2025年11月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。教養・雑学部門の第1位は――。

▼第1位 「村上春樹よりもノーベル文学賞に近い」と断言する人も…海外で人気急上昇の「日本人女性作家」の名前

▼第2位 432席が2席しか埋まらない…細田守監督の新作「果てしなきスカーレット」が大コケしている悲しい理由

▼第3位 韓国語学科に入れないから妥協で日本語を学ぶ…欧州の大学で起きている日本文化ボロ負けという不都合な真実

日本の小説は世界でどのように評価されているのか。批評家の佐々木敦さんは「日本の小説は数多く翻訳されているが、そのなかでも特に人気なのが村上春樹だ。彼の小説は世界中でベストセラーとなり、ノーベル文学賞の最有力候補とも言われてきた。ただ、ここ数年で彼以上に人気な日本人小説家が出てきている」という――。
※本稿は、佐々木敦『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
■日本語で書き続け、英語で売れ続ける村上春樹
周知のように、村上春樹の小説は、英語だけでなく数多くの外国語に翻訳されており、世界中で読まれていますが、やはり英語の読者が圧倒的に多数だと思われます。おそらくいまや春樹の読者は日本語のオリジナルよりも英訳の方が多いのではないかと思います。
ここで指摘すべきは、数多くの翻訳をしており、アメリカに長く住んでいた春樹が、しかし自作の英訳を自ら行うことも、最初から小説を英語で書いて発表することもしていないということです。
もちろん英語を日本語に訳すのと日本語を英語にするのとでは勝手が違うと思いますし、いくら英語が堪能になっても自分の小説は母語で書くというスタンスは何もおかしくはありません。春樹には歴代の優秀な翻訳者がいて、その人たちを信頼しているということもあると思います。しかしそれだけでなく、ここに春樹の「新しい日本語の文体」の秘密があるのではないかと思います。
この「文体」は、日本語と英語(やその他の外国語)の差異を超えたところに存在する、と同時に、言語間の差異を(不完全に)止揚しようとする翻訳という往復運動をエンジンとして生まれてくるものなのではないかと。

■外国の話のようでいて、自国の物語のようでもある
「アメリカ文学」には、米国外で生まれ、母語は英語ではなかったが、何らかの理由でアメリカに移住してから必要に迫られて英語を習得し、やがて英語で小説を書くようになり、高い評価を得るに至った亡命作家や移民作家、難民作家が多くいますが、春樹はそれとは違います。
彼は日本語を捨てずに英語(など)の翻訳を介して国際的な作家となり、ノーベル文学賞候補と目されるまでに至った。むろん、英語圏以外の作家の大半はそのようにして英語しか解さない読者と出会うしかないわけですが、春樹の場合は、そのスケールが違う。
彼が特殊(?)なのは、文学的な評価(というものが何なのかも考え出すとよくわからなくなってきますが)と、全世界的な読者の数、グローバルなベストセラー作家であるという事実が、いささか不釣り合いなまま結びついていることです。
村上春樹の小説は英語圏のみならず、中国や韓国などのアジア諸国でも大人気です。私は大学で、過去に何人かの両国からの留学生を教えてきましたが、彼女たち(なぜか女性ばかりでした)も好き嫌い以前に読んでいて、自国でも新刊が出るとベストセラーになると言っていました。
興味深かったのは、感想として、日本で言う「トレンディドラマ」の小説版というか、オシャレな都会生活を描いたフィクションとして享受されているという話と、まるで自分の国のいまの物語のような気がするという意見が、両方あったことです。
■世界の読者を惹きつける「ムラカミ・エフェクト」
いまやほとんどの作品が各国で翻訳されているとはいえ、日本語の刊行とは当然ながらタイムラグがあるし、訳される順番もある程度ばらばらです。
つまりその小説が書かれたときや物語の舞台になっている時期と、それらが翻訳されたタイミングには必ずズレがあるわけですが、春樹の小説は、そこにある時間差が気にならないようなのです。
また、その物語のほぼすべてが日本で展開するのにもかかわらず、日本に来たことがなく、日本という国に特に関心も持ってはいないだろう外国の読者でさえ、いまの自分の生活や彼らの社会と共振するようなリアリティがあると感じる。これはいわゆる「普遍性」ということとは少し違います。
春樹の小説が醸し出す空気感(のようなもの)が、時間も空間も超えて、少なからぬ人々に何かしら思い当たる節があるものとして「刺さる」ということなのだと思います。
このいわば「ムラカミ・エフェクト」は極めて強力であり、日本にも日本の社会や歴史にも日本文学にも興味がない読者層のアクセスを可能にしている。
■ノーベル文学賞の最有力候補になったが…
春樹自身も無時間・無場所的な自らの作品のエフェクトに自覚的であり(それは意図的な戦略というよりも結果としてそうなってしまう、ということだと思うのですが)、だからこそ時として「ある日あるとき」に「日本のある場所」で起こった特別な出来事を語ろうとする。
たとえばそれは「1995年1月17日」であったり「1995年3月20日」であったり「2011年3月11日」であったり、あるいは「1939年」であったりする。いや、彼はいつも具体的な日時や住所を持った体験や事象から始めようとしているのだと思います。しかし書き上げられた小説は、タイムスタンプやマップのピンから解放(?)されているのです。
90年代以降、村上春樹の作品は英訳が続々と進み、「ザ・ニューヨーカー」や「ニューヨーク・タイムズ」といった有力誌/紙に定期的に寄稿、米国の年間ベストセラーリストの上位に載るようになります。
2006年にチェコのフランツ・カフカ賞とアイルランドのフランク・オコナー国際短編賞を、2009年にはイスラエルの「社会の中の個人の自由のためのエルサレム賞」通称エルサレム賞を受賞し、特にカフカ賞とエルサレム賞は受賞者にのちのノーベル文学賞受賞者が多いことから最有力候補として名前を挙げられるようになりました。
エルサレム賞を受賞したのと同じ2009年に全3冊から成る大作『1Q84』が刊行され(完結は2010年)、春樹の日本国内での人気はピークに達します(ハルキストというファンの呼称もこのころに生まれたものと思われます)。
以後、毎年10月のノーベル文学賞の発表間近になると「今年こそ受賞か?」などとメディアは喧伝し、書店は受賞直後から大々的にフェアを開始するべく過去作を補充し、新聞各社は予定稿を準備して待ち構える、という状況が続いてきました。
■存在感を強めつつある女性作家たち
しかしご承知のように、毎年のフィーバーにもかかわらず、現時点で村上春樹はノーベル文学賞を受賞していません。
そもそもノーベル賞の候補者リストは50年経たないと公表されないことになっているので、すべては期待と憶測でしかないわけですが。そしていささか待ちくたびれて(?)しまったのか、2023年あたりから以前ほど騒がれることはなくなっていました。
そして代わりに(というのもアレですが)台頭してきたのが、村上春樹よりもずっと若い日本の小説家、特に女性作家たちです。
以前から私を含む一部の論者たちによって「村上春樹よりもノーベル文学賞に近い(かもしれない)作家」とされてきたのが多和田葉子です。彼女は長年ドイツ在住で、ドイツ語と日本語の両方で小説を発表しています。
英訳やその他の外国語訳も多く、村上春樹のように各国でベストセラーになったりはしないものの、2016年にドイツ文学の最高の栄誉であるクライスト賞を、2018年に『献灯使』の英訳“The Emissary”で全米図書賞の翻訳文学部門を受賞しており、国際的な評価という点では間違いなく有力候補と言えると思います。
■ノーベル文学賞候補に名前が挙げられる作品も
多和田は半分ドイツ語の作家と言うべきですが、近年、日本の女性作家の作品の英訳が盛んになり、海外の有名文学賞へのノミネートや受賞が相次いでいます。
2020年に柳美里の『JR上野駅公園口』の英訳“Tokyo Ueno Station”が「TIME」の必読書100に選出されたのち、多和田葉子の『献灯使』に続いて全米図書賞の翻訳文学部門を受賞。同年、小川洋子の『密やかな結晶』の英訳“The memory police”がイギリスのブッカー賞の翻訳部門にあたるブッカー国際賞の最終候補にノミネート(受賞はならず)。
2022年、川上未映子の『ヘヴン』が同じくブッカー国際賞にノミネート(受賞はならず)。全米図書賞やブッカー賞は非常に有名な文学賞なので、受賞やノミネートは日本のメディアでも大きく取り上げられました。
文学賞の候補になっていなくても、村田沙耶香(さやか)の芥川賞受賞作にして大ベストセラーである『コンビニ人間』の英訳“Convenience Store Woman”も海外で評判になりましたし、金井美恵子の『軽いめまい』(1997年)の英訳版が2023年にアメリカで刊行されたのをきっかけに世界的に注目され、主にヨーロッパ各国で過去の作品が次々と翻訳され、2024年にはブックメーカーにノーベル文学賞候補として名前を挙げられるに至るといった現象も起こっています。
■受賞作の翻訳を確約していた大江健三郎賞
女性作家に限らず、日本語の書き手は外国語、とりわけ英語に翻訳されないことには海外では読まれません。翻訳にはコストがかかります。
長い間、日本の出版業界(そして日本政府)は、文芸作品の輸出に積極的ではありませんでした。
川端康成と大江健三郎のノーベル文学賞受賞は、2人の代表作が(このころは特にヨーロッパ言語に)翻訳されていたことが前提です。候補になっていたとされる三島由紀夫や安部公房も同じです。しかしおおよそ2000年代、ゼロ年代の半ばあたりから(おそらく出版市場の果てしなきシュリンクへの危機感もあって)状況は少しずつ変わってきました。
象徴的なのが講談社が2007年から2014年まで主催していた大江健三郎賞です。大江の作家生活50周年と講談社創業100周年を記念して設立された、その年に刊行された「文学」の書籍から非公募で1冊が選ばれる、大江ただひとりが選考委員を務める文学賞で、長嶋有、岡田利規(としき)、安藤礼二、中村文則、星野智幸、綿矢りさ、本もと谷や有希子、岩城けいの単行本が受賞しました。
特筆すべきは賞金がない代わりに「受賞作品の英語・フランス語・ドイツ語のいずれかへの翻訳、および世界での刊行」を確約していたことです(現在の観点からすると三言語に限っているのがやや疑問ですが、大江の意向だったのかもしれません)。
■エンタメ小説も海外評価が高まっている
大江賞は一例ですが、やや俗っぽい見方をすると、文芸誌を刊行している、日本最高の文学賞である芥川賞にもっとも近い版元である文藝春秋、講談社、新潮社、集英社、河出書房新社の5社は、このころから翻訳(英訳)に積極的になっていったと思います(特に講談社は海外部門の講談社インターナショナル〔2011年に解散〕をベースに「輸出」に熱心な印象があります。『献灯使』『密やかな結晶』『ヘヴン』はいずれも講談社刊)。
そうした取り組みが最近になって(海外文学賞というかたちで)結果を出しつつあるということかもしれません。「ニッポンの文学」は、ようやく本格的に海外進出に向かいつつあると言っていいと思います。
ところで、ここまでの記述は、いわゆる「(純)文学」にかんしてでした。
ノーベル文学賞の話題から入ったのでそうなってしまったのですが、エンターテインメント、とりわけミステリやSFといったジャンル・フィクションの世界でも、日本の小説の海外でのプレゼンスは増しています。
2004年に桐野夏生(きりのなつお)が『OUT』の英訳(題名同じ)でアメリカ探偵作家クラブ(MWA)が主催するエドガー賞の最優秀作品賞にノミネート(受賞はならず)、中村文則も大江賞受賞作『掏摸(スリ)』の英訳“The Thief”がアメリカで高い評価を得て、それ以後の作品もコンスタントに翻訳されており、2014年にすぐれたクライム・ノベルの作家に与えられるデイビッド・グーディス賞を受賞しています(文学ではなくミステリ作家としての評価という点も興味深いです)。
■世界的ベストセラー作家となった東野圭吾
最近では柚木麻子(ゆずきあさこ)『BUTTER』の英訳(題名同じ)がイギリスの大手書店チェーン、ウオーターストーンズの2024年の「今年の一冊」に選ばれたことが日本でもニュースになりました。
『BUTTER』は王谷晶の『ババヤガの夜』とともに英国推理作家協会が主催するCWA賞(ダガー賞)のインターナショナル(翻訳)部門にノミネートされ、『ババヤガの夜』が日本人作家として初の受賞を果たしたことは記憶に新しいと思います。SFの分野では、ペーパーバックで刊行された長編から最優秀作を選出するフィリップ・K・ディック賞に故・伊藤計劃(けいかく)と円城塔(えんじょうとう)が相次いでノミネートされ、いずれも受賞はしませんでしたが、のちに同賞の特別賞を受賞しています。
しかし海外でのプレゼンスが急激に高まっている日本語作家は、なんと言っても東野圭吾です。
直木賞受賞作でもある『容疑者Xの献身』の英訳“The Devotion of Suspect X”が2011年に刊行されると、桐野夏生に続きエドガー賞にノミネート、受賞はなりませんでしたが、それ以降、英語のみならず(英語以上に)アジア諸国で続々と翻訳が進み、映像化も頻繁になされており、特に中国ではほぼすべての小説が翻訳されているという超ベストセラー作家になっています。
2020年の書き下ろし長編『クスノキの番人』は日本語版、中国語簡体字版、中国語繁体字版、韓国語版が同時期に刊行されています。その人気ぶりはすでに村上春樹を凌駕(りょうが)しているとも言え、日本のトップ人気作家は海外でも強いことを証明したかたちです。
■「アジア人女性としての初の受賞」となったが…
2024年のノーベル文学賞は韓国のハン・ガンが受賞しました。
日本に先んじて韓国の女性作家の小説は英語圏でブームになっていましたが、ハン・ガンは2016年に『菜食主義者』でブッカー国際賞、2017年に『少年が来る』でイタリアのマラパルテ賞、2023年に『別れを告げない』でメディシス賞外国小説部門とエミール・ギメ・アジア文学賞(どちらもフランスの文学賞)を受賞しており、数年前からアジアでもっともノーベル文学賞に近い作家のひとりと目されていましたが、年齢が若いため(1970年生まれ)、受賞するとしてもまだまだ先のことだと思われていました。
かくいう私も「そろそろアジアの作家が受賞しそうだな、だとしたら中国の残雪かも」などとSNSにポストしたりしていて、1960年生まれの多和田葉子でさえ時期尚早だと思っていたら、10歳も年下のハン・ガンが受賞して、かなり驚いてしまいました(受賞に異論はありません)。

韓国人で初、アジアの女性作家としても初のノーベル文学賞の意味はとても大きい。しかしながら、すでに多くの人が指摘していることですが、ハン・ガンの受賞によって、今後かなりの長きにわたって東アジアからノーベル文学賞が出ることはないのではないかと思います。
■次に日本からの受賞者が出るのはいつか
そもそもノーベル文学賞は基本的にヨーロッパ偏重であり(賞の成り立ちから言って当然ですが)、アジアの作家はこれまでに、日本の川端、大江のほかは、インドのタゴール(1913年、アジア人としては初の受賞でした)、中国の莫言(ばくげん)、そして韓国のハン・ガンしか受賞していません。
もちろん今後はわかりませんが、知人には「これで10年はアジアの作家は受賞できない、よって年齢的にも村上春樹がノーベル文学賞を獲ることはもうない」と断言している人もいます(この理屈でいうと多和田葉子も10年待たなくてはならないことになってしまいますが)。
とはいえ、ノーベル文学賞はアメリカの作家も近年はかなり少ないのですが、2016年にボブ・ディランが、その4年後の2020年にルイーズ・グリュックが受賞しているので(ちなみにディランの前のアメリカ人受賞者は1993年のトニ・モリスン、23年も昔です)、必ずしも10年も、アジアから、日本から受賞者が出ないとは限りません。
(初公開日:2025年11月22日)

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佐々木 敦(ささき・あつし)

批評家

1964年、名古屋市生まれ。音楽レーベルHEADZ主宰。多目的スペースSCOOL共同オーナー。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。劇場創造アカデミー講師。文学、映画、音楽、演劇など、幅広いジャンルで批評活動を行っている。『「書くこと」の哲学 ことばの再履修』(講談社現代新書)、『ニッポンの思想 増補新版』(ちくま文庫)、『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』(集英社新書)など著書多数。

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(批評家 佐々木 敦)
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