かつて日本の成長を支えてきた1億人を超える人口は、2008年をピークに減り続けている。もはや止めようのない人口減のトレンドのもとで、社会の新しい豊かさや幸せに向きあい、発想や価値観を転換していくことが、今の私たちには求められている。
そのなかで愛媛大学の山口信夫准教授は、地方都市におけるフィールド研究をベースに「ワークライフバランス事業者」という独自の概念を提唱し、地方の商店街で生まれつつある新しい可能性をとらえている(山口信夫「衰退商業地における新規開発事例に関する研究」『マーケティングジャーナル』Vol.38 No.3)。
山口准教授が研究のフィールドとしている愛媛県松山市の三津浜商店街で、今起きている事象を紹介したい。
■県都の海の玄関として栄えた商業地域
三津地区は、松山市の中心部から北西に6kmほどの位置にある。ここにはかつて松山市の海の玄関口だった三津浜港がある。1888年(明治21年)に開通した四国初の鉄道(現在の伊予鉄道高浜線の一部)は、この港と松山市の中心部を結ぶものだった。
第2次世界大戦後の一時期までの三津地区には、映画館に芝居小屋、そして遊郭もあったという。商店街には人があふれ、肩が触れあうようなことも珍しくなかった。
三津地区は、松山市の中心部からは3~4キロ離れており、そぞろ歩きで訪れるには少々遠い。とはいえ、三津地区とのその近隣には当時、人気の海水浴場やジェットコースターのある遊園地などがあり、松山市内外から多くの人たちを吸引していた。
■海運がつないでいた人の流れ
何より、三津地区には三津浜港があった。昭和の往時には、この港と駅をつなぐ街路に面する三津浜商店街を、恒常的に人が行き来していた。港の重要性が高かった時代である。
さらにいえば、三津浜港の眼前には忽那(くつな)諸島が広がる。戦国時代までは忽那水軍の拠点であった島々であり、長らく海上交通の要衝で、昭和に入っても農業や漁業などで栄えていた。この忽那諸島の人たちが船に乗って、買い物や楽しみを求めて三津浜港にやってくる。三津地区は、その需要を受け止める海上交通のターミナルだったのである。
■急速な衰退の後に始まった静かな反転
昭和の高度経済成長期は、日本における一大人口移動の時代でもあった。豊かさを求めて多くの人たちが農村や漁村を離れ、都市へと向かった。島嶼(とうしょ)部などでは早くから人口減が生じており、1960年代には2万5000人以上あった忽那諸島の人口は、2010年代には5000人を下回るようになる。これらの島々の需要を受け止めてきた三津地区の商業は、近隣のレジャーの場が時代の変化から取り残されていったことなども相まって、停滞を余儀なくされるようになった。
現在の三津浜商店街は、休日やイベントがある日は賑(にぎ)わうものの、平日の人影はまばらである。かつてあったアーケードは撤去されており、カラー舗装がここは商店街であることを主張している。
しかし、今の三津地区には商業地としての新しい動きが生まれている。転機は2010年頃と見られ、不動産の価格が下がったことから、新しいタイプの事業者が三津地区に現れた。今では新しいイベントなども生まれ、特に休日にはかつての賑わいを取り戻しつつある。
その先駆けとなった事業者たちのなかから、二つの事例を見てみよう。
■唯一無二の「場」を提供する喫茶店
「島のモノ 喫茶 田中戸」(以下、「田中戸」)は、かき氷が人気の喫茶店である。田中戸を経営する田中章友さんは、忽那諸島の怒和島(ぬわじま)の出身で、高校生のときには三津地区に住んでいた。そして海外や日本国内を放浪し、佐賀で働いた後に、三津地区に戻ってきた。
開店にあたっては、元スポーツ用品店の住居一体の建物を借り、必要な工事は地元の友人の大工の助けを借りながら、田中さんが自分で行った。
海の玄関口であったためか、三津地区には、古い洋風・和風の建物が残っていたり、一昔前の日本の商業地のたたずまいが開放感のある雰囲気のなかに広がっていたりする。そして田中さんは、三津地区には、新しいことする人を受け入れる気風が受け継がれていることが気に入っているという。
■松山市内の「かき氷ブーム」の震源に
2010年に開店した当初の田中戸のメニューは、ケーキとドリンクだけだった。そんなある日、田中さんの故郷の怒和島で、かつて1軒だけあったかき氷屋で使われていたかき氷器が発見された。
これを章友さんはもらい受け、三津地区の鉄工所に持ち込み、修理をしてもらい、店で使いはじめた。かき氷のシロップは愛媛県産にこだわり、共感できる生産者の果物を使い、日持ちするよう砂糖漬けにする他はほとんど手を加えない。
こうした各種の出会いを大切にする章友さんの店づくりによって、田中戸は親しみやすくかつ他ではなかなか味わえない、独自の雰囲気をもった店となっている。かき氷の値段は、750~1300円。夏のシーズンには入店者が順番待ちになる日もあり、松山市内では田中戸の人気ぶりを見てかき氷を出す店が増えているという。
かき氷は季節商品であり、年間を通じて高い売り上げが得られているわけではない。しかし三津地区であれば、職住一致の暮らしも月5万円以下の家賃で実現する。この圧の低い環境を生かし、田中さんは田中戸を訪ねてくる人たちとの交流や周辺の環境を楽しみ、松山市内外の各種イベントなどにも参加しながら、自己実現を達成しつつ、さらなる新しい構想を練っている。
■趣味のパン作りから始まった夫婦のベーカリー&カフェ
「N’s kitchen**&labo」(エヌズキッチンアンドラボ)は、パンの製造販売を行うベーカリー&カフェである。2011年に小池夏美さんが開業し、現在は夫の哲さんも経営に参加。
小池さん夫婦が松山市内の別地区から三津地区に移り住んだのは、開業を考えてのことではなかった。哲さんの母親の介護が必要となり、出身地である忽那諸島の興居島に近いエリアで広めの物件を探していたところ、三津浜商店街の元金物屋が、住宅兼店舗の母屋だけでなく、倉庫も含めて売りに出されているのに出会った。
当時、哲さんは公務員だったが、学生の頃から器械体操を続けており、近隣の高校の器械体操部を指導したりしていた。この物件であれば、自宅にジムをもつという夢が実現できそうだった。
夏美さんは、金物屋の店舗スペースの一角を趣味のパンづくりの工房として活用することにした。以前からホームパーティーなどの際に自宅のキッチンでパンを焼くこともよくあり、三津地区に引っ越したことでより本格的な工房をもてたことから、夏美さんは松山市内の公民館で開かれていた朝市に出店してみた。この朝市のパンが好評で、知人や周辺住民などから常設店をもつことを勧められ、夏美さんは開業を決意する。
■子育てと介護をしながらのスタート
幸い自宅のスペースは十分にあり、元々店舗だったスペースの一角をパンの工房とした。ベーカリー&カフェの店舗としていくために必要な道具や機器は、資金をかけずに徐々にそろえていった。内装は哲さんと夏美さんが行い、どうしても難しいところだけを業者に依頼した。
開業当初のN’s kitchenの営業日は週に2日(金・土曜日)だった。
しかしその後は、来客が増え、営業日を週4日(火・水・金・土曜日)に増やしたことから、哲さんも退職してN’s kitchenのサポートに専念するようになる。コロナ禍を経た現在では、さらにスタッフの数も増やしているが、営業日は週4日のままである。
■ワークライフバランスを大切にする若い事業者
2010年代以降、三津地区では田中戸やN’s kitchenのような若い事業者による新規開業店舗が増えていった。その数は10を超え、新しい集積が生まれつつある。
この様子を目にした山口准教授は、調査を重ねた末に、これらの事業者を「ワークライフバランス事業者」と名付けた。その特徴は以下である。
(1)こだわりの商品を提供し、薄利多売は志向しない
田中戸のかき氷も、N’s kitchenのパンも、低価格を売りにはしていない。国産や愛媛県産の材料、手づくりや無添加などにこだわった商品を、価格訴求には頼らずに販売し、ピーク時には行列ができるほどの来客を実現している。
(2)こだわりの商品があるからこそ、地区外からの集客が実現している
三津浜小学校区の人口は5375人(2015年)と、40年前と比べて半減しており、商業地としての三津浜地区の不動産価格は下落している。そのなかにあって、田中戸やN’s kitchenのような経営が可能なのは、三津地区以外からの集客が実現しているからである。
山口准教授たちは、2024年の平日と休日に三津地区の商業地の複数ポイントで来街者調査を行った。その結果によれば、近隣の三津浜小学区からの来客は回答者の20%程度にすぎない。現在の三津地区は、三津地区の近隣以外の松山市内、そして市外から訪れた人たちが行き交う街となっている(山口信夫他「松山市三津地区における商店街とベイエリアの来店者特性に関するアンケート調査」『Journal of Ehime Management Society』Vol.7)。
港華やかなりし時代は過ぎ去ったが、1980年代以降には、瀬戸大橋をはじめとする広域道路網の整備が進んだ。この間に進んだ交通インフラの整備により、以前とは別のかたちによる集客の可能性が広がっている。
■「働いて働いて働いて働く」とは別の価値観
(3)開業資金は抑える
一方で、田中戸もN’s kitchenも三津地区の安価な不動産の購入費用や賃料を生かし、DIYによる店づくりなどによって、事業に投じる資金を抑えている。事業の継続性を確保するためには、そこに投じる資金の圧縮が欠かせない。山口准教授が行った2010年代の三津地区の新規開業店舗の調査によれば、その半数ほどが100万円以下の自己資金で開業を実現している。
(4)職住一致から生まれる生活者としての豊かさを重視する
田中戸もN’s kitchenも、事業を拡大しようという志向が強いわけではない。むしろ休日や休閑期間をしっかりと取り、家庭と仕事の両立を実現しようとしている。そして職住一致や職住近接が、この両立を支える。三津地区は古い商業地区であるため、職住一致型の物件の残存数も多く、近隣の住宅の賃料も低い。こうした条件が、ワークライフバランスを求める事業者の新規開業につながっている。
■新しいタイプの事業者たちから広がる展開
ワークライフバランス事業者の新規開業を触媒として、三津地区ではさらなる新しい展開が始まっている。三津地区の若手商店主を中心とした組織が新たに結成され、定例のイベントが新たに生まれ、イベントの日には三津地区に松山市内外から多くの人が集まるようになった。
さらに、より大きな資本をもった松山市内外の企業や個人が、三津地区に生まれはじめた商業地としての可能性を評価し、新規出店する動きも起きている。松山市の中心部とは異なる、ゆったりとした時間が流れる商業地として、三津地区は活力を取り戻しつつある。
全国各地から巨大な掃除機のように、若年層人口を吸引し続ける都市部においては、人口減少に伴う衰退の圧力はまだ切実には感じられないかもしれない。しかし山口准教授たちの研究は、人口減が不可避な時代のなかで社会や個人が模索せざるをえない、新しい豊かさや幸せのヒントが、三津地区のような地方にこそあることを示唆している。
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栗木 契(くりき・けい)
神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『マーケティング・コンセプトを問い直す』などがある。
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(神戸大学大学院経営学研究科教授 栗木 契)

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