年末年始には多くの人が親族に会うために帰省する。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「『夫の実家への帰省を思うと気が重くなってしまう現象』を意味する『帰省ブルー』ということばを目にする機会が増えた。
年末年始をうまくやり過ごす秘訣は、『帰省ブルー』を逆手にとることではないか」という――。
■9連休で帰省しないわけにはいかない…
今年もまた帰省の季節がやってきた。
しかも今回は事情が違う。仕事納めは12月26日の金曜日、仕事始めは1月5日の月曜日、といった企業・団体が多い。9連休を強制されると言っても過言ではない。もちろん、この年末年始が稼ぎ時という人もいるし、もとより休みなどほとんどない人も少なくない。
それでも、いや、だからこそ、「帰省ブルー」や、夫婦が一緒に帰省せずそれぞれが自分の実家に帰る「セパレート帰省」といった「新しい」現象に注目が集まっている。私ごとながら、この年末にかけても帰省関連の取材を受けた。裏を返せば、まだまだ帰省に注目が集まっており、この原稿もまたその流れに棹差(さおさ)している。
ちょうど1年前に、私はプレジデントオンラインに〈本当の原因は「うるさい親」でも「無神経な親戚」でもない…「帰省すると居心地が悪い」と思う人が抱えているもの〉と題して、「地方ではなく、都会に住んでいる。そう決断した過去の自分に、向き合わなくてはならない」と思う心情こそ「帰省ブルー」の原因だと書いた。
今年の9連休は、否応なく、帰省するのかしないのか、その決断を迫る日程であり、仮に全く休みがとれないとしても、その「忙しさ」ゆえに、実家をはじめとして、地元から「帰ってこられなくて大変だ」などと同情されるに違いない。
それほどまでに、この9連休は帰省しないわけにはいかない、そんなムードがあるのではないか。
■可視化された「帰省ブルー」
実際、「年末年始のJR予約最多」と報じられている(「山陽新聞」2025年12月16日配信)。この記事のサブタイトルの通り「全席指定が影響」しているとはいえ、半月前の12月15日時点で、この混雑である。帰省客の割合は、厳密にはわからないものの、かなりの人が「地元」に帰っていく。
それだけなら何も問題はない。お盆や年末年始には、実家に帰る。どこに差し支えがあるのか。
前述した「帰省ブルー」は、多くの人の目に見えるようになった。もはや「帰省ブルー」という用語がなかったころには戻れない。あの人も、この人も、さらには、大手メディアも次々に、そして、飽きもせずこの現象を報じている以上、素直に実家に帰っていた以前と同じではいられない。
ソーシャルメディアでは「帰省ブルー」が10年ほど前から頻繁に使われており、ネットニュースサイトでは、盆と正月の鉄板ネタとして知られていた。ソーシャルメディアの発達によって、「帰省ブルー」という単語が広められ、たくさんの人が共有する。
すると、「自分だけが帰省を嫌がっているわけではない」との安心感につながる。ますます「帰省ブルー」を公言する人が増える。こんな循環によって、この10年ほどで、このことばは急速に市民権を得たのである。
■「家族」をめぐる価値観の変化
大手マスコミでは、たとえば、フジテレビ「Live News イット!」が「スルーできず“帰省ブルー”なぜ拡大? 今年の事情」と題して、増税や大型連休の重なりによって、帰省せざるを得なくなったがゆえに、この傾向が強まったと、コロナ禍前の2019年の年末に報じた。このニュースを皮切りに、「夫の実家への帰省を思うと気が重くなってしまう現象」(フジテレビのニュースより)として、ネットだけではなく新聞やテレビでも使われていく。
こうして「帰省ブルー」は可視化され、タブーでもなければ、恥ずかしがるべきでもなく、逆に、堂々と、赤の他人と分かち合う感情だと認められたのである。
ただ、これだけなら、あいまいな思いがことばにされただけにとどまる。大騒ぎするほどでもない。そう思われるだろう。しかし、この「帰省ブルー」が孕んでいるのは、「家族」や「家庭」をめぐる日本人の価値観の変化であり、その点で興味深い。その変化とは何か。
社会学者の見田宗介(1937~2022)は、NHK放送文化研究所が1973年から5年ごとに実施していた「日本人の意識」調査の質問項目設計にかかわった。
見田によれば、「1970年代にあった大きな『世代の距離』が、(19)80年代末には著しく減少し、今世紀に入ってほとんど『消失』している(※1)」と述べた。
■背景に「親子のスレ違い」
世代、つまり、年齢が異なっていても、ほとんど「意識」が変わらない。共通の価値観を持つようになってきている。それが見田の分析であり、事実、「日本人の意識」調査の結果は、そのように示していた。
なかでも、「理想の家庭像」をめぐる青年層(20代)の意識は大きく変わり、その変わった意識をほぼ全世代が分かち合っている。具体的には、「父親は仕事に力を注ぎ、母親は任された家庭をしっかりと守っている」=性別役割分担については、1973年から2013年までの40年間で、40%から7%に激減している。その反面、「父親はなにかと家庭のことにも気をつかい、母親も温かい家庭づくりに専念している」=家庭内協力が23%から58%へと2.5倍ほどに増えている。
けれども、「帰省ブルー」という表現が根付く背景には、こうした「世代の距離」の「消失」だけではとらえられないのではないか。親子の接近だけではなく、スレ違いもまたあるのではないか。
別のデータを参照しよう。内閣府が令和3年(2021年)12月におこなった「家族の法制に関する世論調査」では「家族の役割」について尋ねている。全世代において最も多くの人が選んだのは「心のやすらぎを得るという情緒面」であり、全体では51.4%に達する。

注目すべきは、この選択肢を選んだ割合の違いである。18歳から29歳では67.8%、30代でも61.4%と、いずれも6割を超えているのに対して、この年代の親にあたる50代では56.1%、さらにその上の60代では47.2%、そして70代以上では36.4%まで減る。
「帰省ブルー」が可視化され、話題になる要因のひとつが、ここにあるのではないか。
※1: 見田宗介『現代社会はどこに向かうか 高原の見晴らしを切り開くこと』岩波新書、2018年、4ページ
■求められる「嫁」の役割
見田宗介が着目したとおり、たしかに世代ごとの価値観の距離は、ほとんどなくなっている。とりわけ、家族については、性別で役割を分けるのではなく、お互いに助けあうべきだとする人が多数を占めている。その反面、家族は、やすらぎを得る役割を持っているとしつつも、年長世代と、そのイメージを完全に通じているかといえば、そうとは言いがたい。
おなじ内閣府による世論調査によれば、「日常生活の上で必要なことをするという家事面」、すなわち、食事や掃除、洗濯といった、心よりもモノを重視する傾向が、年長世代になればなるほど強まるからである。30代ではわずか9.0%しか、この「家事面」だと答えていないのに比べて、70代以上では27.6%と3倍以上を占めている。
「帰省ブルー」を抱かせるのは、まさにこの「家事面」の重視であり、また、「情緒面」への軽視にほかならない。「嫁」である以上、「家事」の空間である家族においては、その役割を担うべきであり、そこには「心のやすらぎ」は重視されない。そんな意識が、まだまだ年長世代には根強い。それがデータの示すところではないか。

親子の距離は近くなっているようでいて、その実、肝心なところで依然として遠い。ただ、「帰省ブルー」は、単なるこうしたスレ違いにとどまらない。
■自分の「嫌な部分」を見せつけられる
「夫の実家への帰省を思うと気が重くなってしまう」のは、何も家事や情緒といった、明らかな原因だけではない。それに加えて、夫の実家であれば、その夫の嫌な部分を見せつけられるからではないか。
言い換えれば、夫を生み出した境遇や両親、親戚といった、英語でいえばbehavior=生活環境そのものを見せつけられることによって、夫の欠点をあらためて突きつけられるからではないか。
この理路は、何も妻から夫に対してだけではない。夫から妻に対してだけでもない。それどころか、自分自身に対して向けられる。独身であれ既婚であれ、帰省をして、自分の親や親類、地元の友だちといった、自分という人間を形作るにあたって関わってきた人たちと接すれば接するほど、自分の嫌なところ、未熟なところ、いわば黒歴史に直面せざるを得ない。
私ごとで恐縮ながら、私もまた、親と面と向かうたびに、この人たちから生まれ、育てられたがゆえに、自分の至らなさがあるのだと、短所に対峙する。無神経な言動、いい加減さ、時間へのルーズさ、などなど、挙げればキリがない欠陥ばかりが目につき、鼻につく。
「帰省ブルー」を催させるのは、こうしたマイナスの感情、それも、自己に向けられ、自己から向けられる負の感情ではないか。

■近づいたのは「親子」ではなく「母子の距離」
いや、そんなに重々しく考えているのは私だけ、というか、中年世代くらいなのかもしれない。見田宗介が看破したように、やはり、親子は接近しているからである。博報堂生活総合研究所が2024年に30年ぶりに行った「若者調査」によれば、19歳から22歳までの未婚男女のうち「母親と共通の趣味がある」と答えた割合は、1994年の29.9%から、50.7%にまで上昇した。
女性は60.0%、男性でも41.6%と、かなりの人たちが、母親と趣味を同じくしている。「父親と共通の趣味がある」割合は、33.6%(1994年)から41.5%と増えてはいるものの母親と比べれば伸び幅は小さい。
同時に、「尊敬する点が一番多い相手」でも、母親が28.4%(1994年)から43.0%(2024年)に増加したのに伴い、父親は46.4%(1994年)から33.8%(2024年)まで減らしている。さらに、「自分の価値観や考え方に一番影響を与えている相手」では、1994年から2024年まで、母親は21.6%から41.2%とほぼ倍増させたのに比して、父親は20.9%から20.0%と横ばいである。
「世代の距離」の近さは、親子、というよりも、母親と子であり、父親とは縮まっていないともいえよう。
■「帰省ブルー」を逆手にとろう
だから重く考えすぎなければ良いのではないか。父親が理解してくれなくても、母親とは共感できる可能性が高い。また、配偶者であれ、自分自身であれ、嫌なところを否定しようとすればするほど、かえって気になって、囚われるほかない。
それよりも、反対に、パートナーや自分の根っこを見つめ直す数少ない機会だととらえれば済む。夫であれ妻であれ、さらには自分ならなおさら、どこかで、いつかは、欠落を見つめなければならない。
見つめるより仕方がないのだと思えば、そうすれば良いし、どうしても耐えがたいのなら、「帰省ブルー」を否定する必要はない。少なくとも、価値観の隔たりは縮小してきている以上、あなたの、そして私の「ブルー」を全否定する空気は、いまの日本には、もはや、ない。
である以上、「帰省ブルー」を逆手にとるくらいの好奇心が、この年末年始をやり過ごす秘訣に違いない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)

神戸学院大学現代社会学部 准教授

1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
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