「皇室典範」の改正は、なぜ求められているのか。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「天皇と皇族のあり方において、現在の皇室典範が定められたときには『想定外』だった状況がいくつも生まれているからだ」という――。

■2人の若い皇族が並び立つ「新年一般参賀」
いよいよ今年もあと4日。年が明ければ、2026年1月2日に皇居で「新年一般参賀」が行われる。午前と午後の5回、天皇や皇族が長和殿ベランダに「お出まし」になる予定になっている。
長和殿は、レセプションや謁見(えっけん)、あるいは参殿者の休所や記者会見場など、さまざまな目的に利用される皇居宮殿の殿舎の一つである。横長で南北163メートルに及ぶところに特徴がある。これが完成したのは1968(昭和43)年のことになるから、かなりの歴史を経ている。私も2度、新年の一般参賀に行ったことがある。
2026年の新年一般参賀で注目されるのは、秋篠宮家の悠仁親王が初めて参加するところにある。9月には成年式を終え、成年皇族として数々の公務にあたるようになった。正月は通っている筑波大学も休みで、1月1日の「新年祝賀の儀」にも初めて参列することが宮内庁より発表されている。
愛子内親王も3度目の参加になる。2人の若い皇族が並び立つことで、来年の一般参賀が例年以上に華やかな場になることは間違いない。

■長和殿に並ぶ14人の皇族たち
ほかに、皇族のうち誰が参加することになるのか。まずは天皇夫妻と愛子内親王、秋篠宮家の夫妻と佳子内親王、それに悠仁親王である。
上皇夫妻については、今年の正月、5回のうち午前中3回参加している。来年の一般参賀の時点で上皇は92歳、美智子上皇后も91歳である。宮内庁によれば、午前中3回の参加が予定されている。
上皇の弟である常陸宮正仁親王も90歳になっている。今のところ2023年に参加したのが一般参賀の最後であった。翌24年は、元旦の能登半島地震で一般参賀自体が中止されており、25年には参加しなかった。
そのときには華子妃が一人で参加している。ただし、12月に後発白内障の手術を終え、12日に退院したばかりである。それでも来年は、午前中第1回の参加が予定されている。
三笠宮家の人々は、2024年11月15日に百合子妃が101歳で亡くなったため、喪の期間にあたり、一般参賀には参加しなかった。
26年は喪も明けたということで、信子妃や彬子女王が午前中2回参加するが、瑶子女王は欠席する。高円宮家については、久子妃と承子女王がやはり午前中2回参加する。
若きプリンスの登場は一般参賀に明るさを与えることになるであろうが、そこに参加する天皇や皇族の数は14人である。ただ、回を重ねると次第に数は減っていき、午後は7人の予定である。それが皇族すべてというわけではないが、皇室の規模が縮小してきたことが目に見えるかたちで示されることになる。
■宮内庁が応じた皇室の公務軽減
それに関連して注目されるのが、11月25日に行われた、還暦を迎えての秋篠宮文仁親王の記者会見での発言である。そこでは、還暦を迎えての感想や家族に対する思いが述べられた。
そして、記者からの「今後、公的な活動の担い手(となる皇族)が減ることが想定される中、どうご覧になっているか」という質問に対して、それが事実であることを認めた上で、「その状況を変えるのは、今のシステムではできません。いかんともし難いことだと思います。やはり、全体的な公的な活動の規模を縮小するしか、今はないのではないかと思います」と答えている。
新年の一般参賀において、皇族の数が減っていることが改めて注目されるようになれば、この秋篠宮の発言の重要性がより鮮明なものになってくるはずである。
この秋篠宮の発言に応える形で、宮内庁の黒田武一郎(ぶいちろう)次長は12月1日の記者会見において、皇室の公的活動の削減や分担見直しがあり得るという考えを示した。
「今後本格的に公的なご活動を担われることが期待される方もおられる。それぞれのご公務について皇室の方々のお考えをうかがいながら検討していく必要がある」というのである。
一週間も間をおかずに、秋篠宮の発言に対して宮内庁が同意する発言を行ったということは、秋篠宮の発言が唐突なものではなく、事前に宮内庁と協議して行われたのではないかと予想される。以前に、秋篠宮が女性宮家の問題について宮内庁に苦言を呈したことがあったので、宮内庁も配慮したのではないか。
■早くても30年先になる次の“ニューフェイス”
秋篠宮の立場が難しいものであることについては、拙著『』(プレジデント社)でも1章分を割いて論じた。「皇嗣(こうし)」という、ある意味曖昧(あいまい)な立場にあることが、その発言の真意や重みをどのように捉えていいか、周囲も扱いに苦慮するような場面も過去には出てきた。
しかし、今回は、むしろ秋篠宮が宮内庁の主張を代弁しているようにも思える。宮内庁のほうから公務の軽減を言い出すことは、その立場上難しい。皇族自らが発言することで、宮内庁としては動きやすくなったはずである。
国民としては、各種の重要なイベントにおいて、天皇や皇族の参列を望む。一度それがかなえば、次の機会にも同じことを期待する。天皇や皇族にとって、それは、法的に定められた義務というわけではない。
しかし、戦後の象徴天皇制においては、国民の受け取り方が重視されてきたため、天皇や皇族としては期待に応えなければならないのである。
しかし、皇族の数が減ってきている現状において、今まで通りにいかないのも事実である。しかも、今回の一般参賀には、悠仁親王というニューフェイスが登場することとなったものの、では次にいつニューフェイスが現れるのかとなれば、早くても30年近く先ではないだろうか。
悠仁親王には学業があり、留学も想定されている。結婚はその後であり、それで子どもが生まれても、成年皇族となって一般参賀に出るにはそれだけの年月がどうしても必要になる。ほかには、戦後に皇籍離脱した旧宮家の人間が皇族の養子となり、それで一般参賀に参加する場合だけである。
■“拒む”ことができない「皇位継承」の盲点
皇族の数の減少というのも重要な問題だが、一方では、「皇位継承」という問題がある。
現在では、皇室典範の規定によって男子だけが継承することになっており、継承順位は第1位が秋篠宮、第2位が悠仁親王、第3位が常陸宮である。第3位の常陸宮はすでに90歳になっているわけで、皇位継承の可能性はほとんどないと考えていいだろう。本人も、そんなことが起ころうとは夢にも思っていないはずだ。
問題は、第1位である秋篠宮が皇位を継承するかどうかである。
あまりそのことが話題に出ないのは、秋篠宮自身が、自分には天皇に即位するつもりがないと発言しているからである(朝日新聞デジタル、2019年4月20日)。

秋篠宮と兄である今上天皇とは5歳しか年が離れていない。となると、今上天皇が80代、あるいは90代で崩御されるか、退位をしたとき、秋篠宮も相当な高齢になっている。その点では、悠仁親王が皇位を継承したほうが好ましいということになる。秋篠宮もそう考えているし、国民の多くもそうした事態を想定しているはずである。
ところが、である。秋篠宮に皇位を継承する機会がめぐってきたとき、それを「拒む」という規定は、皇室典範のどこにも存在しないのである。このことは意外に見過ごされている。
■次代天皇は「皇嗣」が即位するしかない
私は、今上天皇が生前に退位する可能性は極めて低いと考えている。というのも、上皇が退位の意思を表明した際には、大きな騒ぎが持ち上がったからである。皇室典範に退位の規定がないため、有識者会議が設置されて議論が重ねられ、しかも、皇室典範を改正するのではなく、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を制定することで、それが実現された。
もし今上天皇が退位の意向を示せば、同じことがくり返される。特例法は、上皇にのみ当てはまるもので、皇室典範自体はまったく変更されていないからである。
そうした騒ぎを熟知している今上天皇が、自ら退位の希望を出すとは考えにくい。
となると、健康である限り、何歳になっても天皇の座にとどまるであろう。それができなくなったときには、秋篠宮が摂政(せっしょう)となって、天皇の職務を代行し、天皇が崩御すれば、そのまま即位することになる。そのとき秋篠宮が何歳になっているか、それは想像が難しい。
少なくとも、秋篠宮が健在である限り、次の天皇になる。ならざるを得ない。秋篠宮を飛ばして悠仁親王に皇位が継承されることはないのだ。そうした事態は誰も考えてはいないであろう。秋篠宮自身も、まさか自分が天皇に即位するとはまったく考えていないはずである。
しかし、皇室典範が改正されない限り、次の天皇は皇嗣である秋篠宮しかいない。秋篠宮が天皇に即位すれば、悠仁親王は皇太子に立つことができる。
■皇室典範はなぜ不備な法律か
そんな先のことを考えてどうする。そう思われる人もいるかもしれない。しかしこれは今、戦後に現在の皇室典範が定められたときには想定されていなかった、天皇と皇族のあり方をめぐる状況が生まれていることを意味している。
現在、皇太子は不在だが、それも想定外のことなのである。
一般の法律は、あらゆる場合を想定し、緻密な議論の上に定められる。その点では、皇室典範はまったく不備な法律なのだ。本来なら、上皇が退位する際に、大幅な改正を行っておくべきだった。
私は、皇位継承については、皇室典範の男子に限定し、その順番まで示した規定をなくし、「すべてを皇室会議で決める」ように改正するべきだと考えている。
秋篠宮が即位を望まず、国民の間に「愛子天皇」待望論が高まりを見せている状況を踏まえれば、そうした方向で皇室典範を改正し、皇室会議の決定によって国民の期待に応えられる天皇が即位する道を切り開くべきなのではないだろうか。
皇室の危機が深刻化している現状において、公務の負担を軽減することは急務である。
悠仁親王が学業に専念する間、若き皇族としての愛子内親王にかかる負担は年々増していくことが予想される。それは好ましいことではない。あるいは、皇室に外部から嫁ぐ場合を含め、何らかの形で新たな皇室の一員になる人間に対して、その道を容易にすることでもある。これは、国民全体が真剣に考えるべき事柄ではないだろうか。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)

宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)
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