虐待によって命を落とす子どもで、最も多いのは「0歳児」だ。とりわけ、生後24時間に満たない命が奪われるケースは後を絶たない。
予期しない妊娠で生まれた赤ちゃんを救うため、愛知県の児童相談所は1982年から「赤ちゃん縁組・(特別)養子縁組」に取り組んできた。通称「愛知方式」と呼ばれるこの活動を指導相談所で実践し、退職後の今も全国への普及に尽力する萬屋育子さんに、ノンフィクション作家の黒川祥子さんが話を聞いた。
■「予期しない妊娠」に向き合う元児相所長
愛知県名古屋市中区丸の内、認定NPO法人「CAPNA(子どもの虐待防止ネットワーク・あいち)」の事務所に、一人の女性を訪ねた。「CAPNA」は1995年の設立以来、弁護士や児童養護施設関係者、児童福祉司などの専門家らの連携のもと、子どもの虐待防止に取り組む団体だ。
扉を開けるや、常務理事の萬屋育子さん(75歳)の明るい笑顔に迎えられた。萬屋さんは愛知県の元刈谷児童相談所所長であり、退職後の今も子どもを虐待から守る活動を続けている。
その活動の中核にあるのが「愛知方式」と呼ばれる、愛知県の児相が行う「赤ちゃん縁組」で、萬屋さんは児相職員であったときから一貫して取り組んできた。それは予期しない妊娠に苦しむ女性、親が育てられない赤ちゃん、子どもを望む夫婦にとって一筋の光を示す貴重な活動なのだ。
瞳に宿る、好奇心たっぷりの生き生きとした眼差し、あたたかみを帯びた張りのある声。目の前にいるのは、相手に垣根を作ることのない、まっすぐな率直さを感じさせる女性だ。
「私はいつも、こんなもの、見ているんですよ」
開口一番、提示されたのが、統計資料だった。それは、「こども家庭庁」が毎年出している、「社会的養護推進に向けて」(令和5年)に再録されてある参考資料の一つ、「新生児等の新規措置の委託措置(都道府県別)」とタイトルがついたものだった。
正直、このような統計を目にするのは初めてだ。萬屋さんは数字を示しながら、話し出す。
■新生児の里親委託の重要性を広める
「これを見ても、『愛知方式』のように、児相が新生児を里親委託するケースは全国で少しずつ広まってきているんですよ。もちろん、愛知県の場合ほとんど特別養子縁組が前提ですが、他自治体が特別養子縁組を前提にしているかどうかはわかりません」
まだうまく、話が飲み込めない。「新生児」「新規措置」「委託先」……、一般にはおよそ目にしない単語が並ぶ表から、何が読み取れるのだろう。
統計は「措置先」として、「乳児院」と「里親」の2つに分かれていた。ここでカウントされている「新生児」は、家庭で育つことができない赤ちゃんなのだ。
どちらの項目もそれぞれ、「0歳児(1カ月未満)」「0歳児(1カ月以上)」「1歳以上2歳未満」の、3つの欄に分けられている。
「私が注目しているのは、1カ月未満の新生児。これは多分、生まれてすぐの赤ちゃんです。委託先の『里親』が、『養育里親』なのか、『特別養子縁組の里親』なのかを、区分していないのが残念です。愛知県は乳児院にも入れていますが、里親に6人を委託しています。
東京都の1カ月未満の里親委託はゼロです。が、1カ月以上の0歳児は21人、里親に委託しています。東京都は0歳児の里親委託が長年ゼロだったのですが、2017年頃から変わってきました。その前の年、私が東京都の児童福祉審議会で「愛知県の赤ちゃん縁組」について報告しました。新生児の里親委託がいかにいいのかという話をしてから、変わってきたと思いますね」
■赤ちゃんは乳児院ではなく里親に
萬屋さんが注視しているのは、新生児の委託先が「里親」であるか否かということだ。親が育てられない赤ちゃんを生まれた病院から乳児院という「施設」に送るのではなく、里親という「家庭」へと託すべきだというのが萬屋さんの確固とした考えであり、それは「愛知方式」が一貫して行ってきたことでもある。
「愛知方式」とは、予期しない妊娠をした女性に対し、児童相談所が出産前から相談に乗り、出産後養子に出す意思が変わらないときに、児相にあらかじめ登録している子どもを望む夫婦のもとへ、赤ちゃんが生まれるや、「特別養子縁組」を前提に里親委託を行うというものだ。児童相談所が「特別養子縁組」の仲介を行うという、愛知県が独自に作り上げたシステムゆえ、「愛知方式」と呼ばれている。
そこには新生児にとって、何が最優先されるのかという譲れない理念がある。
「産みの親との縁が薄かった子どもに、乳児院で『交代で、お世話をする人』ではなく、いつもそばにいてくれる『親』や『家族』を用意すべきなのです。赤ちゃんには、それが絶対に必要なんです。産んだ人が親としての責任を果たせないのなら、その人に代わる恒久的、かつ安心安全な親を与える必要があります。
可能にするのが『赤ちゃん縁組』であり、『愛知方式』なのです」
■虐待死で最も多い、「0歳0カ月0日」
虐待で子どもが亡くなるケースで最も多いのが、0歳であることをご存じだろうか。「こども家庭庁」が2025年9月に発表したデータによれば、2023年度に虐待で亡くなった子どもは65人。心中や心中未遂を除いた数では0歳児が7割を占め、統計を取り始めた05年度から、23年度が最も高い割合となった。
しかも、生後24時間に満たない「0日児」は16人、08年度に次いで、過去2番目に多かったことが判明した。
「0歳0カ月0日」で亡くなる赤ちゃんが多いのは、虐待死の統計を取り始めてから変わらない事実だ。そして加害者で最も多いのが、実母であるということも。望まぬ妊娠・予期しない妊娠の果ての乳児殺が、令和の今になっても後を絶たない。予期せぬ妊娠を知ったときから、彼女たちはどれほどの孤独と絶望の苦しみの中にいることか。
その挙げ句、生を受けてから24時間すら生きることができない赤ちゃんの存在という“悲劇”が、令和の今になっても続いている。しかも、減少どころか増加傾向にあることを統計は示している。
2025年11月、那覇地裁。前年12月、自宅敷地内で出産したばかりの女の赤ちゃんを、自分の胸に押し付け殺害した31歳の女性に、懲役4年の実刑判決が下された。
2024年11月、静岡地裁沼津支部。2023年に出産直後の子どもを殺害、海岸に遺棄した25歳の女性に懲役5年の実刑判決が言い渡された。
■実子と同じ親子関係になる「特別養子縁組」
社会的に児童虐待への認知が高まり、2007年には熊本市の慈恵病院に「こうのとりのゆりかご(通称赤ちゃんポスト)」が設置され、今年になって2例目の「ベビーバスケット(通称赤ちゃんポスト)が東京都に作られたというのに、なぜ、こんな「不幸」をいまだ日本社会は続けているのだろう。
この問題に、児童相談所の職員であった当時からずっと胸を痛め、何とかしようと奔走しているのが萬屋さんだ。
「『愛知方式』で重要なのが、赤ちゃんと養親さんとが『特別養子縁組』を行うということです。しかも、児童相談所という公的機関が、産む側と子を望む側の双方に関わって進めていくということが、とても大きいのです」
ちなみに養子縁組には、「普通養子縁組」と「特別養子縁組」の2つがある。さまざまな要件の違いがあるが、決定的に異なるのは戸籍の表記だ。「普通養子縁組」では実親の名前が記載され、続柄は「養子」と記載されるが、「特別養子縁組」では実親の名前が記載されず、続柄は「長男(長女)」と記載され、養親と養子の間に実の親子と同じ親子関係が成立する。また、原則として、「特別養子縁組」は養親側から離縁の申し立てはできない。
さらに、「養育里親」という里親の種別があるが、これは社会的養護の一つという位置付けだ。社会的養護とは虐待や病気などで親が育てられない子どもを、親に代わって社会が育てることを言い、一般に乳児院や児童養護施設における「施設養育」か、養育里親による「家庭養育」に分けられる。養育里親の場合、里親と里子の間に戸籍上の関係は発生しない。

■「子どもが幸せになれる道がある」
「愛知方式」ではあえて実親による引き取りが見込めない場合、「養育里親」や「普通養子縁組」ではなく、「特別養子縁組」を行うが、それは子どもの福祉を最大限に考えてのことだ。
「養育里親なら18歳、あるいは20歳になれば委託という措置が解除されて関係が切れますが、特別養子縁組は戸籍上の親子であり、一生続く関係です。子どもにとって、これほど安心できるものはないと思います」
「愛知方式」で赤ちゃんを望む夫婦は、まず、あらかじめ児相に養子里親として登録する必要がある。児相に予期しない妊娠で育てることができない女性の相談が入ったところで、児相が養子里親候補とのマッチングを図る。養子里親は出産前から無事生まれることを願い見守り、出産後生母の気持ちが変わらなければ産まれた赤ちゃんをそのまま産院から引き取り、「わが子」として養育に当たる。家庭裁判所に特別養子縁組の手続きを行い、法的に親子となる。
この「愛知方式」は、「産んだ女性にとっても、養親にとっても、生まれた子どもにとっても、“三方良し”のいい制度」であることを、萬屋さんは何十回となく、身をもって経験してきた。
「予期しない妊娠、育てることができないと女性たちは暗い気持ちで相談に来ますが、子どもが幸せになれる道があるという説明を聞くと、皆さん、明るい顔になります。『生むまでが私の役目、身体に気をつけて過ごします。産んだら、お願いします』と。子どもが欲しい夫婦にとってみれば、待ち望んだわが子になる赤ちゃんが自分たちのもとにようやくやってくるわけですから、この上なく幸せな気持ちになれます。何よりも生まれてきた赤ちゃんは安全安心な大人と愛着関係を作ることができます」
■種を撒いたのは、宮城県の産婦人科医
最初の種が撒かれたのは1973年、宮城県の産婦人科医である菊田昇さんによる「赤ちゃん斡旋事件」だった。

産婦人科医として中絶手術を行う中、菊田医師は望まない妊娠であっても赤ちゃんにも生きる権利があると考え、出生証明書を偽造して赤ちゃんを実子として引き渡す行為をしていたことを告白した。
菊田医師は医師法違反や公文書偽造に問われることとなったが、社会に一大センセーションを巻き起こし、「特別養子縁組」制度制定に大きな影響を与えることとなった。
「私はこの年に愛知県職員となり、児相に配属されました。だけど児相の中で、菊田医師が関わった赤ちゃんと、児相が乳児院に入れた赤ちゃんとが地続きであったことに気づいた職員は、周囲にいなかったし、全国の児相でもいなかったと思います。もちろん、新米の私も全くです」と萬屋さん。
そのような中、愛知県産婦人科医会が行動を起こす。1976年10月1日、『赤ちゃん縁組無料相談会』を全国展開したのだ。10月1日は法の日だ。
「愛知県産婦人科医会は自分たちがやれる方法として、あくまで法を順守して『赤ちゃん縁組無料相談』を行い、1997年までの21年間で1255人の赤ちゃんを全国、海外の養子を望む夫婦につないだのです。児相外の部署にいましたが、愛知県にいながら児相が関わっている赤ちゃんと地続きであることに思い至らなかった」
児相職員でも関心を持った人はいなかったのではないかと、萬屋さんは述懐する。
■「愛知方式」の始まりは、一人の児相職員から
1982年、愛知県の児相職員である一人の男性が立ち上がった。矢満田篤二(やまんたとくじ)さんだ。
矢満田さんは現在91歳になられるが、今なお、お元気だ。中日新聞(2024年9月22日付)の取材に、矢満田さんは以下のように語っている。
1980年に児相職員となった矢満田さんは乳児院に行くたびに、見知らぬ大人に擦り寄ってくる幼児たちの姿に胸を痛めていた。特定の大人と親密な関係を築くことができなかった故の、「愛着障害」という問題を抱える子どもたちばかりだった。
この子たちの中の何人かは生まれたときから乳児院で育てられ、3歳になれば児童養護施設へ送られ、15歳、もしくは18歳で「自立しろ」と迫られる。児相は、なんと過酷な運命を子どもに与えるのか。菊田医師が社会に投げかけたものを、児童福祉司として、矢満田さんは覚悟を持って受け取った。
「赤ちゃんを乳児院に置いたままにしなくても、家庭で可愛がってもらえる方法があるじゃないか!」と、矢満田さんは愛知県県産婦人科医会の手法にならい児相で「赤ちゃん縁組」を始めた。ここが、「愛知方式」の始まりだ。
1988年、さまざまな勉強会議論、検討を経て到達したのが、「特別養子縁組」だった。民法「817条の2」が子どものための養子縁組として追加された。日本でこれまで「赤ちゃん縁組・特別養子縁組」を斡旋してきたのは民間団体だったが、矢満田さんは子どもの福祉を司る児童相談所だからこそ、その役割を担うべきだと考えていた。
■条件は、子どもの全てを受け止めること
萬屋さんは入庁後、ほどなく児相から福祉事務所に異動となり11年間、福祉行政事務や生活保護のケースワーカーとして勤務した。40歳のときに希望がかない児相に戻ることができた。平成2年、岡崎の児童相談所で矢満田さんと同じ職場になったことで、一緒に「赤ちゃん縁組」を行うこととなった。
「児相勤務になったとき、私はまず、自分の担当地域の養護施設や乳児院で、面会のない子どもたちに会いに行きました。戸籍謄本やらを引っ張り出して調査をしました。親による引き取りの見込みがない子どもを何とかしたい。養子縁組ができないかと思っていた。そこに矢満田さんの『赤ちゃん縁組』の実践が結びついたのです」
矢満田さんが始めた「赤ちゃん縁組」は、愛知県産婦人科医会が行うものに工夫を加えていた。
■時期を見て“真実告知”をするのが条件の一つ
「産婦人科医会は、県内の病院から養親希望者を受け付けて名簿を作っていた。養親の年齢基準はなく男の子、女の子の希望も受け付けていた。矢満田さんは養親希望者に注文をつけた。養親希望者は、子どもが男の子か女の子かは選べない。年齢も当時は、おおむね40歳まで。子どもの病気や障害がわかっても赤ちゃんを受け入れる、『返したい』という要望は受け付けないと誓約書を書かせた。これこそが、児相が行うケースワークなのだと思います。子どものありのまま、すべてを受け止める覚悟をしないと、親はやれないということです。子どもには自分の出自を知る権利があるので、時期を見て『産みの親が別にいる』という、“真実告知”をするのも条件の一つでした」
この条件をクリアした夫婦だけが、「愛知方式」の養親候補となった。“真実告知”とは養子となった子に時期を見て、産みの親が別にいること、自分たちと血がつながった親子ではないという「真実」を打ち明けることだ。
「“真実告知”のために、産んだ親には子どもが20歳ぐらいになったときを想定して、手紙を書いてもらう。母と子の写真も残す。これは、養親さんが保管する。そういうことまでやりました。親担当が矢満田さん、子ども担当が私。また、その逆という組み合わせの赤ちゃん縁組も結構ありました」
■最初のケースは、1本の電話から
萬屋さんが体験した最初のケースは、児相にかかってきた1本の電話からだった。
「『妊娠して困っている人がいる』という、他人ごとのような電話でしたが、実の娘のことでした。で、会社で妻子ある男性と交際して妊娠、中絶が不可能な時期に入っていた。男は妊娠を伝えたら知らん顔。娘さんが親に相談できたから、本当によかったんです。妊娠を誰にも知られたくない、親には絶対に知られたくないという方多いです。養親は矢満田さんの担当地区の養子縁組希望の里親。女性は予定日に無事出産し、養親さんが産院に2~3日通って育児トレーニングを受け、赤ちゃんを引き取りました。女性は赤ちゃんの名前は養親さんにつけていただきたいと言い、養親に赤ちゃんを託しました」
まさに、“三方良し”をその身で実感した瞬間だった。
望まぬ妊娠をした女性を「殺人者」にすることなく、産まれた赤ちゃんは愛情を持って育ててくれる人の腕の中で育つことができる。念願のわが子が自分たちのもとにやってきた大きな喜びに包まれ、赤ちゃんは寒空に放置されることなく、慈しんで育てられる。それが、いかに赤ちゃんにとって大切なことなのか。
「愛知方式」の大きな意義はまさに、今でも変わらずに健在だ。

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黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)

ノンフィクション作家

福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)、『母と娘。それでも生きることにした』(集英社インターナショナル)などがある。

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萬屋 育子(よろずや・いくこ)

元愛知県刈谷児童相談センター長

NPO法人CAPNA常務理事。大学で教育社会学を専攻。1973年、愛知県職員(社会福祉職)となる。退職後の2011年より愛知教育大学教職大学院特任教授。愛知県里親委託推進委員等、数々の社会的養護下の子どもたちのための活動に関わっている。

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(ノンフィクション作家 黒川 祥子、元愛知県刈谷児童相談センター長 萬屋 育子)
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