■「飛行機でハワイを叩けないものか」
山本五十六は、いつ真珠湾の奇襲攻撃を考えたのだろうか? 定説は目黒の海軍大学校で図上演習をしていた時の1940(昭和15)年の11月下旬といわれている。
しかし、半藤一利は『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(文春文庫)で、それより8カ月前だと書く。8カ月前の3月、五十六は、第一航空戦隊司令官が指揮する魚雷を装着した艦上攻撃隊による、戦艦戦隊を目標とした昼間雷撃訓練を実施した。
その時、艦上攻撃隊の激しい追撃と魚雷の投下で、戦艦があっけなくやられている姿を目撃している。あくまで演習だから戦艦は火だるまになるわけではないが、魚雷が艦底をあっという間に通り抜ける様子を見た。
その様子を見た五十六はポツリと言った。
「飛行機でハワイを叩けないものか」
半藤は、これが真珠湾を構想した最初ではないかと書いた。
ほかにも、この時期、五十六はイギリス海軍の艦載機による地中海のイタリア・タラント軍港への攻撃を知った。艦載機が急襲して、たった21機でイタリア戦艦6隻のうち3隻を大破させた。
■「航空攻撃は戦艦に効かない」という常識
真珠湾攻撃のすごさは、航空部隊による奇襲攻撃であったことだ。空母で敵地に接近し、空母から飛び立った飛行機部隊による爆弾投下で敵艦隊を壊滅する。
これは、それまでの世界の戦闘でほとんど試みられたことがない。世界の常識では、航空攻撃は、動いている戦艦には当たらないとバカにされていた。五十六はこの概念をひっくり返した。港に泊まっている戦艦なら当たるのだ。
五十六は、アメリカで飛行機の可能性を目の当たりにしてきた。そして、航空部隊を一から育ててきた。戦艦に偏りがちの海軍将校たちにあって、山本だけは航空部隊の力を信じていたのだ。山本は、真珠湾攻撃の構想を実現すべく、生え抜きの飛行将校であった大西瀧治郎少将に真珠湾奇襲攻撃の研究を指示している。
大西は、その構想を聞いて、
「すごいことになったな」
と胸の高鳴りを抑えることができなかったという。
■世界初の奇襲作戦は課題だらけだった
そして、大西は参謀の源田実中佐を呼び出した。ちょうどその時、源田は鹿児島県志布志沖で訓練をしていた。呼び出しを受けた源田は鹿児島県鹿屋に急行した。
しかし、その文書には航空隊が真珠湾を襲撃し、痛撃を与えると書いてあったが、片道切符になっていた。源田は、これではむざむざ死ねと言っている作戦だから、戦えないと大西に返事をした。大西は、それを聞いて言った。
「わかった。帰りも含めて研究してくれ」
源田は空母「加賀」の自室で閉じこもって作戦を立てた。作戦を立てる時に一番問題だったのが、真珠湾の深さである。12mしかない。戦闘機から落とされる魚雷は60mまでいったん沈み、そこから浮上して戦艦に向かっていく。12mでは海底にぶつかって、そこで破裂してしまう。源田は魚雷ではなく、戦闘機から爆弾を落とすことを考えた。
しかし、そのためには戦闘機はギリギリまで戦艦に近づく必要がある。さらに、魚雷に比べて戦闘機から落とす爆弾は破壊力が弱い。そこで、源田は考えた。まず、パイロットの練度をギリギリまで向上させること。そして、戦闘機の攻撃を1回ではなく2回に分け、波状攻撃で敵戦艦に向かわせることだ。
さらに、戦闘機が往復できるよう、空母を真珠湾のギリギリまで近づけることにした。
源田は完成した作戦書を大西に提出。大西は、そこに自分の案を付け加えて山本に手渡した。大西から案を渡された五十六は、すぐさま先任参謀の黒島亀人大佐に案を補完するよう指示を出している。
■奇人変人でも能力があれば仕事を任せる
黒島は奇人で通っていた。作戦を考えだしたら、何日でも服も着替えずに部屋に閉じこもり垢だらけになって作戦に没頭した。没頭すると何も目に入らない。
司令官としての五十六の素晴らしさは、このところにもある。信頼した部下はどんな変人でも、徹底して信頼し仕事を任せるところにあった。能力があれば、部下に差別はつけない。
五十六は、真珠湾については、日米決戦は避けられない場合を考えていた。できれば、日米開戦を避けたい。しかし、1940(昭和15)年頃の世界の情勢は、すでにヒトラーのドイツがヨーロッパで戦端を開き、パリを無血開城させていた。この事態に日本陸軍は世界情勢に乗り遅れるなと、日独伊三国同盟に突き進んでいた。もう、日米開戦は止められない。
■「自分は職を賭しても断行するつもりだ」
日本とアメリカとの国力の差は決定的であった。がっぷり四つで戦えば必ず負ける。
海軍のなかでは、この山本の作戦に反対する者たちも多くいた。それまでの海軍の戦いは奇襲作戦ではなく、日露戦争の日本海海戦のように敵艦隊を待ち受けて、徹底的にたたくというものであった。奇襲作戦はバクチである。敵にばれてしまったら一網打尽にされてしまう。それでも山本は言った。
「異論もあろうが、私が長官であるかぎりハワイ奇襲作戦は必ずやる。やるかぎりは実施部隊の要望する航空母艦兵力の実現には全力をつくす」
さらに、その後もこう言明した。
「ハワイ作戦を、空母全力を以って実施する決心は少しも変わらない。自分は職を賭しても(この作戦を)断行するつもりだ」
この山本の言葉を聞いた軍令部総長の永野修身は決断した。
「山本がそれほどまでに自信を持っていうんなら、やらせてみようじゃないか」
■親友に漏らした連合艦隊トップの本音
しかし、山本の本心はどうだったのだろうか。
「個人としての意見と正確に正反対の決意を固め、其の方向に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なものなり。之も命という可か」
山本五十六は軍人のなかの軍人だった。軍人のなかには自分の考えのために、軍の方針をねじ曲げる輩もいるが、山本は違う。自分の意思とは違っていても、決まったことは徹底的にやり抜く……。
1941年12月8日、徹底的に練られた真珠湾奇襲攻撃は想像を超えた戦果を上げた。アメリカ側の損害は、戦艦4隻沈没、戦艦4隻が座礁ないし損傷、軽巡洋艦3隻損傷、駆逐艦3隻座礁、航空機損失188機、航空機損傷159機、戦死2334名などであった。
一方、日本軍の損害は、特殊潜航艇4隻沈没、特殊潜航艇1隻座礁、航空機損失29機、航空機損傷74機、戦死64名、捕虜1名であった。
戦果としては大成功であった。
■近衛に「負けます」と言えなかった五十六
「海軍はアメリカと戦って勝てるか」
近衛文麿は、山本五十六に率直に聞いている。
その時、五十六はこう答えた。
「1年や、1年半なら暴れて見せます。その後はわかりません」
この言葉に対して、さまざまな解釈がある。
当時、軍務局長だった井上成美は、戦後、この言葉を五十六の最大の失敗だったと述べている。近衛には率直に「負けます」と言えばよかったのだ、という。
なぜなら、近衛は国民人気が高かったが、うまくいかないと、すぐに政権を投げ出す。無責任な人物なのだ。そんな人間に「1年や1年半も戦える」と言ったら、喜んで戦争をするだろう。ダメになったらすぐに逃げだせばいいのだから。
その通りである。もっとも、近衛は太平洋戦争の前に政権を放り出してしまった。戦いもせずに。
■日米開戦には反対だが、非戦派ではなかった
五十六の近衛への答えに、素直に言っただけだという意見もある。
1年や1年半の戦いなら日本は戦えるが、長期戦になったら、勝てないということだ。これは、ストレートにその通りである。五十六は、「デトロイトを見てみろ」と、海軍次官の時にアメリカについて部下たちに語っている。理由はデトロイトを見ただけでアメリカは、日本の何倍も、何十倍も石油や生産力を持っていることがわかるということだ。
短期戦なら勝てるが、長期戦になったら国力がものをいうから勝てない、デトロイトを見たら一目瞭然ということだ。
これが、一般的な解釈となっている。実際は、1年も持たずに半年で、ミッドウェーで負けているのだが。
他にも、単に戦ってみたかったのではないかという説もある。
五十六は航空部隊を、一から鍛え上げ、空母とともに機動部隊に育て上げた。戦闘機は世界に勝てるだけのスピードを持ったものをつくり上げた。パイロットたちもどこの国にも負けないほど鍛え上げている。空母も世界一速い戦闘機を納めるだけの規模に仕立てた。
これはすべて五十六が構想し、つくり上げたものだ。一度ぐらい使ってみたくなってもおかしくないという説である。
確かに五十六は、戦争そのもの自体を否定していない。この点は親友の堀悌吉とは違う。堀は戦争そのものを否定した。
これらの説のなかで、井上成美の分析は、五十六の言葉の効果に対して言ったもので、五十六の思いを解説したものではない。確かに五十六が「アメリカに負ける」と一言で答えていたら、歴史は変わったかもしれないが、わからない。
■ここまできたら日本人の意地をみせつける
だが、その時、五十六はそのように答えることができただろうか。
すでに、日本軍だけでなく、政府も、そして国民の多くも日米開戦は避けられず、日米開戦をする方向に歩みだしてしまっていた。それは細々とした流れではなく、本流の大きな流れとして日本全土を覆っていたのだ。
どのメディアも、日中戦争の打開のためには日米開戦しかないと煽っていた。ここで五十六が「アメリカに勝てない」と言っても流れは変わらなかっただろう。
五十六は誰よりも歴史の流れや人々の機微に敏感な人だった。五十六は、もう日米開戦は避けられないと感じていた。できるのは何か。それはアメリカに対して日本人の意地を見せつけてやることだけだ。
■まっとうな手でぶつかり和平へ導くはずが…
そして、それによって、アメリカの戦意をくじければ、もしかすると、和平の道を探り出せるかもしれない、そう考えていたのだろう。だから、五十六は真珠湾攻撃前の宣戦布告にこだわった。卑怯な手ではなく、まっとうな手でぶつかって、アメリカに一泡吹かせ、戦意をなくさせ、それによって和平に導く。五十六の最終結論だった。
しかし、結果は真逆になった。真珠湾攻撃でアメリカは戦意をくじくどころか、逆に火がついてしまった。五十六の読み違いである。
そして、日本軍と日本政府は、緒戦の勝利に酔いしれ、和平の道を探ることなど吹っ飛んでしまった。
五十六の言う通り、海軍は「一年や一年半は暴れた」が、その後は敗北の道をまっしぐらに進んでいったのだ。
(別冊宝島編集部)

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