2025年度クマによる人身被害は過去最多となっている(環境省まとめ)。襲われたらどうすればいいのか。
クマ問題を取材するライターの中野タツヤさんは「いわゆる『死んだフリ』が有効とされてきたが、近年ではそれを覆す研究結果も出ている」という――。
■「クマスプレー」で本当に撃退できるのか
どうすればクマの襲撃を回避できるのか。
本当に有効なクマ対策について、これまでさまざまな説が提唱されてきた。
何と言っても、第一に考えなければならないのは、「そもそもクマとの遭遇を避ける」ということだろう。そのための方法として、東京都は以下の方法を推奨している。
・クマ鈴を付けて鳴らす

・大きめの音量でラジオかける

・大きめの声で会話する

・手を叩きながら歩く
また、クマを追い払うための「クマスプレー」の携行も推奨されている。クマスプレーの主成分は「唐辛子(カプサイシン)」で、クマに向けて吹き付けることで、クマがひるんで逃げ出す効果が期待できる。
ただ、これらの手段がどこまで信用できるのかについては議論が絶えない。
以前、カムチャツカ半島でのTBS番組の撮影中に、動物写真家の星野道夫氏がヒグマに襲われ命を落とした事件をご紹介した(参照〈なぜ伝説の動物写真家はヒグマに命を奪われたのか…星野道夫さんの悲劇を呼んだ「餌付けされたクマ」の怖ろしさ〉)。
この時、加害グマは何度も餌付けされて人慣れが進み、凶暴化していたため、大きな音を立てても逃げなかったとされる(小坂洋右、大山卓悠著『星野道夫 永遠のまなざし』山と渓谷社を参照)。
■専門家を二分する「死んだフリ」の是非
また同書には「カラシスプレー(クマスプレー)」を噴射しても、ヒグマを追い払うことができなかったという記述もある。
この時はクマに直接噴霧できなかったようだが、凶暴化したヒグマは地面に落ちたトウガラシ成分スプレーを嗅いでも逃げなかったとされる(同書)。

つまり、通常のクマなら有効な方法でも、観光客の餌付け行為などによって人慣れが進み凶暴化したクマの場合、想定したほどの効果を発揮しない可能性もあると考えられる。
不運にもクマに襲われた場合、身を守るための方法として「うつ伏せになって首の後ろを守る」という方法も有名だ。先述した東京都環境局のHPでもこの方法が推奨されている。
いわゆる「死んだフリ」だが、クマは原則として人間を恐れる習性を持っているので、首の後ろなど致命傷になりやすい部分を守りつつ粘っていると、いずれクマは攻撃を諦めて立ち去るので、この方法で生存可能性が高まるとされている。
「死んだフリ」の有効性には科学的根拠がある。
カナダのクマ専門家であり、『ベア・アタックス』などの著書があるカルガリー大学のヘレロ氏によると、数百件の事例を分析したところ、グリズリー(ハイイログマ)による攻撃の大半は「防御的」なものだった。
つまり、大半は「クマ自身の身を守るため」であり、「人を捕食するため」ではなかった。その場合、「死んだフリ」で身を守っていれば、攻撃を諦めて立ち去る可能性が高いことがわかったという。
■「頭皮がめくれ…」26歳男性を襲った絶望
一方で、前述の書籍刊行からかなりあとの2018年、ヘレロ氏も参加した別の研究によると、「死んだフリ」と「クマと戦う」の間に有意な差はなかったという結果も出ている。
人を襲うクマ』等の著書がある羽根田治氏も、「死んだフリ」をすると余計攻撃を受けるとして、避けるよう呼び掛けている
では、クマに襲われた場合、どのような手段が有効なのか。
実はかつてグリズリーに襲われた男性が、「とある方法」で絶体絶命の状況から生還したケースがある。

各種報道をもとに、その方法についてご紹介してみよう。
2015年10月3日。アメリカ・モンタナ州シュートー(Choteau)北西のロッキー山脈で、26歳のチェイス・デルウォさんは、兄のシェーンさん(29)とともに狩りをしていた。
この時彼らは、エルク(日本ではワピチもしくはアメリカアカシカ)と呼ばれるシカを弓矢で狩っていた。チェイスさんがエルクの群れを追い立てようとしていると、すぐ目の前にグリズリーが立っていた。
現地は天候不良で、雪や雨が断続的に降っていたほか、強風も吹き荒れていた。そのため目の前にグリズリーがいることに気づかず、うっかり接近してしまったのだ。
眠っていたグリズリーは、チェイスさんの接近で目を覚ますと、猛然と襲い掛かってきた。チェイスさんは後じさりしたが、グリズリーの体当たりで転倒してしまった。
CBSによると、「クマが私の頭を噛み、頭皮がめくれあがって、顔全体が腫れ上がりました」とチェイスさんは語ったという。
■命を救った「古い雑誌の記憶」
この時点でチェイスさんは大怪我をしていたが、グリズリーは立ち去るどころか、さらに攻撃をしかけてきた。
この時、チェイスさんがとっさに取ったある行動が、彼の命を救ったのだった。

グリズリーが襲ってくるその時、チェイスさんは祖母からもらった古い雑誌(『リーダーズ・ダイジェスト』誌だったという)の記述を思い出したのだという。
地元紙によると、「大型動物は喉が弱点で、物を突っ込まれると吐き気を催して逃げるって書いてあったんです。それしか思いつかなかった」とチェイスさんは語ったという。
チェイスさんはグリズリーの口の中に、自分の腕を突っ込んだところ、グリズリーは激しくむせてチェイスさんをはなし森に逃げ込んだという。
この時のグリズリーは体長約2.1メートル、体重約160~180キロの雄の成獣だったとされる。
チェイスさんは血まみれの状態で、兄のいる尾根まで歩いた。兄のショーンさんはチェイスさんを見て驚き、すぐ車に乗せて病院へ急行。
チェイスさんは頭部に30針以上縫う傷を負っていたほか、顔面に裂傷、右目に腫れ、右脚に深い刺し傷を負っていた。
ただ、幸いにも命に別状はなかった。
クマの口中に腕を突っ込むという奇策が功を奏したと考えられる。
■腕を失う覚悟の「最終手段」
「クマの口の中に腕を突っ込む」という方法は本当に有効なのだろうか。
まず、チェイスさんが語った「大型の動物は嘔吐反射を催す」は、必ずしも正確ではない。

大型動物の中には、嘔吐反射の習性をもつ動物もいる。クマはその中の一つで、冬眠前に暴食するため、食べ過ぎてしまった場合は胃の内容物を吐き戻すことができる。
一方、大型動物の中でも、ウマなどは体の構造上嘔吐できないとされている。必ずしも「大型動物は嘔吐反射する」とは言えず、種類によるということになる。
また、クマの噛む力は非常に強く、グリズリーの噛む力は人間の約8倍にも達するという。クマの口の中に腕を突っ込んだ場合、嘔吐反射をうながす前に、腕を食いちぎられてしまう可能性が高い。
チェイスさんのケースではたまたま嘔吐反射を起こすことに成功したが、同じように成功する可能性はかなり低いと考えられる。
そのため、すでにクマに組み伏せられ、体のあちこちを食われているといった、極めて危険な「絶体絶命の状況」に陥った場合のみ、この方法を試す価値はあるだろう。腕を失う可能性が高くとも、命だけはなんとか助かるかもしれないからだ。
ただ、そもそもそんな絶体絶命の状況に陥らないことこそ、本当に有効な対策だろう。
行政が推奨する「クマスプレーの携行」といった基本的な方法を徹底した上で、各自が必要と考える対策を取ることをおすすめしたい。

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中野 タツヤ(なかの・たつや)

ライター、作家

出版社で書籍・Web編集者として活躍したのち独立。
ヒグマ関連記事を多数手掛けた経験をもとに、日本および世界のクマ事件や、社会・行政側の対応について取材している。tatsu_naka1226@ymail.ne.jp

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(ライター、作家 中野 タツヤ)
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