親の介護が始まる前にどんな備えをすればいいのか。『マンガで解決 老人ホームは親不孝?』(主婦の友社)で、親の介護体験を漫画に描いたイラストレーターの上大岡トメさんは「『親は元気なはず』と思い込みがちだが、必ず衰えている。
突然介護をすることにならないように、自身が50代のうちに確認してほしいことがある」という――。(第3回/全3回、構成=プレジデントオンライン編集部)
■「急に認知症になった!」は子供の勘違い
親という存在は、子供にとっていつまでも変わらず元気なものだという思い込みがあります。この無意識のバイアスが、親の老いや衰えを無意識に視界から遠ざけてしまうのです。
私の父は技術職出身で、80代に入ってからもパソコンを使いこなし、ネットスーパーで自ら買い物をするほど自立していました。私自身もすでに56歳になっていましたが、その姿を見て、「父に限ってボケるはずがない」と根拠のない安心感を抱いていました。
しかし、その父に87歳ごろから、認知症の症状が現れたのです。父の不調に気づいたきっかけは、私が父の代わりにネットスーパーの注文を操作した際のことです。後日、父はひどく落ち込んだ様子で「店から電話があり、他人が注文するのは規約違反だと怒られた」と訴えてきました。そこで、不審に思って店側に確認してみると、そのような事実は一切ありませんでした。父の脳内で、現実には存在しない「拒絶の記憶」が作り出されていたのです。
一見、認知症は唐突にやってきたように見えます。しかし実際には、子供側が「親は元気なはずだ」という前提で現実を見ていたために、目の前の異変を見逃していただけなのかもしれません。

■「親フィルター」に要注意
親の老いに気づけない原因はさまざまなものがありますが、私は「親フィルター」のようなものがあると考えています。これは、無意識のうちに「自分の親はいつまでも元気でしっかりしているはずだ」と思い込み、現実の衰えを脳が無視してしまう状態のことです。
親が旅行の話をしたり、元気に振る舞ったりする姿を見て「まだ大丈夫」と安心し、異変を見逃してしまいます。
実際、親がお世話になっていたお医者様から「もう二人での生活は厳しいですよ」と告げられたときでさえ、私は「まだ大丈夫でしょう」と思ってしまいました。しかし、後から冷静に振り返れば、当時の両親の状態は完全に限界を超えていたのです。
昨日の親と今日の親を比較して「昨日大丈夫だったから今日も大丈夫」と考える根拠のない安心感は、初期対応を遅らせる大きな要因となります。自分一人で判断せず、意識的に第三者の視点を取り入れることが重要です。両親を友人に会わせたり、兄弟と一緒に両親と会うことで少しずつ「親の老い」を自覚できるようになっていきます。
私は、母親が脊柱管狭窄症で歩けなくなったことをきっかけに約5年間にわたって山口県の自宅から実家の横浜まで遠距離介護を続けてきましたが、もっと早く「親フィルター」を外して両親の現状を理解してあげたかったといまでも思うことがあります。
家族以外の目で見れば、親の衰えはもっとはっきりと映っています。この「親フィルター」をうまく中和する努力をすることが、親の急激な老いに対応するための第一歩となるのです。
■ラップの使い方で老い方がわかる
親の老化は、日常のささいな動作に予兆が現れます。
私が母の異変を確信したのは、キッチンでラップを上手く扱えなくなっている姿を目撃したときでした。
ラップを引いて切り、器にかけるという動作には、指先の器用さと一定の瞬発力が求められます。80歳を過ぎたころから母がラップをぐちゃぐちゃにして困惑している様子を見て、指先の機能が確実に衰えていることを悟りました。
また、ペットボトルのキャップを回す力の衰えも重要なサインです。指先の力やバランス感覚が失われると、こうした「指先の仕事」が困難になり、それが生活全般の支障へと繋がっていきます。
ほかにもお風呂や洗面台の水垢が目立つようになったりするのも、掃除をする気力や体力が低下している証拠です。特に、これまで綺麗好きだった親に、少しずつできないことが増えていると感じたら要注意です。
これらの小さな違和感こそが、深刻な事態を防ぐための静かなSOSサインなのです。
■検査を受けさせるのも一苦労
親の認知症を疑い始めたとしても、次に待ち受けるのは「本人に検査を受けさせる」という非常に困難なミッションです。
認知症の初期段階にある人は、自分の不都合を隠そうとする力が強く働きます。特にプライドの高い親であればあるほど、「自分はボケてなどいない」と強く主張し、病院での検査を頑なに拒みます。
介護経験者に取材した事例のなかにも、認知症になった親族が周囲の知人を指して「あの人はボケ老人みたいだから困っちゃうわよね」と平然と口にした、というエピソードがありました。
人はたとえ認知症になったとしても、自分のことは棚に上げ、他人の衰えは鋭く指摘するものなのです。
さて、無理に検査を強行すれば親子関係が崩壊しかねないため、私は第三者の権威、特に「医師の力」を借りることにしました。
事前に看護師や医師と打ち合わせを行い、本人には「認知症のテスト」とは決して伝えず、「年齢を重ねると誰でもするテスト」として自然な流れで脳の傾向をチェックしてもらうよう誘導したのです。診断結果はアルツハイマー型認知症でしたが、父親には「年相応の認知能力だったので、認知症の予防として薬を出しましょう」と治療薬を処方してくれました。
このように、頑固でプライドが高い相手であっても、工夫をすることで認知症の検査を受けさせることができました。
■入居当日はトラブルがつきもの
施設への入居が決まった後も、特に入居当日は多くのトラブルが待ち構えていると覚悟したほうがいいでしょう。
昨日まで「わかった、明日から行くよ」と納得していたはずの親が、当日になると「そんな話は聞いていない」「ここを追い出すつもりか」と激昂し、激しい抵抗を始めることは決して珍しくありません。
私の場合も、父を説得するために施設入居のメリットを根気強く伝え続けました。父は当時、90歳近い年齢になっていたのでなるべくわかりやすい言葉を使って、「今のまま家で暮らすのは、生きるための最低限の家事で体力が削られてしまう。施設なら食事や掃除を任せられるから、残った余力で好きなカラオケや趣味をもっと楽しめるようになるんだよ」と、本人の人生をより豊かにするための選択であることを強調したのです。
父は何度も入居を拒みましたが、最終的には「施設に入るメリット」に納得して入居してくれたようです。
ここで大切なのは、親の不満をきちんと受け止めたうえで「施設に入ることのメリット」をしっかりと伝えることです。
「施設に入って欲しい」という子供側の意見ばかりを伝えてしまうと「自分は邪魔な存在なのかもしれない」と思わせてしまい、むしろ施設に入る気がなくなってしまいます。
不満を受け止めたうえで「これは両親のためにやっていることなんだよ」という観点から根気よく話していければ、思いが通じるときはきっと来るでしょう。
■「夫婦同室」には“共倒れリスク”がある
施設選びにおいて最も避けるべきは、何の情報収集も準備もしていない状態で、急な入院や転倒をきっかけに「今すぐ入れるところ」に決めてしまうことです。
要介護状態で病気やケガで入院し、在宅介護が難しいとなれば退院前に施設を決めなければいけません。そのときに焦って本人の性格や好みに合わない施設に押し込んでしまうと、のちのち親子で苦しい思いをしてしまうリスクがあります。
海が好きな人を山奥の施設に入れたり、静かに暮らしたい人を賑やかすぎる場所に入れたりすれば、親の認知機能は一気に低下します。また、「なんでこんな施設に入れたんだ!」と親から頻繁に連絡が来るようなことがあれば、子供側も気が気ではないでしょう。
お互いに後悔しないためには、親が70代の元気なうちに、いくつもの施設を親子で見学しておくことが理想的です。
また、仲の良い夫婦であれば「最後まで一緒にいさせてあげたい」と考えて施設内で「夫婦同室」を選択する方も少なくないようです。夫婦同室にすれば費用も抑えられるので、一石二鳥だと思うかもしれません。
しかし、介護の現場において安易に「夫婦同室」を選択することは、共倒れを招くリスクがあります。
■「24時間夫婦で一緒」は苦痛のほうが大きい
一見理想的に思える同室生活ですが、二人の「要介護度」の違いによってストレスがかかるケースがあるからです。
例えば、私の両親の場合も父の強い希望で夫婦同室にしましたが、母が夜中に何度もトイレ介助を必要とするようになると、同室の父もそのたびに目が覚めてしまうようでした。
施設に入ったにもかかわらず、元気な方の配偶者が夜な夜なパートナーの世話を焼き続け、睡眠を阻害されるという悪循環に陥るのです。これでは自宅で老老介護をしているのと何ら変わりありません。
それだけでなく、「プライバシーの喪失」という問題もあります。施設に入居する前から仲のいい夫婦といっても、24時間一緒にいるわけではありません。夫は趣味に出かけたり、妻は友達と食事に行ったりと、適度な距離感を保ちつつ円満な夫婦関係を築いてきたはずです。
ところが、夫婦同室になると大袈裟ではなく24時間ずっと一緒にいる生活が始まります。適度な距離があったことで維持されてきた関係性が、ここで一気に崩れてしまうおそれがあります。また、70代以上の夫婦の場合は夫が妻に対して一方的に頼みごとをし、妻がそれに応える、という「昭和の夫婦像」が続いている可能性は十分あります。
そうした関係ですと、妻のほうが元気であったとしても同室生活に耐えられなくなり一気に体調を崩し、妻の体調不良が原因で夫はさらに体調を崩す、というドミノ倒し状態になるおそれは十分あります。
もし夫婦同室にするとしても、可能であれば施設側とは事前に「最初は安心のために同室にするが、どちらかの介護度が上がった場合は速やかに別室に移る」という出口戦略を明確にしておいたほうがいいでしょう。
■親を施設に入れることは親不孝ではない
介護経験者の方にお話を伺っていくと、多くの人が「最期まで自宅で看るのが親孝行、施設に入れるのは親不孝」という二項対立に苦しんでいることがわかります。

しかし、介護の本当の目的は「親にどこで生活してもらうのか」という形式ではなく、「親がいかに穏やかに過ごせるか」という点にあるはずです。無理をして在宅介護を続け、家族が疲弊しきって笑顔を失うことは、親にとっても最も悲しい事態になりかねません。
親孝行の本質は、親の最終的な住まいを真剣に考え、最適な環境を整える努力をすることにあります。
施設を頼ることは、決して責任の放棄ではありません。プロの手を借りて生活の安全を確保することで、子供は「介護という労働」から解放され、再び一人の「息子・娘」に戻ることができます。
お話を伺ったある女性は「実家に帰って慌ただしく片付けなどの作業をするよりも、ただ隣に座ってお茶を飲み、マッサージをしながら他愛もない話をすることの方が、親の満足度はぐっと上がる」と語っていました。
大切なのは、親と子供の双方が健やかに過ごせる「場」を確保し、家族としての温かい時間を守り抜くことです。そのためには、親が元気なうちから施設の種類やサービスについて学び、選択肢を増やしておく必要があります。
情報がないまま行き当たりばったりで不本意な施設に入れてしまうことのないよう、事前の準備をして介護に向き合うことが、親孝行のあるべき形なのではないでしょうか。

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上大岡 トメ(かみおおおか・とめ)

イラストレーター

東京生まれ、横浜(上大岡周辺)育ち。現在は山口県在住。1級建築士、ヨガインストラクターでもある。世の中の難しいことを、わかりやすくマンガとイラストで描くことが仕事。著書『キッパリ!たった5分間で自分を変える方法』は、130万部超のミリオンセラー。『老いる自分をゆるしてあげる。』『遺伝子が私の才能も病気も決めているの?』(ともに幻冬舎)など著書多数。『マンガで解決 親の介護とお金が不安です』『マンガで解決 親の認知症とお金が不安です』『マンガで解決 老人ホームは親不孝?』(主婦の友社)など介護をテーマにした著書も多数ある。

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(イラストレーター 上大岡 トメ)
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