NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、藤吉郎(豊臣秀吉)のきょうだいとして、秀長、とも、あさひが登場している。歴史評論家の香原斗志さんは「宣教師ルイス・フロイスが記した『日本史』には、別のきょうだいの話が記載されている」という――。

■「秀吉の弟は秀長一人だけ」とは言い切れない
今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、周知のとおり、羽柴(豊臣)秀長を主人公に兄の秀吉との関わりが描かれる。その秀長は、秀吉が天下を統一するうえで計り知れないほど大きな役割を果たし、秀吉の唯一無二の弟だったと語られる。
たしかに、秀長が唯一無二の働きをしたことは疑う余地がない。だが、秀長が秀吉にとって、ほんとうに「唯一の弟」であったかどうかは、後述するように、確定しているわけではない。ほかに弟がいた可能性は、否定しきれていないのである。
そのことを述べる前に、秀吉の兄弟および姉妹について確認しておきたい。秀吉は天文6年(1537)2月6日生まれ、秀長は同9年(1540)の可能性が高く、そうであれば3つ違いの兄弟ということになる。
2人の母親はのちの大政所でいい。父親に関しては、よく引用される『太閤素性記』では、秀吉の父は織田信長の父の信秀に足軽として仕えた木下弥右衛門で、その死後、秀吉の母は筑阿弥と再婚。あたらしい夫とのあいだに生まれたのが秀長だとしている。
■宮澤エマ演じる「とも」の辛い生涯
だが、『太閤素性記』は、木下弥右衛門が死んだのは「秀吉八歳」のときとしており、秀長との年齢差が3つだとすると計算が合わない。一方、秀吉の姉の菩提寺に伝わる史料では、父に該当する人物が死んだのは天文12年(1543)となっている。
秀長が生まれた3年後である。
こうしたことから最近では、秀吉と秀長は同父兄弟だと考える研究者が多い。
「秀吉の姉」と書いたが、秀吉と秀長の兄弟には姉妹もいた。一般に「智」と呼ばれる姉はかなり長生きで、寛永2年(1625)4月24日に没しており、享年は史料によって92とも94とも記されている。だが、公家の小槻孝亮が記した『孝亮日記』の記述を優先する向きが多く、そうであれば天文元年(1532)の生まれで、秀吉より5歳、秀長より8歳年長だったことになる。
ちなみに、この姉は三好(みよし)吉房(よしふさ)と結婚し、3人の男子の生母となった。のちの羽柴秀次、羽柴小吉秀勝、羽柴秀保(誕生時期から養子と考える向きもある)である。
もっとも、秀次は秀吉の後継として関白にまでなりながら、秀吉と対立して切腹し、一族もみな惨殺された。小吉秀勝も秀吉の養子になったが、朝鮮出兵中に病死。秀長の養子になった秀保も早世した。姉自身は秀次事件のあとで出家したが、一族の不幸をみな背負ったような、長すぎた余生だったのかもしれない。
■宣教師が残した別のきょうだいの話
一般に「旭」または「朝日」とされる妹は、のちに徳川家康の正室に迎えられた。
天正18年(1590)1月14日、京都の聚楽第で病死し、享年48というので生年は天文12年(1543)になる。すると秀吉より6歳、秀長より3歳年下で、木下弥右衛門の没年が前述のとおりであれば、彼女も秀吉と秀長とは同父の姉妹の可能性がある。
ところで、この「旭」については、家康に嫁ぐために夫と離縁させられた、といわれてきたが違うようだ。山鹿素行編の『武家事記』によれば、夫の副田(そえだ)甚兵衛(じんべえ)は本能寺の変後、但馬(兵庫県北部)の多伊城(兵庫県新温泉町)を守りながら、一揆勢に城を奪われた。この失態を秀吉にとがめられ、「旭」と離縁させられたという。
さて、秀吉の兄弟というと、一般にはここまでである。「豊臣兄弟!」でも、秀長を仲野太賀、秀吉を池松壮亮、姉の「とも」を宮澤エマ、妹の「あさひ」を倉沢杏菜が演じ、血のつながったきょうだいはこの4人にかぎられる。
ところが、イエズス会の宣教師だったポルトガル人のルイス・フロイスが記した『日本史』(第2部88章)には、別のきょうだいの話も記載されている。まず、それを引用しよう。
■「関白の面前で斬首され」
最初に「兄弟」の話から。天正15年(1587)1月のこととして記されている。
「一人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった二、三十名の身分の高い武士を従えて大坂の政庁に現われるという出来事があった。
この若者は伊勢の国から来たのであり、関白の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。関白は高貴の血筋をひくどころか、下賤の家柄であり、彼もその親族も、あるいは農業、あるいは漁業、もしくはそれに類したことを生業としていた。しかるにひとたび彼が絶大な権力と名誉ある座に昇り、最高の位に就くと、彼ら親族たちは貧困で悲惨な境遇から浮上し、彼からそれとは別の地位なり名誉なりを受けることになったのである」
「関白は、傲慢、尊大、いなそれ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母大政所に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。彼女はその男を息子として認知することを恥じたので、(中略)苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。その言葉を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白は己れの肉親者や血族の者すら己れに不都合とあれば許しはしなかったのである」(松田毅一・川崎桃太訳)
■地元に残る姉妹を都へ呼び寄せ…
続いて「姉妹」に関する話である。
「その後(註・上記の兄弟の斬首から)三、四カ月を経、関白は、尾張の国に他に自分の姉妹がいて、貧しい農民らしいことを耳にした。そこで彼は己れの血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹と認めてそれ相応の待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた。その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天から良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて都に出向いた。しかるにその姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった」(同)
これらの逸話は、同時代の史料はもとより、後世の著述のなかにも見られず、真偽を確認することができない。だから否定する研究者も少なくない。たとえば、2025年12月30日にNHK BSで放送された「豊臣政権サミット2026」においては、東京大学史料編纂所の本郷和人教授がこの話を持ち出すと、駿河台大学教授で「豊臣兄弟!」の時代考証も務める黒田基樹氏が、フロイスの記述は「デマだ」と断定する一幕があった。

しかし、黒田氏はいつも、史料をなにより尊重するべきだと説くのに、なぜフロイスの記述は「デマ」だと考えるのだろうか。
■宣教師の記述はデマなのか
たしかにフロイスは、織田信長のことは比較的好意的に記したのに対し、秀吉については辛辣な記述が目立つ。とくに天正15年(1587)6月に、いわゆるバテレン追放令を出してからの秀吉は、キリスト教に対して当初の寛容な姿勢を、弾圧する方向へと転じたこともあり、フロイスらが秀吉に向ける視線が厳しくなったものと思われる。
だが、フロイスは秀吉の放恣や傲慢さ、残虐性などは厳しい言葉で批判しながらも、その功績や事業の偉大さなど認めるべきは認めている。また、「醜悪な容貌の持主で、片手には六本の指があった。眼が飛び出ており、シナ人のように髭が少なかった」など、身体的な特徴を批判する記述もあるが、それはこの一文にとどめられている。すなわち、外見についてあげつらうのはモラルに反する、という節度が感じられる。
そう考えたとき、秀吉の兄弟や姉妹の逸話を、手間をかけてここまで具体的に捏造するだろうか、という素直な疑問をいだく。歴史学者は史料、ことに日本側の同時代史料を大切にし、信頼を寄せる傾向にある。しかし、権力者についての記述には、同時代の史料ほど遠慮や忖度、美化がつきまとう。また、権力者が自分や自分の権力に都合が悪い史料を、意図的に破棄した例も多く、破棄されたことさえ知られていない事例もきっと多いだろう。
一方、フロイスら宣教師には、日本側に忖度する必要も、権力者が隠したい事実を隠す必然性もない。
そもそも(当時の)日本人は彼らが書いたものを読めないのである。
■秀吉の冷徹で合理的な動機
秀吉は、フロイスが記した兄弟や姉妹に関する逸話の時期には、すでに従一位関白太政大臣にまで上り詰めていた。秀吉は自身が賤しいとされる出身だったからこそ、朝廷の官位の最高峰にまで上り、その権威をもとに諸大名たちを序列化するかたちで、政権の維持と運営を試みた。
それに際しては、兄弟や姉妹はもとより親族の箔付けに余念がなかった。ちなみにフロイスが記した「事件」が起きた天正15年(1587)1月には、秀長はすでに従三位権中納言だった。
こうして、ようやく朝廷の官位を利用して自身の生まれを覆い隠したところに、箔付けされていない兄弟や姉妹が現れれば、秀吉にとっては大迷惑だったのではないだろうか。しかも天皇から、五摂家のほかに摂関になれる「豊臣」姓を下賜されたところに、自身の出自がふたたび問い返されかねないような兄弟や姉妹が現れれば、殺さないと家を守れないと考えても不思議はない。
したがって、もう一人の「豊臣兄弟」、もう一人の「豊臣姉妹」について記したフロイスの記述は、根も葉もない話とは思えないのだが。

----------

香原 斗志(かはら・とし)

歴史評論家、音楽評論家

神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。
ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

----------

(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
編集部おすすめ