親の「元気」が当たり前ではなくなったとき、私たちはどうすればいいのか。アメリカと日本に住む姉妹が、遠く離れた実家で一人暮らしをする80代の母親の安全な暮らしを見守るために、まず初めに導入した家電とは――。

■アメリカから日本の母を見守る方法はないか
親が元気なうちは「大丈夫」と思っていても、ふとしたときに心配になる――そんな経験はありませんか?
本稿は、アメリカと東京に住む50代、60代の姉妹が、あらゆる便利ツールや、地域のつながりを駆使して、遠く離れて暮らす一人暮らしの母を遠距離介護するために試行錯誤してきた記録です。もちろん、現在進行形。
「もし倒れたら」「電話がつながらなかったら?」という不安と向き合う中で、私たちが最初に導入したのが、スマートスピーカーでした。
これは、ただの便利家電ではありませんでした。“家族をつなぐ見守りの入口”になったのです。
■親の元気が「当たり前」ではなくなった日
姉の君野倫子は日本文化をテーマにした文筆家、妹の三吉佐知子は着付師。日本ではそれほど接点がなかった姉妹が、なぜか15年前、偶然にも、それぞれの夫の転勤で同じカリフォルニアに住むことになりました。その時、日本に残した母はまだ74歳でした。
現在、母は89歳。一人暮らし歴はもう30年近く。
59歳で父を亡くしてから、65歳くらいまで仕事を続け、定年退職後は友達と国内・海外旅行、社交ダンス、習字、カラオケ、パソコンを習い、プールで延々と泳ぎ、花や野菜を育て、庭の手入れに忙しく、朝はラジオ体操、午後は散歩をして、畑の野菜で自炊も欠かさない人でした。娘二人が一気に海を渡ってしまった後も変わらず忙しそうで、私たちが住むカリフォルニアにも3回も遊びに来て、海外でのさまざまな体験も楽しむパワフルな人でした。

そう85歳までは、いわゆる「スーパー高齢者」だったのです。
数年前までは、連絡はiPhoneのFaceTimeを使っていました。パソコンで文書を作るといった事は多少できましたし、スマートフォンが使えたので助かりましたが、それでも使いこなせているというレベルではなく、いつも「よくわからないのに、教えてくれる人が近くにいないから、この電話嫌い」とぼやいていました。
それでも電話の向こうの母の声は明るく、「まだまだ大丈夫」と思わせてくれたのです。私たちが帰省するとか、どこか旅行のお誘いをしても、「私、忙しいから」と断られることもしばしばでした。
ところが、コロナ禍の頃からか、なんとなく違和感を持つようになりました。
話がかみ合わなかったり、同じことを何度も聞いてきたり。
「え? さっき話したよね?」と驚くことが増えていったのです。
その頃、サンフランシスコとサンディエゴに住んでいた私たち姉妹は、よく連絡を取り合っていましたが、話をするとアメリカから実家の母の様子をどう見守るか、という話題が増えていきました。
■コロナがもたらした圧倒的な距離と現実
2019年12月から2020年の1月、姉の倫子が一時帰国していました。お正月を一人で過ごさせるのはかわいそうだと、なるべく誰かしらが年末年始は帰国するようにしていました。アメリカに戻る時には「また、来るね!」と言って実家を出ました。
その時、中国で発症した感染症のニュースが流れていたものの、まさかその後2年近くも帰国できなくなるとは夢にも思っていませんでした。
やがて新型コロナウイルスは世界中に広がり、アメリカでも外出制限が始まりました。レストランは閉まり、ビーチも立ち入り禁止。街には救急車のサイレンが昼夜を問わず響きました。
一方、日本に残る母は、人に会うことを避け、外出をやめ、家でテレビばかり見る日々に。
「元気だった母が、一気に孤立してしまうかもしれない」――そんな不安が、現実味を帯びていきました。
■帰国できない罪悪感と、海外在住者の共通の覚悟
私たち姉妹も含め、海外在住者の間ではよくこんな言葉が交わされます。
「海外に住むということは、親の最期に立ち会えないかもしれない。その覚悟を持たなければならない」
頭では理解していても、実際にその現実に直面すると、とても受け入れられるものではありません。
友人の中には、親の危篤を知らされて急遽帰国したものの、間に合わずに最期に立ち会えなかった人もいました。コロナ禍では、葬儀も画面越しでしか参加できず、抱きしめることも見送ることもできなかった――そんな話を聞くたびに、私たちも心が締めつけられました。
コロナ禍で飛行機は飛ばず、帰国制限もあり、約2年間、母に直接会えない日々が続きました。
遠くに住む私たちが抱いたのは罪悪感と「今すぐ何かあったら間に合わない」という焦燥感でした。
■愛する故郷が「遠い場所」になった日
2021年末、ようやく帰国できたときのことは忘れられません。ワクチン証明や渡航前の陰性証明、到着後のPCR検査、そして最長2週間のホテル隔離――。
愛する故郷日本、そして母が暮らす実家は、以前のように「すぐに帰れる場所」ではなくなっていました。
さらに、海外から帰国する私たちは「ウイルスを持ち込む人」として、どこかよそ者のように扱われることもありました。母の健康を守りたい一方で、「万が一うつしたら」と考えると、帰省することすらためらう複雑な気持ちになりました。
コロナ渦は、“親の元気はいつまでも続くわけではない”という当たり前の事実と、“会いたいときに会えない”という現実を突きつけてきたのです。
これは海外でなくとも、日本中で多くの方が体験したことではないでしょうか?
コロナ渦は、こうした想像もできなかった出来事が自分たちに起こりうる事を教えてくれました。
■「声とカメラ」でつながる安心感
何かあってからでは遅い。けれど、今すぐ介護が必要という状態でもない。コロナ禍で身動きが取れなくなった経験から私たちの中に芽生えたのは、「できるだけ早く、“ゆるやかに”見守りを始めたい」という想いでした。
そんなとき、同じく海外で暮らす知人がこんな話をしてくれました。

「スマートスピーカーなら、親が倒れても“声だけで”助けを呼べるよ」

「連絡が取れなくなっても、こちらからカメラで中の様子を確認できる」
その言葉を聞いた瞬間、私たちは「これだ!」と思いました。
それまで「スマートスピーカー」といえば音楽を流す便利な家電というイメージしかありませんでした。けれど、知人の話から見えてきたのは、高齢の親を支える“見守りツール”としての可能性でした。
■年末に届いた「小さな見守りの入口」
2021年12月、私たちはスマートスピーカーを購入し、帰省する年末年始のタイミングで実家に設置しました。
・母がいる実家にはスマートスピーカーを

・アメリカにいる私たち姉妹のスマホにはAIアシスタントのアプリを
それぞれインストールして設定し、双方向でやりとりができる環境を整えました。
当時、私たちもまだスマートスピーカーに馴染みがなかったのですが、何より母にとってはモニターが大きく見やすいこと、そして、私たちにとっては、声かけだけでつながる、母の様子がモニターで確認できる事が導入の決め手でした。
■母の反応:「しゃべる箱」との新しい暮らし
iPhoneでさえ「難しい」と感じていた母は、初めて見る“しゃべる箱”に戸惑いながら、「何これ?」と不安そうでした。
まずはウェイクワード「アレクサ」という言葉に慣れてもらうためにスマートスピーカーの前に張り紙を貼って、それを読んで言葉にするところから始めました。
それでも相手は機械だし、口にした事のない外国人みたいな名前だし、何がどうなって、何をしてくれるのか、を理解するには、最初はなかなか大変でした。
「アレクサって誰?」「どうして答えてくれるの?」と、まるで外国人が部屋に突然現れたかのような不思議さを感じていたようです。
しかし、日が経つにつれて、少しずつ距離が縮まっていきました。
「今日の天気は?」

「音楽かけて」

「じゃんけんしよう」
最初は恐る恐る声をかけていた母も、次第に自然にスマートスピーカーを話し相手にするようになりました。

その姿は、母が新しい友達と仲良くなっていくのを見守るようで、私たち姉妹にとっても嬉しい変化でした。
その変化を見た私たちは、「これは本当に、ただの便利家電じゃない」と強く感じたのです。
■導入して変わったこと
1.実家に連絡するハードルが下がった
「実家に連絡しなきゃ」「もう何カ月も話してない」
意外に面倒に思ってしまう実家への電話。スマートスピーカーの導入は母の生活を変えただけでなく、私たちが実家に連絡するハードルを低くしてくれました。
2.日常の会話が増えた
「今日のお昼は何食べたの?」「今日は雨だけど買い物に行けた?」

「庭の花、咲いたのよ」「昨日、近所の人にお野菜もらったの」
私たちにとってありがたかったのは、電話よりもモニターから話しかけることで、突然の電話よりも自然な“つながり”が持てたことでした。気軽なスマートスピーカー越しの会話が、私たちの関係を“近く”してくれ、遠くに住んでいても“日常を共有できる”感覚をもたらしてくれました。
3.緊急時の安心につながる
母と突然連絡がつかなくなっても、スマートスピーカーには私たち姉妹がどこにいてもカメラをオンにして室内の様子を確認できる機能があります。こちらから「見る・話す」ができる事は、何物にも代えがたい安心感をもたらしてくれました。事故や体調の異変を早期に気づける可能性があるのは、遠隔見守りの大きなメリットでした。
■スマートスピーカーで見つけた、母の異変
ある時、スマートスピーカーで話をしていると、あまり見かけない1リットルサイズのオレンジジュースが6本もキッチンにある事に気がつきました。
普段、ジュースなど飲まない母が、1リットル? 6本も? と違和感。
自分で買ってきたとは思えないので、誰かにもらったのかしら? と思い、「そのオレンジジュースはどうしたの?」と聞くと「友達と展示会に行ってもらったの。
無料だったし」と答える母。
展示会? 無料? まったく的を射ない話で、その日は「?」のまま通話を終えました。
しかし、また2、3日後にスマートスピーカーで話していると、今度は新たに「梅干し」の大きめのパックが2つ⁉
梅干しは自分で漬ける人なので、梅干しをわざわざ買うなんて、まずありえません。
その次に見つけたのは、おちょこととっくり付きの日本酒が何本も。
母はお酒を飲みません。
母に聞いても、「友達と展示会に行ってもらったの。無料だったし」と答えるばかりです。
具体的な展示会名や場所は、すぐ忘れてしまい、はっきり思い出せないので真相はわからないまま。しかしどう考えても、自分から進んで知らないところへ行く母ではないので疑問だらけでした。
■紛失防止タグで母が通っている場所を突き止める
私たちは、これは何かおかしいと思い、母のバッグにつけた紛失防止タグの位置情報を調べてみることに。スマホのアプリで母が頻繁に訪れていた場所を突き止め調べてみると、どうやら高齢者狙いの催眠商法が行われている店であるらしいことがわかりました。
ある日突然、空き店舗に店ができ、近所にお店のオープンのチラシが配られ、毎日3~4回の説明会が開催され、行くと日替わりで無料のお菓子やジュースなどが配られる仕組みのようです。最初は無料だけど、そのうち何十万、何百万というサプリや寝具、さまざまな物を買わされて預金を使い果たした……という口コミをたくさん目にしました。
そして、スマートスピーカーで話している時に、偶然ご近所のお友達がその店に行こうと母を誘いに来たことで、母が誰とその店に行っているのかを知りました。
それから母が展示会に行くタイミングを紛失防止タグの位置情報で確認して、FaceTimeをすると、母は少し気まずそうな表情に。「すぐ家に帰るように」と母に伝え、それを何度か繰り返しているうちにその店には行かなくなりました。
■高齢者の心理をついた商法
倹約家の母が「いいお布団なんだって」と口にするようになっていたことが、私たちには信じられませんでした。何十万もする寝具はとてもお得だと巧みな店員の言葉にすっかり洗脳されていました。日頃、おしゃべりする機会が少ない高齢者は、店に集まって店員や近所の人とわいわい過ごせる場を楽しいと感じるのでしょう。毎日、大勢の高齢者が店舗に吸い込まれていきます。
私たちは消費者センターにも確認しましたが、法的にはギリギリセーフな業態らしく、何もできないと言われてしまいました。何かを買わされたとしても、クーリングオフするには本人の意思がないとできません。物忘れが多く、洗脳された高齢者というターゲット設定の巧妙さに感心してしまいます。
ある地域では、そうした業者が来ると、「高齢者をターゲットした詐欺まがいの商法に注意しましょう」と回覧板を回すのだそうです。すると急に夜逃げするように店がなくなると口コミで読みました。そこで私たちも行政のいろいろな部署に相談。地域の民生委員さんやケアマネさんなどから、高齢者のいるお宅に対して注意喚起をしてもらえることになりました。
私たち家族が「だまされてるよ」と言うと、「そんなことない!」と聞く耳を持たない高齢者でも、ケアマネさんや民生委員さんといった第三者に言われると「そうなのかも」と思うこともあります。
そんな注意喚起をしてくださったおかげか、その店はある日突然、なくなりました。
もしスマートスピーカーがなかったら、まず、母がその店に通っていることすらも気づかなかったでしょう。
こうした高齢者狙いの詐欺は、実はとても多く、高齢者自身がだまされたと気づかないパターンも多いのが現実です。気づいていないので、家族にも話さないこともあります。
■よくある子供会の廃品回収だと思っていたら…
我が家の場合は、廃品回収がそうでした。
母は昔ながらの地域の子供会がやっている廃品回収だと思っていましたが、実際に家に乗り付けてきたのは黒い高級車。
これもスマートスピーカーで話をしている中で「今日は廃品回収が来たの」という話で、断片的な話からわかったのは「2階まで上がって行った」「亡くなった兄が集めていた切手を見ていた」「黒の高級車に、きちんとしたスーツ姿でとても礼儀正しかった」ことくらい。
母の口調からは、まったく不審に思っていない様子でした。
母の記憶がすべて正しいとも限らないので、玄関に取り付けた人を感知すると録画するスマート防犯カメラの映像を確認してみることに。
誰が訪問したのか、母が覚えていなくても、録画映像で私たちが確認できるのは本当に助かります。何を回収して行ったかまでは、さすがにわかりませんでしたが、なるほど、きちんとしたスーツ姿の男性が訪問していました。
しかし後日、帰省した時に見つけてしまったのです。「数千円の領収書」を。
母のアクセサリー数点と、亡くなった父から最初で最後に贈られた指輪もなくなっていました。
このスーツの男は、古着を回収に来たと言って、本当に言葉巧みに世間話をしながら、家に上がり、家の中を物色したようです。そして、古着などを回収しつつ、宝石類を安く買い取って行く高齢者狙いの詐欺だったのです。
この腹立たしく、切ない出来事があって以来、私たちはスマートスピーカーで母と話す時、怪しい廃品回収が来ている気配がないか気をつけるようになりました。
これらはスマートスピーカーや防犯カメラ、スマートホーム、その他の遠隔で使えるツールがあって良かった! と思った、ほんの一例です。
■見守りの本質は「安心を分かち合うこと」
「カメラをつけるなんて、監視みたいで可哀想」
そんな声もあるかもしれません。けれど私たちの目的は“見張ること”ではなく、“寄り添うこと”でした。
母自身もスマートスピーカーがあると「安心」と感じてくれるようになり、「これなら自分で使える」と自信につながりました。
高齢者にとって「子どもに頼ってばかりではなく、自分でできる」という感覚はとても大切です。スマートスピーカーはその一助になったのです。
見守りというと、どうしても「監視」のイメージが強くなりがちです。
けれど、スマートスピーカーを導入してみて気づいたのは、これは“安心を分かち合うツール”だということ。
母にとっては「声をかければ返事をしてくれる相手」がいる安心。
私たちにとっては「離れていても様子が見える」安心。
どちらか一方だけでなく、双方にとって安心が増える。
それこそが、遠隔見守りの本当の価値だと感じています。
■遠距離介護の第一歩は「完璧」でなくていい
もし今、同じように遠く離れた親のことを心配している方がいたら、声を大にして伝えたいことがあります。
遠距離介護は、いきなり完璧にやろうとしなくていい。
まずは小さな一歩からで大丈夫。
スマートスピーカーを一台置くだけでも、暮らしは変わります。
それは親の生活に安心をもたらすだけでなく、子ども自身の心をも軽くしてくれるのです。
正直なところ、「あと5年早く導入していたら」と思うこともあります。
まだ物忘れが少なかった時期なら、もっと積極的にスマートスピーカーと会話したり、音楽やゲーム、買い物機能を楽しんだりできたかもしれない。
高齢者が新しい技術を使いこなすにはハードルがありますが、それでも導入の時期は早いに越したことはないと痛感しています。
それでも、スマートスピーカーが今こうして母と私たちをつなぐ“声のかけ橋”になっていることは間違いありません。
親の元気は永遠ではありません。
けれど「まだ大丈夫」と思っている今こそ、見守りを始めるチャンスです。
私たちが一歩踏み出したように、あなたも今日から小さな工夫を取り入れてみませんか?
その一歩が、未来の安心をつくっていくはずです。
2024年、姉の倫子は日本に帰国しました。
帰国してすぐ母の運転免許証の更新の通知が来ましたが、更新することをやめ、運転も卒業しました。田舎で車がないのは、まさに生活の足を奪われること。つまり自由を奪われることになり、高齢者にとって辛い決断です。その分、どうやって、その不自由さをカバーできるのか、スマートスピーカー導入後から現在まで、課題はたくさんあります。
私たちはそこからスマートホームやカメラ、地域サービスとの連携など、少しずつ安心の輪を広げていったのでした。

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君野 倫子(きみの・りんこ)

文筆家/日本文化キュレーター

着物、和雑貨、歌舞伎、日本文化をテーマにした著書は20冊以上。読売新聞にて14年にわたり和雑貨を紹介するコラムを連載。2010年~2023年まで米国カリフォルニア在住。2024年に帰国し、現在は東京を拠点に企業向けディレクション/コンテンツ企画制作、出版コンサル、講師、イベント企画・プロデューサーとして活動を展開している。

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三吉 佐知子(みよし・さちこ)

着付師/着物スタイリスト

アメリカ・サンディエゴ在住。着つけ師・着物スタイリストとして日米で20年以上のキャリアを持つ。書籍、日系イベントやショー、映画祭などの着付けを長年にわたり担当。成人式、七五三、卒業式などの日本の特別な行事の撮影のための着付けも得意とする。

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(文筆家/日本文化キュレーター 君野 倫子、着付師/着物スタイリスト 三吉 佐知子)
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