正月の「箱根駅伝」で活躍した留学生ランナーはその後、どのような道を歩むのか。ノンフィクションライターの泉秀一氏は「留学生ランナーの多くはケニア人だ。
彼らは“3つのルート”から成功を模索する」という――。
※本稿は、泉秀一『アフリカから来たランナーたち 箱根駅伝のケニア人留学生』(文春新書)の一部を再編集したものです。
■ケニアが抱える都市部と農村部の格差問題
ケニアと聞いて、どんなイメージを抱くだろうか。取材のために私がケニアに足を運んでいることを日本人の知人たちに話すと、スラム街やサバンナを思い浮かべることが多いようだ。
もちろんケニアにはスラム街もサバンナもあるのだが、首都のナイロビは高層ビルやショッピングセンターが立ち並ぶ近代都市として発展していて、国際的な企業のアフリカ本社が置かれ、デジタル産業も盛んで「東アフリカのシリコンバレー」と呼ばれている。国際連合の4つの主要事務所も、ニューヨーク、ジュネーブ、ウィーンに加えて、ナイロビに設置されているほど国際的なプレゼンスは高い。
ナイロビ以外にも、モンバサやエルドレット、ナクルといった地方都市があり、中心部は同様に都市化していて、衣食住の何でも不自由なく手に入る環境が整っている。
一方で、そうした都市から少しでも離れると、とたんに電気や水道などのインフラが整っていない農村地域が広がる。著名なケニア人ランナーの実家があるニャフルルも、町の中心部こそ舗装道路や商店が並んでいるものの、郊外に向かえば土の道が続き、木や土で作られた伝統的な家屋が点在している。
この都市部と農村部の格差こそが、ケニアが抱える最大の課題の一つで、都市部が発展を遂げる一方、農村部では依然として多くの住民が貧困ライン以下での生活を余儀なくされている。
■走ることは稼ぐための「現実的な手段」
ケニアでは人口の半分が、世界銀行が示す国際貧困ライン(一日3ドル。2022年時点)以下での生活を強いられており、特に農村部では状況が深刻だ。
前述のニャフルルのような地域では、多くの住民が自給自足に近い農業で生計を立てているが、干ばつや病害虫の被害で収穫が不安定になると、たちまち生活が困窮する。
さらに、教育機会も限られている。小学校の学費は無償だが、教科書、制服、文房具などは自己負担で、時には校舎の改築や備品購入などの理由でお金を請求されることもある。こうした費用が支払えないことから、子どもを小学校にすら通わせられないという家庭もある。収入が低くかつ不安定な家庭では、子どもを学校に通わせ続けることはほとんど不可能だ。
そうしたケニア人たちにとって、走ることは家族を養うための現実的な手段であり、貧困から抜け出すための数少ない選択肢のひとつになっている。彼らが走りで生計を立てようと考えたとき、基本的に3つの道が存在する。
■ケニア人ランナーが稼ぐ「3つのルート」
1つ目が、世界の主要大会での賞金だ。五輪や世界陸上はもちろん、トラック種目であればWA(世界陸連)が主催するダイヤモンドリーグ、マラソンであればヨーロッパやアメリカ、日本で実施される主要大会での賞金獲得がメインとなる。
ダイヤモンドリーグで優勝すれば数百万円を手にすることができ、東京マラソン、ボストンマラソン、ロンドンマラソン、ベルリンマラソンといったワールドマラソンメジャーズと呼ばれる世界の主要大会は、優勝賞金が数百万~2千万円に設定されていて、大会記録で走った場合は、数百万円クラスの追加ボーナスが支給される。ケニアの所得水準を考えれば、たった一度の優勝で10年分以上の収入を得られる計算だ。
しかも、こうしたレベルの選手たちは、ナイキやアディダスといった世界的なスポーツブランドとのスポンサー契約も結ぶため、億円単位の年収を手にすることができる。

しかし、このルートで生計を立てられるのはほんの一握りのランナーだけ。世界のトップマラソン大会には、ケニアはもちろん、エチオピア、ウガンダといった東アフリカの強豪国を中心に、世界記録保持者クラスのエリートランナーが集結する。優勝できるのは、文字通り世界でトップレベルの実力を持つ選手のみで、そうした選手であっても当日の天候や体調に勝敗が左右されるのが陸上競技の面白さであり難しいところでもある。要するに、現実的には極めて稼ぐのが難しいルートなのだ。
■走って稼ぎ続ける難しさ
もちろん、世界にはダイヤモンドリーグやワールドマラソンメジャーズ以外の大会も無数にある。優勝タイムが劣るレースに出場して賞金を稼ぐことも可能だが、ライバルの少ないローカル大会ほど賞金も少額になる。しかも、マラソンの場合は、4~6カ月の準備期間が必要とされるため、1年間に出場できる回数も限られている。もしそのレースを棄権でもすれば、半年間も収入を得られない、ということになってしまうわけで、やはり賞金で稼ぐというスタイルは、ギャンブル性の高い方法と言わざるを得ない。
そこで、より現実味のある選択肢として浮上するのが、アメリカの大学チームへの所属である。これが2つ目のルートだ。
大学スポーツが盛んなアメリカでは、野原や丘陵など起伏のあるコースを走るクロスカントリーレースも人気競技のひとつで、学校別で対抗戦が行われる。そこでチームの成績を押し上げるために、持ちタイムの速いケニア人ランナーが留学生として重宝されている。

こうしたケニア人ランナーたちは、学費の免除はもちろん、食費などの生活費も支給されるほか、優秀な競技成績を収めれば学業奨励という名目での経済的インセンティブも受け取ることができる。そうしたお金を貯金して、母国の家族に送金するのが、ケニア人ランナーたちがアメリカに渡る大きな目的だ。
■アメリカルートの課題は「将来性」
言語が英語なのも、ケニア人にとっては馴染みやすい。ケニアの国語はスワヒリ語だが、1963年に独立するまでイギリスの植民地であったため、英語も公用語として広く浸透していて日常会話には困らない。アメリカの大学への留学では、国際大会で勝利するほどの大金は得られないが、在学しながら賞金大会に出場して稼ぐことも可能であり、何より在籍期間中は安定して一定のお金を得ることができるというメリットがある。
とはいえ、アメリカルートにも課題がある。大学在学中の生活は安定するが、卒業したからといって、その先の進路が保証されているわけではないという点だ。大学卒業後は、賞金レースに出場しハイレベルな結果を残すことが求められる。つまり、自らの走りで稼ぎ続けるためには、結局のところ世界を舞台にトップレベルで戦うことが求められることになるのだ。
大学卒業という学歴を武器にして一般企業に就職することも可能ではあるが、走ることに人生を捧げてきた若者たちにとって、競技以外の道で成功するのは決して容易ではなく、アメリカで就職できない場合は母国に帰って仕事を探すことになりがちだ。
つまり、賞金で稼ぐことも、アメリカの大学を経由することも、最終的に不安定な茨の道にたどり着く。しかし、この2つの道よりも長期的に安定して稼げる選択肢がある。
それが3つ目の、そして多くのケニア人ランナーが目指す日本ルートである。
■日本ルートが経済的に安定する理由
日本ルートの最大の魅力は、他の2つのルートとは根本的に異なる安定性にある。その最たる理由が駅伝の存在だ。陸上の長距離は基本的に個人種目だが、その中でほとんど唯一、駅伝だけが団体競技として成立している。日本で発祥した駅伝は、近年はイギリスなど他国でも開催され始めているが、テレビで中継され、これほど高い注目を集めるのは日本しかない。
駅伝のユニークさは、スポーツとしてのドラマ性はもちろんだが、出場する学校や企業にとっての広告宣伝効果が計り知れないことにもある。先頭で走れば何時間もテレビ画面を独占できるわけで、全国ネットであれば15秒の放送1回で百万円を超えることもあるテレビコマーシャルと比較すると、とてつもない広告価値を持つ。
箱根駅伝であれば、往路5区間、復路5区間の合計10時間以上にわたって中継が行われ、視聴率は毎年30%前後に達する。トップを走り続ければ、数億円規模の広告効果を得られる計算になる。
そうした駅伝の存在が、高校から大学、そして実業団へと選手がステップアップしていく独自の陸上エコシステムを成り立たせている。そして、そのエコシステムにケニア人ランナーも組み込まれ、進学、就職をすることで長期間にわたって活躍できる土壌が生み出されているのだ。
■日本の駅伝がつくる独自のエコシステム
例えば、高校時に来日したとして、一定の実力があれば箱根駅伝への出場を目指す関東の大学に進学することになる。
そして、そこでも成績を残せば実業団から声がかかる。授業料や寮費はもちろん無料で、高校時には学校からお小遣いという名目で月に数千~3万円程度が支払われる。少額ではあるが、ランナーたちはそのお金を貯めて故郷に持ち帰り、家族の生活をサポートする。大学に進学すれば支給額が月に数万~20万円とアップし、実業団に所属すれば月に数十万~百万円が支給されるようになる。
もちろん実業団の場合は、成績が悪化すれば契約が終了になることもあるが、あくまでも日本の駅伝要員としての採用なので、世界トップレベルの実力が求められるわけではない。
現在、日本で走るケニア人ランナーは、陸上関係者の間ではざっくりと「150人を超える」という数字で把握されている。高校を卒業すれば大学に進学し、大学を卒業すれば実業団に進むという流れの中で、常に人の入れ替わりがある。競技成績の不振や怪我などの理由で日本を離れるランナーもいれば、新たに来日する選手もいる。チーム間の入れ替わりが頻繁で、選手の出入りも激しいため、正確に何人と数字を出すことはできない。
■日本で目立つ「ケニア人ランナーの多さ」
それでも、例えば、実業団(ニューイヤー駅伝、クイーンズ駅伝)、大学(箱根駅伝、全日本大学女子駅伝)、高校(全国高校駅伝男子・女子)の主要駅伝大会だけに絞っても、2024~2025年は63人の外国人ランナーが出場した。
このうちケニア人が62人で、その他はエチオピア人が1人だけ。外国人ランナーのほぼすべてがケニア人だ。
これに予選会で敗退したチームのランナーや、所属はしているが補欠のランナー、あるいは怪我などの理由で補欠にも登録されていないランナーを加えると、150人という数字も決して大げさではないのだ。
ケニアに偏っている最大の要因は、アメリカと同じでやはり言語だ。ケニアで高校まで通っていれば日常会話程度の英語は問題なく話せる。
また、最初に助っ人ランナーのネットワークを切り開いたエージェントのビジネスが、ケニアとの縁から始まったという偶然性もある。ケニアルートが確立されると、そのネットワークは雪だるま式に拡大していった。
■若きランナーが夢見る「日本行き」
ケニア人ランナーが日本で活躍し始めると、彼らだけのコミュニティが出来上がっていく。かつて日本で走ったケニア人ランナーが仲介役になり、また新たな仲間を連れてくる。
これから日本で走るランナーからすれば、母国の先輩による紹介という安心感もあるし、同じ地でたくさんの仲間たちが活躍しているのも心強い。実際、日本で走るケニア人ランナーたちは、その大半がケニアでメジャーなSNSであるWhatsAppで繋がっていて、大きなコミュニティを形成している。
その中には、五輪や世界陸上を目指せる実力者たちも存在するが、大半は世界レベルでは戦えない中堅クラスのランナーたちだ。世界トップの才能がなくても、一定の実力があれば安定した生活を長期で実現していける環境が整っているのが日本ルートの最大の魅力なのである。
だからこそ、若きケニア人ランナーは日本行きを夢見る。私自身もケニアで取材する際に、「自分の所属先を探してくれ」と多くのランナーから声をかけられた。ニャフルルの練習場では、トレーニング後に数人のランナーが私のもとにやってきて、「どうすれば日本に行けるのか」と真剣な表情で質問してきた。
自分にはその権限がないと伝えても、私の連絡先を聞いて、「もし日本で僕を受け入れてくれる学校や実業団があったら連絡して欲しい」と頼んできたり、連日、WhatsAppで電話をかけたりしてくる若者もいた。
■ケニア人ランナーの「真実」を求めて
当然ながらケニア人ランナーといっても、誰もが世界のトップレベルで戦えるわけではない。そうしたランナーにとって日本は、まさに希望の地のような存在であり、食べていくための数少ない可能性なのだ。できることがほとんどない自らの立場を申し訳なく思いつつ、彼らの熱意と必死さに胸を打たれた。
私は単なる取材者であり、ケニア人ランナーの人生を左右する力など持っていない。彼らもきっと、それを理解している。それでもしかし、彼らにとって私は日本への扉を開く可能性を秘めた存在として映り、つながりを望むのだ。
そうした期待の重さを感じながら、私はこれから日本行きを夢見るランナーたちについて、もっと知りたいと思った。成功者の陰に隠れた、無数の挑戦者たちの物語を追いかけてみたいと強く感じるようになった。
彼らはどのような生活をしているのか。何を背負い、どんな思いで毎日練習を続けているのか。

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泉 秀一(いずみ・ひでかず)

ノンフィクションライター

1990年生まれ。福岡県出身。2013年、関西大学社会学部卒業後、ダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンド編集部を経て、2017年にNewsPicksへ。2022年、編集長に就任。2024年に独立、フリーランスのノンフィクションライターに。著書に『世襲と経営 サントリー・佐治信忠の信念』(文藝春秋)がある。

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(ノンフィクションライター 泉 秀一)
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