なぜウッチャンナンチャンはいまだに愛されるのか。社会学者の太田省一さんは「どんな企画にも対応して与えられた役割を演じられる柔軟性がある。
そのバランス感覚ゆえに、コンプラへの配慮を必要とされる現代においても、テレビで引く手あまたとなっている」という――。
■実はウッチャンナンチャンが広めたお笑いの形
この年末年始、ウッチャンナンチャンの番組が目白押しだ。『ザ・イロモネア』(12月29日)『ウンナンの気分は上々。』(2026年1月2日、共にTBSテレビ系)があり、また今回は南原清隆のみの出演となるが、『炎のチャレンジャー』(1月12日、テレビ朝日系)も特番で復活する。ウッチャンナンチャンも、もはや大ベテランの域だ。それがなぜいま、これほど重宝されるようになっているのだろうか?
少し古い話になるが、ウッチャンナンチャン(以下、ウンナン)が頭角を現わしたのは1980年代後半。ダウンタウンやとんねるずとともに「お笑い第三世代」の一角を形成し、注目された。全員が1960年代生まれで年齢も近いこの3組は、その後自らの冠番組をゴールデンタイムでヒットさせ、時代をけん引する人気者になっていく。
ウンナンは、ショートコントという形式を広めたパイオニアだった。「ショートコント○○」などと言いながら、短いコントを連発するあのスタイルである。コントは長尺のものという常識がまだ強かった時代のなか、スピーディでキレがあり、またコンビニなど若者風俗をネタにしたショートコント形式は当時新鮮で、若い世代に圧倒的に支持された。
こうしたコント師としての才能は、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ系、1990年放送開始)や『笑う犬』シリーズ(フジテレビ系、1998年放送開始)などの番組で本格的に開花する。
現在も、内村光良のみの出演だが、『LIFE!~人生に捧げるコント~』(NHK、2012年放送開始)などでその持ち味は健在だ。
■ヒット企画に出会う“引きの強さ”
だがウンナンが、テレビとの相性という意味で特にずば抜けているのは、ヒット企画に出会う稀有な“引きの強さ”だろう。
ウンナンは、純粋なお笑いとは少し異なるエンタメの分野でテレビの歴史に大きな足跡を残してきた。
『ウッチャンナンチャンのウリナリ‼』(日本テレビ系、1996年放送開始)からは、内村光良と南原清隆それぞれが中心の音楽ユニット、ポケットビスケッツとブラックビスケッツが誕生。両者を対決させる演出で盛り上げ、曲もヒットして『NHK紅白歌合戦』にまで出場するに至った。
さらに同番組では、大きな社交ダンスの大会や水泳でのドーバー海峡横断に出演者が挑戦する「ウリナリ社交ダンス部」や「ドーバー海峡横断部」も人気企画になった。ひとつの困難な目標に向かって懸命に努力する姿を見せるドキュメントバラエティの手法である。1990年代は、バラエティ番組のなかに感動という要素が持ち込まれた時代。ウンナンは、ドキュメントバラエティの申し子のような存在になっていく。
■ドキュメントバラエティの申し子
たとえば、『ウンナンのホントコ!』(TBSテレビ系、1998年放送開始)では、「未来日記」が社会現象を巻き起こした。
初対面の一般男女1組が出演する恋愛リアリティ企画。2人は番組が用意した「未来日記」という名の台本に絶対に従わなければならない。
しかも最後は必ず別れる結末になっている。そこに生まれる恋心の芽生えた男女の葛藤や切なさが視聴者を惹きつけ、映画版までつくられた。
以上のどの番組、企画にも笑いの要素はある。だが、過激な笑いやどぎつい笑いはない。部活動のかたちで頑張るにせよ、若い頃の恋愛にせよ、世代を問わず多くの視聴者が思い当たり、共感する部分がある。それをリアリティたっぷりに見せてくれたのである。
尖ったところがなく、いつも優しい雰囲気を醸し出しているウンナンは、そうした企画に最適の人材だった。それが視聴者からの絶大な安心感や信頼感にもつながった。
こうしてウンナンは、テレビタレントにとって最も必要な大衆性を獲得した。今度25年ぶりに復活する『炎のチャレンジャー』も1990年代に始まった視聴者参加型の番組。名物企画の「電流イライラ棒」も、世代や性別に関係なく楽しめるゲームである。
■海砂利水魚→くりぃむしちゅーのきっかけに
ただ、ウッチャンナンチャンの場合は、マニアックなお笑い好きにウケる番組も成功させてきた。
そこがありがちな人気タレントと一線を画すところだ。
来年早々15年ぶりに復活する『ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ系、1996年放送開始)もそんな番組だ。
こちらは、ウンナンと他の芸人や芸能人によるロケバラエティ。柳沢慎吾や出川哲朗ら気心の知れた仲間との旅というのがひとつの目玉だったが、なかには若手芸人に試練を与えるパターンのものもあった。
バカルディがさまぁ~ずに、海砂利水魚がくりぃむしちゅーに改名した企画は有名だろう。ともに実力は折り紙つきながらいま一つブレークのきっかけがつかめずにいた両コンビを内村が番組内で強制的に改名させるというもの。
と言っても大真面目な感じではなく、PK対決などゲームで負けたほうが改名するという流れ。ただ対決は1回で終わらず何度か繰り返され、結局両方とも改名するバラエティらしい結末になった。その後改名した2組が、実際にブレークしたのはご存じの通り。いまでもお笑いコンビが改名する企画はあるが、その元祖といったところだろう。
■大衆向けもマニア向けも◎
内村と若手芸人の組み合わせは、その後定番化していく。
いまも人気の高い『内村プロデュース』(テレビ朝日、2000年放送開始)はそのひとつ。ここでは一時芸人としてくすぶっていた有吉弘行やふかわりょうなどが新たなキャラクターを発掘され、まさに内村のプロデュースで復活した。
『気分は上々。』も『内村プロデュース』も深夜帯の番組。深夜番組だから許されるコアなお笑い好き向けの面白さが売りだ。下ネタもある。だが内村ならではのアットホームな雰囲気が根底にあった。
結局、ウンナンというタレントは、どんな企画にも対応して与えられた役割を演じられる柔軟性がある。そのベースのうえに、自分たちでしか出せない笑いを絶妙のさじ加減で織り交ぜていく。
大衆的な笑いとマニアックな笑いの両方をこなせるのも、そうしたバランス感覚の絶妙さゆえだろう。たとえば、内村は「理想の上司」として支持を集め、『紅白』の司会も務める一方で、『気分は上々。』や『内村プロデュース』では若手芸人とともにマニアックな笑いを作り上げる。
臨機応変だ。
■ウンナンとダウンタウンの決定的な違い
そこにダウンタウン、とりわけ松本人志が目指す笑いとの違いも見える。
松本のなかにあるのは、「笑いはすべてに勝る」という揺るぎない信念だ。お笑いは単なる娯楽にとどまらず、すべての頂点にあるもの。時には、世の良識よりも笑いが優先される。
そうした信念は、テレビの世界でも変わらない。ゴールデンタイムだから深夜だからといった放送時間帯に関係なく、「自分の笑い」を曲げることは絶対にない。
局側の都合でプロ野球中継に急きょ変更されたことで、ゴールデンタイムの冠番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』を自ら終わらせたという有名なエピソードも、やはり同じ信念があったからだろう。
ウンナンとダウンタウンは、1980年代の人気バラエティ『夢で逢えたら』(フジテレビ系、1988年放送開始)で共演している。深夜にもかかわらず高視聴率を獲得。ともにここで全国区の人気者になるきっかけをつかんだ。
この番組のなかで、ウンナンとダウンタウンは、内村と松本、南原と松本などコンビの枠にこだわらず組んでコントを演じていた。
清水ミチコや野沢直子とともに合唱団として歌うコーナーやバンドを組むコーナーもあり、ウンナンとダウンタウンは単なる共演者ではなくまさに仲間、同志という雰囲気だった。
■松本の「ウッチャンみたいになりたい」の意味
ただ、ウンナンは、先述したようにゴールデンタイムと深夜では演じかたを変えるなど分けているところがある。また、『ウリナリ』の部活動のように、企画に応じて純粋なプレーヤーに徹することもいとわなかった。
いまから振り返ってみると、そこは「自分の笑い」をいつどんなときも貫こうとするダウンタウン(松本人志)とは道が異なっていた。むろんどちらが正解かと言うことではなく、あくまで個性、芸人・タレントとしての生きかたの問題である。
そのような両者の違いは、ご存じのように松本人志がネットの世界に新天地を求めたことによってより明瞭になっている。新たな試みである有料配信サービス『DOWNTOWN+』の登録者数も好調を伝えられ、順調な滑り出しだ。
一方で、大晦日のBSよしもとの特番で“テレビ復帰”を果たすことも先日報じられた。だが、『DOWNTOWN+』の特番ということで本格的な復帰とはまだ言いがたい。
松本は、決してテレビに見切りをつけたわけではないだろう。『DOWNTOWN+』の生配信中に松本が「みんなに愛されたい。ウッチャンみたいになりたい」と叫んだのも、むろんネタではあるのだが、本音の部分が思わず漏れたようにも聞こえた。
しかしいずれにしても、松本はネットの笑いを背負うポジションになった。
実際、今後は世界に通用する笑いを目指すことも本人が明言している。タブーを設けない松本の笑いがどこまで海外の視聴者に受け入れられるのか、興味深いところだ。
一方盟友のウンナンは、テレビの娯楽を背負う存在になった。周知の通り、テレビバラエティはコンプラへの配慮を常に必要とされる難しい時代を迎えている。だがだからこそ、バランス感覚に優れたウンナンは引く手あまたということだろう。いまやウンナンは、「テレビ最後の砦」になっている。

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太田 省一(おおた・しょういち)

社会学者

1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。

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(社会学者 太田 省一)
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