家族に要介護の人が出て介護離職するという人は少なくない。だが、60代女性は両親の病気や介護に加え、突如脳出血で倒れた66歳の夫を全身全霊でケアする。
病院の治療や対処法に違和感を覚えつつ、暗中模索しながら生活していくさまをノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが取材した――。
前編のあらすじ】三姉妹の長女である小蔵みどりさん(仮名・60代)は、高卒後にIT企業に就職し、28歳の時に小さな建築会社を営む男性と結婚。公務員だった父親は60歳で定年退職後、70歳まで民間企業で働き、その後は農園を借りて野菜を育てたり、夫婦であちこち旅行したりして過ごしていたが、2021年9月に母親が硬膜下出血で救急搬送され、2023年1月に母親が87歳で亡くなった。その直後、父親の認知症が進んでいたことが判明。3姉妹で協力し合いながら父親をケアした。ところが2023年11月。小蔵さんはいつものように夫から「これから帰る」メールが届いたが、1時間経っても帰ってこない。夫のスマホに電話をかけると、電話に出た相手は夫ではなかった――。
■「これから帰る」メール後に帰ってこない夫
父親がらみのトラブルに右往左往していた2023年11月のある日。
小さな建築会社を経営していた66歳の夫は、朝、いつも通りに出勤。夜20時半ごろ、いつも通りに「これから帰る」メールが届いた。
中国地方在住の小蔵みどりさん(仮名・60代)は、夕飯の支度をして、夫の帰りを待つが、21時半を過ぎても夫は帰って来ない。
スマホに電話をかけてみたが、電話に出ない。22時になろうとしているにもかかわらず、何の連絡もない状況に焦りを感じた小蔵さんは、夫に何度も電話をかける。
何度目かの電話でやっと電話がつながったと思ったら、電話口の声の主は夫ではなく、救急隊員だった。
「夫さんは言葉が出ず右側の反応がない状態です、今搬送先を探していますので、決まりましたら折り返します」
びっくりした小蔵さんにそう告げて、電話は切れた。
約10分後、救急隊員からの連絡を受けると、小蔵さんは飼っていた2匹の犬を寝かせてから搬送先の病院に向かった。
■どこを見ているかわからない夫
病院で再会した夫は、目は開けているのにどこを見ているかわからず、声をかけても反応しない状態で、ただストレッチャーの上で頭をグラグラ揺らしていた。
医師からは、「左被殻出血です。どの程度かは現時点では不明ですが、後遺症は残ります。何か質問があれば、いつでも聞いてください」と説明があった。
左被殻出血とは、大脳の中央付近にある被殻という部位に、血管が破れて脳出血が起こる病気だ。運動機能の重要な部分である被殻が損傷されるため、一般的に、出血した側と反対側の片麻痺(体の片側の麻痺)が起こる。左脳の被殻出血の場合、右半身の麻痺に加え、言語障害(失語症)が起こる可能性が高い。

小蔵さんは、病院事務や看護師から言われるままにさまざまな書類にサインすると、夫の車を回収するために一度帰宅することにした。
病院から出ると、辺りは白々と明け始めていた。
夫は小蔵さんに帰るメールをして会社を出た後、愛犬のドッグフードを買いに立ち寄った店の駐車場で倒れた。その後、たまたま通りかかった散歩中の人に発見され、救急搬送されたらしい。
店は自宅から徒歩10分くらいだった。
助手席には食欲がなくなっていた愛犬の好物の缶詰と、夫が毎朝飲んでいるドリンクが入ったエコバッグが置かれていた。帰るメールやレシートの時間、夫のスマホの着信履歴などから推察するに、夫は車の脇で、1~2時間倒れたままだったようだ。
「よりによって、こんな寒い夜の21時すぎ。運転中でなかったのが不幸中の幸いでした」
小蔵さんは思わず「不運だったよね……」と誰もいない駐車場で1人つぶやくと、初めて涙が溢れてきた。
■後ろ向きなスタッフと面会制限
夫は緊急搬送された病院で手術を受け、入院した。
1週間後、夫は発熱のため同席できなかったが、小蔵さんは医師からの病状説明と今後についての話を聞き、最後に若い女性のソーシャルワーカーから特養の見学に行くように言われた。
コロナ明けということもあり、搬送された日以降、夫の顔を見ることがなかなかかなわないまま、3週間後に夫は同じ病院のリハビリ病棟に移動。

小蔵さんは病院の指示通り、介護保険の申請や特養の見学などをこなした後、夫が経営していた小さな建設会社の残務処理を始めた。なんとか廃業手続きを終えると、経済的な不安から派遣社員に登録。週5で働き始めた。
夫が倒れてからちょうど1カ月後、ようやく夫との対面を果たし、夫婦同席で初めてのカンファレンスを受けることになった。
「約1カ月ぶりに目にした夫は、車椅子に乗せられて表情はなく、どこを見ているかわからないうつろな目をして、体はぴくりとも動かないのに、頭だけはずっとグラグラと揺れ続けていました。正直私は、『こんな人、これからどうしたらいいの……?』と思っていました」
カンファレンスでは、リハビリ担当になった医師、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士、ソーシャルワーカーから挨拶があった。中でも言語聴覚士は、「今の症状は今後ほとんど残ると思います。失語症で話せません。こちらの言っていることも理解できません。その他の障害については、ご本人が話せないのでわかりません」と説明。
■釈然としない気持ち
小蔵さんは釈然としない気持ちになった。
その後特別に15分だけ、夫と義姉とで話す時間がもらえた。

「無言のまま座ってるだけの夫でしたが、名前を呼ぶと顔を向けてくれました。それを見たら初めて涙がこぼれました。コロナが明けたばかりで面会禁止時間が長く、平日のみで一日6枠しかありません。電話予約の激戦を勝ち抜いても、たった15分会えるだけ……。私は、『こんな病院ではダメだ』と確信しました」
小蔵さんは帰宅後、すぐにネットで高次脳機能障害専門のリハビリ病院を検索すると、現在の病院のソーシャルワーカーとの面談の予約を取り付けた。面談当日、小蔵さんは、ソーシャルワーカーが若い女性から30代半ばくらいの男性に担当が変わったことを知らされた。
男性のソーシャルワーカーに小蔵さんは、
「本格的なリハビリが始まったばかりなのに『できない、良くならない』と言い切られると、やる気がないのかと思ってしまいます。プロの経験上良くならないと判断されたとしても、情熱を持った前向きな方たちに夫を任せたいです」
と訴え、高次脳機能障害の専門病院に転院したい旨を申し出た。
小蔵さんが特に問題視していたのは、カンファレンスで挨拶した言語聴覚士と、特養の見学を勧めてきた女性のソーシャルワーカーだった。
すると男性のソーシャルワーカーは、女性のソーシャルワーカーの特養見学の依頼は「時期尚早だった」と謝罪。そして小蔵さんの訴えを、問題の言語聴覚士をはじめ、夫を担当する医師、作業療法士、理学療法士に共有することを約束した。その上で、高次脳機能障害の専門病院への転院までの道筋を説明。

「今まで、病院の治療方針やスタッフの行動に疑問を持ったり意見を言ったりしたことはありませんでしたが、初めて疑問や意見を伝え、ちゃんと受け止めてもらえたので、勇気を出して良かったです」
■コロナ陽性、憩室出血、腸閉塞…
2024年3月上旬。夫は、小蔵さんが希望する高次脳機能障害の専門病院へ転院することになった。事前の診察に連れて行くため、入院中のリハビリ病院に迎えに行くと、「今から専門病院に診察に行くからね」と声をかける。
すると突然、「なんで?」と口にする夫。
「専門の先生にみてもらうんだよ……って、え⁈ 今、『なんで』って言ったよね?」
倒れてから約3カ月。今まで「あ~」や「う~」さえ発せなかった夫が、「なんで?」と口にしたのだ。
びっくりしながらも、時間が迫っていたため、夫を車椅子に乗せ、介護タクシーで専門病院へ向かう。
その道中、車の中で夫が好きだったテレビ番組の動画を見せると、声を上げて笑ったり、車椅子を押す小蔵さんに「まっすぐ」「右」などと指示を出したり。専門病院の食堂でランチをしたときは、小蔵さんが残したご飯を見て、「またいっぱい残して~」と口にするなど、驚きの連続。
■高次脳機能障害の専門病院への転院
高次脳機能障害の専門病院事前の事前診察に連れて行ってからというもの、小蔵さんの心は軽くなっていた。
「自分にできる最高の道筋をつけることができた。後は夫が頑張るだけ。
そう思っていました」
ところが3月下旬。夫がコロナ陽性になったとの連絡がある。
それでなくても自由に面会できないにもかかわらず、さらに面会ができなくなった。
そして4月。夫は憩室出血を起こし、「貧血がひどい状態のため、2、3日絶食を行い、出血が止まらない場合は、専門医のところへ転院になる」との連絡があり、そのすぐ後には「腸閉塞を起こした」との連絡がある。
連絡を受けてから14日ぶりに面会が許可されたが、夫は数カ月前のうつろな表情に戻ってしまっていた。しかも、小蔵さんや看護師に声を荒らげるなど、不機嫌な状態が続く。
「結婚を決めた理由が、『今まで出会った人の中で、一番怒らない人だから』というほど、夫はとても穏やかな人で、『人に文句を言うくらいなら、自分が我慢すればいい』と言うような人でした。私は夫の変わりように、『これからどう生きていったらいいんだろう』と思うほど大きなショックを受けました」
そんな状態のまま、5月に高次脳機能障害の専門病院への転院が決まった。
■「在宅介護は無謀」四面楚歌の中で
専門病院への転院後、2週間かけての検査の結果は、「施設入所が妥当。在宅介護は無謀」との判定だった。
しかし小蔵さんは諦めなかった。片道1時間半かけて毎日病院に通い、リハビリに挑む夫を励まし、「4カ月の入院で、可能な限り在宅に向けてリハビリを頑張りましょう」という医師の言葉を引き出した。
すると、以前の病院より雰囲気が合っていたのか、少しずつ以前の穏やかな夫に戻っていった。しかし、4カ月後の6月。主治医から、
「仕事をしながらワンオペで自宅介護は無理です。施設が妥当でしょう」
と言われ、またしても小蔵さんはショックを受けた。
8月に夫は障害者手帳1級を取得。11月には要介護4と認定された。
小蔵さんは特養の見学にも行ったが、どこも80歳以上の人ばかり。とても66歳の夫を預ける気にはなれなかった。
■「私がトイレに連れて行っていいですか?」
夫は倒れてから半年以上オムツを使用していたが、小蔵さんは夫に尿意があることを確認。そのことを医師に伝えたが、「マンパワーが足りないので、トイレ誘導は難しいです」と言われてしまう。そこで作業療法士に
「マンパワーがないのであれば、私が面会に来た日は、私がトイレに連れて行っていいですか?」
と相談。すると作業療法士は、
「リハビリチームに参加し、ベッドから車椅子の移譲やトイレ介助の仕方をマスターできたら、面会時のトイレ誘導を許可してもらえるよう、医師に掛け合ってみます」
と言ってくれた。
「医師からも、ケアマネさんからも反対されていた在宅介護ですが、応援してくれた唯一の存在が、作業療法士のBさんでした。Bさんは、『ベッド⇔車いす⇔便座の移乗のポイントをわかりやすくまとめた写真付きのマニュアルを作成し、私にレクチャーしてくれました」
さらに小蔵さんは、退院後に安全に生活できるよう、リハビリ専門職などが自宅を訪問し、住宅環境の確認や必要な改修・福祉用具の導入を提案する「家屋調査」に向けて、自宅の清掃やワックスがけなどをこなし、自分にもしものことがあった時のために保険の見直しを実行。夫と共に、2カ所のデイサービスの見学を行った。
そして12月。夫は無事オムツを外し、退院。医師に反対されながらも、自宅介護に踏み切った。
■「自分が」後悔しないために
現在夫は、デイサービスやデイケアを週3日、訪問リハビリを週2日、そのほかに訪問診療や訪問歯科、訪問看護などを利用しながら、自宅で生活している。
右に麻痺がある夫は車椅子生活だが、左側のステップは撤去し、トイレなど、家の中の移動は左足を使って自走する。食事も、左手であれば自分で食べられる。ただ、倒れた後、嚥下障害になってしまったため、水分はケチャップ状のとろみをつける必要があった。
しかし、最も大変だったのは、やはり排泄だった。
夫は、車椅子に座っている昼間は自分でトイレに行くことはできたが、移乗が必要なため、就寝後のトイレは介助が必要だったのだ。
退院後しばらくは、夫は就寝後、2時間おきにトイレに行きたがったため、小蔵さんはまとまった睡眠時間が取れず、寝不足になってしまった。
そんな2025年5月。23時頃トイレに行き、就寝したが、2時30分、4時25分に呼ばれてトイレ介助する。小蔵さんが眠い目を擦りながらトイレに連れて行っても、尿はほとんど出ない。そのためつい、
「もういい加減にしてくれない? 2時間おきにトイレっておかしいでしょ。もう朝まで寝て!」
と声を荒らげてしまう。
■鬼嫁”に合わせてくれる“唯一の人”
すると翌朝、久しぶりに5時間以上連続で眠り、8時頃に目が覚めた小蔵さんは嫌な予感がした。急いで夫の布団を見ると、パッドを汚していた。
「なんで呼ばないの?」

「怒ったから……」
「基本的に夫には、元気な頃と変わらない接し方をするようにしています。というか、それしかできないです。ダメな時はダメといい、ほめるときはほめる。わかってもわからなくても、してほしくないことはしてほしくないと言いますが、それが感情的になってしまうことがどうしてもあります。その一番の原因は、排泄の失敗ですね。精神的にも肉体的にもうんざりして、嫌になります」
小蔵さんは優しくできない自分を責めるが、必ず謝り、仲直りしている。幸いなことに、最近は夫は、退院直後よりも長時間眠ってくれるようになってきた。
だが、寝不足になったり、排泄の失敗で「嫌になる」と言いながらも、小蔵さんが在宅介護にこだわったのはなぜだったのか。
「どうして在宅介護にこだわったのか……それは自分でも謎です。夫が元気な頃も、私は特に夫さんを大切にしていたわけでもなく、妹たちにはよく『鬼嫁』と呼ばれてました。ただ夫は、自分のやりたいことを優先し、思ったことをそのまま口にする私を許して、合わせてくれる唯一の人です」
本人は「謎」と首をひねるが、“唯一の人”という言葉が全ての理由を物語っている。
一方、父親は2024年2月に特養に入所したが、2025年5月に原因不明の発熱で入院。6月には食事が取れなくなり、医師から胃ろうの説明がある。小蔵さんたちは姉妹で話し合い、「胃ろうはしない」ことを選択。退院して特養に戻り、7月に亡くなった。
小蔵さんは今、医師からあれほど反対された、仕事と在宅介護を両立させた生活を実現している。だが、目下の不安は「経済的な不安」だと話す。
「収入は、夫の障害年金と私の給料です。1カ月の生活費は、25万~30万程度で、5万~6万円を貯金から補填しています。貯金が潤沢にあるわけではありませんが、2人で細々とした生活ならできるかなぁと呑気に構えています。けれど、そろそろしっかり考えないと……とは思っています」
振り返れば、母親が救急搬送され、父親が認知症になり、両親の介護は三女がキーパーソンだったが、そんな最中に夫が倒れ、自分がキーパーソンとなる介護が始まった小蔵さん。
突然始まった介護に戸惑いながらも、小蔵さんは常に自分がどうしたいかを考え、医師や介護チームにそれを伝えてきた。
自分の人生を諦めてまで介護をする必要はない。だが、小蔵さんが「『最終的には、責任をとるのは自分!』という揺るぎない覚悟があるので、開き直って介護できているのかもしれません」と言うように、自分が後悔しないために、納得のいくまで行動することは必要だ。
夫は少しずつ口数や笑顔が増え、冗談を言えるまでに回復した。
妹たちは、時々手伝いに来てくれる。おそらく小蔵さんなら、夫が元気な頃に話していたという「2人で船旅をする夢」を実現できるに違いない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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