大きさ、娯楽施設の不足、ピットエリアの厳しい気温環境(夏の酷暑と冬の極寒)、食事施設はあっても選択肢が限られる、広大すぎて観戦ポイントが少ない、日陰スペースが不足している、都心からのアクセスの悪さ、走行会の早朝スタート、快適な休憩場所の欠如……。正直、欠点だけを取り上げれば、いくらでも列挙できてしまう。熱心なファン以外が足を運びにくいのも、もっともな話だ。
■富裕層のためのテーマパーク
自動車が趣味のパートナーに連れられて、こうした環境に来た人のことを考えると、気の毒に思えてくる。子どもの場合も同様だ。たとえクルマに興味があったとしても、走行会での同乗は基本的に認められていない。幼少期から自動車文化に親しんでいない限り、退屈してしまうのは避けられないだろう。
当初、開発を担当したコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドは、そんな環境をなんとかしたかったという。サーキットに行くともなれば装備もある程度必要だし、好き者でなければ“気軽に”走りに行くことはできない。「THE MAGARIGAWA CLUB」の誕生は、そんな想いから実現した、クルマを愛する人へ向け、その隙間を埋めるために構想された夢のテーマパークなのだ。
ここでは「レースはしない」ことが明確なルールとして定められている。
タイムアタックでもなく、順位を競うのでもなく、ただ純粋に自分の愛車と対話し、そのポテンシャルを引き出す。それこそが、この場所が提供する本質的な価値なのだという。
■広さはなんとディズニーランドの2倍
敷地面積は約100万平方メートル。世界最小国家のバチカン市国の2倍(国内の施設でいうと東京ディズニーランドの2倍)の広さを誇る。
広大な敷地に造られたドライビングコースは、環境への配慮を徹底しながら山を削り出して建設された。設計を担当したのは、F1など世界の名だたるサーキットを手がけてきたドイツの名門、ティルケ・エンジニアズ&アーキテクツ。
ホームストレートでは最高速度280km/hまで到達可能。標高差は実に80mに達する。この起伏に富んだレイアウトは、世界でも類を見ないテクニカル設計となっており、ドライバーの技量が如実に問われる構成だ。
興味深いのは、ティルケ側のコメントである。
「FIA(国際自動車連盟)の基準や観客席のことを考えずに思う存分デザインできたから凄く楽しい仕事だった」
つまり、レースのための制約から解放され、純粋にドライビング体験を追求したコースといえる。
■ガラス張りの屋内ピットだけでもすごいのに…
扉を開けて中に入った私は、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
視界に最初に広がったのは、透明なガラス壁に囲まれた出発エリアだ。車両の出入口としての機能を果たすこのスペースから、各マシンがコースへと滑り出していく。
驚くべきことに、この場所は完全に屋内環境として整備され天候に左右されることもなく、空調システムと心地よいソファが配置されている。伝統的なレーシング施設の質実剛健な雰囲気に慣れ親しんだ人間であれば、「甘やかされすぎだ!」と一喝したくなるような上質な佇まいだ。全国を見渡しても、これほど贅沢な車両待機スペースは他に類を見ないだろう。
特筆すべきは、最大36台の収容能力を持つこの区画は、F1の舞台裏を彷彿とさせる洗練された空間となっている。走行に先立ち、施設に常駐する専門技術者による点検が必ず実施される仕組みだ。燃料補給の設備も整い、加えて約400台が保管可能な会員向けの専用保管庫も備わっている。要するに、会員は何も持参せずとも、自身の車両を最良の状態でコースへ導くことが可能なのだ。
■エステ、麻雀、フィットネス、天然温泉まで完備
しかし、驚嘆すべき点はまだ終わらない。施設にある付帯の設備を覗いてみると、本格仕様のエステティックサロン、麻雀やカラオケを満喫できる娯楽空間、サーキット走行に必要な体力維持のためのフィットネス施設、高級シャンパーニュやワインを味わえるバーカウンター、そして喫煙、シガー専用ルーム。さらには一日の疲労を癒やす天然温泉まで用意されており、もはやここは五つ星ホテルといっても過言ではない。

また木の温もりを感じさせる贅沢な子ども向けスペースも設けられている。フィットネスエリアには、動体視力や判断能力の向上、視野領域の拡張、視覚と手の連携強化などを狙いとした反射神経や周辺視野を磨く先端的なビジョントレーニング装置が導入されている。
また、日本最古のリゾートホテル「日光金谷ホテル」がルーツのKANAYA RESORTSが食事などのサービスを提供しており、そのクオリティーはお墨付きだ。プールやバー、ジムに天然温泉などを備えたクラブハウスと宿泊施設があるオーナーズパドックは、これまでのサーキット施設にはなかった高級リゾート感であふれホスピタリティもまた別格であり別物といえる。
■併設された宿泊施設は五つ星ホテル並み
さらに特筆すべきは、自動車免許を持っていないゲストにも格別のサービスが用意されていること。本格的レーシングシミュレーションプログラム「ASSETTO CORSA」をベースとしたゲーム機が設置されており、THE MAGARIGAWA CLUBのコースシミュレーター上で疑似体験できるのだ。
ヘリコプター発着場、車両保管倉庫も完備され、アジア各国の運転愛好家である富裕層を主要ターゲットに、家族や友人と共に楽しみたいという会員層が相当数存在するというのも理解できる話だ。
また施設内は宿泊も可能なほか、一棟買いできるラウンジ「オーナーズパドック」も存在する。もちろんガレージ付きであるほか、カッシーナ(イタリア製)やligne roset(フランス製)の超一流の家具が設置され、ミーレの冷蔵庫にバング&オルフセンのスピーカー、Refaのシャワーヘッドなどが備え付けられていた。
簡単に言えば別荘のような感覚で利用できる施設となっており、ベッドルームやシャワールームも複数あるので、走り好きの仲間とワイワイガヤガヤできそうな雰囲気。もちろん部屋からコースを眺めることもできる。ここではきっと庶民には暗号のように聞こえるプレミアムな会話が生まれるに違いない。

なお、ここでは各棟から見える景色はどれもコーナーが多い。これは、「直線ばかりだと見ている人が飽きてしまうから」といったクラブ開発者からの配慮でもあるそう。
■実際に走ってわかった富裕層が求めているもの
私は、施設に到着するや否や、早速「体験走行」にトライした。
ライセンスは不要ということで、初回講習を受講し、愛車のベントレーコンチネンタルGTを持ち込み、インストラクターによるプライベートドライビングレッスンを受けた。
これは、サーキット経験の有無を問わず、コース走行前に必ず、インストラクターの講習を受講し、インストラクターから合格がもらえた方のみ単独走行が可能となる制度だ。ただ、スキルを見るのではなく、走行上の注意・マナーをしっかりと理解し、注意を受けた場合でも真摯に受け入れてくれるかなどが、合否判断基準になるとのこと。服装に関しては、本格的な走行の場合はヘルメット・レーシングギア着用となるが、今回の体験では特に指定はなく走行できた。
エンジン音が響き渡るなか、私が想像していたのは、映画のようなアドレナリン全開のスプリント戦だった。しかし、実際にコースを走り始めて感じたのは、まったく異なる感覚だった。
「ここでは速さを誇示するんじゃない。コーナーひとつひとつに、どれだけ謙虚に向き合えるかが問われるんだな」と。
丁寧にステアリングを切りながら、急加速ではなく、むしろ緻密なブレーキングと、ラインの取り方に神経を集中させる。一瞬の判断ミスが車体の挙動を乱し、それが次のコーナーに影響を与える。まるでチェスのように、先を読みながら戦略を組み立てていく。これはスピード競争ではなく、知的格闘技なのだと。
■ワインだけで250万円が飛んでいく
走行後、私は温泉へと向かった。眼下にはコースが一望でき、富士山のシルエットが夕陽に染まっていく。
湯に浸かりながら、なにか毛穴から日々のストレスが蒸発していくような、不思議な解放感を覚えた。都市の喧騒も、満員電車の息苦しさも、職場での気遣いも、すべてが湯気とともに消えていく。ドライビングの後の温泉とは、こんなにも精神を浄化するものだったのかと改めて気づかされた。
夜になると、オーナーズパドックと呼ばれるプライベートヴィラの広いリビングルームで仲間たちとワイン片手に愛車の歴史話に花が咲く。
ソムリエ2人もジョインし、クリュッグのクロデュメニル2008、ニコラフィアットのパルムドールからスタート。ジャン・クロード・ラモネのモンラッシェ2020年、DRCグランエシェゾー2009など高級ワインのオンパレードで楽しんだ。総額250万円コースだ。
「普段はみんな経営者とか医者とか、責任ある立場なんだけど、ここに来るとただのクルマ好きに戻れるんだよね」
そう語る彼らの表情は、驚くほど穏やかだった。ここは単なる高級施設ではない。大人たちが、社会的な仮面を外して本音で語り合える“秘密基地”なのだ。
■「何もしない贅沢」が、ここにある
翌朝、私はプールサイドのデッキチェアで、ぼんやりと空を眺めていた。都心なら、こんな時間に静かに思索にふけることなど不可能だ。隣で子どもが水鉄砲を撃ち合い、哲学的瞑想が強制終了されるような日常は、ここにはない。
一流の経営者なら、ここで「宇宙規模のプロジェクト」などという壮大な計画を立てていても、誰にも邪魔されないだろう。この静謐さこそが、最高の贅沢なのかもしれない。
ここには、ガラス張りの空間から、ドライビングコースが一望できるシガールームがある。
ソファに身を沈め、シガーラバーの私は、ダブルコロナのパルタガスのルシタニアスを持ち込み、ゆっくりと葉巻を燻らせながらコースを走る車たちを眺める。エンジン音が微かに聞こえてくる距離感が、絶妙だ。
これは「何もしない贅沢」だ。現代人は常に効率を求められ、時間を奪われ続けている。だが、ここには“余白”がある。その余白の中で、思考が解放され、新しいアイデアが生まれる。
「何もしない贅沢」とは、こうした“余白”を手に入れた人たちのことを指すのかもしれない。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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