サウジアラビアが総工費2兆ドル(約300兆円)を投じて建設を進める未来都市、「The Line(ザ・ライン)」。全長170kmの鏡張りのオブジェが砂漠地帯を一直線に貫き、内部には高さ500mの都市空間を建設する壮大な計画だった。
ところが発表から4年が経った現在、計画は全長2km強の目処が立ったのみ。海外メディアは、計画の甘さが破綻を招いたと指摘している――。
■砂漠を貫く170kmの理想都市
サウジアラビアがザ・ライン計画を公開した、2021年。未来都市を思わせるその完成予想図が、世界中で話題をさらった。
当初の構想では、紅海の海岸から内陸の山岳地帯までの実に170kmにわたり、鏡面ガラスの長大な壁が一直線に伸びるとされた。新宿から長野までの直線距離に相当するこの距離を、新たに建築するビル群で継ぎ目なくつなぎ、1枚の大きな壁に仕立てる構想だ。
高さ500mのガラス壁は、スカイツリーの展望回廊の高さを超える。内側は複数の階層からなり、オフィス機能や住居、商業施設などを備えたビルでありながら、中央を走る通路には滝や森林スペースなどを贅沢に配置する。
港区の人口の5倍を超える150万人が暮らすはずだったが、計画は大幅変更。英フィナンシャル・タイムズ紙は今年11月、計画が「わずか数km」にまで縮小されたと報じた。予定居住者数も30万人へと5分の1に減少している。
サウジアラビアは近年、原油依存型経済からの脱却を目指す「ビジョン2030」戦略を大幅に見直している。
これまでは猛烈なスピードで推進してきた数千億ドル規模の「ギガプロジェクト」群に、急ブレーキがかかった。北西部タブーク州の砂漠に建設中の巨大複合開発「NEOM(ネオム)」が主な見直し対象となっており、その中核を成す未来都市がザ・ラインだった。
■ビルの一部が「崩れ落ちる」リスク
ザ・ラインは170kmに及ぶ本体の随所に、いくつかの中核施設を計画していた。なかでも目玉となるはずだったのが、「秘密の港(hidden marina)」とも呼ばれる贅を尽くした到着口だ。
ガラス壁の一部にゲート状の開口部を設け、東京タワーに迫る高さ310mのゲートを通じて世界最大級のクルーズ船を収容。砂漠を掘り下げて紅海とつなぎ、アクセス手段の一つとする。
問題となったのが、港の上に設けられる「ザ・シャンデリア」と呼ばれる構造だ。ガラスと鋼鉄でできた30階建ての建物を、ゲートから逆さまに吊り下げる。
奇抜な外観を優先し、安全性の確認が後回しになっていた可能性がある。設計を担当した建築家の一人はフィナンシャル・タイムズ紙に、逆さ吊りのビルがもたらす危険性を警告する。
「地球が自転していること、そして高層ビルが揺れることを理解しているでしょうか?」と彼は問う。宙づりの建物は「振り子のように動き始め」、「速度を増し」、最終的には「崩れ落ち」、下の港に墜落する危険性があるという。
プロジェクト幹部は彼の指摘に耳を傾けたが、最終的に作業は続行された。
設計プロセスそのものにも問題があった。英建築業界誌アーキテクツ・ジャーナルによると、サウジ当局はAIを活用する方針に転換。以前はロンドンの建築事務所による専門的なコンサルティングを受けていたが、現在はこうした社外の専門家への発注を削減している。社内チームがAIに質問することでコンサルの代わりとし、設計プロセスの一部を省略している。
建築事務所スタジオDSの創設者ディバ・サラム氏は同誌に対し、「多くのプロジェクトがコンセプトから直接基礎工事へと飛び移り、空間設計や詳細設計の段階を省略している」と指摘。空間設計と詳細設計のステップはイギリス王立建築家協会による作業計画でも触れられており、「プロジェクトを成功させるためには不可欠だ」とサラム氏は強調する。
■「大量調達でコスト抑制」の甘すぎた見通し
検査のAI化には、プロジェクト費用を抑制する意図がある。豪勢なイメージとともにデビューしたザ・ラインは、なぜコスト削減を迫られる窮地に陥ったのか。
最大の問題は、その規模があまりにも巨大すぎたことだ。規模の経済を生かし建材価格を抑制する目論見は、むしろその逆の結果を招いた。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、各モジュールの建設費は480億ドル(約7兆5000億円)に達すると試算されている。
2030年までの目標としてまずは10マイル(約16km)の完成が掲げられたが、これはマンハッタンのミッドタウンにあるすべてのオフィスビルを3回建て直すのにほぼ匹敵する建築規模となる。
フィナンシャル・タイムズ紙によると、各モジュール(長さ約800m)を建設するには、構造用鉄鋼350万トン、コンクリート550万立方メートル、鉄筋350万トンが必要だった。20モジュールを建設するために必要なセメントの量だけで、フランスの年間生産量を上回る。
ザ・ラインの大量調達計画が知られるようになると、世界市場で資材不足が発生。価格高騰を招いた。プロジェクトの上級設計マネージャーは同紙に対し、「(生産段階でCO2排出量を抑制した)グリーン鉄鋼は、世界生産量の約60%を毎年使う予定だった。しかし、これにより価格は押し上がる」と認めている。
調達コストを引き下げるはずだった大量購入も、度が過ぎればかえって価格上昇圧力を生むという、皮肉な結果に終わった。
■原油価格100ドルの皮算用
輪をかけて痛手となったのが、原油相場の低迷だ。
サンデー・タイムズ紙によると、「ビジョン2030」は原油価格1バレル当たり約100ドル(約1万6000円)を前提に計画されていた。しかし現在は約60ドル(約9000円)で推移しており、2022年以降は一度も100ドルの大台に乗っていない。原油による収入はサウジ経済の約半分を支えており、価格低迷は国家財政に大きなダメージを与えている。

計画を進めるムハンマド・ビン・サルマン皇太子の重要顧問であるジェリー・インゼリロは同紙に対し、「より保守的にならざるを得ない」と率直に語った。原油依存型経済からの脱却を図った「ビジョン2030」だが、転換プロジェクト自体が原油に依存しているが故の限界が露呈した。
収入が限られたいま、サウジアラビアは期限の迫るプロジェクトを優先せざるを得ない。2030年の万国博覧会や、2034年のサッカー・ワールドカップなど、大型プロジェクトが次々と控えている。サンデー・タイムズ紙は、ワールドカップだけでも11のスタジアムを建設する必要があると指摘する。
サウジ政府は今年の財政赤字予測を約650億ドル(約10兆円)へと、当初の2倍以上に引き上げた。ハーリド・アル=ファーレフ投資大臣は、「ギガプロジェクトが政府から多くのリソースを奪っていた」と認めている。
■砂漠にゼロからインフラを造る
課題は石油価格だけではない。建設現場に視点を戻せば、貧弱なインフラが問題として立ちはだかる。砂漠など辺境の地での建設は通常、都市部よりもはるかに高コストになるためだ。
ザ・ラインの場合、資材を世界中から調達し、砂漠の只中まで輸送し、何のインフラもない現地で組み立てる必要がある。計画始動時点で大きな港はなく、道路も電力も不十分だ。
周囲に人はほとんど定住しておらず、労働力の調達も課題となる。
大量の資材を運び込むには、まず港湾設備、道路、電力網といった基礎インフラへの巨額投資が必要となる。フィナンシャル・タイムズ紙は、こうしたコストがすべて、最終的な建設費に上乗せされると指摘している。
全170kmと発表された総延長のうち、第1フェーズとして20のモジュール(16km)が予定されていた。だが、肝心の出だしとなるフェーズ1の規模は、4度にわたり段階的に縮小。現時点ではわずか3モジュールが計画されているのみだ。つまり全170kmのうち、2.4kmまでしか目処が立っていない。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙は当面の目標として、最初の1モジュールを2034年のサッカーワールドカップに間に合わせるよう急いでいると報道。このモジュールの上部には大会会場となるスタジアムが建設される予定であり、これ以上の遅延は許されない。
■ザ・ライン自体が居住環境を悪化させる
インフラ不足のみならず、砂漠での定住化を目的とした巨大開発自体、そもそも無謀だとする分析もある。
ザ・ラインの建設が進む砂漠は、人間が生活するには極めて厳しい環境だ。英ガーディアン紙の分析によると、サウジアラビアの環境条件は、居住可能と言えるか否かギリギリのライン上にあるという。
同国は地球上で最も暑く、最も水不足に苦しむ国の一つだ。
同紙が近年の科学研究10件以上を分析したところ、サウジアラビアの平均気温は1979年から2019年の間に2.2度上昇した。世界平均の上昇率のほぼ3倍の速さだ。
アブドラ国王科学技術大学などによる2023年の報告書は、世界の気温が3度上昇した場合、「持続可能で健康的な社会の将来的な存続可能性に深刻な影響を及ぼし、サウジアラビアに存亡の危機をもたらす可能性が高い」と結論づけている。
最悪のシナリオでは、気温が56度以上に達する「超極度の熱波」が数週間続き、夏季の平均気温は9度上昇する。炭素排出の削減状況にもよるが、サウジアラビアの熱波関連の死亡率は13倍から63倍に増加する想定だ。
皮肉なことに、ザ・ラインをはじめとするNEOMの巨大建設プロジェクトは、こうした気候危機をさらに悪化させると指摘されている。
■非現実的な構想で身動きが取れなくなった
ザ・ラインの建設現場には、今も壮大な構想の夢の跡が残る。2022年から打ち込まれ続けた、6000本にも及ぶ巨大な基礎杭だ。
建設現場の責任者はフィナンシャル・タイムズ紙に、計画が3モジュールに縮小された時点で、これらの杭は「まったく役に立たなくなった」と語る。杭は世界最大級で、長さ70m、重さ850トンに達する。設置だけで数十億ドル(数千億円)を費やした。
およそ現実とは思えない計画規模で世界の注目を集めたザ・ラインは、資金潤沢なサウジアラビアなら成し遂げられるとの期待を背負った。だが、蓋を開けてみれば、計画自体が招いた資材高騰などで大部分が頓挫。風呂敷を広げすぎたが故の寂しい結果を迎えた。
ザ・ラインはすでに、サウジアラビアの優先プロジェクトの座を奪われようとしている。米CNBCによると、経済大臣のファイサル・アリブラヒムは今年10月の投資フォーラムで、今後はテクノロジーと人工知能(AI)に優先して投資する方針を示した。
サウジアラビアの9250億ドル(約143兆9000億円)規模のソブリン・ウェルス・ファンドは、砂漠に巨大なデータセンターを建設中だ。アメリカと中国に次ぐ世界第3位のAIインフラ提供国を目指す。
昨年、6年間務めたNEOMプロジェクトのトップが退任。プロジェクトを立て直すため、幹部メンバーを刷新している。クリエイティブな都市構想は、実現性を回復できるか。
サウジアラビアの都市計画の専門家の一人は、フィナンシャル・タイムズ紙に大原則を語る。
「思考実験としては素晴らしい。だが、思考実験を建設してはならない」

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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