臓器移植の件数が飛躍的に増えている。ノンフィクションライターの川口穣さんは「その背後には脳死となって臓器を提供したドナーと、提供を決断した家族がいる。
ドナー家族の声を社会がどう受け止めるか、いま問われている」という。脳死になった夫の臓器移植を決断した女性の話を聞いた――。
■心臓移植の年間件数がかつての“10倍”に
心臓移植、1000件――。
2025年8月、臓器移植法施行(1997年)以降に国内で行われた心臓移植が1000件を超えた。1999年に1例目が行われて以降、2009年までは多くても年間10例程度で推移したが、2010年に本人の意思が不明でも家族の同意で提供できるとする改正法が施行され、弾みがついた。
社会的な理解が進んだこともあり、23年は115人、24年も111人が心臓移植を受けている。単純に考えれば、年間で、かつての約10倍の人が心臓移植を受けることができるようになったのだ。
2021年10月末時点で929人いた心臓移植待機者は22年後半以降減少に転じ、2025年11月末の時点で788人。ここ3年ほどは、移植数が新規登録者を上回っている。これまで「移植にたどり着けるか」が最大の壁だった日本の臓器移植は、確実に変容した。
臓器移植法下1例目の心臓移植でドナー(臓器提供者)からの心臓摘出を担当したほか、移植医としておよそ200人の心臓移植患者に関わってきた福嶌教偉医師(現・千里金蘭大学学長 ※教は旧字体)は言う。
「2022年までに心臓移植を受けた人の平均待機期間は3年9カ月で、長い人は5年以上移植を待っていました。
一方、いまのペースで移植が進めば4~5年後には待機は2年以下になると思う。2年ならば90%以上の人が安全に移植を待つことができます。かつて、移植を待つ患者さんは『何年待っても助からない、自分はその間に死んでしまう』と悩まれていたけれど、その状況は大きく変わりつつあります」
■移植とともに増える“ドナー家族”の存在
移植が増えた要因は複数ある。
先に述べた通り、2010年の法改正によって家族の同意のみで移植が可能になった。これによって、小児からの提供にも道が拓かれた。
15歳未満は民法の規定で意思表示が有効とされないため、旧法の「本人の意思」が条件の場合、ドナーになることができなかったのだ。移植について肯定的に考える人が増えたほか、ドナーとなる脳死患者を担当する救急医も、治療を尽くした後に臓器提供という選択肢を家族に提示することが増えた。
一方で、臓器移植の件数が増えることは、脳死となって臓器を提供したドナーと、提供を決断したドナー家族の増加も意味している。
心臓移植に至らなかったケースも含めて、2025年11月末までに脳死状態になって臓器を提供した脳死ドナーの総数は計1294人にのぼる。ただこれまで、ドナー家族の声が社会に広く知られる機会は多くなかった。
移植医療への理解は少しずつ進んでいるとはいえ、福嶌医師は、「日本はまだまだ、臓器提供を周囲に明かしにくい国」だという。臓器移植増加の影で、ドナー家族たちはどんな思いを抱いているのか話を聞いた。

■夫が自死、移植を決めた女性のケース
三重県の米山(こめやま)順子さんは数年前、脳死になった夫の臓器を提供した。
夫は自死を試みて搬送され、4~5日目に主治医から「脳幹までダメージが及び、意識の回復は難しい」と説明されたという。「脳死」という言葉は出なかった。ただ、看護師でもある米山さんは医師の口ぶりから脳死に近い状態であることを理解した。
脳死とは脳幹を含む脳の機能全体が不可逆的に失われた状態で、植物状態などとは異なって回復することはない。ただ、人工呼吸器などの助けがあれば一定期間は心臓の拍動が続き、その間は身体のぬくもりも感じられる。欧米をはじめ世界の多くの国では脳死を「人の死」と定義しているが、日本では、臓器提供を前提に法的脳死判定を経た場合に限り、脳死が死とみなされる。
看護師である米山さんと同様に、夫も人の生き死にに関わる仕事をしていた。夫婦で臓器提供について話し合ったことがあったという。
「夫は提供の意思を持っていました。だから、『脳死』という言葉が出る前に、主治医には意向を伝えました」
米山さん自身も、夫の死を悲しいだけの経験にしたくなかったという。当時10歳代だった子どもたちに、「お父さんは尊いことをした」と伝えたい思いもあった。

ただ、夫の母は提供に大反対。臓器提供を検討する意思がある場合に派遣される臓器移植コーディネーターの説明の際も、義母は「聞きたくない」と帰ってしまったという。法的脳死判定を経る前は、その人は「生きて」いる。体温も感じられ、今にも目を覚ましそうに思えるかもしれない。
「生きているのに、死んだことにするのが受け入れられなかったのだと思います」
それでも、本人がかつて提供の意思を示していたことや米山さんの思いを聞き、義母は最終的に米山さんに判断をゆだねた。
心臓、両肺、肝臓、膵臓、ふたつの腎臓が30代から50代の5人の男女に移植された。
ただ、米山さんの苦悩はこのときが始まりだった。
■知人からかけられた衝撃の一言
米山さん自身はもちろん、社会的な称賛を求めて提供した訳ではない。それでも、「いいことをした」という思いはあったという。
友人たちとの集まりで近況を聞かれると、夫の死について正直に話した。
「彼の意思を叶えることができたし、社会の役に立ててもらった感覚がありました。『悲しいばかりではない』と伝えたくて、臓器提供のことも隠さずに話していたんです」
心のどこかで、「頑張ったね」とか、「偉かったね」と声をかけてもらいたい気持ちもあったかもしれないと振り返る。
しかし予想に反して、ポジティブな反応をする人はいなかった。
「え、何で?」という反応に交じって、ある人からは「いくらもらったの?」とも問われたという。言葉を失うほどの衝撃だった。
実際には、国内の臓器移植で金銭が介在することはない。「ドナー家族が金銭を受け取っている」というのは誤った風説だ。米山さんは続ける。
「たぶんあまりにもイメージがなさすぎて、どう反応していいかわからなかったんだと思います。ショックは大きくて、それ以来、私生活では提供したことをほとんど口にできなくなりました」
■半年後に届いた一通の手紙
夫と暮らした日々や交わした言葉を思い起こし、提供は夫の意思に沿っていると思い直すことで乗り越えたというが、それでも、本当によかったのか悩むことは何度もあった。
臓器移植を受けた人(レシピエント)から届く手紙にも励まされた。ドナー家族が希望すれば、臓器移植のマッチング団体である日本臓器移植ネットワーク(JOT)を経由してレシピエントの様子を定期的に伝えてもらえるほか、レシピエント本人が書いた手紙も受け取れる(個人を特定できるような詳細な情報は伝えられない)。
提供から半年ほどたったある日、当時30代だったレシピエントの女性から手紙が届いた。
「本人が選んでくれたんだろうかわいらしいレターセットに、几帳面な文字で手紙が届いたんです。
その文字が、後半になるにつれて崩れていて……。手紙の内容以上に、『あぁこの人、泣きながら書いてくれたんだろうな』って。そのときはじめて、夫の臓器が誰かの身体の中で頑張っているんだと感じることができました」
夫の意思に沿い臓器提供した時点で、米山さんのなかでは物語が「完結していた」という。ただこの手紙を読み、物語に「続きがあったことを知った」。
「そのときから、レシピエントの幸せを祈れるようになったんです。家族や友人と楽しく過ごしていてほしいと心から思います。そう思えたことが、自分にとってものすごく救いになりました。サンクスレターを読むと、どうしても夫を失ったことを突きつけられて体調が悪くなるんだけれど、それでも感謝しています」
■「ドナー家族にしてしまった」子供たちのために
そんな米山さんは2020年、臓器移植ドナー家族の会「くすのきの会」を立ち上げた。ほかのドナー家族の声を聞いてみたかった。そして、頼る先がないドナー家族の選択肢になりたい思いもあったという。
「周囲からネガティブな反応を向けられたり、思い悩むことがあったりしても、ドナー家族が頼れる場は多くありません。そんなときに、少し話をして思いを吐き出す場の選択肢になれたら、と思っています。
私自身が経験を話し、思いを紡ぎ直すことで自分自身のグリーフケアにもつながっています」
経験を話すことを通して、社会に訴えかけたいこともあるという。こんな言葉が印象的だった。
「私は、子どもたちを『ドナー家族にしてしまった』んです。私たちドナー家族は感謝されるために提供した訳ではないけれど、社会がドナーに敬意を払わないのは違うと思う。これまでドナーの数を増やすことに注力されて、ドナー家族の存在が社会に伝わっていませんでした。子どもたちが胸を張ってドナー家族だと言える社会にしたいんです」

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川口 穣(かわぐち・みのり)

ノンフィクションライター

1987年、北海道生まれ。大学卒業後、青年海外協力隊員として中央アジア・ウズベキスタン共和国に派遣、同国滞在中の2011年にライター活動を始める。登山雑誌編集者を経て、現在は雑誌・ウェブで取材・執筆。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長。著書に『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)、構成・文を担当した書籍に竹内洋岳『下山の哲学 登るために下る』(太郎次郎社エディタス)などがある。

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(ノンフィクションライター 川口 穣)
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