環七、環八と呼ばれる環状道路が東京都心部の大動脈として機能する一方、同じ環状道路として計画された「環状3号線」は、100年近く“未完の空白”を残したままだ。部分的に整備は進んでも、つながらない区間が残り、完成の見通しはいまも立っていない。
なぜ環状3号線だけが、これほど長く完成しないのか。ルポライターの昼間たかしさんがその現状を追う――。
■計画された8つの環状道路
100年をかけて、ようやく進捗率70%ほどに達した東京都の環状道路。近年、工事が進んでいる道路もある一方で、完成は永遠に不可能ではないかと考えられる道路もある。
その代表格が環状3号線だ。
この道路は、中央区勝どき2丁目を起点とし、港区、新宿区、文京区、台東区及び墨田区を経由し、江東区辰巳2丁目を終点とするもので、延長約27キロメートルとなっている。
環状3号線は、いわゆる外苑東通りを含むため交通需要も高い。そのため、既に開通している区間では整備が実施されている。近年、特に整備が進んだのは、新宿区の曙橋から牛込方面へ向けての区間だ。この区間は2車線から4車線への拡幅を目指して、長らく土地の確保が続けられていたもの。近年、ようやく整備が終わり順次4車線道路となっている。
都営大江戸線牛込柳町駅のある市谷柳町交差点付近は、狭い2車線の道路が交差する谷底の雰囲気だったが、今では中央分離帯を含む道路となっており、隔世の感がある。
その先を北に進んで、弁天町交差点付近までの狭隘区間も徐々に土地の確保が進んでおり、拡幅は時間の問題になっているようだ。
■いくつも「手つかずの区間」が残る
このように、環状3号線は、既に道路がある部分では順次整備が進み中央分離帯を持つ高規格な道路に生まれ変わりつつある。一方でまったく手つかずの部分も残っているのが現状だ。
特に計画倒れで終わっているのが、中央区の部分だ。これは清澄通りの勝どき2丁目交差点から豊海水産埠頭を経由して、対岸の港区に接続するというもの。間に海を挟んでいるので架橋かトンネルが必要な区間となっていることがわかる。
この計画自体は新しいものだ。もともと環状3号線は港区を起点としていたが、1980年代、ウォーターフロント開発の高まりとともに、その延伸案が新たに構想されたという経緯がある。1989年に東京都都市計画局が作成した『豊洲・晴海開発整備方針』によれば、この計画は次のようになっている。
区間:芝公園2丁目~勝どき5丁目

延長:約2キロメートル

標準幅員:30メートル(4車線)
日比谷通りとの交差部については、環状3号線延伸の本線部を堀割とする立体交差とする。
第一京浜との交差部の西側より海岸通りを経て隅田川河口にいたる間については、トンネルとする。
隅田川河口渡河部については、トンネルとする。


この計画に基づけば、芝公園南側の首都高都心環状線芝公園ランプ出口付近で一度トンネルに入り、日比谷通りをトンネルで立体交差、一度地上に戻った後に、第一京浜手前から再度トンネルに入り、JR線やモノレールの下をくぐり、隅田川をトンネルで渡る。勝どき側では、豊海水産埠頭を過ぎて清澄通りのどこかで地上に出ることになる。掘削するトンネルは2本だ。
■進展はまったく見られない
しかし、この計画はまったく進んでいない。実のところ、この『豊洲・晴海開発整備方針』に記された計画はかなり実現している。環状2号線の延伸は築地大橋の開通で実現。その先の有明方面への道路と橋梁の整備、豊洲と有明間の道路整備も、おおむねこの時の計画の通りに進んでいる。ところが、なぜかこの計画だけは完全に放置されている。
東京都の会議録をみると、具体的な動きについて言及しているのは2003年11月の建設・住宅委員会が最後だ。この時は、道路建設部長が晴海住民から寄せられた交通量の増加による、環状3号線の延伸請願について説明。「臨海部の開発動向などを勘案の上、整備時期や施工方法などに検討を進めてまいります」としている。
もちろん、東京都としても、この計画を放棄しているわけではない。
2016年の「東京における都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)」をみると、この延伸計画は今後10年間に優先的に整備すべき路線のひとつとして掲載されている。
ただ、この「優先的に整備」というのもけっこう眉唾だ。優先整備路線は区部で都が施行するものだけで75路線。さらに区が施行するものが92路線ある。これにさらに多摩地域も加わり優先整備路線は都の施行だけで139路線ある。正直なところ、優先的に整備するとして登録している路線のうち、条件の整ったものから整備していくということだろう。
■整備が進まない最大の要因
実際、この部分の整備が進まない理由は、いまだ湾岸地域が開発途上にあることが大きいようだ。
中央区議会の2020年6月決算特別委員会では、この問題についての議事が行われているが、この中で区環境政策課長は「環状3号線、都市計画道路の計画がございますけれども、そういったものも計画されているということで、今後、まだまちの様相も変わってくるのではないのかなと認識しているところでございます」と発言している。
中央区はかねてより、晴海通りの地下を走る地下鉄臨海新線の実現を求めてきた。現在、この計画は進行途上。これに併せて、勝どき周辺では新駅はどこにできるのか、それに呼応して再開発を実施するのかが大きな話題になっている。
最近では、再開発準備組合が、デベロッパーが作成した勝どき2丁目交差点の東(晴海方面)にタワーマンションを4棟建てる構想を説明したりもしている。
こうした新駅の位置も絡む再開発計画がまとまらないと、道路整備にも着手できないというのが実情だろう。
なにより従来の計画では、環状3号線は勝どき2丁目交差点で晴海通りと交差する構造だ。現在でも渋滞が著しい晴海通りと交差すれば、待っているのは交通地獄である。前述の中央区議会の会議録で区側が頻繁に「地下空間の活用」という言葉を用いているところをみると、既に地下で立体交差をさせる構想もあるのかも知れない。
■文京区内はさらに難航
勝どき方面への延伸が、着実に計画が進んでいる一方で、完全に無理そうなのが文京区内の区間だ。なぜなら、既に道路が存在する播磨坂通りを除き、ほとんど道路は存在しないからだ。ようは、文京区にとっては、区の東西を横断して住宅地を破壊する道路が出来てしまうという構造である。
ゆえに、文京区では行政すらも環状3号線には非協力的だ。1980年には区議会が全会一致で計画の廃止決議、以降もことあるごとに反対の意思表示が実施されている。
この反対の態度は徹底していて文京区の基本的な方針を示している『文京区マスタープラン2024』でも環状3号線は徹底的に無視。将来の都市構造を説明したページの地図でも、環状3号線は点線で入っているのみで、将来的にも完成しないので生活動線としては扱わない態度を示している。
こうした状況のため、近年では全面地下化の構想も出てくるほどだが、こちらも進展しているわけではない。
リニア新幹線の工事でも地盤沈下などの問題が出てきているのに、東京の人口密集地で「地下に道路を通します」といって住民が納得するはずもない。
そうした中で唯一、完成している区間が、播磨坂通りである。ここは、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩5分程。小石川植物園方面へ500メートルほどの、桜並木で有名な通りである。
この道路、尋ねてみると驚くはずだ。茗荷谷から小石川方面は古くからの住宅地で、戸建て住宅や低層マンションが中心のエリアである。道路も狭隘で曲がりくねっているところが多い。そうした中で、播磨坂通りだけが整備された幅員も広い、真ん中が遊歩道という独特の直線道路になっているのだ。
■「完成した区間」の広すぎる幅員の謎
周囲は高そうなマンションや住宅も多いので、文京区のブルジョアのために整備されているのか……? と勘ぐってしまうが、そんなことはない。
この道路が整備されたのは、本当に偶然であった。もともと関東大震災後に計画された環状3号線は、太平洋戦争後に改めて復興街路として計画されている。この時、計画を担った石川栄耀は、街路の幅員を50~100メートルとし、並木等含めて整備することを構想した。

ところが、この理想的な計画は実現されなかった。都市計画の研究者である越沢明によれば、その原因となったのは、当時の安井誠一郎都知事が復興計画に熱心でなかったからとされている(『東京都市計画物語』日本経済評論社 1991年)。結果、復興計画は次第に縮小され、幅員100メートルの道路は東京では実現することなく終わってしまった。ただ、文京区の小石川一帯は事業の着手が早かったために、例外的に当初の構想のままに実現してしまったのだ。
この結果、播磨坂通りは中央分離帯と植樹(桜の植樹は1959年)があり歩道が確保された、理想的な都市計画道路となったのである。そんな、利用者も少ないのに幅員だけ広い道路の活用が本格化したのは1990年代にはいってからだ。
この頃まで、播磨坂通りは花見の時期は賑わうものの、それ以外は閑散としていた。せいぜいが、休憩するドライバーのたまり場として使われる程度であった。
■4車線道路ができる可能性は皆無
そこで文京区が考えたのが公園化であった。なにしろ用地買収の予定もなく進展もない。ならば、中央分離帯と中央より1車線ずつを公園として整備してしまおうというものである。
もちろん、計画は存在するのだが東京都も「長期暫定措置」として、これを了承した。こうして、1993年文京区では約13億円をかけて電線の地中化や屋外彫刻の設置などを実施して、公園化を実現したのである。
暫定とはいえ、今後道路整備のための公園を廃止して道路化するというのは、住民の反発を呼んでしまうだろう。なにより、道路両側の店舗やマンションなども、播磨坂通りはこういうものだという前提で建てられたものになっている(基本的にブルジョア専用店舗しかない)。それに、完成している部分を除けば、小石川側にも、茗荷谷側にも多くの住宅が建ち並んでいる。いわばブルジョア向け住宅地として完成している。地域の環境を激変させ、かつ多くの住宅に立ち退きを要求する計画が実現する可能性は皆無といえるだろう。
ただし、行政のやる気次第では住宅地を突っ切って道路を建設することも不可能ではない。
実際には、住宅地であっても道路整備が実現している例はある。たとえば、環状4号線の余丁町・河田町付近がそれにあたる。
この一帯は、つい十数年前まで低層住宅が密集する典型的な木造住宅地であった。ところが現在では、住宅地を突き抜ける形で環状4号線が完成している。周囲が二階建ての民家ばかりという中に、幅員30メートル近い道路と広い歩道がまっすぐ延びており、その対比は東京でもきわめて異様だ。
とりわけ、靖国通り方面への接続部がいまだ工事中で交通量が少ないため、整然とした無人の新道が、旧市街の中にぽっかりと口を開けているように見える。
■東京が抱える矛盾が見えてくる
この光景は、単なる道路整備の結果ではなく、都市計画道路が本来持つ防災・減災機能を象徴している。
木造密集地に幹線道路を貫通させることで、火災延焼の遮断線を確保し、緊急車両の進入路を確保する、こうした目的のもとで環状4号線は整備されている。そうした「災害時に市街地を守る防火帯」としての都市計画道路を感じることができるのも、ここだ。
実は、この周辺の道路はかなり時間をかけて整備が進んでいる。この環状4号線が交差する地下鉄曙橋駅から北へ抜弁天の区間も今は4車線の広い道路が整備されている。ここも、つい30年ほど前までは、住宅の合間に狭小な道路が南北に走っているだけだった。
結局は、行政が道路の必要性を考え、いかに住民を説得できるかがもっとも重要だということだろう。
環状道路網の整備は、単に交通の円滑化を目的とした事業ではない。都市の呼吸を維持するための「動脈」であり、同時に災害時に都市を守る「防火帯」でもある。だが、東京の場合、その実現はきわめて困難だ。なぜなら、すでに完成した都市の内部に、新たな構造線を挿入するという、いわば都市の手術だからである。
100年をかけてようやく7割が完成した環状道路計画。その未成部分は、単なる「未整備区間」ではなく、東京という都市が抱える矛盾の可視化でもある。

----------

昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

----------

(ルポライター 昼間 たかし)
編集部おすすめ