NHK「ばけばけ」では、小泉八雲がモデルのヘブン(トミー・バストウ)の動向を新聞記者が追いかける姿が描かれている。史実ではどうだったのか。
ルポライターの昼間たかしさんが、当時の新聞記事などから迫る――。
■恰好の“新聞ネタ”になった小泉八雲
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。物語で欠かせない脇役の1人が新聞記者の梶谷吾郎(岩崎う大)。初回の登場となったのは10月の第5週。ヘブンが松江にやってきた様子を取材している場面では「ヘブン先生は、100万を超える大群衆の歓迎に喜びの涙を流していた」とかありもしない様子をメモして、視聴者に不穏な気分を抱かせていた。
その後もネタを求めて花田旅館にやってきては、あれこれと聞いていくがヘブンの日常を聞いても「そんなの記事にならない」と一蹴するばかり。
ところが史実はそんなことはない。
当時の松江には有力な新聞社がふたつ。1882年に創刊された「山陰新聞」(現在の「山陰中央新報」)と、1890年に創刊したばかりの「松江日報」である。当時、新聞はすべての階層の人々にとって、もっとも重要な情報源。しかも当時「山陰新聞」は隔日刊だったのに対して「松江日報」は山陰唯一をうたう毎日発行の新聞であった〔中国電力(株)エネルギア総合研究所「エネルギア地域経済レポート」No.467 2013年〕。
そんな二つの新聞が火花を散らしているところに赴任したのが、小泉八雲である。
月給100円という当時の県知事級の給与で招聘された外国人英語教師。しかも誰も読んではいないが「アメリカではすごい文豪だ」という話も伝え聞いている。地方紙にとって、これ以上のネタはない。いわば松江に突如ハリウッドスターが引っ越してきたようなものだ。
■新聞記者「いったん家に帰って洋服に着替えてから向かった」
つまり、八雲が朝起きてから寝るまですべてがニュースとして価値がある。息をしているだけで記事になるのだ。
例えば「松江日報」1890年9月14日付の記事は、新聞社がいかに、八雲をニュースのネタとして期待していたかを示すものだ。
赴任したばかりの八雲の人となりを示す記事なのだが、なぜか記者が冨田旅館を訪れるまでのくだりが異様に長い。まず冒頭で、最近日本に在留している外国人は日本の文化習俗を野蛮なものだと悪し様に書き記す者ばかりだ、と前置きしてから、ようやく本題に入る。
今度本件に雇入れられたる御雇教師ヘルン氏は感心にもまったくこれに反して日本の風俗人情を賞讃すること切りにして、その身も常に日本の衣服を著して日本の食物を食し只管日本に癖するが如き風あり氏が当地に着松せりとの報に接するや成人は直ちに尋ねんと思いたれども何分唯一枚の浴衣を著けたるのみなれば斯様なる風にて始めて当地に罷り越したる外人を尋ぬるは大にその礼を失するものならんとて態々其家に帰りて洋服に著換へそれより氏の旅宿に赴きたる……
今度来るヘルン先生は、よくいる外国人とは違って日本の文化を賞讃し、着るものも食べるものも日本のものにハマっている。それを聞いてすぐ旅館を訪ねようと思ったが、あいにく記者自身が浴衣一枚だったので、いったん家に帰って洋服に着替えてから向かったというわけである。
■「主観」と「ネタ」が入り混じる表現
これ、当時の読者も「いや、知らんがな」と思ったのではなかろうか。
記者の服装なんて誰も興味ないし、そもそも取材対象が「日本の衣服を着ている」というのに、わざわざ、家に帰って洋服に着替えたとか、やってることがいちいちおかしい。
そして、出迎えた八雲は当然浴衣姿。しかも記者が洋服なので座布団には座りにくいだろうと、椅子をすすめて自分は浴衣のまま座布団に坐って話をしはじめた。ここで、記者はこう記している。
然らば態々洋服を着換えざりしものと後悔したり
これ、絶対わざとやっている。記者がマヌケなことを繰り返して読者を笑わせようとしているとしか思えない。主観込み、ネタ込みで書くこのスタイル。「松江日報」は想像以上にエンタメに振り切った新聞だったのかもしれない。
ここから先、松江滞在中を通して八雲はすべてが新聞の話題となる人物だった。とりわけ、八雲が日本の事物に深く関心を持っていることは興味をひいた。9月に出雲大社に参拝した際には、さっそくこれが記事として報道されている。
■新聞記者が“常にくっついていた”
さらに10月、松江市内の龍昌寺を訪れた八雲は、そこにあった石地蔵に魅了されさっそく作者である荒川亀斎の自宅を訪問している。
「山陰新聞」1890年10月5日付の記事では、最初に名前を知らないまま訪問したら留守だったが、翌日荒川の名前を聞いて、改めて訪問。長らく荒川の作品を絶賛したことが記されている。
この記事からは記者たちが常に周囲の人から八雲の動向を聞いて、時には後ろをくっついていって取材していた様子が窺える。
ここから先、八雲は松江滞在中を通して、すべてが新聞の話題となる人物だった。とりわけ、八雲が日本の事物に深く関心を持っていることは格好のネタだった。
9月に出雲大社に参拝すれば、即記事。10月、松江市内の龍昌寺を訪れて石地蔵に魅了され、作者である荒川亀斎の自宅を訪問すれば、これまた記事である。
「山陰新聞」1890年10月5日付の記事を見てみよう。八雲は最初、名前も知らずに荒川宅を訪ねたが留守だった。翌日、名前を聞いて改めて訪問し、長らく荒川の作品を絶賛したと報じている。
この記事も、よく考えるとなかなかにオカシイ。記者はなぜそこまで詳しく知っているのか。
これ、記者が常に周囲の人から八雲の動向を聞き出し、時には後ろをついて回っていたとしか思えない。いかに八雲が大スターであったかを彷彿とさせる記事だ。
■それでも八雲が“キレなかった”理由
ついには、なんでもいいから記事にしておこうという気持ちになったのだろうか。「山陰新聞」1891年3月27日付では、八雲が散歩中に稲荷社に奉納された石に狐が刻まれているのを珍しいといい、すぐに写真家を呼んで撮影させたことを報じている。
これ、何のニュースなのか。
散歩して、石見て、「珍しい」と言って、写真撮った。たったこれだけで記事一本である。もはやネタ切れを通り越して、日記レベルに達している。
普通ならここで「もう勘弁してくれ」とキレてもおかしくない。人付き合いに消極的な八雲ならなおさらだ。
ところが、八雲はキレない。理由は簡単。
自分も元新聞記者だからである。しかも上品な文芸欄担当ではない。殺人現場で被害者の死体を事細かに描写し、スラムに潜り込んでルポを書く。そういうタイプの記者だった。いわゆる「イエロー・ジャーナリズム」の申し子である。だから、わかってしまうのだ。記者たちの「とにかくネタが欲しい」という切実な気持ちが。そして断れない。
元記者として、後輩たちの苦労を見捨てることはできない。むしろ協力的だったというから、八雲も相当な人物である。
■セツの“相当な覚悟と深い愛情”が垣間見える
さて、そんな「松江のビッグスター」と結婚することになったのが、セツである。前回の記事(小泉八雲の「妻」とは呼ばなかった…130年前の新聞が書き立てた「ばけばけ」モデル・セツの“理不尽な肩書”)で書いたように、セツは妾になる覚悟もあった。
それだけでも並大抵の決意ではない。
いわば松江では知らない人のいない大スターとの結婚である。それに、セツは新聞を読んで八雲が散歩すれば記事になり、石を見ただけで報道される「常に注目される存在」だということを、よく知っていたはずだ。
そんな人物と結婚すれば、自分もまた世間の視線にさらされる。プライバシーなど、あってないようなものだ。なにしろ毎月の給料まで報じられているのだから、ちょっと大根を買っただけでも世間のやっかみがないはずはない。
それでも結婚を決めた。
これは単なる恋愛感情だけでは説明できない。相当な覚悟と、そして何より、深い愛情がなければできない選択である。セツという女性の芯の強さが、ここに表れている。
当然、結婚後はセツも新聞のネタにされている。「山陰新聞」1891年6月28日付の記事では、こんな風に詳細に記されている。
ヘルン氏の妾は南田町稲垣某の養女にて、其実家は小泉某なるが、小泉方は追々打つぶれて母親は乞食とまでに至りしが、この愛妾というは至って孝心にて養父方へは勿論、実母へも己の欲をそいで与える等の心体を賞して、ヘルン氏より15円の金を与え、殿町に家を借り受け道具等をも与え、爾来は米をも与えることとなせりという。
■「好奇」と「軽蔑」をものともしなかった
一見、セツは零落した実家に仕送りをしていて、なんと孝行娘なのかと褒めているようにも見える。
しかし、実際にはかなりとんでもない記事である。実家が落ちぶれて母親が乞食になったこと、八雲が15円を与えたこと、殿町に家を借りたこと、道具を買い与えたこと、米の仕送りまで全部書いてある。プライバシーなど、まったくない。
いや、そもそも「褒めている」体裁をとりながら、実家の没落を「母親は乞食とまでに至りしが」と、わざわざ書く必要があるのか。これ、完全に好奇の目である。ともすれば没落した士族の娘が、高給取りの外国人教師の嫁になってうまくやっていると世間から後ろ指をさされそうである。
おまけに、この時期の新聞は常にセツを「妾」あるいは「愛妾」と書いている。
確かに、まだ八雲とセツは正式な入籍をしていなかったが実質的には夫婦であった。それを、妾や愛妾と書くところには、どこか嘲りのようなものを感じる。
きっと新聞は、没落した士族の娘が、高給取りの外国人の「愛妾」になってうまいことやっているという、世間の人の昏い気持ちを代弁したつもりだったのだろう。美談として書いているようで、実際には好奇と羨望、そして軽蔑が入り混じった視線にさらされたセツはどのような気持ちだったのか。
それでも、セツはそれらをすべて承知の上で八雲と生きることを選んだ。世間の好奇と軽蔑の視線をものともせず、ただ愛する人と共に歩むことを選んだのである。
やはり2人の夫婦愛は素晴らしい。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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