12月6日、中国軍が自衛隊機に向けてレーダー照射を行った。一体何が目的なのか。
軍事ジャーナリストの宮田敦司氏は「中国はあくまで『武力行使ではない』と言い張るが、それ自体が戦略の一部だ。武力衝突には発展させないまま国家の主権を脅かす巧妙なやり方で、日本の安全保障は脅かされている」という――。
■中国戦闘機による自衛隊機へのレーダー照射
2025年12月6日に沖縄本島の公海上空で、中国空母「遼寧」を発艦した戦闘機が自衛隊機に向かって2度にわたりレーダー照射を行った。経緯をめぐる日中双方の主張は食い違い、応酬が続いている。
高市早苗首相の「台湾有事発言」を発端に、日中関係の緊張は高まっている。そんな中で起きた今回のレーダー照射は、「空で起きたグレーゾーン事態」といえる。
「グレーゾーン事態」とは安全保障に関する用語の一種で、武力攻撃とは認められないが、平時よりも緊張を高める曖昧(グレー)な侵害行為を指す。武力攻撃は「国家の意思に基づく組織的、計画的な武力の行使」(内閣法制局)と定義されるが、これに至らない場合、自衛隊は反撃のために武力を行使することはできない。
グレーゾーン事態が厄介なのは、ひとつの行動が決して偶発的なものではなく、長期的に相手の反応を鈍らせ、現状を固定化する戦略の一部だからだ。日本を取り巻く安全保障環境では、武力衝突に至らないまま国家の主権や行動の自由が侵食されるグレーゾーン事態が常態化している。
■「戦争ではない」と言い逃れられる余地
中国が火器管制レーダーを自衛隊に向けて照射したのは今回が初めてではない。2013年にも海上自衛隊護衛艦に向かって照射している。

レーダー照射とは、本来、攻撃対象を捕捉するために行われる行為であり、軍事的には極めて強い威嚇を意味する。実戦では、ミサイル発射の直前段階にあたることも多い。ただし、中国側は「訓練」や「誤解」と説明し、武力行使ではないとの立場を崩していない。
グレーゾーン事態の本質は、自国が戦争を決断せず、相手にも戦争を決断させないことにある。ここで日本が強く出れば「挑発」と批判され、何もしなければ相手の行為が既成事実として定着する。相手に明確な敵対行為と認識させながら、同時に「戦争ではない」と言い逃れできる行動をとる。それによって相手の反撃や強硬対応を封じ、政治的・法的な判断をためらわせる。
このジレンマこそが、日本が直面している最大の課題だ。
レーダー照射は砲撃でもミサイル発射でもない。死者も出ない。だが、受け手にとっては明確な軍事的危険であり、看過すれば「次はどこまで許されるのか」という基準が徐々に引き上げられていく。武力行使には該当しなくとも、放置すれば主権や行動の自由が制限されていく。

■軍事力で応じれば正当化の材料を与えてしまう
重要なのは、グレーゾーン事態が「戦争の前段階」ではなく、それ自体で完結した戦争の形になりつつある点だ。双方に戦争を決断させないままこの状態を長期間維持できれば、“結果”は武力を使わずとも得られる。グレーゾーンの正体とは、「対応をためらわせる構造そのもの」である。今回のレーダー照射は、それがすでに日本の目と鼻の先で実行されていることを示した象徴的な事例といえるだろう。
こうした状況下で必要な対応は「強く出るか、我慢するか」の二択ではない。むしろその二択で考えていては、相手の土俵上に乗ってしまうことになる。
限定的な行為に即座に軍事力で応じれば、相手は「日本が先にエスカレーションした」と主張できる立場を得る。正当化の材料を与えてしまうのだ。これはまさにグレーゾーン戦略の狙いのひとつだ。
■毎度「極めて遺憾」ではつけあがらせる
かといって、「これは戦争ではない」と自ら事態を矮小化すべきでもない。相手が「武力行使ではない」と主張する行為を、日本側も「戦争ではない」「問題ではない」としてしまえば、相手の行為を追認することになる。これは緊張緩和ではなく、主導権の放棄に近い。

それから、その場しのぎの抗議だけで終わらせるのもむろん悪手だ。もちろん遺憾表明や抗議は必要だが、それが毎回同じ形式・同じ文言に留まれば、当然相手は「本気で抗議してきていない」と認識する。本気ではない抗議に真剣に応じる必要はなく、つまり対応コストがかからないがゆえに、行為の頻度と強度は上がる。
■日本がグレーゾーン事態で消耗する理由
では、どういった対応が望ましいのか。
第一に、相手が仕掛けてきた行為の性質を明確に言語化することだ。重要なのは反撃よりも定義である。「これは偶発的事象ではなく、軍事的威嚇である」「これは国際慣行から逸脱した行為である」と、事態の性格を公式に言葉として固定することが第一歩となる。
第二に、国際社会に状況を周知することだ。グレーゾーン事態は、二国間問題に閉じ込められた瞬間に成功する。第三国、同盟国、国際機関に共有し、「見えない行為」を可視化すること自体が防御となる。今回の一件では、早い段階で小泉進次郎防衛大臣が北大西洋条約機構(NATO)事務総長やイギリス、イタリアの国防相らと電話会談を行っていた。
第三に、事態が発生した際には警察・海上保安庁・自衛隊が一体化した対応を取れるように設計しておくこと。
相手は軍事と非軍事、平時と有事の境目を揺さぶってくる。分断された体制では、主導権を相手に握られてしまう。組織の縦割りを前提としない体制づくりが必要になる。
そして最後に、何よりも欠かせないのは、「何が起きたら、どこまで対応するか」という対応基準を事前に明文化しておくことだ。たとえば「中国にレーダー照射されたら、日本もレーダー照射して対抗する」と決めておけば、相手の“試し行動”は抑止力を失う。
この基準が曖昧な国ほど、グレーゾーンで消耗させられることとなる。日本にとって最大の課題は、どこまでが「許容できない行為」なのかを、国家として、そして社会として共有できていないことだ。
■中国との戦争はすでに始まっている
レーダー照射が示したのは、中国が日本に戦争を仕掛けようとしている兆候ではない。中国との戦争はすでに始まっていて、気づかれていないだけだ。
レーダー照射は戦争の引き金ではなく、戦争という言葉を使わせないまま戦争を続けるための装置である。中国は撃たない。撃たずに、「撃たれる」という前提を抱かせることで相手を動かし続けるのだ。
これほど効率の良い圧力装置はない。
だからこそ筆者は、今回のレーダー照射を「グレーゾーン戦争の象徴」と呼ぶ。行われたのはレーダー照射のみで、砲撃もミサイルも使われなかった。だが現場では「攻撃の前段階」と受け取られ、緊張が走った。ここに、現代の安全保障の特徴がある。
■レーダー照射は象徴にすぎない
同様の構図はほかでも起きている。尖閣諸島周辺では中国海警船が日本の巡視船に接近し、長時間とどまる行動を常態化させている。南シナ海では、他国の船の進路を妨害しながら、発砲は避ける行為が繰り返されてきた。サイバー空間における侵入と、そこでの情報戦(認知戦)もこれに含められるだろう。いずれも「戦争ではない」が、相手の行動を制限する効果を持つ。
こうした行動で相手が見ているのは、軍事力ではなく反応だ。どこまで抗議するのか、どの段階で強い対応に出るのか。
その基準を探っている。最初は小さな行為でも、強く止められなければ次は一段踏み込む。結果として、現状が「当たり前」になる。
レーダー照射は象徴にすぎない。それにどう反応するかが、日本がこれからも「戦争にならない戦争」に消耗させられるのか、それとも主導権を取り戻せるのかを分ける試金石となる。

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宮田 敦司(みやた・あつし)

元航空自衛官、ジャーナリスト

1969年、愛知県生まれ。1987年航空自衛隊入隊。陸上自衛隊調査学校(現・情報学校)修了。中国・北朝鮮を担当。2008年、日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了。博士(総合社会文化)。著書に『北朝鮮恐るべき特殊機関 金正恩が最も信頼するテロ組織』(潮書房光人新社)、『中国の海洋戦略』(批評社)などがある。

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(元航空自衛官、ジャーナリスト 宮田 敦司)
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