日本の就活では、みんなが一斉に黒髪になってリクルートスーツを着る。千葉商科大学准教授で評論家の常見陽平さんは「同世代の学生が、同じ時期に画一的な形式で就職活動を行うほうが、むしろそれぞれの個性をアピールできる」という――。

※本稿は、常見陽平『日本の就活』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
■コピー&ペーストしたような学生が風物詩に
「新卒一括採用により人材の多様性が失われる」という、著名人が発する新卒一括採用批判を検証したい。このような、誰もが賛同しそうな、もっともらしい意見こそ疑ってかからなくてはならない。
多様性とは何を指し、どのようにして実現できるのかを定義しなければ議論も検証もできないはずだ。ただ、いつの間にか、根拠もなく印象で新卒一括採用=多様性を否定するものと思われてしまっていないか。
なるほど、新卒一括採用が「画一的」で「多様性を否定」するかのような「印象」を持つ理由はよくわかる。
大学生活を自由に謳歌していた大学生が、ある日突然、リクルートスーツに身を包み、髪色を黒くし、一斉に同じ時期に就活を始め「自己PR」「ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)」などとエントリーシートや面接で、就活マニュアル本や、キャリアセンターの指導のもとに取り組む様子が「画一的」とうつるのだろう。
また、このように「いっせいに、同じ時期に」という流れにのった学生を「画一的」と捉えるのだろう。
■「形式が画一的=人材も画一的」ではない
ただ、これは「方法」「形式」「時期」の画一性であって、「人材」の画一性をもたらすかどうかは断定できない。人材の多様性が実現するかどうかは、人材ポリシー、採用ポリシーがものを言うのであって、必ずしも時期や形式の問題ではない。
そもそも新卒一括採用が「多様性」を「否定する」と断じる論者は、各社の採用実績をみたのだろうか。実際に採用した学生と会ったのだろうか。

画一化の象徴とされる日本の大企業においても、学生時代に起業をし、事業を売却して入社してくる者、国際的な学生交流イベントの運営に関わった者、休学して自分の趣味に没頭した者、学生時代から政治家にロビイングを行っていた者など、多様な体験をした人材を採用している。
■初めて「エントリーシート」を導入した企業
企業の人事担当者が悩むのは、皮肉なことに学生の画一化である。各社、多様性を実現するために、様々な採用ルート、コースをわけている。
「一芸採用」のような、様々な才能や実績を評価するような採用ルートや、学校名や学部名を問わない採用活動、合宿型でその人物を深く吟味する採用などを行ってきた。素の自分を表現してもらうために、ごく普通の大学生活の写真や、動画を評価する企業もある。
現在では、就活の煩雑化、肥大化の象徴とされるエントリーシートも、もともとは1991年卒の採用活動で、ソニーが学校名・学部名を問わない採用を実施し、その人物を深く味わい、評価するために導入したものだった。
■「ジェネリック服装自由化おじさん」の失敗
「一斉に、同じ時期に、同じように」行う時期や形式の画一性が、むしろ人材の多様性をもたらすという逆説についても考えたい。
あたかも、新卒一括採用ではなく、既卒者の採用にシフトしたほうが人材の多様性が実現するかのような言説がある。ただ、その場合、そのときに就職・転職活動をしている中から人材を選ばなくてはならないので、むしろ選択肢は狭まる。
もちろん、これも採用の方針、方法にもよるが、新卒一括採用をやめて、既卒者の採用にシフトしたら人材の多様性が実現するというのは幻想である。オフィスをフリーアドレス(固定席を設けず座席を自由に利用する働き方)化し、服装を自由にしたらイノベーションが起こると信じている日本の大企業と同じである。
結局、部署で固まって座り、ジャケット、Tシャツ、デニム、スニーカーという「ジェネリック服装自由化おじさん」が跋扈しただけではないか。

■「新卒一括採用批判」は間違っている
むしろ、同じ時期に同じように、ほぼ同じ学年の人が活動することにより、それぞれ個々人が個性をアピールするという結果にもつながる。また、いっせいに数十名から数百名を採用しようとすると、必ずしも求める人物像に合った人材が揃わない。
ゆえに、むしろ多様性が生まれるということもある。たとえば左翼少年で朝日新聞と岩波新書を愛読していた私が、創業者が収賄容疑で逮捕され、借金が1兆円あったリクルートに拾われたのは、そういうことである。
新卒一括採用が多様性を否定するという言説はもっともらしい。ただ、これこそが思考停止であり、惰性である。多様性が失われるという東大学長の藤井や、脳科学者茂木などによる新卒一括採用批判は、むしろ彼らが望む多様性を後退させかねないのである。
■今の東大は、多様性が失われている
なお、東大学長藤井の「多様性が失われる」という批判に対しては、学部生における女性比率が約2割で「男社会」そのもので、さらには反対がありつつも学費値上げに踏み切り、経済的に困窮する学生を圧迫した東大関係者には言われたくない、何の説得力もない、という庶民の本音を私がここで代弁しておく。
新卒一括採用を断罪する前に、自らのキャンパスに潜む格差を直視しなくてはならない。「多様性」を叫ぶ前に、自校の現実と向き合うべきではないか。
多様性が失われた学校とは東大のことではないか。灯台下暗しとは、まさにこのことだ。
東大だけに。
■「就活が学業を阻害する」は本当か
新卒一括採用と大学は共犯関係にある。学業を阻害する悪者としつつ、大学の就職実績は各大学の魅力として、発信されている。新卒一括採用がない世界においては、大学の就職実績の把握すら困難となる。この大学に入ったらどのような進路に進むことができるのか、わかりにくくなる。
もちろん、これにより、大学の役割は学ぶ場であることがより明確にはなる。ただ、大きなアピールポイントを失うことは、今後、若年層の人口が減少することが確定的となっているこの社会において果たして有効だろうか。立ち止まって考えたい。
なお、「就活が学業を阻害する」という言説は、一見すると真っ当なようで、パンドラの箱をあけることになるだろう。この「学業阻害」なるものも、実態は実に多様なのだ。
文系の場合、大学の後半になるほど、講義のコマ数は減っていくことがある。「ことがある」と書いたのは、大学によって各学年で取得可能な単位数などが異なるからである。
私の勤務先もそうだが、大学4年になるとゼミなど以外の講義がなくなる。
■就活の早期化、長期化は止まらない
「だから学生は勉強しない」と断じるつもりはない。ゼミや卒論などに、予習・復習、個別学習、チームでのフィールドワークなどに取り組む(はずの)時期でもある。大学によっては4年生になっても科目履修、単位取得をしなくてはならないように設計されているからだ。
この「学業阻害論」は「水戸黄門」の印籠のように、そう言われると企業関係者はひれ伏すしかない。しかし、就活の早期化、長期化は止まったためしがない。
ただ、この「学業阻害論」を掘り下げると、大学にはブーメランになりかねない。教育内容は充実しているのか、教育の質を担保しているのかなど論点は多様だ。
就活は本当に学業を阻害しているのかも検証が必要だろう。就活が早期化していなかった時代や、実際に時期の繰り下げが行われたときに、学生の勉強時間や、大学生活を謳歌する余裕はできたのか。検証が必要だろう。
■大学は、単なる「学ぶ場所」ではない
そもそも、大学関係者以外には、あまり知られていない「大学設置基準」を確認すると、「学業阻害論」は見え方がやや変わる。

たしかに、「大学は勉強するところ」である。「大学設置基準」では、1単位の授業科目について、授業時間外の学修時間も含めた45時間の学修を必要とする内容をもって構成することを標準としている。
1科目あたり、授業時間外に膨大な時間、学ばなければならないのだ。これが機能しているか、現実的かどうかの判断は、大学関係者としての保身のため、私は言及しない。読者の判断に任せる。
さらに、この「大学設置基準」においては、「大学は、当該大学及び学部等の教育上の目的に応じ、学生が卒業後自らの資質を向上させ、社会的及び職業的自立を図るために必要な能力を、教育課程の実施及び厚生補導を通じて培うことができるよう、大学内の組織間の有機的な連携を図り、適切な体制を整えるものとする」とあり、つまり、キャリア教育や就職支援を行うことになっているのである。
大学は学ぶ場であり、卒業後の進路について応援する場である。大学関係者は新卒一括採用を悪者視しつつも、巧妙にこれを利用し、生き残っている。

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常見 陽平(つねみ・ようへい)

千葉商科大学基盤教育機構准教授、働き方評論家

1974年札幌市出身。一橋大学商学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学専任講師。2020年4月より准教授。
著書に『50代上等!』『僕たちはガンダムのジムである』『「就活」と日本社会』『なぜ、残業はなくならないのか』『』ほか。1児の父。

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(千葉商科大学基盤教育機構准教授、働き方評論家 常見 陽平)
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