※本稿は、出口治明『一気読み日本史』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■本能寺の大問題は「信長の跡取り」が死んだこと
織田信長は1582年6月、部下の明智光秀の軍勢に襲われて、生涯を終えます。本能寺の変ですね。
本能寺の変については、黒幕がいたとか、さまざまな陰謀論が唱えられていますが、実際には黒幕がいなかったことは、ほぼ実証されています。
部下の謀反は、下剋上の戦国時代においては世の常で、光秀もまた、この時代のプレイヤーだったのです。あの信長が、側近だけを連れて京都の本能寺にいる。その近くを、自分は1万3000人もの精鋭の兵を率いて行軍している。これは、ポーカーでいうところのロイヤルストレートフラッシュではないか。今、このチャンスをつかみさえすれば、などと考えたのではないかと想像します。
信長の享年は49。今川義元を破った桶狭間の戦いから22年、足利義昭との上洛から14年で終えた生涯でした。
本能寺の変で、織田家が窮地に陥ったのは、織田信長が死んだことばかりが理由ではありません。嫡男の織田信忠も死んでしまったことが手痛かったのです。信長はすでに、信忠に家督を譲っていましたよね。信忠は優秀でしたから、死んだのが信長だけなら、織田家の継承はそれほど難しくなかったはずです。
■あの手この手で家康を説得し、秀吉は覇権を確立
クーデタを成功させた明智光秀は、その後、結局、何もできませんでした。その間に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、備中(岡山西部)の高松城で対峙していた毛利氏の軍勢と上手に和睦して、いわゆる「中国大返し」で大軍を走らせ、山崎の戦いで光秀を破りました。
その直後に信長の重臣たちが集まった清須会議に、秀吉は信忠の3歳の子を抱いて登場します。そして、信長の次男・織田信雄と三男・織田信孝が跡目相続を争っている隙に主導権を握ってしまいました。
その後、信孝と組んだ柴田勝家を、1583年、賤ヶ岳の戦いで滅ぼし、翌1584年、小牧・長久手の戦いで、徳川家康と組んだ信雄を懲らしめます。
小牧・長久手の戦いの後、羽柴秀吉は徳川家康を臣従させます。秀吉は「信長の部下」で家康は「信長の同盟者」ですから、家康が秀吉の家臣になるのは、理屈の上ではおかしいのですが、家康も実力の差を認めたのでしょう。とはいえ、秀吉も家康に妹を嫁がせたり、母を人質に出したり、説得には苦労しています。
■藤原一族の押しかけ養子となった秀吉が新しい名字をつくる
羽柴秀吉はその後、藤原秀吉と名前を変えて、関白になります。平安時代の摂関政治と同じ、あの関白です。1585年のことでした。どうして名前を変えたかというと、関白は、藤原道長の系統の五摂家からしか出せません。けれど、秀吉は関白になろうと考えました。そこで五摂家の近衛家に養子として入るのです。押しかけ養子です。
このとき、秀吉には子どもがいなかったので、これは一代限りだろうと、五摂家の人たちは考えていました。甘いですね。
翌1586年、秀吉は天皇から豊臣という姓をもらって、太政大臣になります。藤原氏でなければ、摂政や関白になれない、将軍になれるのは源氏だけと、みんなが思っていたところに、新しく「豊臣氏」をつくってしまう横紙破りです。
■律令システムに乗っかろうとした秀吉
豊臣秀吉は、武家関白制とでも呼ぶべき体制をつくりました。関白を世襲にして、自分は太政大臣、徳川家康が内大臣となり、その下の大納言や中納言にも多くの武家が任命されました。
秀吉は、関白や太政大臣という律令制のシステムを利用して、政権を運営しようと考えたのでしょう。藤原氏を豊臣氏に置き換え、公家を武家に置き換え、朝廷の仕組みに乗っかればいいと考えていたふしがあります。
秀吉は、戦国大名を次々と臣従させ、天下を統一しました。当時は「天下統一」ではなく、「天下一統」と呼びました。
秀吉のやり方は、武力で相手を圧倒した後、それぞれの領土を安堵(保証)するというものです。例えば、長宗我部氏に土佐(高知)を安堵し、島津氏に薩摩・大隅(ともに鹿児島)と日向(宮崎)を安堵するといった具合に、もともと地盤とした土地を相手に保証しました。
別の土地に国替え(転封)することもありました。例えば、北条氏を滅ぼした後、その領地である関東には、徳川家康を入れました。その代わり、徳川氏の旧領であった三河(愛知東部)や遠江(静岡西部)には、池田輝政や山内一豊を入れました。
こうして、秀吉は、自分に近い大名を要所に配置すると同時に、古くからいた領主を土地から切り離し、新しい秩序をつくろうとしました。
■秀吉はキリスト教を弾圧ではなく黙認していた
豊臣秀吉は、キリシタンを弾圧したことで有名です。1587年に、バテレン追放令を出しています。なぜ出したかというと、諸説ありますが、長崎が貿易港としてすごく儲かっているのを知って、直轄地にしようとしたという説が、有力です。
このときの追放令について残っている文書をよく読むと、ポイントは「強制的な布教の禁止」にあると考えられます。このころのキリスト教は、大名にも信者がいたくらいで、かなりの力を持っていました。なかには、大村純忠や高山右近のように、キリスト教に傾倒するあまり、神社仏閣を破壊したり、強制的に領民を改宗させたりする大名もいました。「それは、さすがにあかんで」というだけのことです。「一般人が、個人としてキリスト教徒になるのはオッケーやで」という覚書も残っています。
「追放令」と呼ぶには、相当なザル法です。ローマ法王に拝謁した天正遣欧使節が帰国したときには、秀吉は面会しています。秀吉の時代、キリスト教は黙認されていたと考えるほうが正しいと思います。
■刀狩り後も農家には刀がたくさんあった
豊臣秀吉による「天下一統」は、かつての戦国大名たちに「土地を与えなおす」という形で進んでいましたね。これにより、戦国大名の領国は「先祖代々治めている土地」から、「関白様からいただいた土地」に変質します。
徳川家康のように、国替えされる大名も多くいました。国替えする大名は、家臣たちも連れて引っ越すことになりますが、引っ越したくない家臣もいます。家臣たちは、もともと国人で、その土地の小さな領主でもありました。引っ越しを拒んだ家臣たちは、武士の身分を捨てて、農民に戻りました。
この時代、武士と農民の区別は曖昧でした。そこに秀吉はくさびを打ちこみ、武士と農民を明確に分けていきます。
それを象徴する政策が刀狩りでした。刀狩りといっても、刀を没収したわけではなく、刀を武力行使に使うような行為を禁止しただけです。農家には、その後も刀がたくさん保存されていました。
要するに、農民は農業に専念しなさい、ということです。
刀狩りの狙いは、自力救済の禁止であり、兵農分離です。
中世の惣村では、自治が行われていましたね。惣村が年貢の納入を請け負い、裁判も行い、自警団を持ち、ときに自力救済のため武装蜂起しました。秀吉は、そんな「兵」と「農」が融合する状態を改め、武力を持つのをプロの武士に限定したかったのです。それによって、農民や僧侶の一揆を防ごうとしたのでしょう。
■全国の土地を総覧可能にした太閤検地のすごさ
刀狩りと並ぶ、豊臣秀吉の有名な政策が太閤検地です。太閤は関白を退いた人の尊称で、秀吉のことです。検地とは耕地を測量することです。
それ以前にも、大名たちによる検地は行われていました。しかし、多くの場合、村からの自己申告制で、帳簿に記載されるのは地主でした。それに対して、太閤検地では、役人が現地で実際に測量することを目指しました。また、帳簿には、実際に土地を耕作する人が記載され、農地は「石高」という「米の収穫量」の違いによって等級が分けられました。さらに、大名ごとにばらばらだった計量単位も統一しています。
この結果、全国の土地を一律の基準で総覧できる土地台帳ができました。画期的なことです。この土地台帳を御前帳と呼びます。秀吉は大名たちに、御前帳と合わせて、地名や道路、河川などを記した国絵図も提出させました。地図みたいなものですね。
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出口 治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)前学長
1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年退職。同年、ネットライフ企画(現・ライフネット生命)を設立し、社長に就任。2012年に上場。2018年よりAPU学長。読んだ本は1万冊超。主な著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『全世界史』(上・下、新潮文庫)、『一気読み世界史』(日経BP)、『自分の頭で考える日本の論点』(幻冬舎新書)、『教養は児童書で学べ』(光文社新書)、『人類5000年史』(I~IV、ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文春文庫)、『日本の伸びしろ』(文春新書)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『復活への底力』(講談社現代新書)、『「捨てる」思考法』(毎日新聞出版)など多数。
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(立命館アジア太平洋大学(APU)前学長 出口 治明)

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