※本稿は、青木理『闇の奥』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
■世界の常識からかけ離れた日本の「人質司法」
あらためて記すまでもないだろうが、逮捕、起訴されても容疑を否認すれば保釈がなかなか受けられず、時に数カ月、あるいは年単位での勾留を強いられてしまう現状は、検察や警察が保釈などをエサに「自白」を迫り、冤罪の温床にもなっていると長年指摘されてきた。
これについては、一人の元出版人の動きが各メディアでも大きく取りあげられた。東京五輪のスポンサー選定をめぐる贈賄容疑で東京地検特捜部に逮捕、起訴された出版大手KADOKAWAの元会長、角川歴彦が2024年6月に起こした国家賠償請求訴訟である。
逮捕当時、角川は79歳という高齢だったうえ、心臓などに重大な持病も抱えていた。にもかかわらず、取り調べで容疑を否認すると保釈請求は検察の異議を受けて幾度も却下され、実に226日間も東京・小菅の東京拘置所に勾留され続けた。
その間に体重は激減し、新型コロナにも感染し、一時意識を失ったこともあったという角川は、拘置所の医務官からこう告げられたと明かしている。「あなたは生きている間にはここから出られませんよ」
あくまでも「無罪推定」下にある被告人段階でのこうした処遇はあまりに不当だと訴え、「人質司法」そのものを真正面から問うと主張して角川は訴訟を起こした。
弁護団には弘中惇一郎、喜田村洋一、伊藤真、元裁判官の村山浩昭ら当代随一の弁護士が名を連ね、角川自身も「国際社会から“中世の名残”と批判される刑事司法を改革するために残された人生を捧げる覚悟」と意気込む。
■袴田事件が世に問うたこと
もとより、角川が被告人として問われている贈賄事件そのものの処分は今後の公判廷の推移を見守るしかない。また、裁判所も当事者として重大な責を免れえない「人質司法」の弊に、当の裁判所が正面から向き合うか否かは予断を許さない。
それでも「人質司法」の罪と病理は重く深く、こうした努力で光を照らしていくべき「闇」であることは論を俟またない。
さらにもうひとつ、これは袴田事件という死刑確定判決の過ちの衝撃がもたらした肯定的な動きと評すべきものだろう。日弁連(日本弁護士連合会)などを中心に再審法整備の必要性を訴える声が高まり、国会でも最近、すでに300人に達する超党派の議員連盟が結成された。
当然のことではあるが、刑事司法も人間の営みである以上、いかに慎重を期しても間違いは起こる。なのに現行の刑事訴訟法には再審=裁判のやり直し手続きに関する定めがほとんどなく、再審は「開かずの扉」とも「針の穴にラクダを通すより難しい」とまで形容されてきた。
■検察が集める「証拠」のカラクリ
特に喫緊の課題とすべきは証拠類の開示に関する規定である。これはまさに刑事司法の「闇」の核心ではあるのだが、現状では警察や検察が捜査過程で集める膨大な証拠類は警察や検察によって独占され、公判廷には被告人の有罪を指し示す証拠類ばかり示され、仮に被告人側の無罪を指し示すものがあっても隠されてしまう。
これはどう考えてもおかしい。そもそも私たちが負託した公権力と膨大な人員を駆使して警察や検察が集める証拠類は本来、私たちの“公共物”というべきものであって、基本的には全量が被告人や弁護側にも示され、それに基づいて検察側は有罪の立証を、逆に弁護側は防御などに当たるのが原則のはずだが、現実はそうなっていない。
特に近年も続発する冤罪事件を眺めれば、証拠の開示は“雪冤(せつえん)の決定打”となってきた。再審請求などの段階で裁判長が証拠類の開示を検察に強く促し、長年にわたって隠されてきたそれが渋々示され、ようやく冤罪が証明された事例があまりにも多いのである。
先の袴田事件しかり、詳細は記さないが布川事件しかり、東電女性社員殺害事件しかり、松橋事件や大崎事件等々もしかり……。
■検察組織の“巻き返し”と“焼け太り”
ならば、証拠の開示手続きを含む再審法整備も焦眉の課題である。先に記した通り、日弁連などが熱心に声をあげ、超党派の議連なども発足しているから、こちらは現実に動き出す可能性は十分にあり、また動き出すべきではあるのだが、法務・検察の内情に詳しいベテランの刑事弁護士はこう言って警戒する。
「だったら引き換えに新たな“武器”をよこせと、法務・検察はまたそう言い出す可能性が高い。その気配はすでに出ています」
この懸念は決して的はずれではない。実際、少し前にもまったく同じようなことが起きている。発端は、大阪地検特捜部の証拠改竄事件であった。
強大な検察権の行使に直接関わる証拠改竄という権力犯罪が発覚した2010年、「巨悪を撃つ正義」などともてはやされてきた特捜検察の威光は地に墜ち、当時の民主党政権は法相の私的諮問機関として「検察の在り方検討会議」を設置した。
委員には検事総長や警察庁長官経験者らが名を連ねる一方、ジャーナリストの江川紹子や元検事の郷原信郎らも加わり、証拠改竄を引き起こした特捜検察の根本的な「ありよう」のほか、密室での取り調べや「人質司法」等々、検察が差配する刑事司法の「闇」についても改善に向けた検討が行われる―はずだった。
一方、法務・検察は強烈な危機感を抱いたのだろう、異例の策を講じて会議をコントロールしようと謀った。法務・検察内では“異能の切れ者”として知られ、与野党を問わぬ政界にも人脈を持つ幹部を会議の事務局担当に据えたのである。
■検察改革を許さなかった「官邸の守護神」
当該の幹部は、わずか2カ月前に法務本省から松山地検の検事正に転出したばかりだったが、急きょ法務省に呼び戻して担当に据えるという異例の人事であり、その幹部の名をここで記せば多くの人も聞き覚えがあるに違いない。
黒川弘務――そう、のちに「一強」政権下で官房長官らと気脈を通じ、一部では“官邸の守護神”などと称され、ついには「一強」政権が検察トップ人事に介入し、東京高検検事長だった黒川の定年を延長して検事総長に据えようと企てた、とされる人物である。
この掟破りの人事介入が黒川自身の賭け麻雀問題で頓挫したのは周知の通りだが、「検察の在り方検討会議」を差配した当時の黒川も“切れ者”としての辣腕を発揮したらしい。翌2011年の3月に会議がまとめた「提言」は、取り調べ可視化=録音・録画の一部拡大を盛り込む程度にとどまり、見事なほど法務・検察側に都合よく“骨抜き”にされた内容だった。
■気付けば検察の権限が拡大しただけ…
そう捉えたのは私だけでない。当時の新聞各社も社説などで落胆を露(あらわ)にしている。「肝心の点で踏み込みが足りない」(毎日)、「検察内部の『自浄作用』に期待した内容」(朝日)、「期待とはほど遠い結果」(北海道)、「多くの点で、踏み込み不足」(西日本)……。
直後に黒川は法務省官房長に昇進し、刑事司法の「闇」をめぐる具体的論議は、法相の諮問機関であり法務省の附属機関でもある法制審(法制審議会)へと舞台が移された。
そして2014年9月に法制審が示したのは、ごく一部の事件で取り調べの可視化=録音・録画を義務化はしたものの、日本版の司法取引制度の導入や通信傍受法の大幅な強化などを謳う内容へとさらに変質し、検察の犯罪が発端となった改革論議は、むしろ捜査当局側の“焼け太り”を促す結果になった。
皮肉を込めて記せば、“官邸の守護神”と揶揄された男は、法務・検察にとっても強力な“守護神”だったのである。
■国会に問題意識はあるのか
さて、現在の法務・検察幹部にそれほどの“切れ者”がいるかどうかはともかく、再審法整備をはじめとする刑事司法改革の芽を再び捜査当局側の“焼け太り”などに終わらせず、実のあるものにできるかどうかは、言うまでもなく最終的には立法府=国会に議席を有する者たちの問題意識と良識に委ねられる。
そのことを考える際、かつて自民党で参院幹事長などを歴任し、“参院のドン”とも称された故・村上正邦の台詞を私は思い出す。
政治的な立ち位置としては最右派に位置した村上だが、自らが旧KSD(中小企業経営者福祉事業団)をめぐる贈収賄事件で東京地検特捜部に逮捕、起訴されて有罪判決が確定し、しかしその後も無罪を強く主張しつつ、晩年は検察捜査や刑事司法の問題点を訴え続けていた。
だから刑事司法をめぐる勉強会でしばしば同席した際、私は直截に尋ねたことがある。
「検察捜査や刑事司法をめぐる問題意識にはまったく同感だが、権勢を誇った議員在職中になぜ手をつけなかったのか」と。
■“参院のドン”が漏らした本音
村上はごく率直にこう吐露した。
「深い問題意識を持たなかった不明と不見識は恥じるしかないが、そもそも刑事司法の問題などカネにも票にもならない。それに、政治家はやっばり検察や警察が怖いんだ。警察は選挙違反を取り締まり、叩けば埃の出る議員は検察が怖いからな」と。
それから何年も経ち、こんな放言を口にして更迭された法相もいた。
「法相は死刑の判子を押す時だけニュースになる地味な役職。金は集まらないし、なかなか票も入らない」
いずれもあけすけな本音ではあったのだろう。かくして“中世の名残”と揶揄されるこの国の刑事司法は温存されてきたのだが、検察が強大な存在感を放つ刑事司法の「闇」の所在はすでに明らかであり、あとはそこに光を照らす作業が残されているのみだと私は思う。
そして、戦後5件目にもなる死刑冤罪が発覚した現在は、世界的には廃止が圧倒的な潮流となっている死刑制度の是非を含め、改革の格好の機会とすべきでもあるはずだ。
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青木 理(あおき・おさむ)
ジャーナリスト
1966年、長野県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。
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(ジャーナリスト 青木 理)

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