■無観客上映の毎日から「聖地」へ
阪急塚口駅を出てすぐの場所にある商業施設・塚口さんさんタウン。日常の買い物から雑貨まで揃うショッピングモール内の一角に、塚口サンサン劇場(以下、サンサン劇場)はある。
1953年に塚口劇場として誕生し、1978年の阪急塚口駅周辺開発に伴い、同施設の開業と同時に現在の名称へと改められた。周囲には座席数2000席超の複合映画館(シネコン)も並ぶ中で、同館は484席と決して多くはない。スタッフ約20人で運営されるこの小さな劇場が、他にはない独自性で大きな注目を集めているのだ。
スタッフや観客がステージで踊り、紙吹雪とクラッカーが何キロも消費され、時には法螺貝(ほらがい)が鳴り響くことも。「マサラ上映」という、観客が主体的に映画に参加するイベントを開催することで、同映画館は全国から客を呼び寄せている。
その活動はWebやテレビなどでも取り上げられ、昨年には西日本出版社から同館スタッフ・戸村文彦さんの著書『まちの映画館 踊るマサラシネマ』も刊行された。今ではマサラ上映の「聖地」とまで呼ばれるようになったサンサン劇場だが、過去には閉館寸前まで追い込まれた時期もある。
毎日のように空回し(無観客上映)が当たり前で、常にコストカットに頭を悩ませていた。
■最初の赴任先が水没、映画館がプールに
子どもの頃から映画が好きで、大学時代には映画館でのアルバイトも経験。しかし卒業後は就職氷河期のあおりを受けてフリーターをしていた。ある日、求人情報誌でサンサン劇場の募集を見つけ、現場経験があることから応募。めでたく採用にはなったが、赴任先の映画館は塚口ではなく、神戸・王子公園にあった「西灘劇場」と西脇市にあった「西脇大劇」という2館であった。
「神戸は映画発祥の地で、近くには神戸大学があったので、西灘劇場には学生さんや映画ファンの方がちらほら来てくれたんです。ただ、西脇大劇は田んぼの中にぽつんと建つ、ぱっと見では映画館と気づかれないような場所で、客席もほとんど埋まることがありませんでした」
1990年代後半から2000年代にかけて、シネコンが急増。その影響で町の映画館からは客足が遠のき、閉館に追い込まれる劇場も相次いだ。西脇大劇もご多分に漏れず、閑古鳥が鳴く日々が続いていた。そんな状況に、さらに追い打ちをかける出来事が起こる。
「2004年のことです。
そうしたら明け方に『映画館がえらいことになっている!』と連絡があって現地へ向かったんですが、もう別世界でした。西脇大劇の周りが砂の惑星のようになっていて、劇場の扉を開けると、すり鉢状の造りのせいで水が溜まり、館内がプールみたいになっていたんです」
■上映作品を見直しゼロからのスタート
もう営業の継続は不可能かと思われた。しかしこの経験が、その後サンサン劇場を運営する上での戸村さんの基盤をつくることとなる。
プールのようになってしまった西脇大劇。しかし戸村さんたちは、何とか運営を続ける方法を模索した。
「映写室は電気系統がやられていたんですが、映写技師さんに見てもらったら『修復できる』と。スクリーンも奇跡的に水位があと1cmというところで止まっていて、買い替えずに済みました。実はその数年前に西灘劇場が閉館していて、『西脇で何かあった時のストックに』と、使っていた椅子を大量に倉庫に残していたんです。座席数は減りましたが、椅子を付け替えて営業を再開することができました」
水没した映画館は、わずか3週間の休館を経て営業を再開した。その時に戸村さんは「ゼロから別の劇場として始めよう」と考え、運営のやり方を変えた。
それまでの上映作品を見直し、当時の韓流ブームに乗じて韓国映画や、家族で楽しめるアニメ作品を積極的に上映した。さらに当時はまだ一般的ではなかったメールマガジンの配信も開始。地域での認知を広げるため、毎週100カ所以上にポスターを配り回るなど、地道な宣伝活動も続けた。そうして広報活動を続けるうちに、少しずつ町の人たちにも変化が見え始めた。
■「閑古鳥の鳴き声すら聞こえない」
「『西脇(大劇)さん、次は何の映画をやるの?』と声をかけてくれる人が増えてきたんです。気がつけば、これまであまり来ていなかった主婦層や子連れのご家族も足を運んでくれるようになって、最終的にはお客さんが水害前よりも4割ほど増えました。
西脇大劇は2007年に閉館しましたが、最後の『さよなら上映』のときは、朝から晩までずっと客席が埋まっていて、テレビの取材も来てくれました。町の人の記憶にはちゃんと残っていたんだな、と。頑張ってよかったと思えた出来事でした」
こうして西灘・西脇の映画館は相次いで閉館し、戸村さんは2008年ごろにサンサン劇場へと着任する。
だが、そこで待っていたのは想像以上に厳しい現実だった。
「閑古鳥の鳴き声すら聞こえない」。戸村さんは自身の著書の中で、当時のサンサン劇場の様子をそう表現している。
「当時はアルバイトさんに途中で帰ってもらったり、勤務を減らしてもらったり、本当にどん底でした。お客さんが誰ひとり来ず、観客ゼロで上映する『空回し』も結構ありました」
観客はピーク時の4分の1にまで減少し、社内では連日のように「いつ閉館するのか」という話が上がる。コスト削減のために人員整理も進み、残ったスタッフだけでこの状況をどう乗り切るのかが問われる事態となった。サンサン劇場は、まさに窮地に立たされていたのだ。
■普通の映画館と同じでは歯が立たない
苦渋の決断を重ねながらも、なんとか運営を続けていたサンサン劇場。しかし戸村さんの中には希望もあったと語る。
「西脇大劇で働いていた時、よく来てくださっていた50代くらいの女性の方が、閉館の1週間前に映画を観に来られて。帰り際に『今日は人生の最後の映画館です』とおっしゃったんです。
『映画館は他にもありますし、また劇場で観てください』とお伝えしたら、『都会の人はそう言うけど、田舎で車に乗って1時間かけて映画を観に行くのは家のこともあるしなかなか難しい。今日は面白かった』と言って帰られたんです。
そこからサンサン劇場では、運営面の改善に取り組み始めた。普通の映画館と同じ業態では歯が立たないと考えた戸村さんたちは、準新作や旧作をメインに上映する「セカンド上映」をスタート。SNSでの口コミも相まって、劇場内の雰囲気は少しずつ変わっていった。
次の一手を模索していたちょうどその頃、サンサン劇場を大きく変える出来事が起こる。特撮映画『電人ザボーガー』(2011年)の上映である。
■「この映画館でしかできない体験」で戦う
同作は、1974年から約1年間放送された特撮ヒーロー番組のリメイク作品で、全国の映画館でも上映された。しかし、サンサン劇場での上映形態は少し特殊だった。
「本来、デジタル(あるいはBlu-ray)上映しかなかったんですが、たまたま試写用の35mmフィルムがあるということで、『よかったら』とお話をいただき実現しました。それをTwitter(現・X)に投稿したら、全国からお客さんが駆けつけてくれたんです」
2010年頃、シネコンにはデジタルシネマ機器が普及し、フィルム上映ができる映画館は全国でも限られていた。『電人ザボーガー』の35mm上映は、その希少性ゆえ注目を集め、劇場には「新大阪からは近いですか?」「周辺にホテルはありますか?」といった問い合わせの電話が次々とかかってきたという。この異常事態ともいえる状況のなかで、戸村さんは一つの結論に至った。
「自分の好きなこと・興味のあることのためなら、能動的に動く人はたくさんいると感じて。
「この映画館でしかできない体験」を考えた戸村さんは、この頃から「SNS映え」を軸にした運営戦略を打ち出していく。たとえば『電人ザボーガー』の公開時には顔出しパネルを設置し、来場者に写真を撮ってもらい、SNSに投稿してもらい、拡散されることを狙った。映画を楽しむだけでなく、付加価値をどう加えるか。その答えのひとつを見出したサンサン劇場は2013年に、現在でも人気を集める「マサラ上映」を開始することになる。
■「マサラ上映」が代名詞に
ある日、同館のスタッフが他館で開催された『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』のマサラ上映を鑑賞。観客が映画に合わせて踊り、クラッカーを鳴らし、紙吹雪をまく。「映画は静かに見るもの」という固定観念を覆す、まったく新しい鑑賞スタイルに強く魅了されたスタッフは「自分たちの劇場でもやってみたい」と提案。議論を重ねたうえで、サンサン劇場では2013年6月1日に初めてマサラ上映を実施した。当時のことを戸村さんは次のように振り返る。
「関西では以前から、有志の方々が不定期でインド映画のイベントをされていて、その方たちがいろいろ協力してくれたんです。当初は、見ず知らずの人たちと本当に一緒に盛り上がれるだろうか、日本人的な奥ゆかしさが邪魔しないだろうか、と不安もあったんですが、全然そんなことはなくて。始まった瞬間にクラッカーが鳴って『これはいける』と感じ、映画の途中で『これは続けよう』と思いました」
マサラ上映は映画ファンの口コミやSNSを通じて瞬く間に広がり、多くの観客が押し寄せた。しかし、動員が増えたからといって、必ずしも売り上げに大きく貢献したわけではない。
「マサラ上映は人件費などのコストもかかるため、採算を取るのが難しいんです。実際、続けられない劇場も多い。ただ、うちは『お客さんが楽しんでくれるならそれでいい』という考えがまずありました。さらに『サンサン劇場といえばマサラ上映』というブランディングの柱になるとも思ったんです」
また「フィジカルに映画を感じられるもの」という意志のもとで制作されたのが、段ボール戦車である。
アニメ映画『ガールズ&パンツァー 劇場版』(2015)の公開時に、「映画館に戦車があったら面白そう」という戸村さんの一言をきっかけに作られた。この戦車もSNSで拡散され、同劇場の存在を全国に広めた。
■コロナ禍、映画館にできることはなにか
走り続けること数年。経営も上向きになっていたその時、新型コロナウイルスがサンサン劇場を襲った。
2020年2月に新型コロナウイルスが広がり、4月には緊急事態宣言が発令。サンサン劇場も営業ができなくなった。さまざまな不安が脳裏によぎるものの、戸村さんは決してネガティブには捉えていなかったという。
「コロナ禍では、映画館の存在価値が問われる厳しい状況でした。しかし私は西灘と西脇という2つの劇場の閉館を経験し、サンサン劇場でも2010年前後のどん底の状態を見てきました。体力や運営上の問題ではなく外的要因だと捉えれば、『必ず持ち直せる』と感じていました」
一方で、映画館のあり方を改めて考える契機にもなったという。
「映画館が不要不急の代表格のように名前を挙げられ、会場規制が緩んだ後も最後まで取り残されました。理不尽さを覚える一方で、それだけ身近な場所でもあったのだと思っています。これまでは予想を超える奇抜さを提供することを面白がってもらってきましたが、次は『どうすればお客さんや世の中の人たちの生活の一部になれるか』を意識するようになりました」
そんな考えのもと、戸村さんは緊急事態宣言明けに新潟・長岡花火大会を上映することを思いつく。
■「映画館の常識」を次々と覆す
「私は自宅が天神橋筋辺りで、7月になると天神祭一色になるのですが、その年は何もなくて。そんな時に、ニュースで『今年のために作った子どもの浴衣を着る機会がなくて残念』という親子を見て、『今は映画じゃない。花火だ』と思ったんです。
映画館だからといって映画にこだわる必要はない。人々が花火を求めているなら花火をやればいい。大きなスクリーンと音響、感染対策をした空調の効いた室内で花火を楽しめるようにし、素材を提供してくれる会社の協力で実現しました。浴衣姿の来場者も多く、とても喜んでもらえました」
そのような取り組みを経て、サンサン劇場にまた新しい名物が生まれた。『RRR』である。英国植民地時代の激動のインドを舞台に、2人の男の友情と使命がぶつかり合う様を豪快に描いたアクションエンタテインメントだ。単館映画館としては驚異的な約1年9カ月のロングラン上映を記録した。
「この作品をいつまで上映しようかとなった時に、『塚口へ行けば、いつでもこの映画が観られる』という状況を作ってみようと考えました。動員だけ見れば採算割れする時期ももちろんあります。でも続けていると『やっているのは塚口だ』という事実が一人歩きしていく。そこに他のインド映画もくっつけていけば、塚口ならではの興行収入の道も開ける。半分実験的にやってみたんですが、観客がゼロの日は一度もありませんでした」
すっかりサンサン劇場の代名詞となった「マサラ上映」と組み合わせれば、チケット販売開始からわずか1分で完売するほどの人気ぶりだった。現在も同館では、マサラ上映を月に1~3回、年間で約20回開催しており、満員となることも少なくないという。かつては観客ゼロで、静かに映像だけが流れていた小さな劇場は、紙吹雪と歓声が交わるマサラ上映の「聖地」となった。
■他と違う強みで今も成長を続ける
「コロナ禍のような事態が再び起こり得る」という前提に立ち、柱となるイベント上映に依存するのではなく、日々の動員をどう積み上げていくかも考えたという。そこで戸村さんが着目したのが、普段の上映作品同士に関連性を持たせることだった。
「緊急事態宣言の時にNetflixやPrime Videoを観ていて、画面に並ぶ『あなたへのおすすめ』を見た瞬間に『これだ!』と思ったんです。今まではただ上映作品を並べていましたが、ある作品を軸にして、近いテイストの作品を続けて2~3本観られるような時間割にしたんです。結果、2023年にはコロナ前の2019年と同等の動員数で、2024年にはそれを超えました。2025年は、現時点(取材時11月)ですでに2024年を上回るペースです」
例えば、日本映画『百円の恋』と、そのリメイク作品にあたる『YOLO 百元の恋』を並べた上映や、『悪魔のいけにえ』と『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』というホラー映画の元祖的な作品を組み合わせて上映する。こうしたセカンド上映館ならではの強みを生かしたラインナップで、サンサン劇場は成長を続けている。
■「この映画館で観た」という記憶を残したい
最後に、戸村さんに今後の展望を伺った。
「これまでの取り組みを子どもたちや若い人たちに楽しんでもらえる機会を増やしたいです。子どもの時に映画館で映画を観たインパクトは、一生残ると思うんです。私も子どもの頃に『機動戦士ガンダム』を池田市の小さな劇場で観た記憶が残っているから、今この仕事をしています。
なるべく多くの子どもたちに『この映画をこの映画館で観た』という場所の記憶を残せるようなことをしたい。もちろん大人のお客様も大事ですが、同時に子どもたちにも『映画館って面白かった』と思ってもらえることを、来年以降も増やしていきたいですね」
現在では、全国各地のみならず海外からも観客が訪れるようになったサンサン劇場。その根底にある姿勢は、「お客さんファースト」の一言に尽きる。どんな時でも全力で来場者に楽しんでもらうために、戸村さん自身が仮装をしたり、盛り上げ役としてスクリーンの前に立ったりもする。
「映画を観るだけが映画館ではない」サンサン劇場は、そんなメッセージを体現している場所だ。
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マーガレット安井(まーがれっとやすい)
フリーライター
大阪府出身のフリーライター。関西圏のインディペンデントカルチャー(インディーズバンド、ライブハウス、レコードショップ、ミニシアターなど)を中心に、現場の雰囲気やアーティストの背景、地域の文化的なつながりを文章として紡ぐ。過去にはAll About、Real Sound、Skream!、Lmaga.jp、Meets Regionalなどに寄稿。
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(フリーライター マーガレット安井)

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