日本に住む外国人が増え続けている。政府は2026年1月にも、外国人政策に関する基本的な方向性を取りまとめる方針だ。
この問題を取材するライターの九戸山昌信さんは「自民党はこれまで事実上の『移民政策』を進めてきた。このままでは、なし崩し的に『民族置換』が進むことになるだろう」という――。(第1回/全2回)
■事実上の「移民政策」が進行している
2025年1月時点で、国内居住者人口に占める外国籍の割合が10%を超えた自治体が27となっている。外国人の出生も約2万3000人であり、10年前の1.5倍となった。政府自民党による事実上の移民政策が進む中で、地域社会における外国出身者の定着は着実に進んでいる。
移民問題は、犯罪や迷惑行為、不動産取得による悪影響など、いわゆる外国人問題として取り上げられやすい。高市政権では、問題抑制に注力し、すでに不動産規制や、税や保険料の未納問題、また永住や帰化要件の厳格化に着手している。
ただ、外国人問題やその管理はあくまで移民問題の要素の一部に過ぎない。日本人にとって最も大きい問題は、少子化による日本人人口の減少と外国出身者増加の同時進行により、「日本人の国から移民の国に変わっていく」という、いわば“民族置換”の現象そのものだとも言える。
政府は現時点で公式に移民受け入れを認めておらず、外国人の受け入れは、あくまで労働力の補完や高度人材獲得を目的として説明している。しかし、「外国人労働者受け入れ」も、「外国人住民の受け入れ」も現実は変わらない。社会の姿は外国人の在留資格と関係なく、住民登録する外国人の数で変わりうるからだ。

■英国の子供の名前のトップは「ムハンマド」
2024年は住民登録する在留外国人が36万人増え、今年も同程度の増加が見込まれる。この増加ペースだと、1000万人突破は16年後となり、働く世代である15~64歳の生産年齢人口では日本人と外国人の比率はおよそ6対1(7人に1人の割合)となる。
西欧では、たった数十年の移民政策の継続だけで、“民族置換”が顕著になって久しい。例えばドイツでは、住民の17%が外国籍だが、帰化者を含めると、従来のドイツ人と外国由来の比率が2対1に近くなっている。英ロンドンでは伝統的な英国人は36%(21年・英国勢調査)しかおらず、市長は16年からパキスタン移民家系のサディク・カーン氏だ。英国の子供の名前のトップは2年連続で「ムハンマド」がトップだ。欧州における多文化共生も、その中身はイスラム化しつつあるとも言える。
日本でも現状の外国人受け入れ政策が続く限り、数十年後には西欧と同じように外国出身者で住民の主要グループを形成するような情景が広がることは確定的だ。なぜなら、民族置換的な現象は、片方が減り続け、もう片方が増え続けることによる物理法則だからだ。
■今後はインド、イスラム圏、アフリカが増える
来日する「移民」の傾向を分けると、一つは、中国系を中心とした「留学→就職」ルートで永住を目指すグループ、そしてもう一つが労働力目的の受け入れ国の出身者らだ。在留資格別では、前者(中国系等)は「技人国」(技術・人文知識・国際業務)や「高度専門職」、「経営・管理」等で、後者は82万人の受入れ目標の「育成就労」(27年開始)などだ。
それぞれ要件を満たせば家族帯同や永住や帰化の申請も可能で、移民誘致的な制度設計となっている。
特に受け入れ拡大方針の労働力目的のグループは、今後、日本との賃金格差が縮小した東南アジア系は減り、より物価が安く人口の多いインドなどの南アジア、イスラム圏、アフリカ圏などの出身者らが増えるという指摘がある。
日本人の隣人となる外国人住民の属性や数を決定付ける要因は、企業や外国人材の支援組織が握っているといっていい。つまり、企業が設定する低水準の賃金で何人働かせたいか、で決まる。研修等のステップはあっても、日本人住民との文化的親和性が判断される仕組みはない。民族的な分断は、国内で醸成されたものではなく、政策的にもたらされた副作用という側面もあるのだ。
■日本人の「当たり前」は、もう通用しない
いずれにせよ、今後、増えゆく隣人となる外国人の割合が高まるにつれて、社会は大きく変わることになる。特に、ほんの十数年でもたらされる、働く世代の外国人比率上昇による存在感の高まりは、日本文化に馴染む必要性や動機を押し下げ、分断や対立を深めてしまう恐れもある。その結果、「日本の文化や価値観」「街の情景や地域社会」「教育や言語」「職場環境や商習慣」「社会保障」などが大きく変わっていくのは間違いないだろう。
欧州ではすでに同様なことが起きているように、これまで日本人にとっての当たり前だった「日本らしさ」の“縮小”が待ち受けているのだ。
すでに、義務教育の現場では、外国出身者の割合の高まりで、多言語対応による負担が露呈している。通常の授業に混乱が生じていると指摘されるケースもあり、学力低下が危惧されている。このため、保護者は小学校から私学受験を考え、教育費などの負担増に頭を抱える人も出ているという。
職場においても、外国人の割合が高まれば、意思疎通や人間関係、出世など、日本人は今まで通りにいかなくなる可能性が高い。
これは、いわゆる外国人問題とは全く別次元の日本人が直面する問題だ。在留外国人の全員が「良い人」であっても、文化・社会通念が異なるグループが増え、日本人の割合が減れば、国の制度も日本人の社会通念を前提としなくなり、だんだんと「日本人の国」ではなくなっていく、という変化が待ち構えているのだ。
■行政の主語は「日本人」ではなく「住民」
欧州の街並みを見るまでもなく、すでに日本各地で、独自の経済圏を形成する○○人街が広がっている現実を見てもそれは明らかだ。多文化共生社会とは、人知れず外国人が日本人のために働いてくれる社会ではなく、国内に外国社会が拡大していくのが実態だ。
日本人の目線で言い換えれば、これまで主流派だった日本人が外国人に一方的に譲歩し、立場や境遇が悪化していくこととイコールでもある。「多文化共生」とは、あくまで政府や行政という統治側からの視点だ。
政府や行政は、あくまで住民のための存在ではあるが、住民を構成する特定の民族に紐付いた存在ではない。行政においての主語は、「住民」であって、「日本人」ではなく、外国人に対して日本人を優先すべき、という法的な根拠は存在しない。あるのは、法的な日本国籍の有無に基づく、公民権等の違い程度だ。政府や行政が重視するのは経済規模やそれに相関する税収など、あくまで統治のスケールであり、住民の出身民族の違いで扱いに差が出るといったことはもちろんない。
■今後のカギとなる「総量規制」とは
つまり、日本人にとっては、同質性や文化的連続性を最重要に守りたいと思っていても、政府や財界の関心は経済力を維持するための人口減の抑制だ。
重視されているのは、日本人かどうかではなく、住民の数だ。高市早苗首相も11月の人口戦略本部の初会合でその点を強調していた。結果、日本人の存在感はその割合が減るにつれ、減退していくことになる。
もちろん、こうした点の懸念は広がっている。現在、議論されているのが在留外国人の割合に上限を設ける「総量規制」だ。維新との連立覚書でも触れられているこの政策は、仮に在留外国人を3%に収めるのであれば、これ以上の受け入れ政策を止めなければいけないし、10%となれば、現在の約3倍となる。また、数値目標に沿って、中長期的な日本人の人口減に合わせ、在留資格の更新停止措置などで、逆に在留外国人の人口を政策的に減らしていく必要も出てくる。一方で、もし総量規制を導入しなければ、青天井ということになり、なし崩し的に「民族置換」が進むことになる。
つまり、現状の年・数十万人増の流入超過状態をもたらす外国人受け入れ政策の規模を抑制するかどうかが、「総量規制」であり、この政策による在留外国人の人口コントロールの有無が、将来の日本人の立場や境遇に決定的な影響をもたらすと言っていい。
高市首相は、はたして総量規制を導入するのか――。
■高市首相の発言を読み解くと…
自民党総裁選では、高市首相は外国人政策を「ゼロベース」で見直す趣旨の発言をしていた。しかし、よく発言を読み解くと、ゼロベースの主語は、いわゆる外国人問題を念頭においた「外国人との付き合い方」であった。
必ずしも、現状の在留外国人の受け入れ拡大政策を否定しているわけではない点は重要だ。同じく、総裁選中の9月30日のインターネット討論会においては、「合法的に滞在する人の受け入れ枠の設定は考えていない」と発言。これは5人の候補者の中でも、もっとも外国人の受け入れに緩和的なコメントだった。
総量規制については、11月4日に行われた外国人政策に関する新たな関係閣僚会議にて「外国人の受け入れの在り方に関する基礎的な調査・検討」を実施した上で、是非も含め慎重に検討する方針としている。しかし、矢継ぎ早に、土地規制や在留制度などの厳格化に対する具体策が出ている外国人への管理に対する政策と比べると、明らかな温度差が感じられる。
外国人問題を担当する小野田紀美氏の職務も「外国人との秩序ある“共生社会推進”担当」だ。つまり、外国人管理の厳格化政策は、移民反対世論を受けて、流入人口の抑制を行うものではなく、むしろ本当の意味で、外国人の受け入れ増加政策を円滑に進める目的の可能性とも考えられる。
■「日本人の国」か、「日本経済」か
人口戦略本部の会合では、高市首相は「わが国最大の問題は人口減少。人口減少対策を総合的に推進する」と発言。外国人の受け入れに関する調査検討を行う体制構築などを閣僚に指示している。ポイントは人口減少対策であり、高市政権の目的は、経済規模や税収に直結する「国内の人口減抑制」であり、必ずしも「日本人の国」の維持ではないのかもしれない。
「外国人問題の対策」と「外国人受け入れ政策」には明確な区別があるようにもみえる。
高市政権が目指す目標として、「日本人の国」を重視するか、民族構成とは無関係な「日本経済」を重視するかで、外国人受け入れ政策の是非が逆の結論になる点には注意が必要だ。
さらに、「推進」の意味で注目したいのは、10月末に報じられた高市首相による「閣僚への指示書」にある平口洋法相向けの以下の指示だ。
「(2)差別や虐待のない社会の実現を目指し、個別法によるきめ細かな人権救済を推進する」
この、「差別」という文言は、今後の外国人との共生社会を見据えて「外国人に対する人種差別」を念頭に置いていると考えられる。もちろん、人種差別は絶対にあってはならない。しかし差別かどうかの事実認定は曖昧な面があり、その事実に関わりなく、指摘された側はそれだけでダメージの大きい言葉でもある。
それだけに、日本人社会は差別にあたるかどうかに関係なく、「外国人から声を上げられること」自体を恐れて、外国人問題をはじめ、広範囲な忖度とタブー化を生む恐れがある。ナイーブととられかねない報道の割合は、バランスをとってこれまでと比べて7対3や8対2となるのではなく、ほぼ10対0に近い状態になる。リスク判断から「触らぬ神に~」になってしまうからだ。
■欧州では報道に「自主規制」
例えば欧州では、人種差別撤廃条約により、報道機関は自主規制で犯罪の加害者が移民であれば、人種差別の扇動リスクを避け、犯罪自体が報じられないケースも多いという。実態に照らした報道ができなかったことが、結果的に欧州では移民問題への対応の遅れを招いたという指摘もある。
なお、日本は95年に同条約に加入しているものの、「差別の助長を招きかねない情報の流布」などを禁じた項目は、「実現されている」として留保しており、外国人の犯罪報道は行われている。しかし、高市政権の方針次第では、国際基準に照らして、変わる可能性も否定できないということになる。
結果、問題は周知されず、存在しないことになり、適切な対応行動を萎縮させてしまう。「事案→情報→問題提起→対策→解決」というステップが踏めず、結果的に社会に分断が生じる可能性があるのだ。
うがった見方をすれば、こうした法整備を進めれば、結果的に、移民政策を推進する際に批判が起きにくくなり、進めやすくなる。そのための「地ならし」と考えれば、真意がどこにあるかが浮かび上がってくる。
■来年1月、「政策の方向性」が示される
高市氏の発言を振り返ると、真骨頂である保守的な分野では、外交における強行姿勢や、靖国参拝や皇位継承における男系護持、外国人問題への対策などは首相就任後も健在だ。一方で、外国人の受け入れ拡大政策は、肝心な総量規制に積極的ではない姿勢をみると、保守政策の範疇ではなく、経済政策として捉えている印象を感じてしまう。高市政権も、これまでの自公政権と同様に「受け入れ拡大政策」を継続するのか――。
少なくとも過去の行動や発言の限りでは、イメージに反して外国人受入れ政策に関しては、「推進路線」といえそうだ。
そもそも高市氏の“師匠筋”に当たる安倍晋三元首相は、第2次政権において、外国人の受け入れ拡大政策を推進した。留学生の受け入れ拡大や、高度人材や経営管理ビザの要件緩和(現在は規制強化)、技能実習制度の対象業種の拡大などで、8年間の任期中だけで在留外国人は1.5倍に激増した。現在の在留外国人の増加スピードを支える制度を作ったとも言える。安倍元首相自身の思想信条は保守だったが、外国人受け入れ政策に関しては、あくまで経済政策と見て、推進していたのだ。
高市首相はこの間、政調会長などの党の要職や、外国人の住民政策に関わる総務大臣など、重要閣僚を歴任した。安倍政権以降も「育成就労」など、在留外国人の流入増に関する政策に閣僚の立場で賛成してきた当事者でもある。
高市首相は総量規制を含め、来年1月を目途に政策の方向性を示すよう、関係閣僚に求めているが、はたして――。

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九戸山 昌信(くどやま・まさのぶ)

フリーライター

大学卒業後、新聞社で勤務。社会やスポーツ面を担当。そののち出版社勤務を経て独立。現在は雑誌、ウェブ記事等に寄稿。取材範囲は経済、マネー、社会問題、実用、医療等。

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(フリーライター 九戸山 昌信)
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