ベッドに横たわる90歳の母は、面会に来た息子の手を握りしめ、「早く死なせて」と何度も訴えた。血管が詰まり、足は壊死しかけていたが、治療は行われず、延命だけが続けられた。
60代の男性はいまも「あれでよかったのか」と自問し続けている。これは、がん以外の患者が十分な緩和ケアを受けられない日本の医療制度が招いた悲劇だ。医療ジャーナリストの木原洋美さんがリポートする――。
■『透析を止めた日』の悲劇
「僕はね、自分の命を他人が握っているということが耐えられない。自分の命のことは自分で決めたい。」――2017年7月、ノンフィクション作家の堀川惠子さんの夫・林新さんはそう言って、長年続けた透析を止めた。
透析とは、ろ過・排泄機能を失ってしまった腎臓の代わりに、血液中の老廃物や余分な水分を人工的に取り除き、血液を浄化する治療法を指す。
透析のおかげで、多くの腎不全患者が10年20年と生きながらえるようになったのは確かだが、それは決して、腎臓の役割を完璧に補える治療法ではない。血管も心臓も劣化は徐々に進み、やがて「透析上の死」が訪れる。命綱である透析が、わずかな延命と苦痛しかもたらさない苦行になってしまうのだ。
当時、末期の腎不全患者だった林さんにとっても、透析はもはや拷問でしかなかった。「最後の希望」だった腎移植も叶わず、回復の見込みもない。
透析を止めた場合、余命は数日。
中止後は、排泄できなくなった毒素が体内にたまり、尿毒症など苦痛を伴う症状に襲われることが予測され、覚悟もしていたが、現実は想像以上だった。生きながらにして足が腐っていく壊疽(えそ)の激痛。透析を止める日、担当医がなぜか、延命措置を止めるのと一緒に抗生物質の点滴も止めたために起きた。
入院していた病院には緩和ケア病棟があり、堀川さんは入れて欲しいと嘆願したが、「緩和ケア病棟はがん患者限定」と断られた。診療報酬上、がん、末期の心不全、エイズといった一部の病気以外には、緩和ケアが算定されないからだ。
■「人生にこんなに痛いことはない」
痛みコントロールに疎い担当医は、麻薬系の鎮痛剤など、がん患者であれば普通に使用される効果が強い薬は使わず、持続的な鎮静剤も「使い方を誤ると患者の本来の寿命を縮めかねない」という理由からか、やはり使ってくれなかった。
「人生にこんなに痛いことはない」。文字通り、生き地獄のような痛みに悶絶した末、林さんは力尽き、この世を去った。
後に調べてみたが、担当医が院内の緩和ケア医に相談した形跡はなかった。
大概の日本人は、「緩和ケアは必要とあれば誰もが受けられる」と思っているのではないだろうか。ところが、現状は違う。林さんのような腎不全に対する緩和ケアの診療ガイドラインはなく、がん患者に比べ、保険診療で使える鎮痛剤も限られている。

人間誰しも他界するときはなるべく苦痛なく、少しでも安らかに逝きたいはずなのに、今の日本では、がん以外の患者が緩和ケアを受けるには制約がある。
納得がいかない堀川さんは夫の死後、この時の体験と、終末期の透析患者をめぐる諸問題について重ねた取材をもとに『透析を止めた日』(講談社)を出版し、「腎不全患者に対する緩和ケアが不在だ」と問題提起した。
著書は社会に衝撃を与え、国会議員を動かし、2025年9月29日に公表された「腎不全患者のための緩和ケアガイダンス」の発表につながった。
このガイダンスは、日本緩和医療学会、日本腎臓学会、日本透析医学会の3学会が共同で作成した初めての診療指針だ。その73ページには、「死が近づいたとき」の対応として、患者の苦痛が緩和されない場合には、「緩和ケアチーム等の専門家へのコンサルテーションを考慮する」とある。
■緩和ケアは世界では「人権」
緩和ケアの不備がもたらす悲劇は、腎不全に限らない。
「ほかにも認知症や心不全、COPD(慢性閉塞性肺疾患)などの呼吸器疾患、神経難病など、緩和ケアを必要とする人の3人に2人はがん以外の疾患です」と話すのは、長年にわたり在宅医療を中心とした地域医療に携わってきた過程で、非がん疾患のエンドオブライフケア・緩和ケアをライフワークにすると決意し、精力的に取組んできた平原佐斗司さんだ。
欧米先進国では90年代の研究で、非がん疾患患者に対する緩和ケアが不十分であることが明らかにされ、今や、非がん疾患の緩和ケアは本格的な実践のフェーズに入っている。国際法でも「全ての人が人生の最期の時間、緩和ケアを受けて痛みから解放されるのは人権」と保障されているという。
じつは日本でも、各専門領域の医師たちによって、今回のガイダンスを待つまでもなく疾患別の緩和ケアは進化してきた。2010年の『循環器疾患における末期医療に関する提言』(日本循環器学会)をはじめ、「筋萎縮性側索硬化症(ALS)診療ガイドライン2013」、「非がん性呼吸器疾患緩和ケア指針2021」、「高齢腎不全患者のための保存的腎臓療法―CKMの考え方と実践」等が作られてきたのである。
「とはいえ政策的には、2017年に心不全のワーキンググループが作られて、翌年には診療報酬が改訂され、末期心不全に対する緩和ケアの診療報酬が認められるようになって以降、2025年の現時点では進展が見られません。
来年の改訂では大きな動きがあるのではと期待しています」
■軽度でも命の危機に直面する病気
さらに平原さんが緩和ケアの必要性を強調するのが「認知症」だ。ちなみに認知症の患者は2060年までの間に、全世界の患者数は約4倍、先進国で3.07倍に増加し、その増加率や増加量はがんをしのぐと予測されている。
「呼吸器疾患も、かつては最期の時間にすごい呼吸困難があるのに放置されているというひどい状況でした。それをなんとかしたいと専門医が尽力して、緩和ケアの指針が作られました。そうした課題に順番に取り組んできて、最後に残ったのが認知症です」
ただ、認知症の人になぜ緩和ケアが必要になるのかは、ピンと来ない人が多いかもしれない。
なんとオランダの研究では、認知症高齢者は一般の高齢者と比較して、1年死亡の相対危険度は男性で3.94倍、女性で2.99倍もあることがわかっている。
「適切なタイミングで医療にアクセスすることができなくなるせいだと推測されています。認知症は、いわゆる命の危機に直面する疾患であり、認知症の人は常に死亡のリスクにさらされているという認識が必要です」と平原さんも言う。
■認知症の人にも緩和ケアが必要
たとえば重度や末期認知症となると、痛みや息苦しさ、不快感などのつらさを表現できなくなることから、ケガや病気の悪化が見逃されがちになるのは容易に想像がつく。認知症の末期、3人に1人は肺炎で亡くなるのだが、他の病気と違うのは重度の認知症患者は「苦しい」と訴えることができないことだ。
「だからこそ、声なき声をきちんと拾い上げて、緩和ケアにつなげることは大事です」。
さらに軽度の段階でも、患者にはしばしば、骨折等のケガや肺炎による呼吸困難などに伴う苦痛に加え、認知の衰えに対する不安といった心理的・スピリチュアルな苦痛がもたらす、せん妄、徘徊、暴言などの周辺症状があらわれる。
元気だった親が骨折で入院から戻った途端、急に怒りっぽくなったり、身の回りにかまわなくなっていたりしたら要注意。認知症が進む恐怖の裏で、度し難い「終わりの苦しみ」を感じている可能性がある。
周辺症状がある認知症の人の約3分の2が疼痛を感じており、その半数近くが中等度から重度の痛みであったという報告もある。
そういえば筆者の母親も、骨折で入院加療した後、いつまでもひどく痛がっているのでペインクリニックの医師に相談し、専門医の検査を受けさせたところ認知症が見つかった。
■体の痛みを取るだけが緩和ケアなのか
東北地方在住の男性(60代)は、一年前に母親(享年90歳)を亡くしたが、その最期を思い出すたび申し訳ない気持ちになる。
「ある日、寝たきりだった母の足がどす黒く変色していることに気が付きました。目をぎゅっと閉じて、痛そうだったので、救急車を呼びました。当時は、新型コロナ感染症が2類から5類になり、世間では以前の生活が戻って来ていましたが、病院に着くとすぐに、『感染症対策中なので息子さんはここから先へは入れません。お母さまの容態が変ったらお呼びしますのでお帰りください』と告げられました」
母親の足は血管が詰まり、膝から下が壊死しかかっていた。衰弱がひどく、入院した病院では手術できない。痛みをコントロールしながら様子を見るが、いつ亡くなってもおかしくない。危篤になったら連絡するとのことだった。

もう一度会って、母の手を握って励ましたい。声をかけて、頭をなでてあげたいと頼んだが、「ルールなので、面会はさせられません」の一点張り。男性は独身で、20年前に父が他界した後都内での仕事を辞めて実家に戻り、1人で献身的に母の介護を続けてきた。それがこんな唐突に、終わるなんて。子どもの頃以来はじめて声を上げて泣いた。
■「人生の最期に。可哀想なことをしました」
母親はなんとか生命の危機を脱し、急性期病院から慢性期病院に転院した。「うちは治療しません。首の血管から栄養を入れながら、延命させるだけです」と説明された。面会は予約制で1カ月に一度、10分間だけ許される。「危篤になったら連絡する」という。
「延命は不要と、以前から母は言っていました。
私も母の意志を守りたいと思いましたが、在宅だとすぐに死んでしまうので帰すわけにはいきませんと言われて、泣く泣く引き下がりました」
面会のたび、母親は男性を見て「会いたかった」と喜び、「早く死なせて」と懇願した。痩せ細った首に点滴の管を挿したまま、管が抜けないよう拘束され、指を使えないよう両手に袋がかけられていた。足の様子を尋ねると看護師は「お肉はぜんぶ腐って落ちて、骨が見えていますよ。ご覧になりますか」と聞いて来た。
「母は5カ月間、ベッドの上でただ生かされていました。死にたい、死にたいと言いながら。転げまわるような体の痛みはなかったかもしれません。でも心の苦痛はひどかったと思います。人生の最期に。可哀想なことをしました」
■ホスピス医「どんな病気であれ…」
「『骨が見えています。ご覧になりますか』はないですよね。看護師がまず言うべきは、『大丈夫、痛みは感じていませんよ』でしょう。そして、お母様と息子さんが幸せな気持ちになれるにはどうしたらいいかを、一緒に考えてあげることだったと思います。お住まいの地域は私も土地勘がありますが、在宅のいい先生がいます。連れて帰っても、すぐに死んだりはしなかったでしょう。あの先生につながれるとよかったですね。医療従事者として、申し訳なく思います」
31年にわたり、ホスピス緩和ケア専門医として、約4000人を在宅で看取って来た小澤竹俊さんは一瞬言葉を飲み込んだ後、静かに語り始めた。
「私はこれまで、がん、心不全、呼吸器の疾患、神経難病、老衰まで、さまざまな病名の患者さんを看取ってきました。もちろん透析患者さんもいました。どのような病名であれ、人生の最期において、その人の尊厳を守り、配慮することに全く変わりはありません。がんであろうがなかろうが、基本的に緩和ケアは、患者さんと向きあうことであるのは、同じだと思います。がんと非がん疾患では、若干、保険診療で使える薬が違いますけどね。私は心不全等がんではない患者さんに対しても、全身の症状緩和のためにモルヒネ(医療用麻薬)を出しています。冒頭の堀川さんのご主人のようなことはありえない」
■ゴールは「本人の幸せ」
小澤さんにしてみれば、肉体的な痛みを緩和ケアでコントロールするのは当たりまえ。それは患者が最期に幸せを実感できるための条件の1つに過ぎない。
「そもそも看取りを含めた在宅医療のゴールは単純。“幸せになること”です。患者さんが幸せを実感できるよう寄り添うこと。そのためには、痛みはない方がいい。希望する場所で過ごせないよりは過ごせた方がいい。周りが知らない人だらけより、信頼できる誰かが傍にいてくれた方が穏やかになれますよね」
たとえば小澤さんは、死が間近に迫った患者を看た時、傍らの家族と次のような会話をしたという。
【小澤】お父さんの思い出で、特に覚えていることはありますか。
【娘】もう30年以上も前ですが、私が結婚を決めて、主人が挨拶に来た時に、とても喜んでくれたことです。
【小澤】そうですか。喜んでくれたんですね。お父さんは今、話しが出来ませんが、もし話せたとしたら、あなたに何を望むと思いますか。
【娘】まず健康でいて欲しい、それから幸せになって欲しいと。
【小澤】あなたはどう答えたいですか。
【娘】ありがとうって。それからちゃんと健康でいます。幸せだよって。
【小澤】(患者に向かって)お父さん、聴こえましたか。娘さん、ちゃんとお父さんのこと覚えていますよ。ちゃんと健康で暮らしますって。
「すると、本人もちゃんと聴こえて、とても安らかな顔になるんです」
最期の時、激痛に苛まれていたら、決してこんな穏やかなお別れはできないだろう。
■理想の在宅医と出会うには
現在、日本で非がん患者の緩和ケアを主に担っているのは「在宅医療」だ。原則、緩和ケア病棟や緩和ケアチームではがんと一部の心不全しか診(み)られないので、非がん疾患の緩和ケアの経験は積めない。一方、在宅医は疾患に関係なく診られることから、非がん疾患に対する経験値は比較的高いと思われる。
ただし、在宅医なら誰もが、小澤さんのようなケアができるわけではない。緩和ケアの質は医療者個人の資質によるところが大きいし、その内容にはかなりバラツキがあると言われている。
ではどうしたら、最期を幸せな気持ちにさせてくれる在宅医に出会えるのか。
「可能性としては、訪問看護ステーションで評判を聞くこと。在宅クリニックのホームページを見ても、いいことしか書いていないのでわからないですよね。なので、訪問看護ステーションで聞いてみる。それもできたら複数のステーションに、『もしあなたの友だちに紹介するとしたら、どの先生を勧めますか』と聞いてみるのが最善だと思います」
だが、本音を引き出すのは難しい。というのも、患者がどの訪問看護ケアを受けるかを決めるのはクリニックの医師だからだ。
「そのドクターを悪く言ったことがバレると、患者さんに紹介してもらえなくなりますからね。利益相反がある。だから時々、クリニックのHPに、うちのクリニックは地元の訪問看護ステーションから満足度95%の評価をいただいていますとかあっても、信用できない。クリニックのホームページでだけで判断するのは避けた方がいいですね。まずは複数の訪問看護ステーションで、あとはケアマネージャーに聞いてみることです」
情報集めも、判断も難しそう。ここはやはり、人生の最期が穏やかになるよう、政治の力で法整備をしてもらうのが最良のような気がする。それには、国民一人一人が、緩和ケアは人権と捉え、主張することが必要だ。
平原 佐斗司(ひらはら・さとし)

東京ふれあい医療生活協同組合 研修・研究センター長/東京都地域連携型認知症疾患医療センター センター長。長年にわたり在宅医療を中心とした地域医療に携わってきた過程で、非がん疾患のエンドオブライフケア・緩和ケアを生涯のライフワークにすると決め、精力的に活動している。
小澤 竹俊(おざわ・たけとし)

めぐみ在宅クリニック院長。「自分がホスピスで学んだことを伝えたい」との思いから、2000年より学校を中心に「いのちの授業」を展開。 2013年より、人生の最終段階に対応できる人材育成プロジェクトを開始し、多死時代にむけた人材育成に取り組み、2015年、有志とともに一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会を設立し、理事に就任。現在に至る。

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木原 洋美(きはら・ひろみ)

医療ジャーナリスト/コピーライター

コピーライターとして、ファッション、流通、環境保全から医療まで、幅広い分野のPRに関わった後、医療に軸足を移す。ダイヤモンド社、講談社、プレジデント社などの雑誌やWEBサイトに記事を執筆。近年は医療系のホームページ、動画の企画・制作も手掛けている。著書に『「がん」が生活習慣病になる日 遺伝子から線虫まで 早期発見時代はもう始まっている』(ダイヤモンド社)などがある。

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(医療ジャーナリスト/コピーライター 木原 洋美)
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