2021年の箱根駅伝、「アシックス」のシューズを履いた選手は1人もいなかった。屈辱の日から5年、アシックスは株価10倍の快進撃を続けている。
どん底から、いかにしてよみがえったのか。そして、今年の箱根にかける「思い」とは。アシックス廣田康人会長に聞いた――。(取材・文=フリーライター・笹間聖子)
■悔しくて眠れぬ夜
2019年11月末某日、アメリカ・ボストン。あるホテルの一室で、アシックスの廣田康人社長(当時)は眠れずにいた。悔しくて。打ち消しても打ち消しても頭に浮かんでくるのは、昼間の投資家たちとの面談だ。
「ボロクソだったんですよ」
廣田会長は、顔をしかめてそう語る。
「どうしたんだアシックスは」

「昔はアメリカ市場でもすごいシェアがあったのに、存在感を示さなきゃダメじゃないか」

「もっといいものを作ってちゃんと売れるようにしなきゃダメじゃないか」
1日5件ほどの投資家との面談で、聞こえてくるのはこんな声ばかり。
当時のアシックスは注目度が低く、株価は424円。約2年間、低迷が続いていた。投資家には「会ってください」と同社からお願いしてアポイントを取っていた状況だった。
そうしてせっかく会ってもらえたのに、全員から罵倒された。
「寝ることが趣味みたいな人なんで」と自らを語る廣田会長が、その夜はとても眠れなかった。悔しさと、時差と。身体の震えが止まらなかった。
「これはなんかやらないといかんなと。世界で一番速く走れるシューズを作らせないといかんと」
眠れぬ夜、廣田会長の頭に浮かんだのは、アシックス創業者・鬼塚喜八郎の言葉だった。「まずは頂上から攻めよ」。そうだ。頂上奪還作戦だ――。
翌朝、ボストンからすぐに「世界一速く走れるシューズを作るチームを作る。若手を集めろ」と指示を出した。11月22日までの出張を終え、12月20日には頂上奪還のための会議が開かれた。
参加メンバーは、法務・知的財産、研究、開発、生産、スポーツマーケティングから集まった10人。
社長直下、部署横断で「世界一速く走れるシューズをつくる」ことだけを追求する特任チーム『Cプロジェクト』結成の瞬間だ。
Cは、鬼塚喜八郎の言葉「まずは頂上(Chojo)から攻めよ」からとられた。
廣田会長は「社長じゃないとできないですよね、こんなことは」と快活に笑う。
■「言い訳から入った」
なぜ、そこまで追い詰められたのか。
2017年、ナイキが厚底ランニングシューズ「ヴェイパーフライ」を発売した。「軽くするためには靴底を薄くするしかない」という常識を覆す、ゲームチェンジのシューズだった。廣田会長も「これはもう完全なイノベーションです。本当に敬意に値する」と認める。
しかしアシックスは、その衝撃を正面から受け止めなかった。これまでの成功体験が、目を曇らせていた。
「厚底というのは誰でも履けるもんじゃないとか、一時的なブームだとか、選手が怪我をしやすいとか、言い訳から入ってしまったんです。
確かにカーボンが入ってますから、かなりの筋力がないと履けないし、怪我をする可能性もある。実際、怪我をされた方もいらっしゃったようです。でも、革新的な技術だった。それを認めずに、過去の栄光にしがみついていたんです」
結果、箱根駅伝のシェアは2017年の31.9%から、2021年には0%へと転落した。アシックスのシューズへの信頼は失墜したのだ。
■若手は、分かっていた
しかし、この危機に早くから気づいている者がいた。社内の若手たちだ。ナイキの厚底がいずれ市場を席巻することを、彼らは最初から予見していたのだ。
廣田会長は、プロジェクトを始動させて初めてそのことを知った。号令をかけると、1年も経たずに試作品が出来上がってきたからだ。
「なんだわかってたのかよと。じゃあもっと早くやりゃよかったじゃないかって。
いや、なかなかそれが、みたいな話でね」
なぜ、若手の危機感は経営層に届かなかったのか。
「どこの会社でもそうですが、それまで実績を作ってきた中間管理職の人たちが邪魔をする時があるということです。僕なんかにしても、その時若者たちがどれだけの危機感を持っていたか、知ろうとしていなかった」
ボトムアップには限界がある。ブレーキのかかる社内構造をひっくり返すには、トップダウンしかない。おあつらえ向きに、廣田会長は2018年に三菱商事から来た「よそ者」だ。だからこそ、しがらみに囚われることもなかった。
「最初は、何も知らない社長がなんか言ってるな……みたいなことだったかもしれませんけど。とにかくやるぞっていうことで始めて」
Cプロジェクトのリーダーに選ばれた竹村周平氏のことを、廣田会長は「初めて会いました」と言う。自分が目をかけていた人材ではない。各部署が危機感を持って選んだメンバーが、そのままCプロジェクトになった。
その若手たちの熱気はすごかった。進捗を確認するため可能な限り会議に入ったが、社長がいようがいまいが関係なく、侃々諤々の議論が交わされていた。

■株価13%下落のショック
2021年1月2日、3日。箱根駅伝が行われた朝、廣田会長はコロナ禍のステイホームのため、自宅でテレビ観戦していた。沿道での応援ができない、制限された大会だった。そして10区が終わった後、「シェア0%」という結果を知る。
「まあ、来るんじゃないかとは思っていました。前年の2020年もシェア率は3%強でしたから。ここまで来たかと。でも、1人ぐらい履いてくれてもいいんじゃないかとは思いましたね」
だが、廣田会長の心中には別の感情もあった。「準備はできている」という手応えだ。2020年10月のロンドンマラソンで、アメリカのサラ・ホール選手がメタスピードの試作品を履き、ゴール直前で加速して2位に入っていた。
「ゼロでショックではありました。ありましたけれども、しかしやっぱりもう準備は整ってたっていう気持ちも大きかったな」
しかし、株式市場は容赦なかった。

2020年12月30日の終値は495円(小数点以下、四捨五入。以下同)。箱根駅伝直後の1月4日には、そこから3%減の479円に下落し、1月20日には431円まで落ち込んだ。マイナス13%。そして4月21日、年間最安値の409円を記録する。
箱根駅伝からの、心理的な影響。それがまじまじと数値に表れ、大きなショックを受けたという。けれど、反撃の日は近かった。
■「アシックスが目覚めた」
2021の箱根駅伝の結果を受けて、2022年1月1日、日経新聞にアシックスのスローガンが掲載された。箱根駅伝が始まる前日のことだ。
「負けっぱなしで終われるか」
このフレーズは、社内を一つにした。
「この言葉で、本当に一丸となったと感じました。僕自身も、このスローガンに背中を押されましたね」
時をさかのぼって前年の3月31日、アシックスは厚底の新作ランニングシューズ「メタスピード」を発表していた。
スピードを上げるときに、一歩を踏み出す幅を広くする「ストライド型ランナー」向けの「METASPEED SKY」(以下、スカイ)と、足の回転数を上げる「ピッチ型ランナー」向けの「METASPEED EDGE」(以下、エッジ)。2タイプを揃えるという、他社にない戦略だった。
そこに市場は敏感に反応した。発表直前の18日、株価は511円に上昇。さらに5月13日の「2021年12月期第1四半期決算」発表で、主力の「パフォーマンス ランニング」が復調したことも影響し、翌日(5月14日)の株価は545円に跳ね上がる。
連結の売上高は1065億4900万円で前年比24.8%増。粗利率は49.9%で、前年比2.8%増。コロナ禍のランニングブームも後押しになり、ヨーロッパでランニングシューズの売り上げが急伸したことも大きかった。
「市場はアシックスが目覚めたと感じ、期待していただけたのかもしれません」
さらに、7月末の東京オリンピックで決定的な瞬間が訪れる。トライアスロンの男女金メダリストが、共にメタスピードスカイを履いていたのだ。
「金メダルは、かなり大きな手応えでした。トライアスロン選手は新しい技術を取り入れる姿勢が柔軟で、彼らが結果を出したことで、他の競技選手からの注目度がグンと高まりました」
年初に409円だった株価は、年末には638円に。そして2025年の現在、3950円※――約10倍となった。
※筆者註:株価は記事執筆当時(2025年12月22日)の終値。
ちなみに、アシックスが2023年に掲げたスローガンは「こんなもんじゃない」。その次の年は「足を止めるな」である。それらの言葉に鼓舞されるように、シェアも業績も株価も上がっていった。「やっと、正の回転が来たなっていう」と廣田会長は安堵の表情を見せた。
■「運動からっきしダメでモテなかった」
廣田会長は国内を代表するスポーツ用品会社のトップだ。けれど意外なことに、スポーツは「からっきし」だったそうだ。
「割合勉強はできたんですけど、運動はからっきしダメで。小学校の頃って絶対モテないですよねそういう子。僕もモテない方だったんで、コンプレックスの塊でした」
しかし50歳のとき、東京マラソンをテレビで見て走り始めた。
「速い人は速いんですけど、遅い人もなんか楽しそうに走ってる。これなら僕もできるかもしれないなと思って始めたの」
大体のことは三日坊主で終わる性格だそうだが、なぜか、ランニングだけは続いた。
アシックスに入社する前の話だ。スポーツ用品店で「今から走り始めるんですけど何がいいですか?」と聞いたら、「それはもうアシックスでしょう」と言われ、購入したという。今思えばそれが、アシックスとの縁の始まりだったのかもしれない。
2011年からは東京マラソンにも出場。2018年に社長に就任してからは控えていたが、2022年に会長になり、再び復帰した。相棒は、フルマラソン4時間切りを目指すランナーのために開発されたシューズ「S4+ YOGIRI」だ。
廣田会長がランニングをするなかで、「サブ2.5やサブ3向けのシューズはあるのに、サブ4向けがないのはおかしい」と違和感を覚え、「サブ4向けシューズを作ってくれ」と開発部に頼み込み、生まれたシューズである。廣田会長はこれを相棒に、69歳になった今も、毎朝5キロを走っている。
■日本発、世界一へ
Cプロジェクトが成功し、見事なV字回復を描いているアシックス。
逆境を乗り越えるリーダーに必要な資質とは何か。問うと廣田会長は「偉そうになっちゃいますけど」と前置きしてから、「強い意思」だと答えた。絶対に勝つ、もう一度頂上をとる。その意志を持って、みんなと一緒にやっていくこと。
経営者は孤独だとよく言われる。だが廣田会長は「そんなかっこいいものなかった」と笑い飛ばす。Cプロジェクトの若手がいた。経営陣がいた。みんなで「わあわあわあわあ」やりながら進んできた、と。
「経営者は楽観的じゃないとね。だって、明日はダメかもしれないと思ってたら、明日は迎えられないですよね。明日はきっといいんじゃねえかな、うまくいくんじゃねえかな、って毎日思いながら」
アシックスは2025年、日米欧のランニングシューズ販売シェアで1位になった(※)。だが廣田会長は「終わりはない」と言う。選手たちは日々速くなっていく。それを支えるメーカーは、もっともっと技術革新しなければならない。

※筆者註:ランニング用途として購入される大人向けシューズ、90米ドル/ユーロ以上の価格帯に絞ったもの。
目標は、日本発、世界一のグローバルスポーツブランドになること。遠い夢ではない。アシックスの売上比率は海外81%、国内19%。ヨーロッパの街を歩くと「アシックスだらけ」だという。オーストラリアも。イタリア人の中には、「自国のブランドだ」と思っている人もいるそうだ。
「それでもいいと思ってるんです。気がついたら日本のものだったんだと。ただ、社員には、日本の匠の力、技術力、細部に対するこだわりは捨てるなよと。そこだけはしっかりやるんだぞと」
箱根駅伝のシェア目標を聞くと、「ないですね」とかわされた。主人公はあくまでランナーだから、私が目標を語るのは不遜だ、と。ただ、どのランナーもアシックスを選んでくれる日が来たらいい、とも。
2024年の箱根駅伝でシェア2位に浮上したアシックスは、2025年にナイキを抜いた。アディダスの台頭はあったが、2位を維持している。アディダスのシェアは36.2%、アシックスは25.7%。今年は頂上を目指せるか。
「ナイキさんは絶対戻ってきます。巨人ですから。アディダスさんも来てるね。でもそういうアメリカ、ヨーロッパに伍して日本のメーカーもがんばる。それって、なかなかよくないですか?」
ボストンで眠れなかった夜から6年。「寝ることが趣味」のはずの男は、今日も走り続けている。

----------

笹間 聖子(ささま・せいこ)

フリーライター、編集者

おもなジャンルは「ホテル」「ビジネス」「発酵」「幼児教育」。編集プロダクション2社を経て2019年に独立。ホテル業界専門誌で17年執筆を続けており、ホテルと経営者の取材経験多数。編集者としては、発酵食品メーカーの会員誌を10年以上担当し、多彩な発酵食品を取材した経験を持つ。「東洋経済オンライン」「月刊ホテレス」「ダイヤモンド・チェーンストアオンライン」「FQ Kids」などで執筆中。大阪在住。

----------

(フリーライター、編集者 笹間 聖子)

編集部おすすめ