■サービス開示時から続く「POP受信」
Googleが2026年1月でPOP受信を終了する。
このニュースを聞いて、大慌てでGmailの設定を変更している人も多いだろう。
一方で「POP? なんだそれ」「Gmailは使っているけど、POPなんて意識したことない」とスルーした人も多いはずだ。
POP受信はGmail以外のメールをGmailで受信し同じ画面上で処理できる仕組み。つまり、これまで利用していない人には何の関係もない。
しかし、このGoogleの仕様変更は、実は単なる技術更新ではない。その背後には、国家と企業の力関係、そして日本が気づいていない「静かな戦争」が動いている。
GmailのPOP受信とは、「POP(Post Office Protocol)」仕組みを使ってGmail上で他社のメールサービスのメールを取り込む便利機能のことだ。複数のメールアドレスを一元管理できるため「会社用と個人用のメールを一つの画面で見たい」「プロバイダーのメールも、Gmailで受信したい」として、長年愛用してきた人も少なくない。
しかし、Googleは、12月に突然、2026年1月よりこの機能の利用を終了すると発表している。猶予期間は残りわずか。事実上、タイムリミットは目前に迫っている。
利用者も多かったこの機能を廃止する理由についてGoogleの説明はシンプルだ。要点をまとめると「POPは古い仕組みだから」「セキュリティ強化のため」ということになる。

確かに、POPは30年以上前に設計された非常に古いプロトコルだ。セキュリティ面での不安も指摘されており、サーバー運用の観点から見ても、メンテナンス性が高いとは言えない。提供する側からすれば、「できれば早めに手放したい仕様」であるのも事実だろう。
だが、ここで一つ、疑問が浮かぶ。
なぜ今なのか?
■「セキュリティのため」は表向きの理由
POPは確かに古い。だが、古いから今すぐ危険というわけではない。実際、POPは40年近く、世界中で使われ続けてきている。ところが、Googleが廃止を発表したのは2025年11月、発表から廃止までの期間が極めて短い。仕組みを理解しているユーザーなら、少し設定を変えれば今まで通り利用できるのだとしても、いささか急ぎすぎているようにもみえる。
実は「セキュリティのため」という説明は、表向きの理由にすぎない。
本当の理由は、別のところにあるのだ。
POPを使うと、メールはGoogleの外に出ていく。
仕組みはこうだ。まずGmailが他社のメールサーバーからメールを受信する。そして、そのメールを、別のメールソフトに送信する形になる。あるいは、会社の業務システムに取り込まれたり、自分のパソコンにダウンロードされて保存されたりする。
ユーザーにとっては便利この上ない。だが、Googleにとっては厄介でもある。なぜか。一度外に送信したメールが、その後どうなっているのか、Googleには全く分からないからだ。送られたメールは、どこかに転送されているかはわからない。第三者に漏れていても、防ぐ術はない。
これは、Googleにとってリスクになる。「Gmailを経由したメールが漏れた」「Googleのサービスから流出した」と受け止められかねないからだ。
だからPOPはいずれは消滅する仕組みになるだろうと考えていた。
■EUの規制
そして、いま、そのタイミングを与えたのがEUだ。
EUにはDSA(デジタルサービス法)とDMA(デジタル市場法)という法律が施行されている。DSAは有害・違法なコンテンツへの責任を問う法律で、DMAは市場を支配する巨大企業そのものを縛る法律だ。
この法律に基づけば、GoogleのPOP受信は極めて危険な機能になる。なぜなら、Googleは「データの流れを把握できない」からだ。POPで外に送信されたメールが、その後どこで何に使われているのか、誰の手に渡っているのか、Googleには分からない。
だが、もし問題が起きたとき、「Gmailを経由した」という理由だけで、Googleが責任を問われる可能性がある。
たとえば、こんな状況を想像してほしい。ある利用者がPOPでメールをダウンロードした。その後、そのメールに含まれていた個人情報が流出した。あるいは、違法なコンテンツが転送された。
誰かが詐欺に使った。
このとき、EUの法律は「プラットフォーム企業に責任がある」と考える。なぜなら、そのメールを「流通させた」のはGoogleだからだ。
Googleは反論するだろう。
「私たちはただメールを転送しただけだ」「その後のことはユーザーの責任だ」と。
だが、EUはこう判断する。
「では、あなたは流出を防ぐ手段を講じていたのか?」「管理できない仕組みを放置していたのではないか?」と。
■「お前たちが支配者ではない」
まるで言いがかりのように見えるかもしれないが、巨大テック企業のGoogleでもこれを無視するわけにはいかない。というのも、対策を講じなかった場合にはDSAは世界売上の最大6%、DMAは最大10%、繰り返せば20%という罰金を定めている。
もちろん、罰金を要求されても無視すればいいが、そうなってはヨーロッパで事業が展開できなくなってしまう。つまり、もともと「できれば捨てたい仕組み」だったことに加えて、法律違反の懸念が強まったことで、Googleは廃止を決断したわけだ。
ここまで読んで、こう思った人もいるだろう。

「いや、それって言いがかりじゃないか?」

「Googleはただメールを転送しただけなのに、なぜそこまで責任を問われるんだ?」
その疑問は、正しい。
少なくとも、アメリカ的な考え方からすれば、これは明らかに「やりすぎ」であり、企業のビジネスを妨害しているようにしかみえない。
EUが企業の活動を妨害しているのも半分は事実である。というのも、現在のEUのスタンスは、Googleをはじめとする米系テック企業に「お前たちが支配者ではない」と思い知らせることにあるからだ。
■「便利なサービス」を握る米テック企業
日本でもそうだが、私たちは気づいていない。検索も、買い物も、SNSも、地図も、メールも、スマホの中に入っている生活に必須のアプリのほとんどは米系テック企業が握っている。これらのアプリは利便性を高めた一方で、とてつもない脅威でもある。例えば、スマホのほとんどはGoogleのAndroidか、iPhoneである。
これらのアプリは生活を便利にした。だが同時に、巨額の金が、自国からアメリカへ流れ続けているということでもある。
例えば、スマホのほとんどはGoogleのAndroidか、AppleのiPhoneだ。そして、そこでアプリを配信するには、GoogleやAppleに手数料を払わなければならない。
音楽を売っても、ゲームを売っても、電子書籍を売っても、売上の15%から30%が、アメリカ企業に吸い上げられる。
自国の企業が稼いでも、利益の3割はアメリカ行きだ。そして、自国の企業が育つ余地はない。なぜなら、プラットフォームそのものを、彼らが握っているからだ。
さらに悪いことに、何が「適切」で何が「不適切」か、その基準もアメリカ企業が決めている。何を「表示」して何を「削除」するか。どんなコンテンツが「許可」されて、どんなコンテンツが「排除」されるか。その判断はすべて、アメリカ企業の規約に従う。
ヨーロッパの道徳観も、日本の文化も、関係ない。
日常生活に必須になったツールを外国企業が支配していることを、EUは主権の侵害と考えている。そこで、EUが選択したのが、法律で締め付けるというものだ。
DSAやDMAは、その武器である。罰金の額を異常に高く設定し「従わなければヨーロッパで商売できなくする」という脅しをかける。そうすることで、アメリカ企業を力ずくで従わせようと試みているのだ。
■EUと米国との対立
EUのメッセージは明確だ。
「ヨーロッパで商売するなら、ヨーロッパのルールに従え」

「お前たちが支配者ではない」
多くの米系テック企業は粛々と従う姿勢を見せている一方で「イノベーションを殺す」「企業の自由を奪っている」といった反発も絶えない。とりわけ、SNSはもっとも反発を呼ぶ分野だ。2025年にはEU非加盟国のイギリスが新法・オンライン安全法でSNSなどの本人確認を厳格化、実質未成年の利用を締め出したことで大きな騒動になった。
EUでも同様にSNSは道徳や文化を破壊するもっとも危険なものと見做して規制を進めている。とりわけEUの透明性確保要求に従わないX(旧Twitter)には、巨額の罰金を示唆するなど圧力を強めている。しかし、アメリカでは政府が「表現の自由への脅威だ」と非難し対立を深めている。
多くの人は、こう信じてきた。「西側のネットは自由だ。規制するのは中国やロシアのような独裁国家だけだ」と。
だが2025年、その常識は崩れた。
EUやイギリスは、米系テック企業という「新たな脅威」に対抗するため、中国やロシアと同じ方法……国家と法律による統制を選んだのだ。
つまり、ウクライナでの戦争では結束してロシアに対抗しているように見える欧米だが、インターネットの世界では完全に敵対している。これはもはや銃や弾薬を使わない新たな形の「内戦」といえるだろう。
■日本では議論すら起きない
だが、日本だけはこの対立に置いてけぼりだ。というのも、そもそもそんな問題があるとまったく認識されていないからだ。
実はここ数年で、日本でもGoogleやAppleの寡占を問題視する法律もできたし、省庁の調査も進んでいる。だが、報道されることはほとんどないし、そもそも誰も興味を持っていない。
SNS上では、海外ニュースとして紹介されることもある。だが「iPhoneが使いにくくなる」「SNSが規制されたら、面倒だ」など、おおむね便利・不便の話より先には進まない。
米系テック企業の脅威を問題視している国では「デジタル主権」という言葉が生まれている。インターネット上のインフラをどうやって自国の管理下に置くか、国家の命運をかけて真剣に議論されているのだ。
だが、日本で「デジタル主権」を検索しても、出てくるのは数人の政治家が場当たり的に口走った政策アイデア程度。そもそも、そんな言葉があることすら知られていない。
■日本は「デジタル植民地」
近年ではグローバルサウスでも米系テック企業に対する脅威を認識している。結果、日本だけが米系テック企業の脅威を認識せず、外国企業がインフラ化していることを前提で話すデジタル植民地となっている。
規約は海外任せ。決済も海外任せ。システム変更に従うしかない。経済も、文化も、価値観も、すべて外国企業に明け渡しているようなものだ。
日本はまだ、デジタル主権をめぐる戦争が始まっていることにすら気づいていないのだ。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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