人生には「災難」が一気にやってくることがある。60代女性の老母は「硬膜下出血」で救急搬送された後、他界。
直後に元公務員の88歳父親が重度認知症になっていたことがわかった。他の姉妹とともに介護するが、ある時、頼りにしていた夫も――。
「シングル介護」とは、配偶者や親の介護をたった1人で担っているケースを指す。2023年度の厚生労働省によると、家族・親族による高齢者虐待の相談・通報件数は1万8000件あまりとなり、過去最多を更新。
2022年の国民生活基礎調査では、家族介護者は全国で約653万4000人(2021年時点)と推計され、主な介護者と要介護者との関係は、同居家族が45.9%、別居家族が11.8%(2022年時点)。同居家族の内訳は、配偶者が22.9%、子が20.7%、子の配偶者が7.5%となっている。
たった1人で介護を担う「シングル介護」は年々増加しており、介護時間の長期化や精神的・身体的負担の大きさが不安視されている。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■85歳の母親が救急搬送
2021年9月。小蔵みどりさん(仮名・60代)は朝食の支度中、実家から車で10分かからない距離に住んでいる次女から電話を受けた。

「お母さんが救急車で運ばれた!」
朝6時頃、キッチンで倒れていびきをかいている85歳の母親を、同じく85歳の父親が発見。父親はすぐに同居している43歳の三女を呼びに行くと、三女が救急車を手配し、近くに住む当時、55歳の次女に連絡。すぐに合流し、次女から長女の小蔵さんに連絡が来たという。
母親が運ばれた病院は、実家から30分ほど、小蔵さんの家から1時間ほどの距離だった。母親は「硬膜下出血」と診断され、「命の補償はできない」と医師に言われた。
母親は約1年前、2~3m歩くだけで息切れするようになり、三女が病院に連れて行ったところ、「動いているのが不思議な数値」「自宅に戻るのは難しい」と言われるほど重度の貧血だった。
入院して検査や治療を受けたが、結局原因は不明なまま、母親の強い希望で1カ月で退院し、定期的に通院するように。退院後も母親は、父親と、同居している三女の3人分の食事の支度や掃除、洗濯などをほぼ一人でこなしていた。
搬送された母親は一時意識不明の重体に陥ったが、3日後に奇跡的に意識を取り戻し、小蔵さんたちは胸を撫で下ろした。
ところが、時はコロナ禍。面会が最小限に制限されていたが、父親は意に介さず、毎日せっせと面会の準備をしては出かけていこうとする。
同居する三女が何度説明しても、毎日何度も出かけていこうとし、何度も会えない理由を訊ねる。
手に負えなくなった三女は、次女や小蔵さんに助けを求めた。
「今思い返せば、父はその頃すでに認知症が進行していたのだと思います。でも私たちは、単に母に会いたい気持ちが先行しているだけ、物忘れが激しいだけ、年寄りなので聞き分けがないだけ……と思っていて、父の異常さに気が付きませんでした」
突然倒れた母親が危険な状況の中で、一見いつもと変わりがない父親の言動がおかしいことに娘たちが気付くのは、なかなか難しいことかもしれない。
危機的状況にある時、多くの人は「正常性バイアス」という心理が働く。「正常性バイアス」とは、異常な事態に遭遇しても「自分たちは大丈夫」「いつものことだ」と都合よく解釈し、危機的な状況を過小評価して対応が遅れてしまう心理現象だ。危機的な状況を過小評価することで、心の平穏を保ち、ストレスを軽減する働きがある。小蔵さんたちは、母親のことでキャパシティオーバーになっていたことが想像できる。
■母親は心不全で亡くなった
一命を取り留めた母親だったが、関節周囲の筋肉や皮膚、腱といった軟部組織が硬くなり、関節の動きが悪くなる「拘縮」が強く出て、ほぼ寝たきりになってしまった。ゆっくりと話すことはでき、食欲もあったが、飲み込むことができず、経鼻経管栄養を利用していた。
入院してから2カ月後、母親は実家から高速を使って1時間半ほどかかるリハビリ病院に転院。
しかし転院から3カ月後、主治医から「回復の見込みがない」と言われ、同じ病院内の療養施設に移るという話が出る。小蔵さんたちはそれでよいと思ったが、父親だけが「遠すぎてお見舞いにいくのが大変だ」と反対する。

だが、小蔵さんたちは耳を貸さなかった。その約7日後のこと。父親は、実家から近い療養病院に母親を転院させることを勝手に決めてきてしまった。
「後から分かったのですが、父は家から近い病院に片っ端から電話をしたり足を運んだりして、受け入れ先を探したようです」
毎日のように面会に行こうとしたり、家から近い病院を探すなど、両親の夫婦仲の良さが伺える。両親は父親の兄の会社で母親がアルバイトを始めたことがきっかけで出会い、お互いが24歳で結婚、母親が28歳の時に小蔵さんが生まれている。
2022年2月。母親は実家から車で20分ほどの病院に転院。コロナ禍ではあったが、父親は病院の許可を得て、足繁く面会に通った。
そして2023年1月。母親は心不全で亡くなった。87歳だった。
■ベッドに犬。
家の中に知らない女性
三姉妹の長女である小蔵さんは、高校卒業後にIT系の会社に就職し、27歳の時に知人の紹介で小さな建築会社を営む男性と知り合い、28歳で結婚。現在は実家から車で1時間くらいのところで夫と愛犬2匹と暮らしている。
3歳下の次女は高校卒業後に製造業の会社に就職し、28歳で結婚。実家を出て、現在は車で10分くらいのところで夫と息子と3人で暮らしている。
次女より12歳下の三女は、未婚で実家に残り、ガス機器関係の会社に勤めていた。
公務員だった父親は60歳で定年退職後、70歳まで民間企業で働き、その後は農園を借りて野菜を育てたり、夫婦であちこち旅行したりして過ごしていた。
「母が亡くなってから父は、三女が窓を閉めただけで、『窓の締め方に悪意を感じる!』と言って怒り出すなど、『怒りっぽくなった』とか『自分で言ったことをよく忘れる』とか『時間が守れない』とか『食べこぼしが多い』などと、三女から愚痴を聞いていましたが、正直、老人あるあるだと思っていました」
しかし2023年6月。週に2回通っているトレーニング型デイサービスから、
「朝迎えに行ったときに、準備ができていないので支度をちゃんとしておいてほしい」
というクレームが入ったと三女。
三女は出勤前に父親に着替えをさせ、必要なものをバッグに詰めて出勤している。なのに、デイサービス職員によると、迎えに行くといつもパジャマの姿でソファに座っていると言う。どうやら父親は、三女が出勤した後、また自分でパジャマに着替えてしまっているようだ。
三女に泣きつかれた小蔵さんは、父親に「着替えたらダメだよ」と言い聞かせたが、父親は自分で着替えたことを覚えていないという。

■歯磨き粉やお菓子の乾燥剤を食べた
それだけではなかった。父親は、犬など飼っていないのに、「ベッドに犬が座っている! どけてくれ!」と言って騒ぎ出し、いないと言うと「嘘をつくな!」と怒鳴る。仕方がないので追い払うふりをして、「犬はお家に帰ったよ」と言うと、「そうか」と安心した様子で眠った。
またあるときは、リビングで突然部屋の隅を指さして、「あそこに知らない女の人がいる!」と騒ぎ出すため、犬の時と同様「もう帰られたよ」と言うと「そうか」と納得した。
小蔵さん姉妹がかかりつけ医に相談し、父親は認知症検査を受けた。その結果「重度の認知症」と診断。要介護認定は要介護2だった。
しばらくすると、歯を磨くときに歯磨き粉を食べてしまったり、お菓子の乾燥剤を口に入れたりするようになり、目が離せなくなってしまう。
そんな中、父親がパジャマに着替えてしまう問題が解決しないため、デイサービスから契約打ち切りの申し出があった。
■三姉妹が抱える3つの問題
2023年9月。小蔵さんたち3姉妹は、3つの問題を抱えていた。1つ目は、担当のケアマネジャーのレスポンスが悪いこと。
父親の新しいデイサービス探しをケアマネジャーに相談したが、2週間待っても返事がなかった。困った小蔵さんたちは、自力で探すことにした。
2つ目は、父親がトイレの失敗をし始めたこと。トイレに間に合わず、失禁・便失禁が増え、父親はリハビリパンツを履き始めたが、それでも漏らしたり汚したりしてしまうため、三女はひたすら掃除や消臭に明け暮れていた。
そして3つ目が、三女と次女の考え方の違い問題だった。
子どもの頃から三女は几帳面、次女は大雑把だった。例えば母親が入院していた頃のこと。次女が「面会に行くついでに洗濯物を交換してこようか?」と言うので、三女は洗濯物の回収をお願いしたが、仕事から帰ってみると、玄関に持ち帰った洗濯物がポンと置いてあった。三女は、「洗濯をしてほしいとまでは言わないけれど、水につけるなり、洗面所に持って行くなりしてほしい。ただ持ち帰るだけで手伝った感を出されるのが面白くない」と不満を漏らした。
一方、次女は、母親が倒れた時も父親の時も、「私が在宅介護をする!」と言い出したが、三女は、「在宅介護なんて生半可な気持ちで簡単にできるものじゃない。仕事や家事が忙しい次女がどうやって介護するのか。義兄さんや息子くんの了解をとっているのか。介護休暇には期限があるから、その先をどう考えているのか不安しかない。途中で『無理!』って言い出しそうで怖すぎる」と猛反対。
■妹たちから愚痴を聞かされ続ける長女
子どもの頃より2人から別々に愚痴を聞かされ続けてきた小蔵さんは、次女には、「次女が在宅介護をしなくても、三女が同居しているのだから、三女にお願いされたことをやってあげればいいんじゃない?」とやんわりとたしなめ、三女には、「次女には当たり障りのないことを頼んで、頼むときは細かく指示したらどうかな」とアドバイス。
「次女は、私が同席しているときは三女にあれこれ言わないみたいなので、両親の介護関係で次女が来る時は必ず私も参加するように三女に頼まれていました」
三女が仕事に行っている間、父親を1人で置いておけなくなってきたため、小蔵さんたちは片っ端からデイサービスの事業所に電話して見学の予約を入れ、土日合わせて3事業所ずつ見て回った。
そして、看護小規模多機能型居宅介護(通称:看多機※)」に見学に行った時のこと。
註:「看多機」とは、訪問看護、訪問介護、通い(デイサービス)、泊まり(ショートステイ)の4つのサービスを提供し、医療ニーズが高い在宅療養者を支援するための介護保険サービス。4つのサービスを一つの事業所のスタッフが受け持つため、顔馴染みとなり、利用者が安心してサービスを受けられるほか、4つのサービスの利用手続きが1度で済むというメリットがある。
小蔵さんたちは、その施設のケアマネジャーAさんの丁寧で親切な対応に感動。小蔵さんの父親に合ったケアプランを作ってくれた上、送迎の際に着替えや荷物の準備までしてもらえるという。
小蔵さんたちはその「看多機」に即決した。
■病院絡みのトラブル続発
小蔵さんたち姉妹は、症状が重くなってきていた父親を、近所で有名な認知症専門病院の医師に診せることにした。
ところが、認知症専門病院の医師は「今頃連れてきてもどうしようもない」「今まで通りあなたたちが面倒をみればいい」などと冷たく言い放った。
仕方がないので、次の候補の、老人医療に力を入れていると評判の総合病院に連れて行くと、認知症薬での治療を開始することに。
投薬治療が始まってしばらくすると、父親は食欲が減退し、みるみる元気がなくなっていく。主治医に相談しても、「様子を見てください」と言われるだけ。ついに父親は起き上がれなくなり、呼びかけに反応しなくなってしまった。
「何かあったらいつでも良いので連絡してください」と「看多機」のAさんに言われていたことを思い出し、小蔵さんが連絡すると、Aさんはすぐに「看多機」の看護師を手配。看護師の判断で、救急車を呼んだ。
搬送された病院で、父親は40度近い熱があることが判明。解熱剤と栄養剤を点滴され、熱が下がると、「一旦帰宅し、明日また受診してください。今ここでできることはもうないです」と帰宅を促される。
「老人といえども、力の入らない大の男を、三女と私でどう連れ帰れと? と思いました。でも、Aさんがいてくれたので、3人がかりで後部座席に乗せて、そのまま看多機の施設でショートステイすることになりました。Aさんがいなかったらどうなっていたかと思います」
■電話口の声の主は夫ではなかった
Aさんのアドバイスで要介護認定を受け直したところ、父親は要介護2から要介護5になった。
「その後、父は認知症薬を断薬して、元通りとはいきませんが元気になり、ホッとしました。姉妹の間では、認知症薬の副作用だったのではないかと疑っています」
そんな父親がらみのトラブルに右往左往していた2023年11月。
その日の夜は急に冷え込んだ。いつもと同じ、20時半ごろに夫から「これから帰る」メールが届いたにもかかわらず、21時半を過ぎても夫は帰ってこない。
痺れを切らした小蔵さんがスマホに電話をかけてみたが、電話に出ない。
22時になろうとしているにもかかわらず、何の連絡もない状況に焦りを感じた小蔵さんは、何度も夫に電話をかける。何度目かの電話でやっとつながったと思ったら、電話口の声の主は夫ではなかった。

----------

旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

----------

(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
編集部おすすめ