NHK朝ドラ『あんぱん』で、やなせたかしの妻をモデルにした主人公・のぶが「頑張ったつもりだったけど、何者にもなれなかった」と涙ながらに語るシーンは大きな反響を呼んだ。脚本を担当した中園ミホさんは「思うように生きられなかった世代の女性たちから共感の声が数多く届いた。
このセリフは、同窓会で友人から聞いた言葉がヒントになっている」という――。
※本稿は、中園ミホ『60歳からの開運』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
■胸を打たれた『赤毛のアン』作者の言葉
「曲がり角の先に何があるのかはわからない。でもきっと素晴らしいものがあるに違いない」
朝ドラ『花子とアン』で引用した『赤毛のアン』の作者、L・M・モンゴメリーの言葉です。私はこの一言で、翻訳家・村岡花子のドラマを書こうと決めました。この言葉をどうしてもみなさんに伝えたかったのです。
人生には必ず、横殴りの雨に降られたように、今までのすべてが崩れてしまうことが起こります。
その時に、「この先、これをきっかけにいい変化が起きて、必ずいいことが起きるんだ」と信じて暮らすのと、「このままガラガラと落ちていくんだ」と絶望にうずくまるのだったら、たとえ結果は同じだったとしても、前者である方が幸せだと思うのです。少なくともその瞬間は、ずっといいはずです。ここは何かの入り口で、必ずその先にはいいことが待っていると思えば、絶対にそちらの方が、気持ちがラクではないでしょうか。
■つらいことの先にはいいことが待っている
私自身、仕事が途切れて不安になった時に朝ドラのお仕事が来て、書いている最中は締切に追われて大変な思いをしましたが、やっぱりやってよかったし、頑張った分、終わった時に見えてくる景色は違ったものになっていました。そして、これからはもう何があっても怖くない気持ちになりました。

この言葉は、必ずいいことしかないと考えるポジティブシンキングとは少し違います。つらいことはつらいし、よくないことはよくないこととして受け止めるけれど、それが通り過ぎたところには、きっと素晴らしいものが待っていると信じて、逃げずにご機嫌にやり切るということです。それでもつらいという時もあるでしょう。そんな時は、これだけ覚えておいてください。
「人生は失えば失うほど、幸運が舞い込む余地が生まれる」
そう考える癖をつけていけば、ご機嫌になる時間が劇的に増えます。だって、普通は不機嫌になってしまう時間が、ご機嫌な時間になるのですから。そうなれば、こっちのもの。気づけば強運体質になっているはずです。60歳からは新しい人生です。今、どんなに苦しくても、強運を味方につける生き方をしていれば、2週目の人生はきっとたおやかな花が咲くことでしょう。
■表舞台から姿を消したやなせたかしの妻
朝ドラ『あんぱん』で、中年に差し掛かったのぶが「頑張ったつもりだったけど、何者にもなれなかった」と吐露するシーンがありました。このセリフにはとても大きな反響があり、「私も同じです」という声が私のもとにもたくさん届きました。

実はこのセリフは、私の同級生が同窓会で語った言葉がヒントになっています。その同級生は学生時代、ロックバンドをやるような独立心の強い女性だったのですが、結婚して、子育ても無事に終え、「ふと、世の中から置き去りにされたような、忘れられたような気持ちになる。でも、頑張ろう」と話していました。
やなせたかしさんの妻・小松暢さんも、戦後初の女性記者であり、東京で代議士の秘書をしていたこともある女性です。高知新聞時代には、支払いをしない広告主にハンドバッグを投げつけたとか、やなせさんに「私が食べさせてあげる」と逆プロポーズしたとか、若い頃には勝気なエピソードばかりがあります。それが、やなせさんと結婚後、表舞台には一切出てこなくなります。
■誰かを支えて生きてきたことは素晴らしい
どうしてだろうと不思議に思って調べてみたところ、当時は多くの会社で女性の定年が25歳だった、ということを知りました。さすがの暢さんも、それではずっと働き続けるのは難しかっただろうと想像しました。
今、40~60代くらいの女性の方も、「腰掛けOL」という言葉が残っていた頃の世代かと思います。夢を持って社会に出て、「何者かになろう」としていても、結婚や妊娠、出産、子育てのために、キャリアを中断、あるいは諦めざるをえなかった人が多かった時代です。家族のために犠牲になったとの思いがよぎったとしても、仕方ありません。
でも、そうした人たちが「何者にもなれなかった」とは、私は決して思いません。

「誰かを支えて生きてきたこと」、その事実は素晴らしく誇らしいと思います。
そもそも、世間的に「何者かになった」とされる人は一握りです。そして、彼らを含めたすべての人が、誰かを支え、支えられながら生きています。
■才能があれば成功するわけではない
もっと言えば、「何者かになった」とされる人には、必ず闇がつきまといます。どんなに光り輝いていても、裏では血の滲にじむような努力をしていたり、フェアとは言えない理不尽な競争に巻き込まれたりしています。いつも呑気だと思われる私も、テレビの熾烈な視聴率競争でボロボロになることもあるんです(笑)。
脚本家の世界でも、才能のある人ほど挫折してしまいます。才能があれば成功する、成功した人には才能がある、というほどシンプルではありません。
ただ、「自分の人生に誇りを持つ」と言っても、世の中には自分で自分のことを「何者かになった」と勘違いして、周囲の支えてくれている人を見下すような人間も、残念ながらいます。あまつさえ、そんな人間が出世したり、経済的に成功していたりします。
でも、安心してください。私が知る限り、そういう人間はいつか報いを受けます。

自分が手を下さなくても、どこかで劇的に落ちぶれていきます。だから、いずれ不幸のどん底に落ちるんだと思って、気にしないでください。気にするだけ損です。
あなたの人生は、あなただけのものだし、運命は自分で変えられます。だからこそ、2周目の人生の準備として、運を育てる習慣を40代の頃から養っていきたいものです。

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中園 ミホ(なかぞの・みほ)

脚本家

東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、広告代理店勤務、コピーライター、占い師の職業を経て、1988年に脚本家としてデビュー。2007年に『ハケンの品格』が放送文化基金賞と橋田賞を、2013年には『はつ恋』『Doctor-X 外科医・大門未知子』で向田邦子賞と橋田賞を受賞。その他の執筆作に『For You』『Age, 35 恋しくて』『やまとなでしこ』『anego』『下流の宴』『トットてれび』『七人の秘書』『ザ・トラベルナース』連続テレビ小説『花子とアン』同『あんぱん』大河ドラマ『西郷どん』など多数。また、現在も占い師としての活動を継続中で、エッセイ『占いで強運をつかむ』『相性で運命が変わる 福寿縁うらない』(ともにマガジンハウス)、『強運習慣100』(エクスナレッジ)の執筆や、公式占いサイト『解禁!女の絶対運命』の監修も手掛ける。

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(脚本家 中園 ミホ)
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