老後、年金はきちんともらえるのか。そんな不安を抱えているのは日本の現役世代だけではない。
ドイツ在住作家の川口マーン惠美さんは「少子高齢化で、年金を必要とする老人が増え、若者の負担が深刻だ。社会保障を必要とする難民の流入も続いている。政府は『不足は移民が補ってくれる』と語るが、それは夢物語だ」という――。
■ドイツの経済状況は「かなり深刻」
ミュンヘンにある経済研究所Infoの前所長、ハンス=ヴェルナー・ジン氏は、ドイツで第1級の経済学者の一人だ。難しい話を易しく簡潔に、しかも、内容の質をあまり落とさずに説明してくれるので、あらゆるメディアで引っ張りだこ。
そのジン氏が、9月10日付のフランクフルター・アルゲマイネ紙のインタヴューで、「ドイツとヨーロッパの経済状況はどうか」と聞かれ、「かなり深刻」と答えていた。
しかも、その理由として、まず最初に、経済と学問の活力を保つには子供が少なすぎるということを挙げていたのが印象深かった。
ジン氏によれば、今のヨーロッパでは、皆、腕まくりをして働くのではなく、豊かさにあぐらをかき、共通の通貨を発行して悦にいっている。特にドイツは、インフラの老朽も、教育の崩壊も放ったらかしにしたまま、働けるのに働かない多くの人たちを養い続けていると。
23年から2年間マイナス成長が続いた。今年はかろうじてプラスだが、「深刻」な状況は変わらない。
そして労働時間は、米国や日本はもとより、スカンジナビアの国々やルクセンブルク、ギリシャ、イタリアよりも少ない(2024年OECD調べ)。

病欠(有給)も極めて多いが、ドイツ人がとりわけ病弱であるかどうかは疑問。勤労意欲が後退しているとすれば、将来は暗い。
■“年金問題”で揺れるドイツ議会
11月、ドイツ政府の出した年金法案が炎上した。
現政府はCDU/CSU(キリスト教民主/社会同盟)と社民党の連立で、法案は社民党の労働相が連立協定に沿って作った。
メルツ首相は政権奪取以来、連立が壊れるのが怖くてずっと社民党の言いなりなので、社民党が社会主義的に盛りに盛った改正法案にも異を唱えず、議会に承認させるつもりだった。
ところが、その直前になって、事もあろうにメルツ首相のお膝元で、CDU/CSUの青年部が「これでは将来、若い世代の負担があまりにも大きくなりすぎる」と反旗を振り翳したのだ。
青年部は14歳以上35歳以下の党員で構成されており、その中の18人は国会ですでに議席を持っている。現在、与党議員の数は野党を12人上回っているだけなので、この18人が反対に回れば法案は通らない。そんなことになれば、メルツ首相の権力は、政府内でも党内でも間違いなく崩壊する。
昨年、当時のショルツ政権(社民党・緑の党・自民党の3党連立)では、国の借金をめぐって意見が分裂。財政規律を緩めて借金を増やそうとしたのが社民党と緑の党で、それに反対したのが自民党だった。
要するに争点はお金。

その結果、政権は破綻し、解散総選挙でCDUのメルツ政権が誕生した。
しかし、その新政権がまたお金の問題で、早くも行き詰まっているわけだ。
■社会保障費の増大が止まらない
では、いったい何が問題なのか?
実は2017年の総選挙の後、当時のメルケル首相は社民党との連立を成立させるための譲歩として、「年金の安定化」を連立協定に入れた。
2025年まで①年金の給付額が最終賃金の48%を割らない(ただし、平均所得者が45年勤続した場合などいろいろと条件はある)、②年金の保険料率が収入の20%を超えないという取り決めだった。
そして現在、これが31年まで延長されることが決まっている。
ところが社民党はそれ以降(少なくとも40年まで)も、46%程度の給付率を維持するため、「年金の安定化」を継続して保持することを主張。CDUがそれをあっさり認めたわけだ。
年金には今でさえ毎年840億ユーロ(日本円にして15兆円あまり)もの税金が注ぎ込まれている。しかし、31年以降も「年金の安定化」に固執すると、40年までの10年間で、これまでの補助に加えて、少なくともさらに1200億ユーロ(日本円にして約22兆円)が必要になるという。
つまり、「そんなお金がどこにある? これ以上、次世代に負担をかけてどうするのか!」というのが青年部の主張だ。
ドイツの歳出に社会保障費が占める割合はすでに巨大で、2023年は41%(IW研究所調べ)。その半分が年金と医療費の補助だ。
しかも、この割合が今後も増え続けることは、少子高齢化の人口構成を見れば誰でもわかる。
■「出世か、国民の未来か」残念な結末
だからこそ、今回の年金法案に関しては、多くの学者や専門家が強く再考を促しており、ついに意を決して立ち上がった青年部の勇気をほめていた。
ただ、メルツ首相としては、そうも言っていられない。この法案がいわば青年部の反乱で潰れることになれば、連立政権の崩壊は避けられない。
そこで、焦ったCDU幹部は、議席を持った青年部の議員を1人ずつ呼び出し、飴と鞭を駆使して“厳しく”懐柔。それを見てほくそ笑んだ左派党がすかさず、「私たちが無効票を出しましょう」と、メルツ氏に助け舟を出したのは、笑えない展開だった。
左派党とは、いつもCDUから極左として阻害されていた党であるから、これだけでメルツ首相の面目は丸潰れだ。
しかし結局は、青年部の12人が“転向”し、法案は無事可決。
若い政治家たちは、ここで意地を張って出世の道が閉ざされることを嫌ったのだろう。
こうして見ていると、政治家は老いも若いも、あたかも正しいことをしたような顔で自分の地位を守っただけで、10年後の国民の負担などほとんど眼中になさそうに思えてくる。
■有能な人材・企業は国外に……
一方、ドイツの納税者の負っている負担は、冒頭のジン氏の言葉通り、今でもすでに過酷だ。これが、エネルギーの高騰などに苦しめられている企業だけでなく、最近、個人までが外国に出ていく主な原因となっている。

ちなみにドイツから出ていく企業は余力のある優良企業で、個人は高度技術者や医者など若くて有能な人材。それに比べて、未だに大量に雪崩れ込んでくる難民は、そのまま社会保障にぶら下がるケースが多い。
技術の発達は予想しにくいところがあるが、しかし、年金制度の将来はかなり正確に予測できる。それなのに、抜本的な改革案ができないのは、そんなものを持ち出すと選挙に勝てないからだ。
そうでなくても、「老人を切り捨てるのか」とか、「社会保障なくして人権国家とは言えない」とか、「行政改革で無駄を省くのが先決だ」などと、財源など考えないまま改革の足を引っ張る人たちがたくさんいる。
■人権エリート国家の不都合な真実
また、国民の方も、痛みのともなう改革が必要だということは頭ではわかっていても、自分や、自分の親の年金が増えるとなると、「それはそれ」という気が働いて改革の意志は腰砕けになる。
だから政治家は、自分の任期中は改革をずるずると引き延ばし、その代案として、年金不足は移民や難民で補えると夢を語る。
年金を考えるなら、まずは、「無い財源は、誰がどんな理屈をこねてもやはり無い」ということを素直に認めるところから始めなければ、老人も若者も移民も共倒れになってしまうのに。
24年の統計では、5歳以下の子供の42.6%が、移民、あるいはドイツ国籍を取得した移民の子供なので、移民がドイツの出生率を高めてくれていることは確かだ。
ただ、この子たちが育ち、職業に就いて、税金や社会保障費を納めてくれるまで、まだ20年ほどかかる。冒頭のジン氏の言葉を借りれば、それまでドイツの経済と学問の活力が保てるのかどうか?
しかし、ひょっとすると、その頃には彼ら“外来種”のエネルギーが炸裂し、経済を盛り立て、衰退していくドイツの“在来種”を凌駕してしまう可能性もある。その時には、ドイツの姿はすっかり変わっているかもしれない。

年金も、移民も、これらにまつわる問題は、日本にも1対1で置き換える事ができると、私は感じている。
少子高齢化に対応するだけでも大変なのに、それ以外に一度も年金の掛け金を払ったことのない人たちの年金まで負担するなど、はっきり言って不可能だ。私たちは、今が日本の国柄を保てるかだけでなく、生き残れるかどうかの瀬戸際だということを、もっと真剣に認識すべきではないか。

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川口 マーン 惠美(かわぐち・マーン・えみ)

作家

日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。

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(作家 川口 マーン 惠美)
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